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山中記

奈良旅memo.

日曜の夜の馴染みの居酒屋で飲んだくれ、
ついでにご飯もたっぷりごちそうになり頬袋に詰め、
奈良漬け状態で深夜バスに乗ると、
出発するかしないかくらいで就寝。

気づくと滋賀あたりだった。

京都6時着。
おかしい。
これまでの梅田と違ってこギレイで落ち着かず。
おかしい。
梅田にあった早朝なのにいいアンバイの立ち飲み屋が見当たらず。

通勤前で静かな河原町をそぞろ歩く。
荷物の重さのけっこうな割合を占めていたのに、
のっけからカメラ故障。
目で見ろということなんだろうとあきらめる。
写真に気をとられて、見ても何も感じてない場面、瞬間は少なくない。

古い造形に心が鎮まるのはどうしてなんだろう。
いつからだったろう。
静と美はどう自分の中でつながっているんだろう。
自分は、よその人は何に美しさを感じるんだろう。
感じた美しさ、感性を日常の何に昇華させているんだろう。
樹、陽、水の色々。
たとえ表面だけでも、人が美しくあることは相当に難しい。
ただ普通に生きることが、じつは一番難しいのかもしれない。


出勤でにぎわってくるので奈良に脱出。
関西人にとっての日常。自分にとっての非日常。
空間の移動は、
精神的にも自分を離してずらして揺さぶってくれる。

外国の方が日本で暮らすための日常と、
日本人の自分が日本で暮らすための非日常。
どこにいても、わずか数メートルの半径で、
数えきれない日常と日常、日常と非日常、
非日常と非日常とが交錯しているんだろうなあ。


自分がよそ者であることや、
目の前の風景に圧倒されることが、
自分の存在をたしかに感じさせてくれる。
自分が偽物であるような感覚も。
弱さと向き合ってはじめて、抱えて、付き合える。
異国ならなおさらだし、
本のなかで空想の世界を旅する人もそうなんだろうな。
本がもっと読みたい。

 *

吉野の山奥での節分の神事に参加。
去年民宿で世話になった人たちに麒麟山の「ぽたり」を渡し、転職報告。
一年前に飲みながら話していた道にいま居る有り難さ。

 *

肌に刺ささるような冷気。
各々の想がつまった境内。
祈りの続く「鬼乃宿」

翌昼。
天川の「鬼は内 福は内」。

渦巻きながら上っていく護摩の煙の形がただただ綺麗だった。
圧倒されながら、
節目
をひたすらに感じた。

大きいも
小さいも
主観が勝手に比較しているだけで。
そんなに変わりないのだな。
身の丈。
器。


冬と春との立ち別れ。
春が来る。春になる。
もう一年。
また来年。







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by 907011 | 2009-02-10 21:15 | Trackback