復路。
9月12日 ときどき雨
朝のゆるりとした時間が過ぎ、皆と別れた後、
幹事・稲妻家に荷物と主を運び、しばし振り返り。
10:00 鮫川を出発
ふたたび道を間違う。
12:30 南会津町の田島に到着。
大学以来のともだちトモモ(田島出身・長岡在住)が、
偶然にもタイミング良く福島帰省中であることを数日前に知り、
近くの温泉宿情報など聞いているうちに、
「うちの空き家になってる古民家に泊まる?」という何とも魅力的な提案に即喰らいつく。俄然喰いつく。
さすがトモモ、会津の山のオナゴ。
田島に着いたよーと連絡したら、
まあまあまずまずうちにあがりなよーと言われたので、
それもそうだねえーとドカドカと実家に図々しくあがりこむ。
きよむとけんなの母でもあるトモモ母ちゃんは二児を連れての帰省中で、
親戚らしき方々(と子犬)が遊びに来てちょうどご飯を食べていた様子。
「君はご飯は食べられるのかね?」と聞かれ、
「食べるね」とぶっきらぼうに(?)答え、
勧められるままに食卓に上がっていた昼ごはんもろもろを当然のようにご馳走になり、
後片付けと赤子を見守りながら、当然のように食後のコーヒーをすする。
親戚の方々と子犬がお暇する様子を見送り、柱を背もたれに当然のようにくつろぐ。
トモモのばあちゃんとお父さんの家でもある下郷の古民家に連れて行ってもらう。
きよむが助手席で道案内および周辺の情報などを教えてくれる。
「この病院でたしか俺は産まれた、のかな?」と
大きな独り言をいい、へその緒にたずねるきよむを乗せ、
車はぐんぐん山の中に進む。
あーこんなにも山奥に、さらに奥にうわーとだんだん擬音語率が増える。
「まだまだ先なんだよ」とへその緒から顔をあげてきよむが言う。
携帯電話の電波も圏外になると、
あーこういうのは何だかいいなあいいじゃないかといよいよワクワクする。
着いて驚いたことに、
集落に入っていく最後の曲線なんかは、
俺が前回まで鮫川に行くのに”遠回り”(前の日記参照)で通っていた道だった。奇遇。
すごいところ通るなあと記憶していた下郷の道の、そのすごいところの集落に、
このたびお借りした大きな古民家は静かにあった。
昔の農家さんの家に感動し、トモモに案内されながら
うおー、すげー、はー、と擬音語率がどんどん上がっていく。
そう、言葉や意味などというものは後付けなのである。
しっかし広い。なにもかも広いなあ。
静けさとは広さか?と考える。
静かという感覚はその空間の広さ、すなわち余白みたいなものが関係してなかろうかね。
ヒトと空間の広さや密度、もう少し考えてみよう。
そして本棚には難しそうな本たちが作家ごとの全集で並んでいる。
電話も自ずと放棄されるこの環境に、一週間くらい泊まりたくなる。
やはり囲炉裏のあるところに暮らしたいもんだ。
部屋の奥にピアノがあり、きよむがさらりと何かを弾いた。
弾ける男は素敵です。
目に入ってくるものが次々に素敵だなあといちいち見ていたら、
かつてのタンスに「ともえの下着」という棚があった。
「見てもいいよー」とトモモさんはホホホと笑い、
手書きされたその字面が面白かったので記念に写真くらい撮っておこうかと思ったが、
なんだか恥ずかしくなってやはり止しておき、
振り返るとそこに居らっしゃった仏さまたちに「はっ」とし、よーく手を合わせた。
ナンマンダブ。
前を流れる川に架かる橋。
前川橋(?)は木の板でできていたが怖くて渡れなくて、
でも渡りたいと一念発起して挑もうとしたが、やっぱり渡れない。
よく考えると一念発起までしてない。
いや、よく考えなくても一念発起してない。
わらじを履いて、急な階段をあがった二階は、
古民具をよくもここまでしっかりとと感嘆するほど整理された資料室的空間になっていた。
古き善きものには圧倒される。
「不便」という認識は、時間をさかのぼったり早送りして思われるものだろうか。
そのとき、その生活の瞬間は、過去を見返したり、先を想ったりしたのだろうか。
古民具や機械農薬のなかった頃の農法には、多くの知恵が潜んでいて、
それらの知恵があってはじめて営みを成り立たせている。
先日見た、『地球交響曲』の第7番で、
そこにあるもの、その土地にあるものをつかって生きることが、本当に続くこと、
という話が印象的だった。
いろいろ重なる、秋はそういう季節なんだと思う。
春、夏の動きに満ちた時間を越えて、冬を迎えようとしている。
四季を女性にたとえるヒトがいた。
<春の庭は少女の美しさ
夏の庭はみずみずしい女性の美しさ
秋の庭は成熟した女性の美しさ
冬の庭は思慮深い銀髪女性の美しさ>
実際に草の移ろいを眺めていると、
この表現がいかに的を射たものであるかがわかると思う。
戸赤は12戸のきわめて小さな集落。
「戸赤」と書いて「といし」と読むそうだ。
「そのこころは?」と合いの手を絶妙の間合いで入れられても答えられないが、
とにかくトイシなのである。
トモモとその母、二人のお母さんに勧められた弥五島温泉につかる。
ひじょうに善い。
ひじょうに善すぎるために近郊のお客も多く、平泳げず、露天風呂で少し浮いてみた。
雨の露天風呂も善い。
しかも300円とは。
露天風呂に浮かびながら、やたらに値の張る、日帰り入浴に厳しい温泉宿を叱りたい気分になる。
ついでにラーメン一杯がやたらと高い、流行りの人気ラーメン店も叱りたくなる。
が、そこは隣の女性露天風呂の会津弁に耳を澄まして、ぐっとこらえる。
とにかく善い風呂であった。
いったん戸赤に戻るが、忘れ物に気付き、携帯電話も使えないことを悟らされ、
再び弥五島に戻り、地元のスーパー・ブイチェーンで酒を買い足す。
町の広報を読みながら、ふと自分がここに居住する姿を想う。
下郷の祭りか何かのスローガンが「たのしもごー」だったので、ビールをおかわりする。
馬刺しを食べて、川の音に包まれながら囲炉裏の脇で就寝。
* * *
9月13日 雨
4:00起床。
よく寝た。
静かで善い。
静かなのが善い。
電話を携帯しない未来を想うこと。
そのために、使うこと。使い切ること。
基準を切り替えていくこと。
ニンゲンに心が生まれて、文字ができて、手紙へ。
同時に、一方で、携帯電話があったからというつながり、
ケータイでしか会う手段のない知人のまた多いこと。
善くも悪くも、
電話の近さ、メールの遠さ、面白い機械だ。
桧枝岐温泉に立ち寄る6:00。
燧(ひうち)の湯 500円で平泳ぐ。
平泳ぎながら、ふと
「可愛い俺には旅をさせよ」とつぶやく。
少し大きな声でもう一度口にする。
そうだ、可愛い俺には旅をさせよう。
剣道の村、みたいな看板を見た。
自分が小学校の時に剣道部に入ったのは貴重な経験で、
子どもが球技に惹かれなかったら剣道はオススメしておこうと思っている。
小学生時の兄はなぜ剣道を選んだんだろう。
4つ遅れて弟の俺は自分でたいして選ぶこともなく剣道部に入ったなあ。
高校生くらいの頃、たまに「どんなヒトが好き?」と聞かれれば、
決まって「一人で居るヒト」と答えていた。
俺の好きなヒトたちは、みんな一人旅上手を感じさせる。
ただ遠くに行くことともそれは違って、
目の前のことを楽しめるヒト、自分で選んでいるヒトたちなんだと思う。
そんなことを思いながら、のぼりが気になった桧枝岐歌舞伎の舞台に立ち寄り、
天川の弁財天さんに通ずるナニガシカを感じた。
舞台への道も、石でできた大きな客席も圧倒的な空間だった。
とにかく、桧枝岐歌舞伎を見ようと決めた。
それがこのたびの復路の最後の想い。
朝のゆるりとした時間が過ぎ、皆と別れた後、
幹事・稲妻家に荷物と主を運び、しばし振り返り。
10:00 鮫川を出発
ふたたび道を間違う。
12:30 南会津町の田島に到着。
大学以来のともだちトモモ(田島出身・長岡在住)が、
偶然にもタイミング良く福島帰省中であることを数日前に知り、
近くの温泉宿情報など聞いているうちに、
「うちの空き家になってる古民家に泊まる?」という何とも魅力的な提案に即喰らいつく。俄然喰いつく。
さすがトモモ、会津の山のオナゴ。
田島に着いたよーと連絡したら、
まあまあまずまずうちにあがりなよーと言われたので、
それもそうだねえーとドカドカと実家に図々しくあがりこむ。
きよむとけんなの母でもあるトモモ母ちゃんは二児を連れての帰省中で、
親戚らしき方々(と子犬)が遊びに来てちょうどご飯を食べていた様子。
「君はご飯は食べられるのかね?」と聞かれ、
「食べるね」とぶっきらぼうに(?)答え、
勧められるままに食卓に上がっていた昼ごはんもろもろを当然のようにご馳走になり、
後片付けと赤子を見守りながら、当然のように食後のコーヒーをすする。
親戚の方々と子犬がお暇する様子を見送り、柱を背もたれに当然のようにくつろぐ。
トモモのばあちゃんとお父さんの家でもある下郷の古民家に連れて行ってもらう。
きよむが助手席で道案内および周辺の情報などを教えてくれる。
「この病院でたしか俺は産まれた、のかな?」と
大きな独り言をいい、へその緒にたずねるきよむを乗せ、
車はぐんぐん山の中に進む。
あーこんなにも山奥に、さらに奥にうわーとだんだん擬音語率が増える。
「まだまだ先なんだよ」とへその緒から顔をあげてきよむが言う。
携帯電話の電波も圏外になると、
あーこういうのは何だかいいなあいいじゃないかといよいよワクワクする。
着いて驚いたことに、
集落に入っていく最後の曲線なんかは、
俺が前回まで鮫川に行くのに”遠回り”(前の日記参照)で通っていた道だった。奇遇。
すごいところ通るなあと記憶していた下郷の道の、そのすごいところの集落に、
このたびお借りした大きな古民家は静かにあった。
昔の農家さんの家に感動し、トモモに案内されながら
うおー、すげー、はー、と擬音語率がどんどん上がっていく。
そう、言葉や意味などというものは後付けなのである。
しっかし広い。なにもかも広いなあ。
静けさとは広さか?と考える。
静かという感覚はその空間の広さ、すなわち余白みたいなものが関係してなかろうかね。
ヒトと空間の広さや密度、もう少し考えてみよう。
そして本棚には難しそうな本たちが作家ごとの全集で並んでいる。
電話も自ずと放棄されるこの環境に、一週間くらい泊まりたくなる。
やはり囲炉裏のあるところに暮らしたいもんだ。
部屋の奥にピアノがあり、きよむがさらりと何かを弾いた。
弾ける男は素敵です。
目に入ってくるものが次々に素敵だなあといちいち見ていたら、
かつてのタンスに「ともえの下着」という棚があった。
「見てもいいよー」とトモモさんはホホホと笑い、
手書きされたその字面が面白かったので記念に写真くらい撮っておこうかと思ったが、
なんだか恥ずかしくなってやはり止しておき、
振り返るとそこに居らっしゃった仏さまたちに「はっ」とし、よーく手を合わせた。
ナンマンダブ。
前を流れる川に架かる橋。
前川橋(?)は木の板でできていたが怖くて渡れなくて、
でも渡りたいと一念発起して挑もうとしたが、やっぱり渡れない。
よく考えると一念発起までしてない。
いや、よく考えなくても一念発起してない。
わらじを履いて、急な階段をあがった二階は、
古民具をよくもここまでしっかりとと感嘆するほど整理された資料室的空間になっていた。
古き善きものには圧倒される。
「不便」という認識は、時間をさかのぼったり早送りして思われるものだろうか。
そのとき、その生活の瞬間は、過去を見返したり、先を想ったりしたのだろうか。
古民具や機械農薬のなかった頃の農法には、多くの知恵が潜んでいて、
それらの知恵があってはじめて営みを成り立たせている。
先日見た、『地球交響曲』の第7番で、
そこにあるもの、その土地にあるものをつかって生きることが、本当に続くこと、
という話が印象的だった。
いろいろ重なる、秋はそういう季節なんだと思う。
春、夏の動きに満ちた時間を越えて、冬を迎えようとしている。
四季を女性にたとえるヒトがいた。
<春の庭は少女の美しさ
夏の庭はみずみずしい女性の美しさ
秋の庭は成熟した女性の美しさ
冬の庭は思慮深い銀髪女性の美しさ>
実際に草の移ろいを眺めていると、
この表現がいかに的を射たものであるかがわかると思う。
戸赤は12戸のきわめて小さな集落。
「戸赤」と書いて「といし」と読むそうだ。
「そのこころは?」と合いの手を絶妙の間合いで入れられても答えられないが、
とにかくトイシなのである。
トモモとその母、二人のお母さんに勧められた弥五島温泉につかる。
ひじょうに善い。
ひじょうに善すぎるために近郊のお客も多く、平泳げず、露天風呂で少し浮いてみた。
雨の露天風呂も善い。
しかも300円とは。
露天風呂に浮かびながら、やたらに値の張る、日帰り入浴に厳しい温泉宿を叱りたい気分になる。
ついでにラーメン一杯がやたらと高い、流行りの人気ラーメン店も叱りたくなる。
が、そこは隣の女性露天風呂の会津弁に耳を澄まして、ぐっとこらえる。
とにかく善い風呂であった。
いったん戸赤に戻るが、忘れ物に気付き、携帯電話も使えないことを悟らされ、
再び弥五島に戻り、地元のスーパー・ブイチェーンで酒を買い足す。
町の広報を読みながら、ふと自分がここに居住する姿を想う。
下郷の祭りか何かのスローガンが「たのしもごー」だったので、ビールをおかわりする。
馬刺しを食べて、川の音に包まれながら囲炉裏の脇で就寝。
* * *
9月13日 雨
4:00起床。
よく寝た。
静かで善い。
静かなのが善い。
電話を携帯しない未来を想うこと。
そのために、使うこと。使い切ること。
基準を切り替えていくこと。
ニンゲンに心が生まれて、文字ができて、手紙へ。
同時に、一方で、携帯電話があったからというつながり、
ケータイでしか会う手段のない知人のまた多いこと。
善くも悪くも、
電話の近さ、メールの遠さ、面白い機械だ。
桧枝岐温泉に立ち寄る6:00。
燧(ひうち)の湯 500円で平泳ぐ。
平泳ぎながら、ふと
「可愛い俺には旅をさせよ」とつぶやく。
少し大きな声でもう一度口にする。
そうだ、可愛い俺には旅をさせよう。
剣道の村、みたいな看板を見た。
自分が小学校の時に剣道部に入ったのは貴重な経験で、
子どもが球技に惹かれなかったら剣道はオススメしておこうと思っている。
小学生時の兄はなぜ剣道を選んだんだろう。
4つ遅れて弟の俺は自分でたいして選ぶこともなく剣道部に入ったなあ。
高校生くらいの頃、たまに「どんなヒトが好き?」と聞かれれば、
決まって「一人で居るヒト」と答えていた。
俺の好きなヒトたちは、みんな一人旅上手を感じさせる。
ただ遠くに行くことともそれは違って、
目の前のことを楽しめるヒト、自分で選んでいるヒトたちなんだと思う。
そんなことを思いながら、のぼりが気になった桧枝岐歌舞伎の舞台に立ち寄り、
天川の弁財天さんに通ずるナニガシカを感じた。
舞台への道も、石でできた大きな客席も圧倒的な空間だった。
とにかく、桧枝岐歌舞伎を見ようと決めた。
それがこのたびの復路の最後の想い。
by 907011
| 2010-09-25 05:03
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