自分の父性。
自分のやりたいことと、やらねばならぬこととの狭間で厭世的な夜。
ぐったりして帰ってきた先週火曜日。
抱卵期で預かっていたウコッケイがひなをかえしました(実母は別)。
母鶏の世話係から一転、お父さんとなる。
毎日が是、父鶏参観。
お父さんは忙しい。
昼は完熟発酵化された農協の鶏ふんを畑に正しく振りまき、
仕事の前後、お昼休みは未熟な鶏ふんを掃き清めたり、ご飯をあげたり。
堆肥づくりというのは奥深く、
欲張ったところで難しそうということがよくわかる。
でも、この鶏ふんのもとになっている餌、
大部分、自分も食べている野菜の切れっぱしだとか、
毎日どんな物を食べているかがほぼ把握(鶏用の飼料が少しあるので)できているので、
安心感のようなものがすごく強い。
ニンゲンの暮らしは多様で複雑で便利すぎて
それだけに混沌としているけど、
鶏や虫を見ていれば、
もっとわかりやすくもっと身近に循環について考えることができる。
持続可能な農業とは。
「人間のすることの一切は不要なことである」という切り口の、
自然農法の権化のような方の本を読んでは、
前を向いても後ろを向いても自問自答を繰り返したこの冬。
雪がとけて土が出て草が生えだして、やっと春。
頭と身体が暖まりはじめて、理論は常に現実に従う。
出来事や存在があって、言葉はその後にある。
朝晩、鶏たちを外に出す。
スギナをときどき喜んで食べる。
鎌で草刈りをしているわきで、
たくましい足で土をほじくりかえしては、虫を捕食している。
外に出た瞬間にヒナにあらゆることを教えてあげる母鶏、強し。
カラスや蛇やその他四足の生き物などが気になるものの、
一緒に外に出られると、草刈りが楽しくすすむ。
裏の竹林に生えた筍、たぶん40本くらい採れた。
雨後の筍ってのは本当にすごい勢い。
同じく裏で採られたフキを、炊いたご飯に混ぜて食べる昨日。
数歩で採られた食材に、フードマイレージ的なことを思い、
突然、「どーだ。文句あるか」と椎名誠風に、
鶏たちに逆上気味になるお昼。
お茶をすすりながら、
米も自分でつくりたいものだなあとあらためて思う。
自分なりに去年から、
家庭菜園向け不耕起・無肥料栽培の実験をしてみて、
自分で自分の食べ物をつくるということは、
とても時間のかかることだと気付いた。
シンプルなものほど、その分時間がかかるのだと思う。
便利な生活に慣れた心身には一見、矛盾する言葉のようだけど、
でも、シンプルなものほど、時間はかかる。
無肥料栽培の流れで、
興味津津に試してみた自家採種。
市販の種から次世代を残そうとしても、
9割くらいが奇形になってしまうらしいし、
組み合わすべき化学肥料を施さないと上手に育たないといわれている。
自分なりの、その土なりの在来種・固定種をつくろうとしたら、
3,4年繰り返してやっといけるかどうかがわかるらしい。
一年一作。
種についてはまた次回。
by 907011
| 2010-05-26 07:42
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