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山中記

写経。

故・トクイチ翁の顔には布が覆われていた。
浄土宗の仏門への旅の始まり。

一方でジョージ木村も農業研修修了。
研修残り3日となって、なんだかさびしい気分になってきたなあという頃に、
そんなことなどすべてどーんと吹っ飛ばす、とても大きくて長くて短い”死ん騒ぎ”をしたのは
トクイチ翁の「山中で明るく暮らす」ショーの終りの大仕掛けだったのか。

村の人が口々に運動会のときのことを話す。
運動会の一番最後、「閉会の挨拶」を今年はトクイチ翁にしめてもらった。
(これまでは運動会後の焼肉打ち上げに移行してから、乾杯のご発声などを頼んでいた)

議員をされていただけに、挨拶名人な素晴らしい締めのスピーチだった。
思えば、運動会の景品を渡すことで、参加した皆とも手を触れ合っている。

開始直前に頼まれて、俺が自宅に迎えにいくことになり、車で一緒にグランドに行った。
「悪ぃねえー」と右手に杖をつきながら、自宅の玄関を一歩出ると、
すーっと左手をあげたので、俺も同じくすーっと右手で握って、
一緒に手を繋いで坂を車まで降りたのも、
それから、俺が今春なぜかやたらめったらと豆
(トクイチさんと言えばまず、「豆」。いろんな豆。)をまき続けたのも、
翁の山の中で明るく生きるショーの一幕だったのか。

自分は何も考えずにただ目の前の暮らしに天手古舞いに追われても、
愛すべき年寄りたちは、知らぬうちにそこに「意味」をくっ付けてくれていたりするものだ。

「オラ、山で死めれば本望だ。」とこの村の年寄りはけっこうなかなかの真顔でぺろっと言う。
晴れてこの村の土と成るか。
翁が一人になって暮らして毎晩寂しそうにしていて(よく呼ばれ、まあよく吞んだ)、
逢いたかった人にようやくこれからいっぱい逢えるんだと想い、
自分は泣かぬようにとなんとかこらえながら、合掌し祈り見送った。

自分の斜め上後ろ数メートルのあたりから、
いつでも気楽に眺めてもらえるように、
我らも胸を張って見護ってもらえるように、
努力したい。

 * * *

およそ芝居などというのは、
最高のできばえでも影にすぎない。
最低のものでもどこか見どころがある、想像でおぎなってやれば。
(ウィリアム・シェイクスピア「真夏の夜の夢」)



「・・・・・・したい」などという心はみな捨てる。
その代りに、「・・・・・・すべきだ」ということを自分の基本原理にする。
そうだ、ほんとうにそうすべきだ。
(三島由紀夫「剣」)




希望と怖れとは切り離せない。
希望のない怖れもなければ、怖れのない希望もない。
(ラ・ロシュフコォ伯爵「道徳的反省」)



汽車がとまっているあいだ、乗客は止まっておる。
汽車が止ると、乗客はそこから歩き出さねばならん。
走るものも途絶え、休息も途絶える。
死は最後の休息じゃそうだが、
それだとて、いつまで続くか知れたものではない。
(三島由紀夫「金閣寺」)



悪魔というものが実際に存在せず、
ただ人間が創ったものだとすれば
悪魔は人間そっくりに創られているにちがいない。
(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」)



安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、
ひしがれたくらしをしてるときは生のよろこびを書きつづる。
(太宰治「晩年」)



故人となったトクイチ翁のことは、
一日ずつじわじわっと迫って来るさまざまな感情がある。
そこに加えて、4月29日(肉の日)からずーっと、我らと一緒に暮らしながら、
なおかつ、ひじょうに情熱的にストイックに農業と山中の暮らしとに従事したジョージ君も次のステップへ。
早くから命名していた通りにワタシには「ジョージ・ロス」がやってくる。
(ロスが付いたことでさらに外国人っぽさを増した)

なんやかんやいいながら、
やっぱ山中はオモシロイです!
明日は何時から始めますか?
(運動会の打ち上げ後に来た酔っ払いメール。)
 『ジョージさんの山中見聞録』(未刊)



さて、今日からまた緩りとはじめようか。


LIFE is 不安タスティック。
これは―人生はつねに不安なものである、
しかし、「不安」に「タスティック」をつけることによって
毎日をたのしんでいこうじゃないか―ということです。
「なんだって、不安じゃないとつまらないものさ」と、
自分自身を洗脳していきましょう。
(みうらじゅんさんが『21人のLIFE is…』の中で)





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by 907011 | 2016-06-10 04:12 | Trackback