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山中記

田植え中。

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月ユメ田植え中。
残り8枚。
(うち1枚はが無事出来るとすれば一カ月後くらいに手植え予定。)
苗の積み下ろしや苗箱洗いというメイン以外の仕事の方が手間取りがち。

たとえば前夜のうちにネクスト田んぼ分の箱を下ろしておいて、
朝仕事の時間に、1枚だけ植えるだけして朝飯に帰って来る道中などというのは、
”作家先生”みたいで実に気持ちが良い。一人上げ膳据え膳。

植えれば自ずとまた箱洗いが発生するし、
今日分の先々の田んぼたちの水位の高さ、苗の段取りを連綿と調整しながら奥へ上がる。
田植え稲刈りでいつも考えさせられるのは、むしろ「2人目」の仕事のこと、
メインじゃなくサブの仕事の方の難儀かつ重要さ。
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そうこうしている間の、「書類たまっていく感」がたまらない。いや、たまる。
お昼に戻るとほとんど毎日コンスタントに書類等が届いている。
6月も何かと慌ただしい模様。たまらない。

自分の社会適応はひじょうに晩生。
田んぼも集落のことも、
「慣れないうち」が続いている状態なので、こればかりは仕方ないものの、
悪夢にうなされて起きた後にもう一度寝る時みたいでどうもすっきりしないなあ、
などと考えながら昼寝をしたりしなかったり。

最近、昼寝の時間がかなり減少していて、これは良くない傾向だと戒める。
ストイック禁止。もっと緩く。

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苗箱を洗いながら、「専念」について考える。
誰しも様々な分野に時間も思考も行動も分割されるから、
つまりは専念できる時間帯が少ないことがストレッサーになるのだと思う。
ストレスにも成り得るし、逆につながりを感じれば組み合わせや相性が快楽にも成り得る。
心身はやはりつながりでできている。

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2カ月ほど前に誘ってもらって群馬・上野村に行った時、
最後に立ち寄った川の駅で手にしたのが、偶然本棚にあった国語の教科書だった。
全国行脚と上野村との往還生活をして暮らす哲学者内山節さんの文章を
途中まで読んで時間切れとなり、帰路についたのを思い出した。

山ではただ自然の時間にのみ追われ、暮らし働いている、
というようなことについてだった。
またあの続きを読みたい。
(小千谷のわかとち楽校で上野村を見に行こうツアーや内山節さん講演が企画されてます)

雪水の細る様や、雨の後に暴れ狂う様も含めて沢の水の増減などを見ていると、
自然の時間に追われた暮らしを、
それでも日に数時間程度でも意識できることを面白くありがたく愛おしく思う。
それが自分なりの専念の時間の入口かもしれない。

書類は雨続きの日などに時間をもらえることでしょう。
田植えは進ませているもの、
残念ながら一枚一枚が練習を兼ねてやっている状態なため、
あちこち大きく穴をあけ、苦悶の表情を浮かべながら、土にも水にも謝りながら、
七転八倒型専念田植えは続いていく。

穴の後始末はまだ一枚も入っていない。
植え方が終わったらあらためて一枚ずつ田んぼに戻りながら補植。
丁寧にとイメージばかりはあっても毎年適当に済まして時間は閉ざされる。
あと21枚。
歓迎、ボランティア。一緒に手植えしましょう。

自然の時間を想うのは、
自然の時間の中で(時に追われながら)働いて居る時だと思う。


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by 907011 | 2015-05-21 04:31 | Trackback