雑記を書き続けてみてもっとも助かるのは、自分の記憶の補完を記録がしてくれることだ。自分が誰かに会ったり、どこかにたずねたりしたのがいつ頃だったのか、あるいはもっとおぼろげに「誰かとなんだかおもしろいことを話したけど、はてなんだっけなあ」という取っ掛かりすら難しいとき(すっごい多い)にweblogとほぼ日手帳がワタシにとって自作の「ググる」になってくれる。
ワタシは人一倍、致命的レベルで「忘れてしまう」力が強い。これは自分の弱さに比例しているのだと思うようになってきたけど、つまりは忘れることで自らをどうにか生存させているわけで、自分に不都合なことを「今は忘れなきゃ生きにくいぞ」と脳が指令を出しているのだと思う。現に誰もまったく気づかないミクロのことで数日間分かりやすいくらいに凹んだり、テキメンにすぐ眠れなくなったりするので、自分の心身ながらこの脳も大変お忙しいだろうなあと慮る。・・まあそれらはいつものことなのでここには100回くらい記してあると思う。
で、そんな手前味噌的グーグルをしたら、関原剛さんと小林康生親方の往復書簡を伝書鳩になってやり取りした跡が2020年にあった。
以前、上越・桑取のかみえちごさんを視察したときに関原さんがミニ講和をしてくれて、そのあとにヤスオ親方がぽつりと「関原さんには初めて会ったけど、なぜか 遠い過去から知り合いだったかのような人だ」と評されていた。
直江津・杣事務所に遊びにいくたびにセキハラさんもまた「俺は小林康生さんとゆっくり話がしたい」と何度か口にされており、今回、講演会の翌朝に門出和紙でゆっくりとお話してもらった。なぜかワタシとイサオさんは録画を回しながら二人の雰囲気に少し気圧されてソワソワモジモジとその場にたじろいで居るのが精一杯だった。
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冬は雪がたくさん降るので
1,2月はプラごみ、ペットボトルを各戸が2階などに貯めておいて、
3月にどーんとまとめて出す。
山中、春のプラまつり。
みんなで少しずつ出し合えば
この15戸の小さな集落でもものすごい結集になる。
おそらくこれは我らの存在や潜在的な力を暗示している。
おそらく。
そういえば、内山節さんつながりで視察に行った群馬の上野村にはプラスチックを無害のまま焼却だか融解だか滅却だかできるモノがあったなあと思い出す。
16日土曜日。関原剛さん講演会「プラグマティズム」「RMOとは何か」にはたくさんの方々にお越しいただいてありがとうございました。刺激的で具体的でした。
講演会後、関原さんからの唯一の条件だったじょんのび村の「温泉」につかってもらい、その後グルグルハウス高柳に投宿して入念な振り返りをしました(ワタシも泊めてもらう)。
昨日17日日曜日。かねてから書簡を往復したりしていた門出和紙の小林康生さんと関原さんに自由に対談してもらいました。これも動画を回していたのでユーチューブに載せて告知したいと思います。
集落の会計をとりあえずやっつけねば。
これから30年経ったときにこの集落があるか無いかまで追い詰められていく状況を見たときに、門出和紙がこれから30年残ったとしても集落が無かったら意味がないんだよ。俺がやってる紙はここで漉いてるから意味のある紙で、他に行って漉いたってなんの意味もない「風土の紙」だから。それなら紙以前に集落を残さなければならない。それは倅が後を継ぐとなった段階で自分の責任として手を加えることもなく、なんにもしないでいることが俺にとっては卑怯というか耐え難いものがあるから、この集落を30年後も残していくためにはどうしたらいいのかということに全力を注ごうと思ったんだよ。(小林康生)
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