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山中記

驚いては表現する。

農繁期。
の、一歩手前ということで、30日/1日と小型連休をいただき、
高速バスに乗って半年ぶりに新潟へ。
一年前はスーツを着てずっと見ていた光景。
変わらない窓からの眺めに、相変わらず重ね見ては噛み締める。
あの時、自分が重ね見ていたのは過去だろうか、先だろうか。
言葉はいつも後付けでしかない。

重ね見る。
過去も未来も「先」という字であらわされることがある。
先日は過去の時間。先見なら未来か。
それなら「先生」の先という字はどっち向きの矢印なんだろう。

噛み締める。
たとえば味覚にしても、同じ食材を食べる時々によって、
その都度違う感想を抱く機微。
単なる味覚だけではなく、
そこに記憶が勝手に重なったり、経験が混ざったり、
味わうってそういうことなんだろうと思う。
音のしない真っ暗闇でご飯を食べたら、
自分は何を想い、どんな味を噛み締めるんだろう。

 * * *

新潟。
前の職場の上司に近況報告がてらご飯をごちそうになり、
いいすか?、ということでランチビールも正しく呑む。
「じゃあ、キリンで」、
という台詞を俺はこれまで何度繰り返してきたことだろう。
昼酒、旨し。


昼下がり。
「人間の盾」にも参加したカメラマン・杉本祐一さんの
パレスチナの写真スライド上映会を観にいく。

以前、「吸って、吐くこと。」にも書いたことのある、
「写真家」とはこの杉本さんという方のことであり、
舌鋒鋭く話し出すと立て板に水のごとく止まらない方だが、
酒の席で聞いた(杉本さんは覚えてないはず)、
「写真でしか表現できないものがたしかに俺にはあるんです」
という言葉の意味を今も時々思い出しては考えている。
すごい宿題だと思う。
今回上映後に話していた、「情報を疑え」というメッセージにしても、
気持ちの力が先行して、後から言葉が出て来たような熱い口ぶりで、
耳がだいぶん痛んだ。取捨選択。


その夜。
尊敬する先輩、恩人、呑み仲間と、いいアンバイの居酒屋で呑み、語り、笑い。
最後は恩人相手に深夜の公園のベンチで号泣してしまった。
過去の懺悔。
久々にあんなに思いっきり泣いた。
思いっきり泣くことができなかったら、それは
どこかで自分か誰かを殺してしまうのかもしれない、と本気で考えることがある。
昇華。


翌朝。
『未来を写した子どもたち』を観る。
インドの売春窟で生まれ育つ子どもたちがフィルムカメラを手にし、
写真と出会うことで自らの環境を変えていこうとするドキュメンタリー。


驚いては表現する。_b0079965_542487.jpg



以前、石川直樹さんが写真を撮ることについて、
「切り取る」んじゃくて、世界を「受けとめる」ように撮っていきたい。
知ったつもりになって見切ってしまわずにずっと驚いていられるか、どうか。

と話していたことを思い出す。

映画に出てくる子どもたちの写真の撮り方に、
表現したいというエネルギーをもらえた。
「ねぇ カメラって すごいね」


驚き続けていたい。

恐らくは、
等身大の地図が意味をもたないように、
すべてを表すことができる完全な表現というのは存在し得ないと思っている。
だからこそ、驚き続けられているのだろうし、
不完全なればこそ、懲りずに描いていくのだろうと思う。











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by 907011 | 2009-05-05 04:53 | Trackback