山中記

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小>大。

・旧暦3月1日の昨日は新月。
 今日から一日ずつ月が形を現してゆく。 

 月 火 水 木 金 土 日
 酔いどれの頭で、暦って善いなあとふと思う。
 「金」がしれっと入っているところがまたよくできている。

 今日は土の日。


・桜、花火、紅葉、雪見
 誕生、出会い別れ。
 とにかく何かしらにこじつけては酒呑む日々。
 油断するとすぐさま頭でっかちになりがち。


・傘さして、雪を見ながら職場の田んぼのあぜを歩いた。
 土筆が伸び始めている。
 桜のつぼみも膨らんでいる。

 野遊び。
 <遊びという言葉には、お祈りするという意味もあるんだ。>


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・自分の小さな、少しの笑いは、
 自分の少し大きめな悩みをひょいっとどかす。


 「客席から聴こえるたった一人の笑い声が、どれだけ力をくれるか。
  これで良かったんだって確認して、ほっとできるんです。」
 明るい舞台に一人立って表現している方に取材してた時の言葉。
 痛みを糧に、大エネルギーで絶叫しながら自己肯定を繰り返す一瞬の表裏。
 照明のおかげで真っ暗にしか見えない客席、
 その闇から届くひとり、誰かの笑い、その声に救われるのだという。


 小さな拍手が、大きな不安をマヒさせる。
 小さな肯定が、大きな否定をぬぐい取る。

 自分のしている小さなことが、
 巡り巡って、誰かの笑いにつながることもある。
 ”四次元のだるま落とし”みたいなことをたまに思う。

 遊びは祈り。


・軽さが欲しい。
 重さをどかすだけの軽さ。

 小さな、少ない想いが、大きな違いを消してくれる。

 小>大
 そんなこともある。
 この先もたぶんある。
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by 907011 | 2009-03-28 06:58 | Trackback | Comments(0)

感じてはいても、わかってはいないこと。

・今すぐ感動しなくても良い。
 何か見たら即感応、とはいかなくて良いと思う。

 いつか、
 その人の生きている時間のずーっと先の一瞬で
 ふっと思い出してもらえたら、
 その時のその人なりに
 自分の歯でよく噛んで味わってもらえたら、
 それで善し、と思った。


・今の自分が心底欲しがっている”慣れ”や”居場所”が、
 決して後の自分を邪魔するものにならないように。
 自戒。


・<過去とのつながりをもつことが
  新しい文化になると思う>
  (『地球交響曲』)


 <先進国は本当に「先」に「進んで」いるのか。
  発展途上国の「発展途上」という言葉は何を意味するのか。>
  (石川直樹『この地球を受け継ぐ者へ』)


・同じ毎日の風景を見て、
 昨日とは違うことを想う自分。
 おそらく、明日も今日とは違うことを想う、と思う。
 何の脈絡もないような、でも、かすかに繋がっているかのような。

 同じ場所に立って、同じ風景を眺めても、
 隣りの人と自分とは、また違う言葉を口にするんだと思う。
 偶然の言葉が一致しても、どこか違うと感じるんだろう、とも思う。
 でも、
 もし、言葉にならない内側のところで、近い感情を静かに抱けていたとしたら
 それは一致することよりも嬉しい気がする。


・「情熱のある下手くそ」。


・盲の方と散歩をして、写真を撮る。
 そこに広がる世界、感じたままの言葉を伝えてもらう。

 何が見えるのか。
 それなら、”見られる”自分には何が見えていないのか。

 見えないことによって、見えるようになるものがある。


 感じてはいても、わかってはいないことがある。



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手帳から思い付き雑記。
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by 907011 | 2009-03-26 06:01 | Trackback | Comments(0)

感想。


見えないから 感じる
聴こえないから 想う
わからないから 祈る



<世界は、知らないことと知っていることで満たされている。
 しかし、知っていることのなかに、
 「知らないことがある」ということが含まれていないことが多い。>

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「不安定で当たり前。」
身体ぐるみで内側に残る記憶と
身体ぐるみで外側に出る言葉
「不便だから自力で根を伸ばす。スマートなうちは脆いんよ。」

四季や天候に大きく左右される、
農耕する人たちが口にする”お天道様”

不安だからこそ 信心が生まれ
不安なればこそ 見えないものに尊さを感じる


わからないから 祈る。
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by 907011 | 2009-03-21 18:05 | Trackback | Comments(0)

吸って、吐くこと。


もう何年くらい前のことだったか
ある写真家の方と飲んでいた時に
その人がふと話してくれた
「写真でしか表現できないものが
 たしかに自分にはあるんです」
という言葉が、今も時々ふっと頭をかすめる。
その一瞬だけ浮かべたマジメな顔つき口ぶりも。




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自分が、瞬発的な”熱”に圧倒される時々に、
その表現が
その言葉が
その人が、
発しているその熱は、おそらく
放つ本人がそれまでに受けた、もしくは蓄積してきたエネルギーと
同じだけの量であったり、大きさなんじゃないんだろうかと思う。

絵、写真や音の非言語な表現も。
視覚だけのものじゃなくて、
味と香りだってそう言えるかもしれない。


たとえば、それがネガティブであっても。
苛々(いらいら)をイライラっと伝播しないように、
感じて、留めて、表される。
ざわつかないように。鎮まるように。
できるのであれば、明るい方へ。
昇華。


 * * *


インプット/アウトプット。
取り入れること、放熱すること。
吸って、吐くこと。


毎日、毎時間、あったことの、
そのまたささやかなすべてを澱みなく言葉にできるのであれば
それもまたさらりと潔くてきっと良いのだろうけど、
自分の場合は、実際には言葉にできない感情や記憶がとても多い。
できずにいるという方が正しいかもしれない。


光や匂いや音、その感覚を混ぜ合わせた時に起こる自分の感情。
そのままでは言語化できない、まだ言葉にできずにいる記憶。

今までは、そんな記憶が生々しいところからいったん離れてしまっては、
結局、黙って物言わず腐って溶けてなくなってしまうんだと思っていた。
で、思い出した頃に慌てて探しに戻っては、
腐敗臭のようなものだけ残ってやっぱり何も思い出せないような。

(どうやらそうでもないらしい)
と、最近思うんです。
しかも、何の脈絡もない場面で。
やはりどこか瞬発的に。

車を運転している時に、
雪がただしんしんと降っている様を見上げている時に、
飲み屋のカウンターでおっちゃんの話を聞くともなしに聞いてる時に、
旅先の電車やバスで見知らぬ光景が窓の外を流れていく時に、
小説の人物が想いをどうにか手繰っている言葉を目にした時に、
海や空、雲、夕陽の前でぼーっとしている時に、
静かな気持ちになるような絵や写真の前に立っている時に、
ほんとうにふとした瞬間に、ふと。



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味噌や酒づくりをしてみると、
発酵や熟成という言葉に出くわす。
「眠らす」「寝かす」という言葉で言い換えられたりもする。
育って、収穫したものに、ある程度手を加えて仕込んだ後、
そこから先は自分の手を離れ、形として捉えにくい酵母や菌に委ねられる。

記憶や感情を、眠らせる。
自分じゃないものと時間とに委ね、任せ、身を預ける。


日ごと夜ごと。
光や匂いや音、を吸う。
感覚を混ぜた後と、そこから先。
言葉にできる記憶よりも、
やはり言葉にできない記憶の方がまだまだ多い。


 * * *


で、またふっと上記の写真家さんの顔を思い出す。

何れにせよ、
手段も様々にあるにせよ、
表現されたモノには、
それだけの想いの量があって、
たとえそれがすべては形に成りきらなくても
中にはその背景ごと伝わってくることだってあるんだなあと思う。
そう感じることができたら、と思っている。

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by 907011 | 2009-03-12 12:22 | Trackback | Comments(0)

なぞる。

<人間には余分な情報があり過ぎるということで
 これが動物に自然に備わっているはずの本能を
 抑えているんじゃないかと思った。>(谷川俊太郎)


今日 一日の終わりの時
何が残っているのか

選ぶということは 同時に
何かを残すこと

一つを得れば 一つを失う
素直に開いて 吸って 吐いて


後には
絞られて残った身体と
自分がその日歩いてきた残像と

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<欲しかったら、ぜんぶ捨てなさい>(『調理場という戦場』)


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by 907011 | 2009-03-03 07:30 | Trackback | Comments(0)