手、鎌を褒める。
睡眠の浅い夜が続きますね。
うちに遊びに来た人が皆、口々に言います。
「この家、一人で住んでるの?」。
たしかに、空間を持て余しているこの暮らし。
冬に寝た部屋、夏に寝ている部屋。
タウンページを置いている部屋、というのも存在してます。
でも面白いもんで、それぞれの部屋は油断するとそれぞれに散らかっていくようです。
家や車の中、職場のロッカー、机の上、財布の内側、
主に自分一人の身体が接しているところの散らかし様は、
その時々の自分の状態をよくあらわしていると思います。
若いお坊さんの日記に感化されて、ですます調の文章をこの頃一部取り入れてみてます。
そんな、空間をテキトー(悪い意味)に持て余している毎日。
たぶん身体を横にしないと眠れない(泥酔時だけ上を向く)ワタシは、
寝返りをひどく好む。
暑いこの夏ならなおさらだ。
ベットのかたわらにさらに別の布団を敷き、じつに大きな「寝返り」をうつ。
で、違う布団に着地したり、再び這いあがったりしながら、
無事に寝返りをうっては、「おとな。」と声にします。
布団の方は落ち着かないだろう。
寝返りという言葉が、時に裏切りを意味する理由がちょっとだけわかった気がする晩夏の夜中。
「甘栗、食べちゃいました」という新商品をめぐる夢で起きた4:00。
袋を開けども開けども延々と栗の皮ばかりで、
なんてクオリティの高い商品なんだ、というあまりにも意味のない夢で、
これが自分の脳みその無意識の部分の何がしかを反映していると思うと、
末恐ろしくなり、よく目が醒めました。
直接関係ないですが、小林製薬のネーミングセンスからは目が離せません。
就職活動を(少し)していた大学4年生のとき、
会社説明会に訪れたビルの入口で、
「小林製薬新商品説明会」が違う階で催されているのを見て、
そっちに行きたい、率先して行きたいと葛藤したのを思い出しました。
* * *
4時頃はまだすっかり暗く、しばし読み物などする。
虫の鳴き声がすごい。
明るくなるにつれてその音量が小さくなるのはなぜだろう。
刺激に満ちた魅惑の世界なのだろうか。
闇が与える興奮と怖れ。虫もヒトも。
時々は耳や鼻が先に、朝焼けを感じて、少し動きだす。
鶏を外に出して、ニンジンの残り種を蒔いた。
何でも少しずつが善い。酒の時間以外は。
種も少しずつを、時期をずらして蒔けたらいいなあと思う。
畑の脇を流れる小さな用水路に、その辺の石を置いてせき止める。
たまった水をおもちゃのような小さいジョウロに汲み、水をあげる。
ジョウロは外来語かと思ったら、漢字ありました。
「如雨露」。雨露のごとし。
ブヨが相変わらずすごい。
ブヨは水が綺麗なところに生息するといわれるが、
朝晩は虫よけの網を帽子の上からかぶらないとどこの畑でも仕事にならない。
昼間の仕事では、草刈り機や耕運機、噴霧器などの農機具を使用しない日はほとんどない。
だから、こういう手での仕事をすると、
のこぎり鎌や鍬の有難味を感じる。
この鎌の、こののこぎりの、この歯のところがすごい、と一人でパチパチと褒める朝もある。
逆に、機械を使って仕事している時は、「手仕事換算」をよくする。
たとえば、草刈り機や耕運機の歯の回転を眺めながら、
これを手でやったらどうやるんだろう、こうやってこうやってとよく考えるようになった。
もちろん早さは比較にならない。
早さと力と熱を生み出すエネルギーを燃やし続けてこそ。
そして、機械にも手にもそれぞれ一長一短がある。
* * *
今朝読んだほぼ日の中の対談に、
「裸の手の中には、頭と心が入っています。」という言葉があって、
便利さと裸について考えてました。
便利さに包まれながら、その中で立ち止まって考えてみたいこと。
もういっぺん、感じ直してみた方が良さそうだなあと思うこと。
便利さを身にまとうことは、
手離し難い武器を手に持つことでもある。
昔あって、今に消えかけている知恵を想うことは、
裸に近づくこと。近づこうと歩み寄ること。
裸に戻ることは望ましいことなのかもなあとも思った。
今朝起こしにいったら、ウコの毛が大量に散っていて驚く。
これが換羽期だろうか。
どうやら秋が近づいている。
うちに遊びに来た人が皆、口々に言います。
「この家、一人で住んでるの?」。
たしかに、空間を持て余しているこの暮らし。
冬に寝た部屋、夏に寝ている部屋。
タウンページを置いている部屋、というのも存在してます。
でも面白いもんで、それぞれの部屋は油断するとそれぞれに散らかっていくようです。
家や車の中、職場のロッカー、机の上、財布の内側、
主に自分一人の身体が接しているところの散らかし様は、
その時々の自分の状態をよくあらわしていると思います。
若いお坊さんの日記に感化されて、ですます調の文章をこの頃一部取り入れてみてます。
そんな、空間をテキトー(悪い意味)に持て余している毎日。
たぶん身体を横にしないと眠れない(泥酔時だけ上を向く)ワタシは、
寝返りをひどく好む。
暑いこの夏ならなおさらだ。
ベットのかたわらにさらに別の布団を敷き、じつに大きな「寝返り」をうつ。
で、違う布団に着地したり、再び這いあがったりしながら、
無事に寝返りをうっては、「おとな。」と声にします。
布団の方は落ち着かないだろう。
寝返りという言葉が、時に裏切りを意味する理由がちょっとだけわかった気がする晩夏の夜中。
「甘栗、食べちゃいました」という新商品をめぐる夢で起きた4:00。
袋を開けども開けども延々と栗の皮ばかりで、
なんてクオリティの高い商品なんだ、というあまりにも意味のない夢で、
これが自分の脳みその無意識の部分の何がしかを反映していると思うと、
末恐ろしくなり、よく目が醒めました。
直接関係ないですが、小林製薬のネーミングセンスからは目が離せません。
就職活動を(少し)していた大学4年生のとき、
会社説明会に訪れたビルの入口で、
「小林製薬新商品説明会」が違う階で催されているのを見て、
そっちに行きたい、率先して行きたいと葛藤したのを思い出しました。
* * *
4時頃はまだすっかり暗く、しばし読み物などする。
虫の鳴き声がすごい。
明るくなるにつれてその音量が小さくなるのはなぜだろう。
刺激に満ちた魅惑の世界なのだろうか。
闇が与える興奮と怖れ。虫もヒトも。
時々は耳や鼻が先に、朝焼けを感じて、少し動きだす。
鶏を外に出して、ニンジンの残り種を蒔いた。
何でも少しずつが善い。酒の時間以外は。
種も少しずつを、時期をずらして蒔けたらいいなあと思う。
畑の脇を流れる小さな用水路に、その辺の石を置いてせき止める。
たまった水をおもちゃのような小さいジョウロに汲み、水をあげる。
ジョウロは外来語かと思ったら、漢字ありました。
「如雨露」。雨露のごとし。
ブヨが相変わらずすごい。
ブヨは水が綺麗なところに生息するといわれるが、
朝晩は虫よけの網を帽子の上からかぶらないとどこの畑でも仕事にならない。
昼間の仕事では、草刈り機や耕運機、噴霧器などの農機具を使用しない日はほとんどない。
だから、こういう手での仕事をすると、
のこぎり鎌や鍬の有難味を感じる。
この鎌の、こののこぎりの、この歯のところがすごい、と一人でパチパチと褒める朝もある。
逆に、機械を使って仕事している時は、「手仕事換算」をよくする。
たとえば、草刈り機や耕運機の歯の回転を眺めながら、
これを手でやったらどうやるんだろう、こうやってこうやってとよく考えるようになった。
もちろん早さは比較にならない。
早さと力と熱を生み出すエネルギーを燃やし続けてこそ。
そして、機械にも手にもそれぞれ一長一短がある。
* * *
今朝読んだほぼ日の中の対談に、
「裸の手の中には、頭と心が入っています。」という言葉があって、
便利さと裸について考えてました。
便利さに包まれながら、その中で立ち止まって考えてみたいこと。
もういっぺん、感じ直してみた方が良さそうだなあと思うこと。
便利さを身にまとうことは、
手離し難い武器を手に持つことでもある。
昔あって、今に消えかけている知恵を想うことは、
裸に近づくこと。近づこうと歩み寄ること。
裸に戻ることは望ましいことなのかもなあとも思った。
今朝起こしにいったら、ウコの毛が大量に散っていて驚く。
これが換羽期だろうか。
どうやら秋が近づいている。
by 907011
| 2010-09-03 06:53
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