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山中記

深淵。

2年前。
高柳での内山節さん講演会
「村の営みからは、深淵な世界が見えてくる。」と、その後深夜まで及んだ座談会とを
振り返った感想を書き留めていたもの、を久しぶりに読み返してみた。

 * * *

「哲学ってはたして必要なのか?」と高校生だったかの頃に、
授業中、教科が代わりながらもずーっと考えていたことがあったのを思い出した。

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悩みというのは人ぞれぞれにあって、
たとえ居場所や仕事が一緒でも、
その立場によって一人ずつ違う課題を抱えている。
そうして、日々を暮らしている。

それぞれなりに自問自答を続ける中で、
100%確信を持って答えを出せる人など少なくて、
むしろ、パズルのように“もうあと一手”というところで
考えに詰まったり、堂々巡りになって嫌になったり、
イメージはぼんやりあるけど言葉にならなかったり、
言葉にしてみると自己矛盾だらけだったり、
自問だけではやっぱり心もとなくなってしまったり。
「そもそもが俺というニンゲンは・・・」って自己嫌悪したり。

今回、内山節さんの話を聞いていて、
そうした言語化できない部分や、確信に出会いたいあと一手の部分、
しかしながら、自分の毎日の暮らしからは欠けていた「腑に落ちる」感覚をもらったように思われた。

考えの最中、自問自答の最中は、
まだまだ雲の中にいるような、闘うべき病の中にいるようなもやもやとした
誰ともけっして共有し難い時間を重ねるわけで、
つまりは、そこから突き抜けたいのだとこの頃に思う。
考えて、考え続けて、ごくたまには突破したい。
抜けるにはどうしたらいいか。
なかなかわからないけど、また、考える。
突き抜けていくための言葉なのか思考回路なのか、
そこら辺に渇望しているんだと思う。
すごく遠い先の、霞んで見えるくらいに遠い先の灯台みたいなもの。

もし、
当地のような農山村が合併してもなお独自性を模索するのなら、
「小さな自治」が本気で個性を求めようとするなら、
必要となるのは、そのための核となる哲学だろう。

 * * *

内山節講演会
3月8日(日)15時~17時(高柳地区コミュニティセンター)

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by 907011 | 2015-03-01 09:08 | Trackback