人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山中記

友達。

冬になると「カッパのチャック」という言葉が4日にいっぺんくらい口を突く。
雪をかまう、道を踏ん付けるetc.で日々何度か2種類くらいの雨合羽を着回していると、
どれもそれなりに個性ある古しいカッパなので、
水をほとんどはじいてくれなかったり、破れていたり、内側に着ているジャージの袖の方が長かったり等々。

中でもチャックが壊れて、噛み合わせてくれないという症状が頻繁に起こる。
そんな際に、決まって自分の胸元あたりを見つめながら、「カッパのチャック・・・」と一人つぶやく。

自分の中で、主に冬のゆるキャラみたいな存在として
「カッパのチャック」はあらわれる。

まだ可視化されたことはなく、
イメージもかたまってないままではありますが、
おそらく河童で、
おそらく頭の皿の横ちょに一部黄色い髪なんかをのぞかせる、
冬のワタシにじつに不釣り合いな陽気なキャラ
(寿司は出さない)。

来たる冬もワタシはこうして「カッパのチャック」とときどき出逢う。

 * * *

「たあね」で洗ったカッパを干していたら、
下の”ごんぱち”のバサに呼ばれて、そのままブラブラとごんぱちへ降りる。
朝の時間などはわりに畑や鶏スペースで、
下の畑のごんぱち夫婦と話しながらお互いに何か仕事していることがあったが、
最近は朝も冷え込むし、田んぼが忙しかったので、久々に少し話しができた。

ツキヨメ沢の”てっちょう”、一番上の田んぼは”ごんぱち”の持ち物で、
今年作らせてもらった年貢に、ごんぱち田んぼでつくった米たちを渡すことができて、
何とも腑に落ちる感覚というか、「年貢、いいね」と感じた。

友達。_b0079965_42025.jpg

ごんぱちのジサはどこか俺の秋田の父・ヤスオと似た雰囲気があって、
耳が遠くなったおかげでマイペースに(文脈などを意識せず)自分がその瞬間に想った話をするあたり、
山や畑を見ながら、そのまま好きな話を始めるあたりが
俺父ヤスオさんと似通っていて落ち着くのだ。
この日も「あー。山、きれい。」と何回も言っていた。

そんなジサのことを、バサはいつもニコニコしながら見守っていて、
ジサの思いつく通りに、好きなように仕事をさせていて、いつも素敵な関係の二人だなあと思う。

バサはジサのことを指して「一生のおともだち」と称する。
だって一生のお友達だからしょーがねえ、とか。
(自分自身のことは「下の家に居る、このバカばさ」と笑う)
バサの話はいついかなる時もユーモアにあふれていて
会話を交わせば絶対にこっちが笑わせられてしまう。

そして、話の主語への”愛”に満ちている。
(たとえば昔飼った牛とか土から出てきたカエルとか夏に水をあげるオタマジャクシや野菜たちとか)

かつての山中での難儀かった暮らしの話を聞いていても、
「ユーモア&愛」がちりばめれているので、聞いている俺の身体にも情景がすっと染み入ってくる。

二人は自分が3年半前に来た時から今日までずーっと、
「良い人が来てくれて、上に住んでいてくれて嬉しい」と伝えてくれて、
その言葉は俺の日々の原動力になっている。
原動力とリポDをいただく。

友達。_b0079965_42884.jpg

おととい。
今年二度目の山中農工部を開き、自分のはさがけ米第二弾を玄米化した。

通りがかりの”へやち”のマサさんがヒマつぶしに半日も手伝ってくれた。
マサさんも田んぼをやめてしまったので、
最後に出てきた米3キロ(家で精米できるらしいので)と第3のビールをあげて解散。
ワタシも一本ご相伴にあずかる。

友達。_b0079965_421553.jpg

昼寝から覚めて午後。
”そうじろ”のトクイチ翁に用事で行く。
「あがらんかい?」と言うので「あがる」と言って玄関を上がる。
「一本のまんかい?」と言うので「一本のむ」といってコタツでビールをもらう。
この間青刈りした稲でしめ縄をつくっていた。

その夜は町の自立経営者農業会議という、
高柳(特に石黒地区多し)の篤農家たちの集まりに恐縮しながら混ぜてもらう。
互いに認め合える関係の百姓たちが”ちょっとした情報交換”をしている様を見て、
観光案内の看板でも見た時みたいに、遠く自分の居る現在地をよく思い知らされ、刺激を受ける。
そして、よく飲み、よく懇親させてもらった。
百姓個々の手先から繰り出される仕事、百姓たちそれぞれの間にも派手過ぎず、でもけっこう濃い愛がある。

11月2日は高柳の産業文化まつりです。
ワタシも自立経営農業者たちの手伝いで参加します。
山中米と鶏でも連れていこうかとたくらんでます。
あっちもこっちも行楽の秋で色々行事が重なってますが、もし近くを通ったら是非。

ここ、藤美屋のバサの名も「アイ」。

 言葉にすると、くっさいくっさい”愛”。
ましてや口に出すと、酒に酔ってるとしか思われない”愛”。

 でも相変わらず、歌謡曲の世界では、連発され続けている”愛”。
カラオケでいくら歌おうと、決して相手の胸に伝わることのない”愛”。
「愛してる」という時は、「愛してる?」と聞かれた時。
肉欲だけの自分じゃないと、焦りながら発することなのか?

 どうやらジョンとヨーコのいう”LOVE”と、その”愛”との間には大きなズレがある。
ボクはそのことに対し、昔からコンプレックスを持っている。

 ジョンとヨーコの”LOVE”にドキドキしながら、ボクはまだ弁解用の”愛”で生きているからだ。
(みうらじゅん『アイデン&ティティ』)




**************
by 907011 | 2014-10-23 05:29 | Trackback