山中記

2017年 03月 26日 ( 1 )

住。



< 山中、栃ヶ原部落は、鯖石川の東側八石山脈沿い標高二五〇米附近の山腹に、
 何れも一二〇戸ばかりの集落が形成されている。
  何れも不便の地で、バスの出る岡野町までは徒歩で一時間は要し、
 冬期は四米をこす豪雪地帯である。
 特に山中部落の歴史は古く、幾多の口碑、伝説が語り伝えられている所である。
  往時の人間が『ナゼ』高地に集落を選んだのだろうか、
 現代で考えれば不可解な点が多いのである。
  昔は狩猟民族のため高地の方が都合がよかったのかもしれない。
 或いは動物の本能としてわざと不便な高地を選び、
 展望の開けた所で、敵のしゅうげきを察知するためとして取り扱っているが、
 筆者は山嵩(※崇?)人であると判断している。>
(藤崎 利勝『高柳町近郷の祖先を想う』)


以前に、グルグルハウスのサイトウさんから
「鯖石郷の先生でいらっしゃいます」という藤崎さんの考察論文をいただいた。
(たしか、「石塚酒造さんで見つけた」と話していた。)


< 高柳、石黒近郷に於て最も古い旧家は、山中部落の村田五助家と、
 板畑部落の中村治平衛家であると古老は伝えている。
  山中部落の最高所、岩野地区に屋号村田五助なる家がある。
 村田一族四〇戸の遠祖と言われている家である。
  同家の先祖は坂上田村麻呂の臣下で
 蝦夷平定の折から同地に住みついたものと言われ、
 主人の姓をそのまま称するのは本意でないとして、
 村田と呼び早くからこの地に住みついたと口碑は伝えている。
  今の山中部落は、傾斜地を段々に切り開いた土地で所謂三反百姓が多い。
 なぜこのような土地に千年以上の昔開拓移民が住みついたのか疑問が残るのである。
  ところが昔からの言伝えを調べてみると、成程とうなづけるものがある。
 岩野地区は元来山中村とは別村であったのであるが、
 土地台帳に記載されている地名は大野と名付けられている。
 数百年の昔は現在のような傾斜地でなく薬師岳連峰の山腹につらなる
 広大な原野があったと伝えられている。
 この附近は地辻(※滑?)り地帯であり、
 長い年月の地辻りと雨水の浸食によって、次第に削りとられ
 現在のような傾斜地に変ったことが判った。>



昨日は山中・五助家のバサのお通夜だった。
山中の衆に見守られながら、家の雁木からスミさんの眠る棺が出され、
喪主ハルキさんも姉のノリコさんも実に気丈に振る舞われていた。
バサらしい素敵な写真だった。



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(春祭と秋祭に山中区長が通う岩野の諏訪神社跡の祠。
 故・スミさんは毎年8月26日に岩野に上がって掃除、参拝していた。)



<山中部落の村田与三衛門家は近在でも知られた資産家であるが、
 村田五助家の分家なのである。
  塩沢集落の遠祖村田清兵衛家は、五助家の当主が
 新田開発のために低地に分居したのが始まりとされている。
  当主の分家であるから勝手なことができたらしく、
 村田一族の産土神であった大野諏訪神社の本体を持って
 塩沢の地に移住したと伝えられている。>




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3月26日、告別。



(参考文献)
ふじみや~ごすけ
ごすけのハサ
ごすけのバサ







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by 907011 | 2017-03-26 06:34 | Trackback | Comments(0)