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山中記

慕情。

3時半起床。
朝の時間を尊重するようになって、もう何度目の夏だろう。

この夏。
起き抜けの甚平さんを着たまま、手帳やらなんやらをズタ袋に押し入れて屋上に上がる。
陽を見て、空見て、雲見て、山見て、
ストレッチしながら寝っ転がって今日のことなど想う。
昨日あったことと、今日これからのこと。
寝ている間のそのつながりをしばし考える。

今日から三日間、隣の市営牧場にて堆肥詰め。
夏の怒濤の牛ふん祭り。
牧場のこと、畜産のことをもっとよく知りたい。
土曜の夜に遊びのお話などいただいたけど、遊べる余力はあるのか、はたして自分。


「知った風なことばかり吹いて、じゃあ手前は何をしてるんだ?」と問われれば、
別に何ら大したことなどしていない。
何かを発明しているわけではないし、目の前で苦しむ誰かの傷を癒すスキルも持ち合わせてはいない。
でも、農に携わっていることに少し胸は張れる。
今も。
9苦しことがあって、1笑う。
そんな繰り返しかもしれないのだけど、
その「1」が微々たるものながら大きな1になっている感覚。
相応に水面下での9もまた大きくは成っているんだろうけど、その辺は気付かぬふりでもして。


今、自分が”あぐら”をかいている地盤がもしもなくなったら、
この環境を離れることになったら、
自分には何が残るだろうか、こうしてはおれんな、もう一回り努力をしないとな、と想う。
このままではやっぱりいかんな、と焦る。


 * * *


風呂上がりの夕方はビールを飲む。
これも何日連続で屋上にいるんだろう。
夕陽が沈んだら、残りの明るさで雲を見て、寝転ぶ。
思いっ切り伸びをしながら、はるか上空を流れる雲と平行になる。
視野をゆく雲、くる雲。
たまにそのまますーっと就寝。

贅沢だなあと思う。
何にもなくて、風に撫でられながら、いろんな角度から空を見ている。

小さくて静かで不便な島で感じたこと。
何もないということは、何でもあるということ。
テレビより、一人で想像の空の下に居ることに、
例え難い興奮を感じるし、
他に何の刺激的要素も加わらないことで、
空を視ているという実感がはっきりとあるのだと身体が代弁したがる。
考えることは楽しい。
想像することが楽しい。
それを日常に落とし込んで、自分なりに表現することが楽しいのだと思う。


 * * *


桑田圭祐は天才だなと誰かが言っていた。
誰が言っていたんだか、すっかり思い出せないけど、
静かな稲穂など眺めていると『慕情』が頭のなかにふと流れる。

<何故に人は旅路の果てに 思い出を捨てにいく>


慕情。_b0079965_5371693.jpg



ぽつぽつと、雨。
夕方に麒麟淡麗を片手に眺めていた雲は、
俺が寝ている間に、シロからクロに姿を変えていた。
夏の私的自由研究はまだまだ続く。

稲がどんどん黄色くなっていく。
夏が秋になって、秋が冬になって、そうしてまた次の夏がくるんだろうか。
いくら長雨だと嘆かれても、グチの一つもいわんと素直に、頑ななまでに。
米の一粒がどんどん膨らみを大きくしていく。
収穫、脱穀、精米されてなお。
籾殻、ぬか、わら、その全てがまた田に還り、次の子が育つ養分に溶ける。


自分もまたたくさんの養分を吸い上げての、五体満足。
ちっちゃなことで悩んで落ち込んで卑屈になっては、
たいがいその朝型の夢か、起きしなに、
粟島のオヤヂがあらわれて、「五体満足だろうが、手前は。バカモンが」と一喝されて覚醒。
働カザル者、喰ウベカラズ。

昨日はキュウリとトマト、キャベツ、トウモロコシ畑の片付け、
マルチを剥がして、一日鎌もって草取り。
午前中マルチと格闘して鍬を振って振って振りまくっては、
しゃがんだり立ったりをひたすら繰り返していたら、熱中症っぽい感覚。
あわてて弁当を5分で喰って、冷房の下から外の日陰に動き、
配達の合間にもらったチューペットの凍らせたのをかじりながら、
一人、体験田を眺めて、風に吹かれていた。
風も出て来て、持ち直した午後。
五体満足だなあ、俺は。ずーっとバカモンでもある。

チューペットをとりあえず家と職場とに袋買いする帰路。

静けさは、最高の休息だ。
自分は、静かな空間/時間を手繰り寄せながらなんとか生きているんだろう。


牛ふんにまみれながら、氷かじりながら、今日もまた考えてみます。
by 907011 | 2009-08-21 06:29 | Trackback