山中記

2017年 03月 24日 ( 1 )

名残雪。

昨朝4cmくらい、雪が降った。
水雪なのでかさは増さないが、残雪がぐっと重たくなる。
凝固された雪はこの溶ける時期に重くなる分、負荷が強まって、
崖の土を下へとずるずると引っ張って崩していく。

などと書いていたら、今朝は倍ほど降っていた。



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<「自分と向き合うっていうのは、わかるようでいて、とても曖昧な言い方だ、
 自分のどこと、何と向き合うかというのが大切なポイントだ、
 オレ達は、自分の、負の部分と向き合う、
 自分のイメージと、現実のギャップに向き合うようになっている、
 それはからだが痛みを訴えて、
 オレ達が異常に気付くのとパラレルになっているんだけど、
 胃に妙なしこりがあって何かの拍子に時々痛む、
 それはからだが生きのびようと信号を発しているわけだ、
 オレ達はその胃の痛みに向き合って、
 薬をのむとか病院に行くとかからだを休めるという風にしないと、
 生きのびていけない、
 同じように、わかりやすい極端な例でいうと、
 ナチスに両親を、いやこの例は消化に悪そうだ、
 途中でこれはいけると思ったトーナメントで、
 自滅して勝てなかったゴルファーだと、
 そいつがこれからゴルファーとして生きのびていく場合、
 自滅してダブルボギーを叩いた時の自分と向き合わなくてはいけない、
 そうしないと次も勝てないもんな。>
(村上龍『長崎オランダ村』)

 * * *

去年読んだ本でもっとも印象が深かったのは、
「チーム事務」のKさんに頂いた『長崎オランダ村』だった。
(これまではたして彼に何冊の本をいただいたことか。)

書かれている大筋は、語り手である作家(九州出身)と、
冒頭に登場人物で「主人公」と紹介されてある九州の後輩・ナカムラが、
ただただ食事し続けながら(店を変えながら本当に次々と食べまくる)
話す、その会話が(おそらく)9割くらいを占めている。

その中で主人公が話す言葉自体に、
読みながらどんどん強く魅かれていった。
これまで、自分が幾度も考えたり言葉にしてみようとして、
まったく中途半端なままに終始していたことが、
主人公が何かを食い続けながら、
後輩を易々と諭す会話のなかに散りばめられていて、
唸りながら、読み終えて、もういっぺん頭から読み直し、
夏~冬のあいだに、何遍繰り返し読んだかわからない。


<「そうだよ、眠れない夜が辛いのは
 ずーっと自分と向かい合っていなきゃならないからだ、
 自分と向かい合うのは必要悪なんだよ、
 楽しい時や、美しいもの、そして他者が、
 自分と向き合うことから救ってくれる、
 自分と向き合うのは、一人ぼっちの時、病気の時、
 自分を許せない時、楽しくない時だ」
 「でも小説を書く時なんかは自分と向き合わんばいけんとやなかですか?」
 「自分と向き合って小説を書く奴はクズだ、
 自分と何か、世界とかね、他者とかね、女とかね、
 自分と何かとの関係に向き合って、そのことを書いていくんだ、
 言葉が美しく力のある順序で並べば、やはり自分は消えるんだよ」>
(『長崎オランダ村』)



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一昨日、夜。
上の”五助(ごすけ)”のバサが急逝した。



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去夏のバサ。

明日お通夜となった。




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by 907011 | 2017-03-24 05:36 | Trackback | Comments(0)