谷神。
毎年懲りずに同じことばっかりして恐縮ですが、
草刈り中、時に頭痛を覚えるほどに暑過ぎて嫌気がさしたとき、
ワタシは”ディープ山中”にバイクを走らせる。
旧道に上がり、十日町との接点である仙田トンネルの手前で、
我が最奥のツキヨメ田んぼを上からこうして俯瞰して、しみじみする。
写真真ん中の色濃いところが、
もうすぐ出穂(×でほ○しゅっすい)するこしいぶき田んぼ。
カモシカにかじられ悶絶中のかわいげな田。
さらに、その下に白く二枚挟まっているのが、田直しをして植え付けなかった田んぼ。
山からの出水(×しゅっすい○でみず)に悩まされて、
排水に苦心し、稲刈りで骨と心が折れて、今春に重機を入れて改善。
去年は倒伏防止策としてこしいぶきをつくったけど、
あまりの米価の安さに降参して、来春から再びコシヒカリに復刻するというH30年産米計画。
田直し二枚の下に続くのが現在のコシヒカリ田の始まり。
上の写真と同じところで肉眼で見る(?)とこのような構図。
(カメラを一番ズームして撮ったら上の写真になった)
ほとんど毎日ですが、携帯電話にかけても圏外になる時などはおそらく、
ワタシはここ(ちょうど写真のど真ん中あたり)に居ります。
谷と水。
「谷間の神」が万物を生み出すと老子は言った。
母性を大切にして、谷をその母性のシンボルとして表現した。
一方で、孔子は山を愛した。
* * *
<谷神不死是謂玄牝
玄牝之門是謂天地
根綿綿若存用之不
勤里人識是言不識
老子に言う。
谷神(こくしん)は死せず。その力を玄牝(げんぴん)なる妙という。
玄牝なる母性(生成力)とは、万物の根源である。
それは尽きることなく湧き出て終わることが無い。
里びとはそのことわりを知らず知っているのだ。
(『かみえちごてぬぐいの漢字文の意味について』より)>
谷神にも(たまにため息をつかれつつも)見守られながら、
我らの米はこうしてつくられる。
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by 907011
| 2017-07-23 05:25
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