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山中記

言葉について。

落花生と黒豆と青豆をまいたマメな昨日。
昼前に山のウド畑に鶏を二羽道連れにして、ウドを散々採り、
それをアテにしてかじりながら、成願寺の別れでいただいた寒梅を呑んだ。

山で掘ったままにかじったウドは茎というよりは果実のように甘くみずみずしくて、
そんなこんなで晩酌もやたらと呑んだらしい。
気付くと泥のついた作業ズボンのまま布団に入っていた。
夜明けに見てみると、一升瓶がだいぶ空いている。
やまんか(山中)に越してきて初の二日酔い。


 * * *


奥田民生の風味がとても好きだ。

こっちに越してからも、すでに50回くらい聴いているんではないだろうか、
昨晩も酔いながら『CUSTOM』という曲を繰り返し繰り返し聴いていた。
聴いてないふりをしながらじつはしがみついてすがるように、
この曲を繰り返し繰り返し耳にしていると安心する。


<伝えたい事が そりゃ僕にだって あるんだ
  ただ 笑ってるけれど

 伝えたい事は 言葉にしたくは ないんだ
  そしたらどうしたらいいのさ        >




 * * *



おとといに下のゴンパチのじさと話をしていたら、
うちの裏に井戸があることを教えてもらった。

ごんぱちさんもぼっとん便所を残したいと熱く語っていた。
何度かの震災でなおか確信したらしく、
「今に街のニンゲンがやまんかにぼっとん便所借りにくるぞ」と、
たしかにオラ確信めいたぞという顔で話してた。
ちなみに俺の秋田の実家もぼっとん便所で、小さい頃に便所スリッパなど落としたもんだ。

そんな(どんな?)ごんぱちのじさが言ってくれた。
「ここは、誰も居ねすけ、ゆっくりやればいい。
 今日の仕事が明日になっても、
 明日の仕事があさってになってもいいから、
 あわてず、ゆっくりやりなさい」


 * * *


くだらぬ言葉は存外に出てくるのに、
大切な言葉は酒が入った時くらいしか口の外に出ない。
自分のことを指して、わりによく話すヒトだと評するヒトも中にはいるが、
たいていは物静かなオトコだといわれる。

当たり前のヒトが当たり前にしている、
意思を伝えるということに並々ならぬ器用さを(勝手に)重ね見て、
指をくわえる不器用で愚鈍で静かなオトコ、なのだと自分でも思う。
自ずと離れてしまったともだちも大切だっただろうヒトもいる。
いまだにつながりのあるともだちは皆、
そんな不器用さに寛容なヒトばかり、ということになるだろう。

一個ずつ不器用に積み重ねていくことしかできない。
できないのだけど、”よそ者”としての自分の立ち位置からすれば、
少し多めの言葉を重ねて説明が必要条件になる場面が日々ある。
でもなかなかそうは変われない。

説明だ、説明が必要なんだと自分に言いつけても、
言葉が追いつかない。

追いついてくれないというべきか、
いま焦って、取り繕った表面的な言葉をいくら重ねても、
後でずれが必ず生じると思うから、
そういうのが要するにすごく億劫に感じてしまう。


いろんな実験、観察ができる。
そんな延長線上でいろんなヒトとそれを分かち合ってわかりあっていける環境だと思うんです。

いま居る環境への感謝を
謙虚に、素直に示さねばいかんよねえ。
社会的に戸籍上の身を固めるにあたってそんな不器用な事情で悶絶してます。

そうだ。
だったら、丸刈りしよう。



< 誰か  誰か  見てて  くれないか
  誰か  誰か  聞いて  くれないか>


奥田民生『CUSTOM』


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by 907011 | 2011-05-15 05:14 | Trackback