山中記

2017年 05月 04日 ( 1 )

みどりの日。

未明の3時からネコはやたらと威勢が良い。
俺は木かなんかだと思われているのか、やたらとひっかかれる。
爪を研いだり、背中脇腹から上ったりジャンプして下りたりされる。
(いままさに繰り返されている。)
名前はまだない。

薪ストーブを燃やすとそっちに行って横たわって寝るので、
起床と同時にとりあえず着火。
未明から徐々に5~6時にかけて肌寒くなってくるように感じる。
まだ寒い。
そして田の雪はまだまだ溶けない。

昨朝。
「極早生」と書かれた枝豆の袋2つを手にしたまま固まり、思案。
しばし迷った末に、「あと数日だけ待ってくれ。」と
借金取りに追われるかのような表情で事情を話し、田へゆく。

「日本の寒がり百選」があれば(ないけど)間違いなく選抜されるであろうほどに、
なぜか寒さに弱い東北人のワタシなので、上着を1枚ずつ多く着込んで
5時から田を打ち始める。
朝仕事で一枚終えられた。

迷ったものの、やると調子が出る。
そのまま昼までやり続けるか、朝食をとるかまたしばし迷った末に帰飯。
ここでもまた迷っていたわりには、飯をがつがついっぱい食べる。
四季を通じて、自分の選択などまったく「迷ったわりには結局そっちかよ。」などという
「迷ったわりには」反対側の選択肢でも意外におさまっていたというパターンが多い。
抽象か、具体か、それが問題だ。

あと、自分はこれまで、
稀に飲食店で注文したのと違うものが運ばれて出てきても、
それはそれでおいしく食べる、という場面が何度かあって、
人といると「それ、食べたらダメしょ。言わないと。」と指摘されるが、
小心者なので言うよりも、穏便に食べることでなにがしかの手助けになれば、
間違えた店員も、自分も、嬉しいのではなかろうか・・・、
と思ってやってきたけど、間違えられた客の中には怒る人もいるんだろうな。
間違えて運んだ方を叱るか、違うのにおいしく食べた方を叱るか、それも問題だ。

  * * *

今日、山中出の人が連休で帰って来て、
28年産米の残り半分6袋を持っていくというので、
岡野町のヨシトモさんの保冷庫の空きに保管してもらっていたのを取りに行く。
ヨシトモ先生はいつも会うたびに自分の農作業の進捗状況を
聞いてよというでもなく、大きな独り言であるかのように言う。
「あ~疲れた。いま6反部代かきしてきた。いま6反代かきしてきたよ。あ~疲れた。」
と昨昼も大きくかつ独り言であるかのように二回繰り返していた。
農繫期になると細かな数字も大きな独り言に含まれる。
孤高か、孤立か、それが問題だ。

20代の頃に石川直樹さんの本のなかの言葉で素敵だなあと感心したのが、
「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ。」
という一節だった。

「ものごとは独り言をいうくらいのように伝えろ。永世に伝えるかのように耕せ。」
とヨシトモさんは伝えているのかもしれない。
が、もしかすると伝えていないかもしれない。

「そうやってヨシトモさんみたいに嬉しそうに報告しているうちは
 それは楽しみでもあるから、良いことかもしれないなあ。」
と田んぼで会ったイサオさんがくわえ煙草で上手に総括してくれた。

みどりの里・山中のみどりの日。
耕せ、山中。




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by 907011 | 2017-05-04 04:28 | Trackback | Comments(0)