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山中記

整然/雑然。

<交尾前も交尾後も、オスどうしの競争は熾烈を極める。
 交尾後、勝利者のオスは、メスの膣に栓をする。
 たとえ自分が妊娠させることに失敗していても、
 ライバルの交尾もまた成功しないようにするためである。

 ヘビの世界の中でも、人間がたやすく理解できる優位や縄張り意識、
 嫉妬といったものが基本的な行動の核となっている。>
(カール・セーガン+アン・ドルーヤン『はるかな記憶』)


 * * *


八方美人な癖に、
そのままにあれこれ手を広げることの矛盾と難解さにぶち当たる昨今。
いろいろ相談して整理しながら、襟を正すところは正して前に進みたいと想う。
昨日は畑に居ながらずーっと一人自戒の一日だった。

よく見られたいのか、自分は。
そりゃあよく見られたいんだろうなあ。
でもそれって、自分を信じているかどうかで、
まだまだ自分が半端者で信じ切れていないから、いちいち揺れ惑うのだろう。
まだ、よく見られたいのか、自分は。
そんなことに一喜一憂する時間がもったいない。

でも、自分が好きなヒトたちのことは、ずっと信じていたい。


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昨夜。
長岡の若手農家集団の呑み会にSHSの担当者を誘って飛び込んできた。
モッシュ&ダイブな坊主32歳。

20代30人超・・・。若いなあ、いろんな意味で。
でも、挨拶して周りをよく見渡してみたら、
何年か前にお会いして話して弟子入りしたいと志願した年下の尊敬する若者が居たり、
あぐらってさんの近所の若者たちが居たり、
なんだか一見無礼者そうで居て、でも自力で、自分の頭で農を描き、自分の言葉で夢を語れる若者が居たり、
やっぱり、農的なあれこれは捨てたもんじゃないなあとコーフンのままにしみじみと帰ってきたのでした。
ああいう若手と一緒に仕事ができたらなあ・・・と寝言。

けっこう最近、いろんな人と握手するなあ。
手には、その人が歩んできた記憶や経験が宿っていると思う。

昨夜0次会の居酒屋カウンターでも、
SHSの担当Tさんとそんな話をしていたなあ。
「自分が、ソイツが、たとえ今どんな程度だろうと、そんなことはいったん置いといて、
 それぞれが想う”美しさ”っていうのが、それぞれにあって、
 そこに向かってそのヒトはたぶん歩んで行くから、
 だから、そのヒトの美しいという想いに興味があるんです」ってな話を一息にして瓶ビール。

そうだった。

手と手。
合掌坊主。


 * * *


馴染みのカウンターでボーズを披露するものの、
常連さんたちとマスターに、「中途半端な頭にしやがって」と、入店数分で説教が始まる。
「だいたいオマエは、生き方も酒もオンナもウンヌンカンヌン」。
・・・、バイト君だけに慰められる。惚れそうになる。


でも、なんでしょう。
大げさですが、
髪の毛と共に、何かがすとんと抜け落ちた。
ここ二日ほど、それまでひたすらハイでアッパーだったテンションが
いいアンバイにローに切り替わった。
頭髪って思った以上に、その人にとって意味のある存在だと気付いた。
姿だけでなく、思想や振る舞いについても、自己主張を感じるものなのだと思った。

だって、ボーズにしたらもう隠しようがないもの。
表情や感情の機微がストレートに現れる。
坊主がボーズにする理由はそこにあるような気がしている。

坊主、ピース。
ピースボーズ。

 * * *


敬愛する表現者アイコさんの日記をちらりと覗く。

<好きなものがたくさんある。
(それの3倍くらい嫌なものもあるけれど、そこはほら、目をつむってさ)
 でもそれでも、全部感情を満たしても体の中身は感情だけじゃない。
 どうして「実感」は「感情」に加わってくれなかったのだろう。>


 * * *

日曜はNPOの総会と理事会と呑み会(?)に出させてもらった。
所属先のNPOが農業法人格を取得するための、定款変更や、
NPOとしてできることとできないこと、
やりたい方向と規制が必要な部分と。
まだ入って一年もたっていない1スタッフの身分で、
お声がけいただいて理事会に出させていただける光栄。

同い年スタッフも含めて、NPOの各理事たちの想いに、
自分はかなり敬意を抱いていて、皆さんおもしろくて、
会社やお店を経営していたり、それぞれに仕事があるのに、
想いがあって、知恵やスキルを結集して、
大変だけど、でもやろうぜと言える熱いオトナたち。
持病の「うらやましい病」が疼き、だからこそ畑で現場で頑張れる。
ちっちゃい自分にしたって、想いがあったからこそ、今こうして生き延びているに過ぎない木偶。

「乗り移らん学問はつまらんぜ」、って岡本太郎がよく口にした言葉、
って梅原猛が以前講演会で話していた。


現実を知る日々。
「あっ」と言う間に過ぎ去る時間の刹那。その切なさ。

「コンチクショー」で生き延びる命だってある。
痛みは糧に。
嫉妬も執着も、自分の汚れ。スマートにはどうしたって生きられない。
ネガティブはネタに。
茶化すのこそが、自分の性分。
重たいものをどかすだけの軽さでありたいと思う。
雑然を整然にするための脳、整然を雑然化させるがための脳。
そのための脳へのエネルギー。
食べること。
吸って、吐くこと。
光、音、匂い、言霊。

もう一回はじめから、やり直し。


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                  (「welcome」のとこに居たカエル/変える)



<画材を購入のため、スキンヘットで風を切り、新宿をシチーする。
 肩で風を切るなんざ、カッペのイモヤクザのやることで、
 肩は風を切るためにあるのではないのだ。
 シチーの風を切るのは首から上です。
 おれの場合は、首から上は風を感じるためにあるといってもいいくらいの大切な器官である。
 (中略)

 ニューミュージックやCMソングに出てくる風は、
 天気予報の南南東の風、風力二のふつう過ぎるただのそよ風なのだ。
 あいつらは、シチーにはミクロの風が吹き乱れているということを知らないのである。
 都会派というのは、田舎から出てきた人が、
 アオヤマやシブヤでコーヒーのんだり、ブトー酒買ったりすることではなく、
 実はビルのあいだやアスファルトのミクロの風を感知することサ。
 天地創造以来、イルカが陸を歩いた日も、カラスが水中遊泳した日も、
 無風状態ということはなかった。この大原則をかみしめて。合掌。>
 (篠原勝之『人生はデーヤモンド』)
by 907011 | 2009-09-02 06:07 | Trackback