山中記

<   2009年 05月 ( 24 )   > この月の画像一覧

こと。

今週唯一。
職場に顔を出した、田植えバカンス明け社会復帰の昨日。
出勤して程なく、加工の師匠に、
「イトー君、乙女座だっけ。今日すっごく良い出会いがあるみたいよ」って、
そう、言われたんだった。

言われたこと、回想したのが、またも呑んでいる最中の22:30。暖やにて。
センセイ、ごめん。でも、昨夜は自分なりに抑えてはみました。
テーブルの向こうには、海外青年協力隊の”姉”さんとピースボートの”妹”。
すごいなあ、やるなあ長岡って。
ご縁。

夜の「長岡でなんかつくろう」計画の顔合わせのことなんか、
すっかり忘れて久しぶりの温室と仕事畑。
出会いって言われても、花の配達で「高齢者福祉センター」に行くくらいだったから、
(身寄りの居ない資産家の老人に見初められて、
 一生、俺、遊んで暮らす、山奥の囲炉裏古民家で自給自足の瞑想上手)と、
多少「インディアン、嘘つかない」語調を交雑しながら妄想しつつ水くれをしていた。

冬のもぎとりに活躍した温室の苺は水を止めて枯らす様指示があった。
次の子株が育っているが為。タガタメニ。
人工的殺生。権利とは利権とは。


<翻弄されているということは 状態として美しいでしょうか> (椎名林檎)


春に種まき担当したカブ。
間引きを兼ねて初収穫。
花の配達先で出逢うであろう資産家たち(?)に売ろうと思っていたら、
ソーセージづくりで来ていた加工のお客さんに10袋全部お買い上げいただいた。
嬉しいもんだ。
お昼に浅漬けにしてもらった。すっごい柔らかくて甘い。
土から、そっと手を取るように引っ張り上げて、即生でワシワシかじれるカブ。
口にするという祈り方もたしかにあるんだと思う。
だから、いただきますってみんな掌を合わせるんだろうか。
食べ物と口とを媒介する箸は、彼岸を行き来する渡し。

自分以外の誰かのために、本当に祈ることはできるだろうか、自分。


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昼休みに小さな子ども連れ家族が来られて、
収穫体験をしたいというので、
なおもカブを引っこ抜いてもらった。
ちびっ子兄妹と一緒にテンションが上がり、
「ほらー、そんなに食べ切れないでしょ」ととめられる。
まだ午後の作業まで時間があったので、
温室脇のおたまじゃくしとカエルを眺めたり、
畑の野菜をあれこれ案内させてもらった。
ちびっ子はじゃがいもを植えているんだ、というのと、
さつまいもを抜いたことがあるんだ、というのを、
二人で競うように俺が俺がと手振り身振りを交えて熱演してくれた。

土に触れた記憶。
”大きく”なったとき
誰かを好きになったとき
大切なものを失ったとき
小さな挫折をしたとき
世の中のことがよくわからなくなったとき
守りたい人ができたとき
だから強くなりたいって想うとき
空がきれいなとき
いつか、必ず、思い出すそのときが来るんだよ。

帽子の奥で微笑みながらも、ここでもやっぱりほろりとした。

グリーンツーリズムの講習を受けにいった時のことを
ふと思い出して、
(あー、こういうのがしたかったのかもなあ)と一人見送ってから、口にしてみた。

 * * *

待てど暮らせど残念ながら資産家の姿はどうにも見当たらずのまま配達完了。
午後から千の位の数字で植えてある枝豆畑に耕耘機を突っ込ませて、
中耕、草取り、土寄せ。ここら辺は松代にいた時にも教えてもらったので一人黙々。
去年から自生した蕎麦が満開状態。
枝豆は土を良くする根粒菌というのを根っこから出す。
その恩恵もこの「勝手蕎麦」群は吸っているんだろう。
何も言わずに蕎麦に背丈を超されて日陰に隠れている枝豆は偉いなあって炎天下の救出劇。
ブヨに久しぶりに喰われ続けてキンカン塗りながら社会復帰の日、終了。


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           (田植えまつりの時にねん挫しながら東山を回ったマツ君撮影)



「長岡でなんかつくろう」計画の初顔合わせ。
19歳〜32歳の10数名。長老なわけだ。男3名。技大の院生と大工(見習い)。
造形大生3人組を軸に、絵心あるコたち、多士済々。
圧倒されそうになりながら、でも、
なんだかみんな奇跡的に共通のナニガシカをたぶん持っていて、話止まらず、
アピタ閉店のお時間です、まで打ち合わせは続いた。

「ろくろく」という集団に成りました。
近々ブログが開設されるので是非。
個人的に致命的なくらい手先が不器用なので、
誰か”ゴースト俺”(影武者的なもの?)な人をつかまえたいなあとも少し企んでます。
次回集まるのが6月6日土の日。「ろくろく」とは、これ絶妙の響。
テーマは「文字」。1年後の5月に長岡の図書館で仕掛けが展示されます。

で、ご縁の酒。
夢への応募をした話と情熱大陸に出たいという話に直球でじんときた。
自分はちゃんと農業できているのかな。ずっとできたらいいな。
ほか、個人的には「通り過ぎること」と「留まること」の無念さ、
その難しさについて考えさせられた。
すごい濃厚な夜だった。けど、眠かった。いや、大丈夫。あ、眠い。

今日は今日で、柏崎で田植えしてきます。雨天決行?
ここの輪は皆「農」でストレートに直結してつながっていて、家族みたい。
月曜医者で24時間精密に心の臓をはかってもらう。
火曜からバカンス完全終了。
畑で、文字とその器のことを考え続けます。宿題。
センセイ、ごめん。「無になれ」ない。




<「本当に気に入った人と人同士はいつもこんなふうに追いかけっこをしている。
  タイミングは永遠に合わない。」>
  −ばななさん『ハチ公の最後の恋人』
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by 907011 | 2009-05-31 07:36 | Trackback | Comments(4)

”心”と酒の精度。


『サヨナラCOLOR』。
竹中直人さんが曲を聴いた想いのままに同名の映画をつくったという歌。
時折聴いては、決まって
<でも 君はそれでいいの?
 夢の続きはどうしたの?>
で、涙した過去が戻ってくる。
いろんな涙があったから、まあ、いまヘラヘラ笑っているんだと思える。
もし、本気で泣くことができなかったら、
やはり、どこかで他人か自分を隠れて殺しているとも思うから。

今日も、いや、常に、
どこかで誰かと誰かが、サヨナラしたり、出逢ったりするんだろうな。

<本当のことは見えてるんだろ
 その想いよ 消えないで>


 * * *


映画の登場人物にふと思いを重ねながら、近所の循環器科に歩いた昨日。
どうも身体の中心の”心”がサインを出していて。
センセイいわく、「考えを休め」て「無になれ」という身体の警告らしいです。
「多忙は怠惰の隠れ蓑」。

”心”と酒。
休肝日を増やすようにドクターストップされかけたけど、
苦笑いの患者、そこは譲れず、
「瓶ビールを愛する会・東日本支部広報副担当」という必至の形相(?)で、
コブシ振り上げ型労使交渉なみに、
断固その必要性を粘り強く説く小僧と、センセイの一進一退。
センセイともなぜか笑い合って問診はお開き。
来週、精密にはかってもらうことにした。

結局、カウンターにて、むしろ酒の交渉に終始した自分に規定量よりやや多めの瓶ビール。
「今日は瓶ビール2本まで」と誘ったものの、
最終的には、「じゃあじゃあ、二人で2本ずつだから都合4本」とむにゃむにゃと丸め込む。
などと呑んでいたら、お役所の農業担当課の飲み会とニアミス。
・・・生ビールをごちそうになる。
呑めばわかるさ。

センセイ許して、と内省するウコン茶のAM4:00。

<「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。>
(中島らも『今夜すべてのバーで』)


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         (2005年9月 下田村居候撮影)


今日は造形大の若者たちと”長岡でなんかつくろう計画”の顔合わせ。
人見知りなもんで、緊張します。
本当は今日までバカンスの予定だったけど、新人マツ君に頼んで
休みを替えてもらい、敢えて仕事してから合流することにした。
やっぱり、土に触れてからの言葉が、
現状出せる自分の言葉でしかないような気がしていて。

たぶん、科学的な根拠は何にもないけど、
きっと、単なる自己満足だとも思うけど、
でも、自分なりの言葉や文字を、より自分の身体から遠くに伝えたいと思うなら、
それしかないような気がしてます。
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by 907011 | 2009-05-30 05:45 | Trackback | Comments(0)

「言葉も越えて」。

昨日。
夕方から”自分畑”へ。

”仕事畑”にて一人でサツマイモ(紅東)を植えつけていた新人マツ君に、
「愛情一本」とチオビタを手渡し、温室へ。

ひょろひょろ伸びた紅花を、染め物実験用に5本ばっかし持って、
自分畑に植え替えて、はて根付くかどうか。
ニラを筋にばらまいた、静かな17:00。

風、強し。

<風が吹いてくる方向に立って運ばれてきた情報を読み取ろうとするわけですが、
 自分の意識が働いたとたんにメッセージは薄らいでしまいます。
 だから、感覚だけで受け取ったものを何かで表現できないだろうかと
 考えるわけですが、これが難しい。
 言葉で伝えようとすればするほど、
 伝えるためにたくさんの言葉を重ねなければならないですからね。>
(『地球交響曲第四番 イメージブック』沖縄の版画家・名嘉睦稔)


 * * *


仕事を終えた職場の同い年スタッフがやってきて、
研修や販路拡大の話、今後の夢についてなど、
”自分畑”にしゃがみこんで、土をいじりながら話す。
やはり二人だけで話す残業トークはけっこう熱い。
「できないことって少ないね」と最後はいつも笑い合う。
帰り道、(青春だなあ)なぞと思ってみた。

・・・別れたつもりが、買物かごを片手に
最寄りのスーパー・ウオロクで遭遇する32歳二人。
熱い話をした後のスーパーは照れます。

バカンス明けたら、また頑張れそうだ。


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        (鯨波。左隅のおばあちゃんに何してんですか?と訊ねると「ワカメ」と即答。の画)


未明の4時。
サンボマスターの歌声にほろりと涙。
新聞が届くまで、椎名林檎と贅沢に交互に拝聴。
(新聞屋さん、今日はゆっくり配達して良いよ)と身勝手に想う。


その少し前。
ふいに目醒めたAM1:00に手に取った、ばななさんの『キッチン』のせいか、
朝ご飯をゆっくり丁寧につくり、
カラヤンのレコードなど聴いてみる。
クラシック、古典的なもの。
永く続くには、相応の理由があって、
たとえば、文化も歴史も違う自分なんかが聴いて何かを感じさせる力が、
それが、アナログなレコード1枚の音源だけのなかにあるのなら、
それを「感動」とあらわせるのだろうか。


 * * *


<想い出なんて 僕は捨てたハズなのに なぜか思い出すのは ズルく笑った自分>

<歌声よ響き出して ウソをも抱いて 僕等の泣いた 昨日を消してくれ>
と、サンボマスターが叫べば、

<どうして歴史の上に言葉が生まれたのか
 太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう>

<好きな人や物が多過ぎて 見放されてしまいそうだ>
と、椎名林檎の詩にはっとする。


<心の声をつなぐのが これ程怖いモノだとは>


音楽という見えないもの。
奈良の吉野の山奥の、天川村での節分神事がどうも重なる。
暗闇でトランスするような、延々続く念仏の唱和。


畑にいて、気持ちが鎮まっている時、
意外に、”ロックンロール”を頭蓋再生していることが多いです。
わしゃ、どういうじさまになるんだろうな。
<悲しみで 花が咲くものか>、って口ずさんでいたら格好いいな。

http://www.youtube.com/watch?v=d4nQm6y_gbE&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=7Zzieo9i09s&feature=related
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by 907011 | 2009-05-29 10:05 | Trackback | Comments(2)

札入れ。

お早うございます。

3時間経ったものの、昨日からたまった新聞がどうも読めず。
朝からいろいろ考え事の真似事をしてた。

昨日は畑でも着られそうな服を無印に買いにいったついでに、
やはり、居酒屋にふらりと立ち寄る。
無印良品、好きすぎるかも。
ブランドとして商売としてすごいあこがれるし、
真似をするように農業ができればいいなあと想う。

カウンターで決まって顔を合わすおっちゃんたちの「講釈」を
あれこれ聞いては、素朴な疑問を「なんで、なんで」と質問して、
瓶ビール2本のつもりがついつい長居。
「これにあんま呑ますなや」と常連さんにマスターから呑ますな令を出される。
弱くなっているのに、呑む量変わらないから後が大変。

何話したんだったっけなあ。
まあそのうち思い出すでしょう。忘れる力。
最後はとうとう眠くなって退散。3000円也。
マスター、いつも有り難うございます、と思う。



お金。
お札は、
「さつ」であり、「ふだ」でもある。
札(ふだ)入れは、選挙して決めること。

社会人になってわずかな頃も、
ご飯やお酒をいただいたり、ちびっ子なみにかわいがってくれてた恩人たちがいて、
そのうちの飲食やっていた、ある社長さんのとこにお茶飲みにいった時のお話。

「お金をやりとりする時に、
 もらう方の言う、(ありがとう)と、
 渡す方の言う、(ありがとう)、がある。

 お前はちゃんとありがとうって思ってお金払ってるのか?
 そういうニンゲンにならなきゃダメなんだぞ」

お金を払うことで、うちらはその分のサービスに当たる時間を買うことができる。
たとえば外食なら、野菜を買って(もっと言えば、種から育てて)つくる時間、
おいしい料理がつくれるように上達するまで、勉強するだけの時間。
その時間が惜しい(?)から、お金を払って、おいしいご飯を食べさせてもらう。
で、お支払い。
「ありがとう」ってちゃんと思えているのか、自分は。

だから、お金を払うことは札入れみたいなもので、
そのサービスを選んで、そしてやはり「良かったなあ」と嬉しがって、
ありがとうってお金を渡す。
もらう方もありがとう、ってもらう。

払う自分は、好きなものに「好きですよ」と思って、
「このサービスは良いと思います。続けていってくださいね」と話す言葉の代わりに、
紙幣か硬貨を手渡しする。

まだインターネットが普及するかしないかくらいの頃だったから、
今そんな話をしても響かないかもしれないけど、
俺がお茶飲みながら(たしかその日も二日酔いだった)、
その社長さんに言われた時はけっこうなカケヤで横から殴られたみたいな
衝撃だったのを覚えている。

言葉より強度がしっかりしている行動があるんだなあと、
その時も噛み締めた。


 * * *


「無料(ただ)より安いものはない」って言うけど、
ただより高いものはないんじゃないか、と時々怖くなることもある。


<これまで大勢の人々が開発の名の下にやってきて
 バングラディッシュにお金や食料を援助してくれました。
 でも私が思うに、それには持続的な効果はありません。

 なぜなら、人々に無償で何かを与えるのは、
 彼らを「物乞い」にするのと同じだからです。

 もし仕事があれば彼らは誇りを持って生きていけます。>


衰弱と言われる農業だって、
フェアトレードの真似事ができないもんかなあと時々考える。


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ほんとうにその頃は、いろんな人にかわいがってもらって、
あの時の名刺の力はすごかった。
大学出たばっかりの23、4の若造が電話一つで
簡単に経営者にアポが取れて、会ってくれて。
そのうち携帯に「飯食いにいこ」と電話かかって遊びにいったり。
お酒もずいぶんごちそうになったし。

最近苺のハウスで水くれをしていると、
ミツバチみたいなその頃の自分を思い出す。
ある方が話していた情報を、次にお茶のみにいった先で話す。
時々、さも自分が見つけたかのように話す。
書きたいなという言葉を誘導したり。

ミツバチが蜜を吸って回るみたいに、
いろんな情報を身体にくっつけては次の場所に移って、
そうしていくと不思議なもので情報はどんどん集まって、
反対側の異論も聞けて、広がっていって、
しかも、自分はお茶飲んでるだけなのに、
うまくいっているときはそんな感じだった。

でもそのかわりすごく疲れた。
アンテナが立ちっぱなしで寝ても覚めても、
目についたものがすべて仕事につながってしまって、
やはりそれは素敵だけど難儀で。
これはやばい、俺の体力では壊れると直感した。
いつか個人で仕事して、出版に戻ろうといろいろ考えていたら、
そのためのヒントがどうやら農的暮らしだった。


 * * *


とても勘違いしていた。
企業って社長に会うもんだと思っていた。
社長だけを見ればその会社がわかると思っていた。
恥ずかしい。

「トップは本当はとても孤独なんだよ」と別の社長は言っていた。

だからいま、畑という現場に居られて、
土に触れさせてもらえることがとても有り難いと思う。
いまだって毎日いっぱい勘違いや思い込みばかりしているけど。

<「10年経ったら、笑い話だ」>(『阿修羅の如く』)


すでに亡くなられた方(後から聞いたら高額納税で新聞出てるような方だった)に
豪華なランチをいただいたこともあって、
ネクタイの包みをいただいた時、俺はエルメスのロゴが読めなくて
「ハームス?」って聞き返したことがあった。笑い話。
その時は「点と点を結ぶだけじゃダメだぞ」と戒められた。
「俺たちの話をただ線でつなぐだけじゃなくて、
 お前の頭の中で面をつくっていけ。
 そういう物書きになりなさい」。
点と点から面を想像できるように、少しは成ったんだろうか、俺。
合掌。

そんなこんなで、
脱サラして農業見習い、フラフラ漂流居候となり、
何となしに流れ着いた長岡。
中越地震から数年経って、
小さな島での挫折(小)からの自分に「復興」を
勝手に重ね見て、なんとなくへらへらと住んでます。
住めば都。

いろんなご縁が種まきから芽生え始めていて、
いろんなお酒を飲ませてもらってます。幸せかも。
ヘラヘラ笑っては、頭のどっかで挫折の思い出とか考えながら。

悔し涙と、嬉し涙とは、混ざって出ることだって、ある。

笑うには、笑うだけのエネルギーやバネみたいなものがあって、
それは必ずしも楽しい記憶や体験だけでは、どうやらないようだなと最近感じる。
まだこれも考え中だけど、
自分の場合、どうやら悲しい記憶があるから笑ってるような気がする。
笑う表裏。
陽と陰。
笑うことは満足のサインでもあるけど、
「自分の命をもっと充実させたい」という叫び声が、笑い声なのかもしれない。

もう少し考えてみます。


今日は農業大学校という素敵な名前の学校に、
冬の味噌作り指導のための、よりプロ仕様な研修を受けてきます。
正直、腰がひけてます。加工はまだまだ苦手なので怖々。
椅子に座ると5秒で寝てしまいそうだ。のび太君なみに。
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by 907011 | 2009-05-27 06:34 | Trackback | Comments(0)

見えないものよ/見えるものよ。

『情熱の薔薇』が、
未明の活動開始時や、畑いった時に頭蓋再生される。
はて、何の暗示なんだろう。

<見てきたものや 聞いたこと いままで覚えたぜんぶ
 デタラメだったらおもしろい
 そんな気持ちわかるでしょう>


「答え」というのは心のずーっと奥のほうにあって、
涙はそこからやってくる。

きっと、そうなんだと思う。
おそらく、心の手前のものとはまた別個な存在で、
見えないもの、見えにくいもの。
そうそう簡単には手に入りにくいもの。

「答え」がたとえ言葉にうまくできなくても、
それでも、自分の中にきっと大切な答えは眠っていて。

心のずーっと奥のほうにおぼろげながら弱々しくもあって、
だから、(奥のほうにある)って、自分で時々思えればそれで善くて、
「涙」が出る時は、そのことを教えて気付かせてくれるんだと思う。

涙はそこからやってくる。心のずーっと奥のほう。


不安定で、わからないから祈るんだと思う。
不安定で、脆くて、怖くて、なにもわからないから、
なんとか見たいと暗闇で目を凝らしたり、耳を澄ませたり、願ったり。

そうして必死になった時間を重ねて、少しだけ何かをつかみかけた時に、
はじめて「おもしろいなあ」って感じるんだと思う。

「面白い」という字は、
顔の前がぱっと明るく開けるようなイメージ。


 * * *


「昔の小さな町では、
 一番のお金持ちのうちが酒屋を、
 二番目にお金持ちのうちが味噌屋さんをしました」
と、昨日研修にいった大学校の先生が話していた。

睡魔との戦いかなあと予告していたものの、
話がいちいちおもしろくて、加工の師匠と二人して終止質問しまくっていた。
塩分濃度や豆の蒸し方まで、すごく参考になる研修だったし、
自分たちの講座にも折衷して、いいとこ取りで改善しようと、
ジャイアントコーンなどをかじりながら熱く話す帰り道の16:30。

月曜の柏崎でのボランティア終了後、
ご縁あって高柳の山の中をあれこれ見せていただき、
いろんなお話を聞けた。
静けさは最高の贅沢かもしれない。
お酒もすごく旨かった。
0:00。歯ブラシくわえて見上げた星が美しかった。

しかも、翌日にその酒蔵の見学までさせていただけて、
忙しいなか、すごく丁寧に説明していただいて、
どぶろくつくっていた頃を思い出して、ここでも質問いっぱいだった。


 * * *


酵母、菌、種、もと。
目に見えない、見えにくいものが長く時間をかけて
醸造させてつくってくれるお酒と味噌。
その見えないものが仕事できるように、環境を整える人たちの仕事。

「委ねる」や「任せる」ということが、
臆病で口下手な自分は人一倍苦手で、
どぶろくや味噌を実際につくってみて、ショックなほどに新鮮だったのは、
その目に見えないものに委ねる、つくってくれると話す、
杜氏さんや農家さんの、距離感だった。
見えないものに預けて、任せる、そのための裏方に徹する。
あきらめとも違うその姿勢や言葉に感動したのが5年くらい前。
離れるとすぐに傲慢になってしまう。

見えないものは、何も言わない。
アルコールをつくるのにしたって、
彼彼女らが生きて繁殖するための、ただ単純で利己的な行動かもしれない。
有機的につながっている、などと勝手に感動するのは、
ニンゲンの後付けの言葉なんだろう。


でも、難しげなことはともかく、
酒があって良かったと思う。
自分の好きな人たちは、皆酒好きだ。

「ん、やるなあ、好敵手」ってな感じに、
楽しい酒の報告にはたまにヤキモチやくくらいに。
「酒に見せるそのお前のコウジョウシンを世の中の何か良いことに使えないものか」
と首を傾げられるくらいに。
酒は燃料。潤滑油。

呑めばわかるさ、が合い言葉の人たちのことはおそらくずっと好きで、
やっぱり、世の中がよくわかりづらくなってしまっても、
その人たちのことが好きだったら、自分はそれでいいのだと思う。


<「なぜ働くか?」って。

 それは、仕事が終わった後に、うまい酒を呑むためさ。
 充実した仕事ほど、うまい酒を与えてくれるだろう。

 君は、まだそれを知らずに働いていたのか?>(『酒呑みの言葉たち』(未刊))


 * * *


見えないものよ。
見えにくいものよ。

見えないものは、
見えるもののことを阿呆らしいと笑っているんじゃないだろうか。

見えにくいものは、
見えるもののことをうらやましいとでも思うんだろうか。


見えるものよ。

見えるものは、
見えないものを畏れているんじゃないだろうか。
だから、見えないものを、どうにかして見えるものにしようと、
言葉を重ねたりするんじゃないだろうか。

見えないことで、見えるようになるものがあることを、
うすうす気付いてしまっているんじゃないだろうか。

見えるものは、
見えないものにいつまでたってもあこがれているのだろう。


見えるものよ。
つまりは、自分よ。



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田植え後の”バカンス”、後半戦スタート。
連休をいただいても、小遣いが若干足りないし、結局自分畑にいくんだろうな。
休み、来月に持ち越したかったな(NGだったけど)。
昼酒に逃げないようにしないと。

豚に真珠。
猫に小判。
阿呆にバカンス。






*************
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by 907011 | 2009-05-26 05:38 | Trackback | Comments(2)

洗濯の合間の音。

・田植えまつり終了。
 農業まつりという名称だったのかもしれない。まあ、いいや。

 ちょっと肌寒い朝から昼下がりの晴天まで、昨日を写したような天気で、
 100人くらい、泥んこで笑う。

 俺も予告(?)通り、裸足で飛び込みました。
 人がたくさんいると、
 いつも静かに広く眺めていた体験田は、いざとなると狭く見えて、
 そう感じる自分の感覚が、
 ちびっ子の目なのか、オトナの目なのか、
 とにかく錯覚した。


 このための準備だったんだ、
 と当然のことを、当日に当面して知る。
 滅茶苦茶に忙殺されて、
 酒も少し、会いたい人に会うのも我慢して、
 だから、その分だけ宿題はたくさん残った。
 花売りのブースに座って、
 同い年のスタッフと来年のことを少しまた熱く話す。


 <浅き川も、深く渡れ>(星野道夫)



・田植えを見に来てくれた友達が、
 「毎日、仕事でこの田んぼを見られるのっていいね」
 と言ってくれた。
 すーっとした何気ない感じで、
 子どもみたいに嬉しい気持ちになった。

 祭りのテントにいた方に
 「伊藤くんは農作業が似合っている。楽しそうだなって見てて思いました。」
 とメールをもらう。
 たしかに、楽しかったんだ。

 泣きたくなるような現実もあるし、
 失敗も犠牲も隠さずに自分に皆返ってくるけど、
 でも、やっぱり楽しくて、
 笑わされることがたくさんあって、
 そのおもしろがる姿が
 なんとなくだけど新人マツ君にも伝播することが最近少しずつあって、
 そんな目を見ると、またおもしろくなる。


・田植え後に飲み放題したら完全たる呑んだくれになった。
 「完全」とはああいうものを指して言うのだろう。
 朝ちゃんと布団に入っていて良かった。

 「俺はあまり笑うことが得意でない性格なんだよ」
 と話すと、意外に驚かれた。


 バカンス初日。
 ウコン茶片手に、また柏崎に自然農のボランティアにいってきます。
 明日は結局、自分畑に出勤するのだと思う。
 紅花が気になっている。

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・忌野さんのIMAGINEにほろりと涙する朝。
 「一人ぼっちじゃない」って、ずっと歌ってて欲しかった。
 夢かもしれない
 夢じゃないかもしれない

 忌野さんが歌を歌ってたように、農業できたらいいなあと想う。
 一人がそんな風に仕事できたらかっこいいなあと強く想う。
 
 動機はなんでもいいと思うんです。
 「もてたい」っていうので始めたギターが、
 想いのままにどこかで誰かを感動させることだってあると思うし。


 音楽の持つ力に詩人は時々嫉妬する、って谷川俊太郎さんが話していた。
 「音楽」、素敵な字の並びだと思う。

 音は詩に嫉妬すること、あるんだろうか。
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by 907011 | 2009-05-25 08:23 | Trackback | Comments(8)

田植えのえ。

田植え、サイコー。

一日目は天気ももって無事に終了。
用意した昼食が足りないくらいの盛況でした。
いいなあ、泥まみれで笑うってのは。


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ころがし。
ずーっとうちの施設の天上にぶらさがっていて、
何のオブジェなんだろうと気になっていた。
年に一度、田んぼの先頭を切っていたのでした。

ころがしをころころとやって、十時になっているところに植えつけていく。
じつにシンプル。
一歩進んだ自分の身体の中心から左右に3〜5条植え。


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今日は契約されたグループということで、約70人で田んぼに入りました。
天気も暑すぎず、涼しくてちょうど良かったのかも。
遠くは神奈川から(!)、すごい笑ってた。
来年は自分も友達呼ぶか、自分たちでグループをつくって一枚借りたいなあと想った。

シオカラトンボを久しぶりに見た。
オニヤンマも。
水って大切だなあと感じた。


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ともみちゃんの背中。
かなり気に入っている一枚。
右側のちょうど腰を伸ばして立ったのがお母さん。

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ちびっ子が多くておもしろかった。
ちびっ子は上達が早い。
夢中になる力。
いろんなちびっ子がいた。
苗束を片手に、おたまじゃくしを捕まえて喜んだり、
やはり子どもに教え気付かされるんだと思う。

泥にまみれたこと。
たぶん、いつか思い出すんだ。
自分もそうだったから。
思い出しては、少し(勝手に)感動した。


<「なつかしい」という感情は、最強だと思う>(春風亭昇太)


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えいと君。
ものすごく後半の追い込みが早くて、
畦のオトナの歓声を受けて、
泥を顔につけて誇らしげだった。
そういう体感もある。

「これがあんな稲になるんだよねぇ」。
近くで泥んこになったままのお父さんと少し話す。
新たな苗を植える子どもの姿に、親は何を重ね見たんだろう。
きっと、同じセリフを来春も口にするんだろうと思った。






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カメラ担当だったのに、
ちびっ子もオトナもあまりに楽しげだったので、
新人マツ君にカメラを「ほれ」と預けて田んぼにがちゃがちゃ入る。
畑仕事で普通に腰が曲がるようになった。

半笑っています。
これはオモシロイ、と。

マツ君カメラは「親方と弟子の田植え」の画も撮ってくれていた。
パソコン画面を覗き込んだ親方が「写真、印刷して出せるろ」とぼそり。
皆ぶっきらぼうなようでいて、テンションがあがっていたんだろうな。


立ち止まると、どんどん足が田に沈んでいく。
先のことを想ったり、過ぎたことを振り返ったり、
立ち止まることは、動き続けることよりも勇気のいることだと思える。


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一年一作。


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明日の体験田と、事務所のログハウス。
田に何かが映るの画は何度見ても飽きない。


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明日は水車も回します。
アオダイショウがたまにうろうろしている水近く。
守り神。


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蓮根掘り。
湯がいた蓮根をお昼にいただいて、しゃきしゃきで美味かった。
これだけ笑いながら掘り出してもらえて、
蓮根もさぞや楽しかったろうと思う。

蓮根の沼のあたりに自生していたセリも油炒めでいただいた。
天然ものの香りの強さ、酒が欲しいと言いたかった、俺は。


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地元の人に話してもらって、
休耕している小さい小さい棚田を何枚かただで貸してもらえることになりました。
仕事とはまた別個に自然農法で金かけずに実験してみます。
秋から草刈りや稲の株を掘り起こしたり、少しずつ準備していく予定。
自分の米、つくってみます。

small step.

無から有を。
自分もまったくの素人だから手伝ってもらえると現物支給します。
残りの田には枝豆や好きな野菜を植えましょう。
無農薬無肥料。
草も伸ばしていいところは抜かずに光合成をさせて土壌に還元してもらいましょう。
鳥や狸に食われたら、それも仕方なしとしましょう。
自分用はあくまでゆるゆると。


 * * *


終わりにスタッフ打ち合わせで課された宿題は、
明日からふたたび来年までの糧にしていきたいと思います。
来年はもっと充実の体験になるように明日からまた頑張ります。


個人的には、
ちびっ子も大人もあまりに気持ち良さそうだったので、
今日は長靴ぬいで裸足で入りたいと思います。
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by 907011 | 2009-05-23 20:41 | Trackback | Comments(0)

非言語。


言葉はない方がいい、と思うことがある。


「愛してます」と、たとえば言葉にして誰かに伝えるとき、
口にしたいから、とか
好きなその人に伝えたいから、という願望はもちろんあるんだろうけど、
「愛してます」という音になる前の頭のなかの、
そのわずかどこかで、
(愛してないかもしれない)が含まれていることがある。
たとえ、99愛していても1はどこか部分的に、潜在意識のどこかにあって、
だからこそ、言葉を音にして相手の耳目がけて発するのかもしれない。


「これが食べたい」と言葉にするとき、
自分の場合、おそらく、
違う何かと比べて、「これが食べたい」と、
さも反射的に出たかのように即座に発音しているかもしれない。

人それぞれの考え方やものの見方について、
「絶対」というのはないと思っていて、
それは裏を返せば、不信がちな自分の性格ともつながりやすい。

永久的に、絶えず、変わらずにこうだ、
というのはよほど希有なものだと思うし、
「絶対」という言葉であらわされるモノゴト(まだよくわかってないけど)ほど、
その存在の強度は、
純粋な言葉の定義ほど「絶対」に近い強さを持っていないような気がしている。

だからこそ、それを「絶対に!」と語気を強めて説明しなければいけないような。


以前、糸井重里さんが、社名について、
たとえば、「グローバル○○」という会社があったなら、
おそらくその会社は「グローバル」が伝えたいサービス内容であると同時に、
それを言葉にしなくてはいけないコンプレックスもあるからだろう、
というようなことを書いていて、ひざを打つように腑に落ちた。

今ならぱっと見でも何かわからないような社名もあるけど、
そういう社名ほど自社ホームページで、
しっかりと補強されているものだろう。
いや、情報発信は良いことだと思うし、
それがないとやっぱりわからないから仕方ないのだけど。

 * * *

自分の目が見えなくなることをときどき考える。
それと同じようにこの頃は言葉を無くしたときのことも想う。
話せなくなるというのではなくて、言葉自体が使えないことを。

小さくて静かで不便な島に住みたいという欲の延長にあるのは、
日本語でも英語でもない、
自分の言語ではコミュニケーションがとれない場所。

そのとき、自分はどういう頭の使い方をするのか、
どういう姿勢を見せられるのか、
何を美しいと思うのか、何に感動するのか、
とても興味がある。
そこでは、「絶対」が何の意味も持たないだろうから。

偏った言い方かもしれないけど、
やはり言葉はすべてではないなあと思う。

なにかそのものの存在が大きな円としてあったなら、
それをあらわす言葉群はその円とは一致しなくて、
たいがいやや小さい円か、過剰に大きくはみ出た円になるか。

 * * *

と、こう言葉を書き連ねることでも、
まだ考え中の、考えても考えても絶えず分からないだろうことを、
いったん整理するためのようなもので。
時間がたって風に吹かれるとすぐに形を変え始めるんだと思う。
とりあえず今日はここまでにして、田に向かってみます。

言葉はない方がいい、と思うことがあるし、
言葉は少なめがいいなあ、とあこがれる。

「笑い合う」というのは今の時点で思いつく、最高の表現だと思う。
叶わない。
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by 907011 | 2009-05-23 07:41 | Trackback | Comments(2)

笑イノ力。

・どうやら日曜は午後から雨になりそう。
 田植えは昼前には終わるのでなんとかなるだろうけど、
 まあ、お天道様の思し召すままに。
 雨なら雨で泥まみれの人たちはたぶん笑うんだと思う。
 「雨の日は、雨の音楽を」。

 天気見て草刈りから変更になった昨日は、
 足洗い場を掃除したり、サツマイモとカボチャの畝立て、
 種屋さんが持って来てくれた余り物のジャガイモを定植。

 ジャガイモ。
 100キロくらい植えたから1トンくらい穫れるらしい。
 ほら植えろほら植えろ、穫るの大変だぞー、
 と、背後で親方がヤケクソに笑う30℃の14:00。


<アゴタ・クリストフの小説『悪童日記』は
 東欧の悲惨な状況に生きる子どもの話なんですが、
 そこからもギャグに近い虚無感を感じたんです。

 笑えるという感覚は人によって違うと思いますが、
 ある種、極限までいってしまうと、
 笑い域に達してしまうんじゃないかな。>

 笑い域。
 笑う哉。


・雨。
 お天道様。

 非力。
 力にあらず。
 何のための力が欲しいのか。

 わからないから祈る。
 誰のために祈りたいのか。


・キッチン。
 農の人の日記を拝見したら、台所に本棚を置きたいなあと思った。
 台所に置く本と寝床の本。
 どっちみちそんな数ではないけど、分け方を考えるのは楽しいかも。

 田んぼをやはり来年借りて実験してみたいなあと想っていて、
 そうなるとやはり仕事と田んぼのより近くに住んでいたいなあと思う。
 とりあえず囲炉裏のある借家を探してます。
 山の方がいいなあと思います。

 根無し草と評されたことのある自分ですが、
 少しだけ根を張りたがっているのかも、でもどこか違って。
 いつか、は何時なのか想像の域だけど、
 静かで不便で小さな島に住みたいなあと思います。

 何を持って行くんだろうか。
 不便なとこによっこいしょと船でもって渡って遊びに来てくれた人と、
 有り合わせの肴で、昼とも夜ともなく呑んで、
 たまった話をぽつぽつ交換できたらいいなあと思ってます。
 そのための今の農業見習いかなあというのは多いにあります。


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・マスク。
 長岡でも品切れになっていた。
 たしかにマスクの人をチラホラ見かけるようになった。
 覆面。


 人類が防ぎ合う心なのか、
 単に、(死にたくない)というエゴなのか。
 マスクの下の口はどう動いているのか、わからない。


 なんて、難しそうに考えていたら、タイミング良く大阪の友達からメール。
 <ないんなら、リードクッキングペーパーで作ったらええやんとお客様と製作。
  レースを付けたらのアドバイスで、貼付けたらウケた。>

 うちの職場でもまったく同じ話をしていたけど、
 西の空はやはりからっと明るいなあ。
 笑い域。


<ビリー・ワイルダー監督は、「軽い笑い」にこだわった人らしいです。
 誰かの心を揺さぶる強いメッセージを映画に持たすのではなく、
 物事を深くシリアスに追求するでもなく、
 あくまでちょっと楽しい「軽い笑い」にこだわるという、軽くて重い哲学。

 心を悩ます様々な現実問題を解決する力はないけれど、
 気持ちの黒い面積を少なくできないなら、
 白い面積を多くする。
 そこで黒が薄まれば、またがんばれるんじゃないかな、と。

 で、そのために私が何かできるのなら、
 こんなにうれしいことはないです。>


 今日の自分は何で笑うんだろう。
 貴方は笑いましたか?


 笑イノ力。
 イノチカラ。
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by 907011 | 2009-05-22 07:37 | Trackback | Comments(2)

鶯の森のこと。

・巨人でもなく、恐竜でもなく、
 目に見えないほど微細な菌に、人類が脅かされるというのは、
 なんだかすごく象徴的なように思える。


・土に触れる仕事ということで
 これはごくごく個人的な直感なのだけど、
 素手でやった方が仕事が身につきやすい気がする。
 できるだけシンプルな道具でもって。
 そして毎日ブヨにあちこち喰われては
 「うーん、まいった」と、目を「×」印にして苦笑いながらムヒを塗る繰り返し。


・昼休み、木陰のベンチで寝るのが好き。
 でも、昨日は棚田の辺りを散策。

 「無」と「有」との間。
 初めてのお客さんに一度来て見てもらおう的キャンペーンが
 一部で静かに動き出している。
 動けているのかどうか、まだ怪しいくらいだけど、
 ”風景0円”が合い言葉の一つ。
 本当に山は静かで気持ち良い。
 「無」を「有」に。
 変えられるのは、来て見た一人ひとりの感性それぞれだと想っている。


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・先週だったか、市内の幼稚園からのちびっ子祭り。
 昆虫やおたまじゃくしがいる野の不思議さを教えてもらう。

 世の中は発見に満ちている、ようだ。
 通り過ぎてしまっていた無意識をもう一度、意識に、
 つまらぬ意識を無意識に。

 今日は三条から中学生たちが体験に来る。
 土に触れた記憶は、”忘れる天才”な自分でもなぜか不思議と残っている。


・で、棚田周りをほほおと散策して、さらに奥の牧草地を越えると、
 涼しげな小川がある。
 そこの水がまたなんとも澄んでいて、あれを見てもらわない手はないと思う。
 まだまだやぶだらけで、むしろそっちを草刈りしたくなる。

 んで、さらにもっと奥に進んだら、鶯の森を見つけた。
 こっちが言葉を失うくらい深い静寂のなかで、うぐいすがただ鳴く空間。
 贅沢な時間。

 言葉はただの後付けでしかないのだけど、
 たぶん、鳴くことだけをしているから美しい音なのだと思う。
 余計なことを考えずに。ぶれずに。
 本物だけが持つ美しさというのは道理としてたしかにあると思う。
 それは「潔さ」とも言い換えられるのかもしれない。

 美しいものには美しいだけの理由がある。
 いや、突き詰めて言うとそういう言語化され得る「理由」がないから、
 潔く、美しいのか。


・ちびっ子の視点を取り入れられると、
 草刈りは丁寧になる・・・気がしている。
 たとえば、綺麗な水場があって、
 裸足のちびっ子がそこまで行けるようには?などと考えると、
 必要以上に水際まで刈り出す。
 「必要」ってなんだ?
 自生している草を刈ることがはたしていいのか悪いのか、
 葛藤もするけど、まあ0から1の為に。

 非効率、バンザイ。


<幼い頃の僕が、そこにいる。父に肩車されているときの僕は、
 おとなになったいまの僕よりも、ずっと背が高かった。
 いまの僕には見えないものも見えていたのかもしれない。>
(重松清『流星ワゴン』)
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by 907011 | 2009-05-21 06:30 | Trackback | Comments(2)