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山中記

阿波の国から。



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「秋波を送る」という言葉は本来、異性間で用いられるらしい。
すだちに対する秋波的なメールを送っていた徳島の高給官僚・エガミ君から
「ザ・すだち」という感じの箱が届いた。
開けるとスダチや阿波の品々が徳島新聞に包まれてあった。
徳島県民セミナーなどの広告をしばし見る。四国をまわりたい。

 *

田植え後、寺泊に子と遊び行くにあたって、
良寛のことを実に産まれてはじめて学んでみた。

そのなかで、長岡の公民館であった『僧としての良寛』を聞いて、
すっかりしびれた。まいった。

坊さんと村落、農業。
良寛の記した戒めの言葉(書)。
「子どもと居ること」ができるということの、その背景が持つ意味。
農家や食についての良寛解釈を聞き、
ぼんやり、小旅先の寺泊で海を見ながら「小さな物々交換」が丁度良いなと想った。

すだち⇔山中の米
あたりはちょうど良い。
身近な物々交換には鶏の卵もとても良い。


阿波の国から。_b0079965_04424205.jpg
NOSAI(農業共済)が「干害」調査に来てくれた。
今まで掛金は皆支払うものの、俺も災害など対岸の大きな出来事だろうと勝手に思っていたけど、
自分の田が干ばつに遭ってみて、もとより貧乏性なので「せっかくだから」と思い、
特に水が無くて切なそうだった田んぼの2戸に話して、はじめての申請を提出。
はたしてNOSAIはすぐやってきた。

一枚目の田んぼに案内してみたら、
評価委員の皆さんの顔が曇り、
「俺は長くやったけど、こんなのは初めて見た。」
「これは検査かけたって(収量)ゼロだろ。」
「ひどい。こりゃ米ならんだろ。」
などの、このケースでは高レベルな損害評価をいただけた。

「ダメ元」で何かできることがあれば、
それは時間も手間もエネルギーがかかることではあるけど、
未知の0から1に進むには、ダメ元はいろんな機会を寄与してくれると思う。


阿波の国から。_b0079965_04424273.jpg
はさ、つくる。
主に、義父が。
(NOSAIを山の田でアテンドしている裏で。)

ハサができて、あとは稲刈りだけとなる。
稲刈りだけとはなったものの、その畦の草刈りが追い付かず、
半泣きで黙々と畦を刈る。

阿波の国から。_b0079965_04424199.jpg
マムシの小さいのが居た。
つんつんしたが死んでいた様子。

ヘビというのがひじょうに苦手で、記憶から消そうという作用が脳にあるのか、
死んだものでも、脱皮した皮であっても、
はじめにびっくりして、また帰り道に出逢って、まったく同じ狼狽の仕方でたまげる。逃げる。
で、またまた通って3回4回と、何度でも自分は驚き続けることができる。

そのうちに「驚き疲れ」という現象が起きる。
驚き腰を引くのだけども、一方で同じことで驚き過ぎの自分にあきれてくる。
あきれる己のバカバカしさを、次第にその驚きの対象(この場合はヘビ)に転嫁する。
ヘビに「いつまで同じとこに居るのだお前は」とか、
「なにもここで死ななくても。」などとぼやき始める。

かくして、驚き疲れる「ワタシ」を俺の脳は忘却しはじめ、
また翌日に発見しては、同じレベルで腰を引かして驚く、という現象が繰り返される。
と、今写真を見て思った。
ヘビは先住民であり、俺が後から来たのだから悪くもない。
ただ、俺が苦手なだけ。

 *

あと、ほとんど関係ないですが、
二回くらい車で通って見ていて(勝手に)じいさんだと思っていたのが、
3度目には話しているのを間近で見聞きしてみて、じつはばあさんだったと知って驚く
という田舎の「ときどきあるある」もある。
(「ジサだと思っていたらバサだった」編と、
 「バサだと思っていたらジサだった」編、
 引き分けくらいの比率だと思います。)


阿波の国から。_b0079965_04424277.jpg
学生時代に入り浸ったアパートがいくつかある。
エガミ君のうちもその一つで、入り浸り慣れした俺は、
「エガミ家⇒友人サトー家」のような”入り浸りハシゴ”を昼夜問わずした。
うちには魚焼きがなかったので、
干物(さばみりんとか)と時にマイごはんを丼で持ってうろうろしていた。

そして、エガミ君の家にあった徳島からの親の愛・スダチを丸かじりするなどしながら、
笑ったり、泣いたり、怒ったり、また笑ったり、本当は半分寝ていたりしながら、
酒宴は続くのだった。

 * * *


良寛を考える場合、
 少しだけつかまえる場所を変えてしまうとすぐ道徳とか教訓とか、
 まるで馬鹿みたいに子どもと遊んでいた無邪気な人みたいな像に
 すぐに変わってしまうわけです。
 ほんとうはそういう場所で言われている言葉ではないし、
 また良寛が引っかかった場所はかなり高度な場所であって、
 少なくとも道元の思想が高度であるのと同じ意味あいで、
 かなり高度な場所で良寛はその思想を受けとっています。
 決して道徳とか教訓で受けとっているのではないということが
 非常に肝心なことです。>




子どもが泣いているときに「誰がした?」と言ってはいけない。
 そのことはなぜいけないのかというと、
 さまざまな経験を経た大人だったら、こんなことをしたのは誰だといって、
 それが間違っていたら他の大人はそれは間違っていると判断できるんだけれども、
 子どもはそういう意味の判断をしても不正確である。
 だからそういう不正確な子どもの心に、そういうことを言っちゃいけない。
 なぜならば、そういうことがほんとうに肝心なことなのかどうかという重さが判断できないうちに
 全面的に子どもはそれを受けとっちゃって、
 自分が他者に悪いことをしたときもそれはものすごく重大なことで、
 誰がしたのかが追求されねばならないほど重大なことなんだという気持ちを
 子どものなかに置いてしまうからそういうことを言っちゃいけないと言っているんだと思います。

 みなさんもおわかりだと思いますけれども、
 子どもが泣いているときに「誰がしたの」なんてことを言っちゃいけない
 ということに気がつくということはたいへんなことです。
 そういうことに気がつく、言葉に対する、他者に対する微妙な受けとり方は、
 たいへんよくものごとを洞察している人でなければ
 書き留められないことだということがわかります。
 こういうことは悪いことだということは言えないということだと思います。
 鋭敏でたいへんな洞察力がなければ書き留められないことです。
 ぼくでも、自分の子どもが泣いていたら、誰がやったんだと訪ねて、
 誰々がやったという返答を引き出そうとする経験はなきにしもあらずです。
 そういうふうに言ったとき、
 こういうことは子どもに聞いちゃいけないということに、誰でも気がつくだろうと思います。
 子どもが泣いていて誰がやったんだと言って、
 それがあまりに子どもに重大な受けとられ方をしてしまうことに気がつくことはぼくらでもあります。
 だけれども次の瞬間にはそういうことは忘れてしまうのが普通なわけです。

(吉本隆明の183講演『僧としての良寛』から)






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by 907011 | 2016-09-09 05:09 | Trackback