台風16号と我ら。
「依存」の難しさ。
昔、あっちの村やこっちの村でイソウロウさせてもらったとき、
人生の深みにはまってしまい、しばらく立ち止まって考えた考えた考えた。
暗闇から発作的に小さなノートを引っ張り出して、これまでの自分の動きや流れを書き殴り、
その時々の自分の内省を振り返り、また後付けでどうにか「意味」を見出そうと書き加えたりして、
とにかく悩み抜いた。
「10年経てば笑い話だ」、と昔見た映画であったセリフ。
悩みというにはスケールの小さい私事で、
大事を抱えてどうにもならないやっていけないと思っていたけど、
おそらく笑われる程度の小さな挫折だったのかもしれない。
(当人は「いつか社長さんになったら我が社史の中のページ数をだいぶ割くであろう、
ワタクシの深い挫折(と転機)」のようなつもりですが)
考えている最中というのは「病」みたいな状況で、
そこから「抜け」そうになった時にはじめて、自分の考えや言葉は「意味」を帯びてくるのだと思う。
モノクロに一つ色が入る瞬間みたいに。
そんな綺麗なもんでもないか。
世の中、自己肯定だーって叫んでた人もいたなあ。
* * *
そんな発作的ノート整理をし出した最中(〇さいちゅう、×もなか)に、
居候させてもらっていた下田村の北澤センセイとビールを飲みながら、
「オレはすべてにおいて居候で迷惑かける側でしかないのでダメなんです」と打ち明けたら、
「人間は誰でもそれぞれが依存し合っている生き物だからOK~。
いいじゃないですかイトーさん、今はイソウロウで。
ついでに言うと貧乏の底も経験しなさい!」と
予想外の方向へ、どんっと背中を押してもらった。
「ワタシなんて、大学の下宿に親が夜逃げしてきたこともありましたからね。
うふふふふ。あれはたまげましたよ」とセンセイはいつも笑いながらイソウロウをいなしていた。
センセイ、俺も親になって、農家になった。
参らなくてはいけない「イソウロウの親」があちこちに居る。
もう少しがんばらなくてはいけない。
昨日は大きく意気込んで早朝にコンバインをオクサの田から月ヨメ沢へと動かした。
が、農協ライスセンターより、
「今日明日は機械が一杯だから刈らないで下さい」との連絡があった(しかも朝に義父から伝え聞いた)。
ザ・依存。
先月降り続いた雨で過去最悪のコンディションに加え、
また予報に雨マークが出て、一刻の猶予もないと考えていたけど、
考えることというのは誰しも相似形をしているのでライスセンター一杯一杯。
山中でどうにかできる段取りを考えて、できることをできるようにしようと昨夜はマツナエ家で一杯。
山中の内側でできればそれが一番だと思う。
「おうちがいい」とワタシも思う。
しょーがないねということで、一番大きな田んぼを刈れず、
後回しの予定だった稲架掛け米の分を先行して刈った。
月ヨメの藤美屋の三角田んぼ。自鶏ふん草とり栽培3年目。
今年はトンボが羽化したり、ドジョウがなぜか居たりした。
日暮れ前に家の前に稲をかけて、残り軽トラ一杯分は、
先般、ホソダ選手とこしゃった村の入り口のはさにこれからかける。
ホソダ先生は連日連夜あちこちの家から引く手あまた。
土曜には最終報告会(&慰労会)がひかえ、ラストスパート。
俺が自分の稲刈りが始まって以降、ほとんどまともに会えてない農繁パラドックス。
* * *
昨日の「隣りの空家」。
雁木が取り除かれてシャープになりました。
昔の井戸があるとは聞いていたけど、
床板を剥いだら、井戸水(地下水)を汲んだ影響で地面に穴があいて沈んでいた。
残りあと16枚。
寝起きですでに満身創痍状態ですが、
俺はもう少し知のきしみと身体のきしみとを交互に繰り返さねばならない。
今日は新月。
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by 907011
| 2014-09-24 06:23
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