山中記

読書反省文。

ケータイを持ったサル (中公新書)

正高 信男 / 中央公論新社






「ひきこもり」など周囲とのコミュニケーションがうまくとれない若者と、
「ケータイ」でいつも他人とつながりたがる若者。
両社は正反対に見えるが、じつは成熟した大人になることを拒否する点で共通している。

現代日本人は「人間らしさ」を捨て、サルに退化してしまったのか?
気鋭のサル学者による、目からウロコの家族論・コミュニケーション論。



ひきこもりは決して若者全体の二%に限定して生じている現象ではない。
むしろ反対で、ルーズソックスをはいたり、靴のかかとを踏みつぶしたり、
地べたに平気で座ったり、歩きながら飲食をする者すべて、
本質的には自分の部屋に鍵をかけて閉じこもる暮らしと変わらないように、私には映る。

 両者に共通しているのは、「家のなか」すなわち私的空間から公共の場に出ることの拒絶である。
「家のなか」の範囲をどれだけの広さと自己定義し、自分が活動する領域をどこまでとみなすかだけであって、
いったんその縄張りを決定してしまうや、そこからなかなか足を踏みだそうとしない点では、
双方とも見事に一致しているのである。
(「ひきこもり」の本質)


 自分で思い描いたように自己実現できない自分を許せないと否定的態度を取ったならば、
ひきこもり系へ向かう確率が高くなる。
反対に、思い通りにならなくとも、それは非が自分にあるわけではないと徹底的に居直り、
「家の外」という環境までも「家のなか」とみなすことで今までどおりやっていきましょうという態度を貫くと、
ルーズソックス系に属するようになっていくのかもしれない。
(「ひきこもり」の本質)



 相手が視界から消え去った時に、社会関係を維持するために
おしゃべりをし合うというのが、きわめて高度な社交術であるのはあらためて指摘するまでもないだろう。
目下のところ動物ではヒヒとニホンザルの仲間だけで報告されている。
しかも両者とも、時として数百頭という例外的に巨大な規模の群れを形成することが知られているが、
それはこの社会性によってのみ可能となったと思われる。
他の霊長類の群れは、大きくても五〇頭を超えることはない。
対面して関係を維持するためには、このあたりが限界なのだ。

 ただし、彼らの出す音声そのものには、メッセージが含まれていない。
仲間の所在を確認して、反応が聞こえなくなる事態を防いでいるにすぎない以上、
やっていることは下等と言えば下等かもしれない。
だが最近の日本人と比べてみた時、あまり差がないように思えてならないのだ。
(おしゃべりによる集団の大型化)


 いつもいつも、個体間のきずなを深めるのに攻撃行動を必要とするのでは、
群れ内に軋轢(あつれき)の種がつきない。
そこで、あたかもその場に第三者が居合わせているかのように想定し、
そこで攻撃行動を共同して注ぐかのごとく両者が「笑い合う」ことで、お互いの結びつきを確かめるように発展して、
笑いは誕生したのではないかと思われる。
それゆえ私たちはいまだに、ふたりが談笑している場に出くわし、その理由が把握できないと、
あたかも自分が笑われているかのような印象を持ち、かつ不快に感ずる。
むろん、笑い合う動因が攻撃的なものでは困る。
そこで、「おかしみ」という感覚を作りだした。
作りだしたけれど、まだ成立してから日が浅いので、内実は曖昧模糊(あいまいもこ)としている。
有史以来、哲学者や思想家がおかしさについて考察を試みても、
もうひとつ答えがはっきりしないのは、そのためである。
(サルは笑うか?)


言語の、必要な情報を伝達することと、
相手と情緒的に結びつくことという二つの役割には、ジレンマがある。
公共性を発揮するためには、誰にでも意味のとれるものでなくてはならない。
しかし仲間とのきずなを深めるためには、相手にしか理解できないような形を取るのが最適なはずなのだ。
だから通常どんな言語体系も、コミュニティのなかで、
公共性への需要と、集団の凝集性を高めるための私的な「乱れ」の圧力とのあいだで揺らいでいる。
(ことばの「乱れ」)



あの「3・25事件」で、紛失していた携帯電話が発見されたのである。
それも、雪の中から一部が表出していたところを、
じつに五日間の後に、たまたま家にやってこようとした知人が発見してくれたのだ。
(久しぶりに読み返したらひじょうに面白かったので感化されて、本の言葉尻など真似てみるのである)

現在自分を取り巻くコミュニティにおいて、
「携帯電話を持たざるを得ない」状況というものもあるが、
同時にまた一方で、携帯すること自体が非常に面倒なシロモノでもある。
私的時間が、瞬間にして公共の時間へと変わることが必然となる。そのことが億劫なのだ。
こと自分の場合、私と公があまりに乖離しているために、切り替えが鈍いのであろう。


ちなみに電話が雪中貯蔵されていた5日間は、もう出てこないだろうと居直り、
いざなくなってみると、「こりゃいいもんだなー」と考察したのである。
いつかは簡単に連絡が取れる手段を携帯せずに、
健康的に、かつ引きこもるような暮らしに退化したいという願望に揺らいでいる。


だがしかし、
雪の中で寝て動けなくなり、身体をブルーシートに包まれ引っ張られて帰宅するほど、
酩酊してはいけないと自戒するのである。

・・・、死ぬとこだったぢゃないですか。
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by 907011 | 2012-04-15 19:21 | Trackback | Comments(4)
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Commented by hukaguratei at 2012-04-18 08:50
おはようございます。コケコです。

寝て動けなくなるだけならまだかわいいもんですよ。
なぜかこっちが動かそうとする逆の方向に力を入れて抵抗してたんですから。
やっとこさで引っ張り上げた雪の山を自ら這って転げ落ちたりとか。

ってコケコは散々イトーちゃんに聞かされました。
Commented by 907011 at 2012-04-20 05:21
ふかぐら亭コケコさま

そうだねえ。
そうだったねえ。
そうだったのかあ。

死ぬとこだったぢゃあないですか。
Commented by リサ at 2012-05-13 01:35 x
呑んだら、のまれるなー笑
久しぶり!
Commented by 907011 at 2012-05-14 04:31
リサさん

ご無沙汰でした。

なんで太古の人たちは、酒をつくって飲むようになったんだろうな。
目に見えないものへの捧げもの?祈り?祭り?
否、人間関係の緩和に役立てたんだろうか?
二日酔いの朝はそんなことを考えたり思わなかったり。


3・25事件。
死ぬとこだったぢゃあないですか。