山中記

2017年 07月 13日 ( 1 )

隠れ家をハシゴする。


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「くれるなら 使ってしまえ (就農)給付金」
と江戸っ子的織田信長風に思うようになったのがここ2年間くらい。

就農給付金(経営開始型/今は何やら名称が変わっていた)は
就農開始から5年間給付金をもらいながら、
その後の自立経営農業者への道筋をつけようという制度。

はじめの2年くらいは先ずもって、
そこここの環境に合わせ身体を組み換えていきながら、
風土を知る、馴染ませるための準備期間だった。
同じ土地でみっちりとした研修を受けない限りは
就農開始といえども、まず風土と心身の組み換えからはじまると思う。
土地のことは四季一順では分かり得ないというのが私的結論でもある。

そこを経たあたりからようやっと回りの農家以外の、
たとえば他所の集落の農家らが話している事柄がおぼろげにでも少しずつ分かるようになる。
はじめてスキー場のリフトに乗るときのように、
会話の流れに乗り合わせつつも不安定になりながら、まず聞く。
そして、徐々にそれらを試す。

何せ5人に話を聞くと、5人ともそれぞれ持論が違うのが農家あるあるで、
まったく難しいことに、
でもそれぞれに理屈と経験則が相まっては妙な説得力を醸し出す。
加えて、ほとんどの人が持論を展開するその時、
語気強く、鼻息荒く、眼力が鋭すぎるので、
人見知りで視線恐怖症の気がある自分などは
ひたすらに目泳ぎ、語尾ほぼ聞き取れないくらいか細く弱り、
鼻息は止んで嘆息混じりの相槌を打つだけの人と成る。

だいぶ逸れたのですが話は戻って、
昨夏に乾燥設備と併行してうちの小屋改修をお願いした
山中大工・キミアキさんに今夏も
乾燥設備の”バタリ”と農業に係る「2つ目の隠れ家」を依頼し、
29年度も大きく赤字が見込まれる。



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1枚目の写真で鶏どもが回りでわらわらと遊んでますが、
鶏にはあげないでワタシが遊びます。
子・ガクが嬉々として、
「がくの家が着工されましたなあ。まきますか、モチ?」と言うが、
子にもあげない。モチもまかない。

残す最後の矢は、冬の書斎兼鶏とヒトが遊ぶ耐雪ビニール隠れ家(小)を想定している。
が、これには無計画な自分にもわりと計画性が必須となるので、
給付金も終わってから、自腹で着工できれば良いなと想う。
来年の七夕短冊にも書かねば。

雪が積もってはじめて、これらの隠れ家(”離れ”とも言う)はその存在価値を現す。

「寒いことが、人の気持ちを緩めるんだ。
 離れていることが、人と人とを近づけるんだ。」と星野道夫さんは云う。

埋もれ、隠れることで、あらわれ出てくるものがある。
見えなくなることで、見えてくるものがある。
容易に変わり映えを見せる枝葉よりも太い幹と根が静かに存在する。


<言語の本当の幹と根になるものは、
 沈黙なんだということです。

 コミュニケーションとしての言語は、
 植物にたとえますと
 樹木の枝のところに花が咲いたり実をつけたり、
 葉をつけたりして、季節ごとに変わったり、
 落っこちてしまったりするもので、
 言語の本当に重要なところではないというのが、
 僕の芸術言語論の大きな主張です。

 沈黙に近い言語、
 自分が自分に対して問いかけたりする言葉を、
 僕は「自己表出」といっています。
 そして、コミュニケーション用に、
 もっぱら花を咲かせ、葉っぱを風に吹かせる、
 そういう部分を「指示表出」と名づけました。
 (吉本隆明『芸術言語論』)>


あと、いずれかの隠れ家に囲炉裏は切りたい。







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by 907011 | 2017-07-13 03:52 | Trackback | Comments(0)