山中記

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内側のこと。

今まで自分が見てきた、
その誰よりもマイペースな自分は
地に足の着いた、「静かな時間」にあこがれるものの、
実際はなかなか慌ただしい。気忙しい。
体力不足。

たまにふっと訪れた、その静かな時間に、
ただただ「努力が足りんなあ」と、
仕事でも生活でも、いつまでたっても痛感する。


<何かを言ったり考えたり書いたりということは、
 余計なことだから、
 原則としては、1日が24時間あるうちの25時間目にやります。
 つまり、日常生活で普通の人がやることはすべてやった上で、
 その中で時間を作ってやるのが、
 ぼくにとっての書くことや考えることなんです>
 (吉本隆明)

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「身土不二」。
昔、見習いしていた農業のお師匠さんが話してくれた。
本来、寒い時季にとれる野菜は、
食べて取り入れることで身体を温めてくれるものが多い。
夏野菜はその逆に、身体の熱を抑えてくれる。
人間もまた土に育まれる。

春から土に触れながら、またゆっくり考えたい。

   *   *   *

ニンゲンってのは何が強さで、何が弱さなんだろう。
頭が良いってどういうことを指すんだろう。

ふと疑問が浮かんでからぼーっと考えながら生きてきてて、
おそらくずっと答えは出ないこれらの素朴な疑問が
自分にとってはとても大切な想いなのだなあと思います。

「知っていること」「知られること」よりも、
わからないこと、
見えないこと、
見えていたけど消えてしまったもの、
言葉になりにくい記憶や知恵への
価値を信じ始めている。

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by 907011 | 2009-02-20 07:07 | Trackback | Comments(2)

写したり、遷ったりすることで。

<私は古画その他工芸品からも平気で写しをする。
 自分がそれの伝承者でなく、それとの断絶を確信しているせいだ。
 断絶している者は、
 古いものの中の、もの凄い前衛性を掴み出す事ができる。
 そして、それを自分の世界に組み入れる事が出来る。>


旅の先々で
寺や神社など古い建物に惹かれることが多いです。
なんというのか、圧倒されているのに心がしーんと鎮まっている状態。
静かなのにいろんな言葉が頭の中でやり取りされる。

昔、ある坊さんが言っていた、
「古いものの中に新しいものを見る」んだと思います。
そして、
新しいものの中にも、
古い(懐かしい)感覚を何か感じ取るんだとも思います。

自分にとっての、
古いもの、新しいものって何だろう。
その感覚はどうして、どんな記憶どんな経験から
沸き起こるものなのか。

ある風景を見て自分が「綺麗」と感じる時、
その風景に自分は何か記憶を重ね見ているんだろうか。

風景や物や、あるいは人を、
「好き」(もしくは嫌い)と感じること、
投影させたり昇華させたりすることについて、
自分なりにもう少し考えてみたい。
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by 907011 | 2009-02-10 21:46 | Trackback | Comments(0)

旅memo.

日曜の夜の馴染みの居酒屋で飲んだくれ、
ついでにご飯もたっぷりごちそうになり頬袋に詰め、
奈良漬け状態で深夜バスに乗ると、
出発するかしないかくらいで就寝。

気づくと滋賀あたりだった。

京都6時着。
おかしい。
これまでの梅田と違ってこギレイで落ち着かず。
おかしい。
梅田にあった早朝なのにいいアンバイの立ち飲み屋が見当たらず。

通勤前で静かな河原町をそぞろ歩く。
荷物の重さのけっこうな割合を占めていたのに、
のっけからカメラ故障。
目で見ろということなんだろうとあきらめる。
写真に気をとられて、見ても何も感じてない場面、瞬間は少なくない。

古い造形に心が鎮まるのはどうしてなんだろう。
いつからだったろう。
静と美はどう自分の中でつながっているんだろう。
自分は、よその人は何に美しさを感じるんだろう。
感じた美しさ、感性を日常の何に昇華させているんだろう。
樹、陽、水の色々。
たとえ表面だけでも、人が美しくあることは相当に難しい。
ただ普通に生きることが、じつは一番難しいのかもしれない。


出勤でにぎわってくるので奈良に脱出。
関西人にとっての日常。自分にとっての非日常。
空間の移動は、
精神的にも自分を離してずらして揺さぶってくれる。

外国の方が日本で暮らすための日常と、
日本人の自分が日本で暮らすための非日常。
どこにいても、わずか数メートルの半径で、
数えきれない日常と日常、日常と非日常、
非日常と非日常とが交錯しているんだろうなあ。


自分がよそ者であることや、
目の前の風景に圧倒されることが、
自分の存在をたしかに感じさせてくれる。
自分が偽物であるような感覚も。
弱さと向き合ってはじめて、抱えて、付き合える。
異国ならなおさらだし、
本のなかで空想の世界を旅する人もそうなんだろうな。
本がもっと読みたい。


吉野の山奥での節分の神事に参加。
去年民宿で世話になった人たちに麒麟山のぽたりを渡し、
(翌朝、すっごい感謝される)、転職報告。
一年前に飲みながら話していた道にいま居る有り難さ。
ご縁。


肌に刺ささるような冷気。
各々の想がつまった境内。
祈りの続く「鬼乃宿」

翌昼。
天川の「鬼は内 福は内」。

渦巻きながら上っていく護摩の煙の形がただただ綺麗だった。
圧倒されながら、
節目
をひたすらに感じた。

大きいも
小さいも
主観が勝手に比較しているだけで。
そんなに変わりないのだな。
身の丈。
器。


冬と春との立ち別れ。
春が来る。春になる。
もう一年。
また来年。




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by 907011 | 2009-02-10 21:15 | Trackback | Comments(0)