「里創義塾」へ。
上越・桑取のかみえちご山里ファン倶楽部へゆく朝の台所。
自分の手帳が好き過ぎて、
「明日からの土日だ」と勘違いのまま手帳に記して枕を高くしていびきをかいて寝ていたら、
今日と明日だった。ほんっとに危なかった。
かみえちご松川さま、ナイス電話。
(昨日電話をもらわなかったらまったく気付かず、泣きながら、
「この状況はあの時のアレとこの時のコレとまったく一緒だ。」と自分の半生を悔いながら、
遅刻スタートからの高速道をひた走っていたでしょう。)
<・生存技術をノスタルジアで博物館化せず、
合理的なものとして再評価し、
今に「使われる場」を創生(新再生)する。
・「場」の持つ力がある。
その場所での間尺に合った生き方がある。
・編集性は幻村をつくる恐れがある。
経済合理性よりも、生存合理性を。>
(memo)
<・かつての地域とは、一緒に耕し、一緒に食べる者たちの集まりだった。
「文化」とは、仕事が一区切りをした際に皆で一緒に楽しむモノゴトを意味した。
付加価値とは、安易に付け加えるものではなく、”本質”の見える化である。>
(自然村跡)
* * *
昨夕。
公民館に散歩に来たサイチ翁と会い、昔のことを聞く。
自分(2年目)の前のマサオさん(10数年)、の前の区長であり、
山中”最後の木挽き”でもある。
”ムラ”に宿る、それぞれの暮らしあるいは苦労した故の生存技術は、
山中のような小さな農山村が持続可能性を手探りする上での、
ヒントを現在の「日常」(変な表現だけど)に与えてくれる。
日本に無数にあるこの小さな集落、それぞれの生き残りショー。
その手探りの術。
The show must go on.
はたして「集落再生」とは何か。
クニを形成し得る「紐」とは。
編集性とは。
ムラが持つ「場」の力とは。
県内外から集まる5人(とのこと)の集中講座の中に
山中暮らしの内側の自問自答や考想を重ね見てきます。
(おそらく脳みそが打ちひしがれて帰ってくるでしょう。)
「地域再生を目指す若者が心がけるべきこと」
■よく話を聞く。
■理屈の押し付けをしない。
■その土地を勉強する。
■約束を守る。
■規律を守る。
■歴史を尊重する。
■既存組織を尊重する。
■仁義を尊重する。
■しっかり挨拶をする。
■しっかり謝る。
■しっかり説明をする。
■常に筋の通った立場をとる。
■公平である。
■共同作業をしっかり行う。
■少しは何かの役に立つ。
■継続し続ける。
■こころから笑う。
■その土地の未来を信じる。
<かみえちご山里ファン倶楽部・公開セミナー「地域づくりとは何か」資料から>
* * *
サイチ翁が言っていたけど、
かつて数十年前は最大130戸がひしめきあって暮らしていた我ら山の暮らし。
田が一枚ずつそれぞれの屋号が連なり耕作され、
家畜や草の利用もまた境界ぎりぎりまで盛んで、
当時の写真を見たら、まあ田んぼが山の奥まで美しく整備され、
さらによく見ると山の上の方までまあきれいに草が無い。
刈り払い機もなく鎌で朝夕それぞれ家の草を背負って往復したという。
自分の足で手で背中で。そのすべて五感を通して。
「昔は道ひとっつ切るのにも、それぞれの家の言い分がさまざまあって、
ものすごい難儀かったんだ、区長ってがんは。」
とサイチ翁は手押し車を左手で押さえながら聞かせてくれた。
(最近セガレの居ないすきにどうも耕耘機に乗ってゲートボールに出た模様。)
今の我らは、
区長の顔の方の自分が、
画としては先ず小さなものを覚悟して描き続ける(自治会費等)。
よそでもどこでもなく、以前の山中と比べれば、
それは当然小さな規模の画ということになれど、
今自然減少する現象としての小ささ、
あるいはこれから向かっていく画は、
書き続けることそのことでもってのみ、
我らの「腹づもり」として、柔らかな覚悟をしていくための術とする。
逆の表現に替えれば、
柔らかくしなやかでありながら
しかし腹づもりとして小さな画でいくよと話し覚悟し、
その小さな画を描き続けることをやめないことで、
自然減の現象に向かうことができると想うのだ。
区長の不肖ワタシおよび山中から「適疎」を考える会の我らが
その小さな描きものを粛々とやり、話し合っていければそれで良い。
で、その上で、
やがて、彼彼女なりに覚悟を決めたり秘めたりした、
挑戦してみたい人材に対しては、
山中は集落をあげて、
暖かく厳しく柔らかく忙しく、線引きすべき箇所はドライに、
そして基本的に「緩さ」でもって、受け入れに自分らもチャレンジできるような、
ニンゲン一人の等身大×皆それぞれ×山中時間がつくる大きさの”器”でありたいと想う。
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by 907011
| 2016-08-26 05:22
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