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山中記

茶の時間。

曇天のせいなのか今日は夜明けからカラスが民家に近寄ってくる。
鶏が警戒して仕方ない。

昨日、集落の区長と農業者を集めた説明会があり、
久々にたくさんの人と一堂(かつての高柳町議会場)に会す。
圧倒的に新参者なもので、錚々たる顔ぶれに面くらい、
すみやかに後列の椅子へ座り、高さ調節をプシュ~っと下げる。

農地中間管理機構(バンク)という新たな事業の説明が主で、
つまりは今後どんどんリタイアする農家の田んぼをどうするべえかという制度のお話。

ただ、蓋を開けてみると、
実のところ、田をやめる人は次の借り手を見つけておかない限り、
農地は預かってくれないようだし、
耕作の条件が厳しくて手放されるこうした山の田は拒否されるシフトだった。
特段、何かと何かの中間でもないし、管理に結びつくでもなく、
長い説明時間の後、「・・・もしや、それって意味ないのでは?」という質疑が議場(かつての)で続いた。

たしかに、その機構を考えるのに費やされた国の人件費や、
今後の事業委託(柏崎では農協が受託)にかかる委託料を考えれば、
その金をむしろこれからの受け手に再分配してくれとも思ってしまう。

山の暮らしを維持することはひじょうに厳しいという現実しか味わえないまま、
「農地借受申込みを皆さん提出して、借受の権利を得て下さい」と言われ閉幕。
農業者の先輩方は皆さんもはや慣れたという様子でしたけど。

説明の中にあった「守るべき農地と、残せない農地との住み分けを」という言葉に後味悪く悶々。
水源に近い田んぼを荒らしてしまうと水はさらに難しくなる。
「守るべきとか残せないでは区別できない」と質されていたけど、
平場と山場の風土の違いはどうしようもなく大きくて、
おそらく、「山場ルール」を再定義して突っ張っていけなくなれば、
ここらはいずれ、守るべき農地側の制度から住み分けられてしまいかねない。

”農村回帰ブームが”などともてはやされてます(?)が、
都会の人、移住するなら今が分岐点だとワタシ思っています。

そこを訪れることと、そこに住むことは大きく異なります。
応援します。

茶の時間。_b0079965_452121.jpg


というようなことで、
一つの会議に出ると悪いときの孫悟空なみに頭がぎゅーっとなるので、お茶を摘む。
柿の木、桑の木、熊笹を回る。
山中茶。

自分がどういう暮らしをつくっていくかを考え、朴訥ながらに実践していくことが、
複雑な問題に向き合うための王道だなあとこの頃に強く思います。

広域での考えは広域・公正に過ぎず、
もっと大切な基礎は個人や集落までに据えておかねばと。

山中時間(お茶編)はここで暮らしを考えるための礎の一つ。

茶の時間。_b0079965_4522084.jpg


賛成しても反対しても誰かと対立してしまう。
真剣になると苦しいので突き詰めては考えないことにしている。
そんな自分に悩んだりもする。
もしかしたら、私は死ぬまで悩むかもしれない。
でも、悩み続けるかぎり誰とも闘わないですむ。

放射能汚染地域「ゾーン」のなかで暮らすアレクセイや老人たちに、私は問いかける。
いったいどうやって「ゾーン」で生きていったらいいの?
アレクセイは笑っている。

人はいつか死ぬが、死ぬ瞬間まで生きることさ・・・・・・。
僕は畑を耕す、さて、あんたは何をする?
(田口ランディ『寄る辺なき時代の希望』2006年)

by 907011 | 2014-06-18 05:45 | Trackback