連綿。
「連綿する季節」ということを、この頃連綿に想う。
自分の身体の外側をすっぽり、季節が連綿している。
圧倒されるわ、追いつけないわで季節の背を見ながらあわあわと暮らす日々。
「逃げる代かきvs追う田植え」の様相で
飯・風呂・寝る(時々会議)以外すべて時間をあてがうものの、
月ユメ田んぼの田づくりが、とうとう始まったオクサ田んぼの田植えに
背中をタッチされてしまった感。
苗はもう来て、「枯れるぜ、俺」とすごまれながら家の周りが占拠された。
主従の逆転劇。主導権のねじれがここに生じる。
田植え(前半は主に手伝い仕事)が始まるので、
こっから先は併行して田植えの空いた時間に、
「すみません・・・すみません・・・」と言いながら肩身狭く田づくりをする羽目になる。
などと書いたのが一昨日の朝。
自分の右手と左手が何をしているのかもよくわからなくなる農繁期。
先代区長のマサオさんの頭の中はいったいどうなっていたんだろうと感心するほどに、
脳みその内側は森羅万象細々書類と用事に籠城されたままで、
叩いても左右に振ってももう粉くらいしか出てこない。
整理不可能な混沌は、離れずに重たい。
書類置き場化した二階の一室の乱れぶりに、ワタシの脳内はそっくり現われている。
「もう鼻血も出ませんです」と、昔先輩記者が言っていたセリフを思い出す。
「区長の仕事は孤独だよ」と誰かが耳打ちするようにして言っていた。
本当に地味な孤独感を自分でも時々に感じては、
じっと我が手のひらを眺めて無表情になったりもする。
この一カ月が本当にそんな感じでひじょうに苦しい時間帯だった。
「言葉を不用意に発することがしづらくなったな」というのが区長職の感想。
いかに今まで村の中でテキトーな位置で身軽に言葉を発してきたかを率直に痛感する春。
人との会話の中に、今まで感じることのまったくなかった
「要望の言葉」が存外含まれているものだなと思ったり。
良い悪いでもなく、そういう意味の含みって今まで聞き洩らしていたんだなあと気付かされる。
とかく、新鮮な疲れでもある。
フレッシュな疲労。
* * *
体力気力不足から、
あえて集落の会話からフェイドアウトしようとする癖が強かったひと月でもあったと思う。
挨拶すべき間合い、そのタイミングで必ずや目をそらしてやり過ごそうとする無断山菜とりたちと、
俺も同じような目をして暮らしているようなこの頃。
それらひっくるめてすべて背負いこんで、下ろして、月ユメ田んぼで昇華される。
ただ、脳は外部(視覚や聴覚とか手足の先の触感etc.)からの情報をもとにして、
それでもなお、ここにきてなぜか、
「もっとゆっくり。」という指令を送っているように感じる。
夕方、残った時間に杉っ葉を集めて狼煙をあげた。
ゆっくり。
もっとゆっくり。
水面に写る火を見ると、狐の行列開始の田んぼを思い出す。
春先田からあがる杉っ葉の山に一時に点火する「田毎の火」をしてみたい。
やりたいことは様々にあれど、それでも時間がない。
言い換えれば、体力と気力がそれらをするにまだまだ十分でない。
あわあわとした毎日の中で、インターン生ハザマ君ブログを眺める未明。
素直さと瑞々しい感性と、山中時間との融合。
涎を垂らし、まぶしくもうらやましく感じる自分は、
時間貧乏を盾にして、いかに「閉じた」日々を送っているかに気付き、
しばし、また己の手のひらを無表情にじっと眺める。
”多忙は怠惰の隠れ蓑”。
* * *
5時前。
群青の時間。
一人山に居る時は「許しの時間」。
時間ケチからくる自己嫌悪も、反省も、自己矛盾もすべてひっくるめた、
自然の理と、断りの時間。
しのげ、春。
手の間からこぼれ落ちるいろいろは仕方ない。
土と水との中にぴたりと内包されて、
ここでの自分の在り方をもういっぺんつくり直したい。
**************
自分の身体の外側をすっぽり、季節が連綿している。
圧倒されるわ、追いつけないわで季節の背を見ながらあわあわと暮らす日々。
「逃げる代かきvs追う田植え」の様相で
飯・風呂・寝る(時々会議)以外すべて時間をあてがうものの、
月ユメ田んぼの田づくりが、とうとう始まったオクサ田んぼの田植えに
背中をタッチされてしまった感。
苗はもう来て、「枯れるぜ、俺」とすごまれながら家の周りが占拠された。
主従の逆転劇。主導権のねじれがここに生じる。
田植え(前半は主に手伝い仕事)が始まるので、
こっから先は併行して田植えの空いた時間に、
「すみません・・・すみません・・・」と言いながら肩身狭く田づくりをする羽目になる。
などと書いたのが一昨日の朝。
自分の右手と左手が何をしているのかもよくわからなくなる農繁期。
先代区長のマサオさんの頭の中はいったいどうなっていたんだろうと感心するほどに、
脳みその内側は森羅万象細々書類と用事に籠城されたままで、
叩いても左右に振ってももう粉くらいしか出てこない。
整理不可能な混沌は、離れずに重たい。
書類置き場化した二階の一室の乱れぶりに、ワタシの脳内はそっくり現われている。
「もう鼻血も出ませんです」と、昔先輩記者が言っていたセリフを思い出す。
「区長の仕事は孤独だよ」と誰かが耳打ちするようにして言っていた。
本当に地味な孤独感を自分でも時々に感じては、
じっと我が手のひらを眺めて無表情になったりもする。
この一カ月が本当にそんな感じでひじょうに苦しい時間帯だった。
「言葉を不用意に発することがしづらくなったな」というのが区長職の感想。
いかに今まで村の中でテキトーな位置で身軽に言葉を発してきたかを率直に痛感する春。
人との会話の中に、今まで感じることのまったくなかった
「要望の言葉」が存外含まれているものだなと思ったり。
良い悪いでもなく、そういう意味の含みって今まで聞き洩らしていたんだなあと気付かされる。
とかく、新鮮な疲れでもある。
フレッシュな疲労。
* * *
体力気力不足から、
あえて集落の会話からフェイドアウトしようとする癖が強かったひと月でもあったと思う。
挨拶すべき間合い、そのタイミングで必ずや目をそらしてやり過ごそうとする無断山菜とりたちと、
俺も同じような目をして暮らしているようなこの頃。
それらひっくるめてすべて背負いこんで、下ろして、月ユメ田んぼで昇華される。
ただ、脳は外部(視覚や聴覚とか手足の先の触感etc.)からの情報をもとにして、
それでもなお、ここにきてなぜか、
「もっとゆっくり。」という指令を送っているように感じる。
夕方、残った時間に杉っ葉を集めて狼煙をあげた。
ゆっくり。
もっとゆっくり。
水面に写る火を見ると、狐の行列開始の田んぼを思い出す。
春先田からあがる杉っ葉の山に一時に点火する「田毎の火」をしてみたい。
やりたいことは様々にあれど、それでも時間がない。
言い換えれば、体力と気力がそれらをするにまだまだ十分でない。
あわあわとした毎日の中で、インターン生ハザマ君ブログを眺める未明。
素直さと瑞々しい感性と、山中時間との融合。
涎を垂らし、まぶしくもうらやましく感じる自分は、
時間貧乏を盾にして、いかに「閉じた」日々を送っているかに気付き、
しばし、また己の手のひらを無表情にじっと眺める。
”多忙は怠惰の隠れ蓑”。
* * *
5時前。
群青の時間。
一人山に居る時は「許しの時間」。
時間ケチからくる自己嫌悪も、反省も、自己矛盾もすべてひっくるめた、
自然の理と、断りの時間。
しのげ、春。
手の間からこぼれ落ちるいろいろは仕方ない。
土と水との中にぴたりと内包されて、
ここでの自分の在り方をもういっぺんつくり直したい。
**************
by 907011
| 2015-05-18 04:33
|
Trackback