種のことをこの頃ずーっと考えている。
朝からブヨに唇を刺された。
鶏たちを放しながら少しだけ草刈り。
家の周り、畑、どこもかしこも草の背が高い。
どうやら一日二日で片付く問題ではないなあ、と頭をかきながら立ち尽くす。
夏草や。
稲は夏草。麦は冬草。
稲刈りを迎えるこの時期なので、
ほかの夏草の多くも結実して、
やってやるぜー的に種をぐんぐん膨らませている。
なぜか学生時代の先輩(♂)が中世的な方(♂)と同居生活を始める、
というよくわからない夢で、ヒトの俺は4時頃目覚めましたが、
鶏のひなは今朝も元気よく育っています。
育ての親(血は繋がってない)のウコは偉いもので、
餌があるとまず普段と違う鳴き声でひなをくちばしの近くに呼んで、
細かく砕きながら食べ方を教えます。
ニンゲンのお父さんとして多少の面倒を見ながら、
ヒトとしていまだ「子」の世代側にいる自分は、
えらく感心しながらその様をただ眺めるばかり。
昨日は大根の種を採った。
自分で種とってもまともな野菜ができないぞと笑われながらもこそこそと、
去年初めて種採りをしたトマト、ゴーヤ、オクラあたりは、
すでに見事に次の世代への種を継ぐことができた。
トウモロコシは全部タヌキに食べられてしまったものの、
キュウリ、モロヘイヤ、ピーマン、春菊なども種採りできそう。
不耕起・無肥料。
そのための準備と実験と観察。
たぶんこの先10年くらいはそんな時間になるのだと思います。
無肥料で自分の野菜をつくりたいと想って、
そこで考えさせられることは二つ。
一つは、目に見えない土の中のこと。
微生物や虫や草の根っこ、その死骸も含めて土の中で起こることを見えないながらも考え続ける。
山や森を想像する。
耕さない、施さない。
持ち出さず、持ち込まない。
で、もう一つが種を継ぐこと。
<一般に市販されている種子は、
交配されているもの(F1品種)がほとんどで
野菜がつくりやすく、収量や形も安定しているなどの利点があります。
その反面、このF1品種から自家採種をしても
発芽率が低かったり、生育が不安定だったりと、
”一代限り”で次の種を買い換える方が無難なようにできているのも事実です。
しかし、自然農での土づくりと同じように、
作物においても、その畑で育ったものから繰り返し種をとることで、
その土壌環境や気候風土により適した作物がつくられていくといわれます。
無農薬・不施肥を実践するためには、
この自家採種と土づくりを並行することが理想的といえるでしょう。 >
(去年、報告用につくったブログより)
既存の畑の土を無肥料栽培に移行させるには、
5年あるいは10年かかるともいわれている。
それなら、土だけではなくて、野菜もまた歩み寄りができたらいいなあと思って。
肥料を施してはじめて健常に育つように交配されたF1種に対して、
種を継ぐことでその土、環境に適した野菜が時間をかけて育っていく実験。
来年たかだが3代目。
そう考えるとそこらの草の移ろいから学ぶことは多い。
* * *
大根の種をとったついで(?)に、
タクアンを買ってきて、
昨夜は段ボール燻製で「いぶりがっこ」をつくってみた。
酒のつまみとしては優秀な出来だった。
故郷秋田の味。
ということで大根でもまいて、種をまた継いでいこうと思います。
時々はぼんやりと循環について考えたり、
虫や菌の多様性に圧倒されたり。
種のことを想うのは面白いし、尽きないのでオススメです。
昔の農家さんには代々継がれた種があったそうです。
「わたしの野菜」はわたしの畑でつくられるもの。
家庭菜園が増えれば、農業も流通も自ずから淘汰され変わっていくと思います。
土のことを考えたり、種のことを想ったり、
わたしの畑が増え、わたしの野菜が当たり前になれば(=戻れば?)、
世界だって変わるんじゃないかと俺は半分以上本気で思ってます。
my種、バンザイ。
<ほんとうの考えと
嘘の考えを
分けることができれば
その実験の方法さえ
決まれば>
(吉本隆明)
鶏たちを放しながら少しだけ草刈り。
家の周り、畑、どこもかしこも草の背が高い。
どうやら一日二日で片付く問題ではないなあ、と頭をかきながら立ち尽くす。
夏草や。
稲は夏草。麦は冬草。
稲刈りを迎えるこの時期なので、
ほかの夏草の多くも結実して、
やってやるぜー的に種をぐんぐん膨らませている。
なぜか学生時代の先輩(♂)が中世的な方(♂)と同居生活を始める、
というよくわからない夢で、ヒトの俺は4時頃目覚めましたが、
鶏のひなは今朝も元気よく育っています。
育ての親(血は繋がってない)のウコは偉いもので、
餌があるとまず普段と違う鳴き声でひなをくちばしの近くに呼んで、
細かく砕きながら食べ方を教えます。
ニンゲンのお父さんとして多少の面倒を見ながら、
ヒトとしていまだ「子」の世代側にいる自分は、
えらく感心しながらその様をただ眺めるばかり。
昨日は大根の種を採った。
自分で種とってもまともな野菜ができないぞと笑われながらもこそこそと、
去年初めて種採りをしたトマト、ゴーヤ、オクラあたりは、
すでに見事に次の世代への種を継ぐことができた。
トウモロコシは全部タヌキに食べられてしまったものの、
キュウリ、モロヘイヤ、ピーマン、春菊なども種採りできそう。
不耕起・無肥料。
そのための準備と実験と観察。
たぶんこの先10年くらいはそんな時間になるのだと思います。
無肥料で自分の野菜をつくりたいと想って、
そこで考えさせられることは二つ。
一つは、目に見えない土の中のこと。
微生物や虫や草の根っこ、その死骸も含めて土の中で起こることを見えないながらも考え続ける。
山や森を想像する。
耕さない、施さない。
持ち出さず、持ち込まない。
で、もう一つが種を継ぐこと。
<一般に市販されている種子は、
交配されているもの(F1品種)がほとんどで
野菜がつくりやすく、収量や形も安定しているなどの利点があります。
その反面、このF1品種から自家採種をしても
発芽率が低かったり、生育が不安定だったりと、
”一代限り”で次の種を買い換える方が無難なようにできているのも事実です。
しかし、自然農での土づくりと同じように、
作物においても、その畑で育ったものから繰り返し種をとることで、
その土壌環境や気候風土により適した作物がつくられていくといわれます。
無農薬・不施肥を実践するためには、
この自家採種と土づくりを並行することが理想的といえるでしょう。 >
(去年、報告用につくったブログより)
既存の畑の土を無肥料栽培に移行させるには、
5年あるいは10年かかるともいわれている。
それなら、土だけではなくて、野菜もまた歩み寄りができたらいいなあと思って。
肥料を施してはじめて健常に育つように交配されたF1種に対して、
種を継ぐことでその土、環境に適した野菜が時間をかけて育っていく実験。
来年たかだが3代目。
そう考えるとそこらの草の移ろいから学ぶことは多い。
* * *
大根の種をとったついで(?)に、
タクアンを買ってきて、
昨夜は段ボール燻製で「いぶりがっこ」をつくってみた。
酒のつまみとしては優秀な出来だった。
故郷秋田の味。
ということで大根でもまいて、種をまた継いでいこうと思います。
時々はぼんやりと循環について考えたり、
虫や菌の多様性に圧倒されたり。
種のことを想うのは面白いし、尽きないのでオススメです。
昔の農家さんには代々継がれた種があったそうです。
「わたしの野菜」はわたしの畑でつくられるもの。
家庭菜園が増えれば、農業も流通も自ずから淘汰され変わっていくと思います。
土のことを考えたり、種のことを想ったり、
わたしの畑が増え、わたしの野菜が当たり前になれば(=戻れば?)、
世界だって変わるんじゃないかと俺は半分以上本気で思ってます。
my種、バンザイ。
<ほんとうの考えと
嘘の考えを
分けることができれば
その実験の方法さえ
決まれば>
(吉本隆明)
by 907011
| 2010-08-31 08:56
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