山中記

<   2009年 07月 ( 21 )   > この月の画像一覧

巨大ゼリーのような寛大さ。

<周りにバカって思われているくらいがちょうどいいんだよな。
 1.まずは、冗談みたいに思えることを考えられること。
 2.そして、それを冗談で終わらせないこと。>
                  (darling)



寝不足が続いてしまっているせいか
喜怒哀楽が波打つこの頃
甘えられるヒト以外には それを表立たせないようにとするから
ぎこちない噴き出し方をしてしまう
ラジオ体操の音がそのうち聞こえ出して 深く呼吸

自己否定は絶えずあって
内向的なニンゲンだからまあそらそうだろうなとも思うけど
でも 内向的って大切なことなんだよなあ俺 と
学ランをまだ着ていた頃 ヒトとの差異を自覚した瞬間に
もやっとしていた視界がふっと晴れたような快感をたしかに覚えた

矢印が自分に向くこと
好奇心のままに仕入れた情報を
自分の身体のなかに取り込む方法
より”身近”な言葉や想いに置き換えて
自分の頭蓋に落とし込む方法

イライラはすぐに他人に伝播してしまうから
それを余力のある範囲でなるべくユーモアに昇華できたら理想だけど
たとえば
暴力的な矢印が存在してしまって
ヒトによってはそれを他人に対してぐさっと突き刺してしまうことも少なくない
たとえ
内向的であってもそれは必要以上に
自分をぐさぐさと刺し続けて出血多量で支障をきたすこともある

でも
それは自分が想う「美しさ」の外にあるから
それは嫌だから なんとかして矢印の先をごしごし磨いで丸みをつけて
ポカポカ叩く程度の遊び道具にできたらいいなあと

そんなイライラをユーモアで換えた自虐ネタなら酒の肴にもなる
酒好きだから そんな応用問題も多少は解けるお年頃になったと感じるのがこの頃

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<水深1万メートルの暗黒の深海。
 しかし海溝の底に棲むチューブワームには、世界はどのように認知されているのだろうか。
 少なくともそこに棲む、軟体動物や棘皮(きょくひ)動物にとっては、
 真っ暗で冷たい世界ではなく、食と性の誘惑ときらめきに満ちた、
 青少年にとっての渋谷なみに刺激的な場所なのかもしれない。>
                 (篠田節子 産経新聞平成16年)


 * * *


「満足」と「反省」とは、実は同じものなのかもしれない。
皆既日食を畑にいながら認知し過ごした瞬間に考えていたこと。
親方と「曇ってきましたね」なんて勘違いもいいところだった。
でも、曇っているなと肌が目が感じてはいたから、それでいいとあとで思った。
言葉は遅出しジャンケンみたいなものだし、やっぱりデフォルメに過ぎないから。
カイキニッショクという単語を覚えることよりも、
あの明るさ暗さの機微や湿度を感じながら、
風の話でもつくって話せる方がいいと思う。
もし、そこにちびっ子がいたなら適当な嘘をこしらえて風か雲のつくり話でもしてる方が面白い。


「満足」と「反省」。
だって、反省し抜いて、顔を上げて向く方向って、
たぶん、満たされるだろうベクトルと同じ先だと思ったんです。
いま自分が想う”明るい方向”。
目をつぶってもたぶんそれは感じ取れるし、解る。
明るい方へ。明るい方へ。
畑のヒマワリ群を眺めていると、そんなことも想う。


 * * *


高校生の頃、山岳部に入りたてで競技登山はしんどくて、
先輩に相談して、「んだなあ・・・」としばし黙考されて還った答え。
「顔だげでも、笑え」。

ニンゲン社会に居て、
自分の時間と、その対価とを交換する労働や、
衣食住という経済活動の輪の内に暮らし、
たまに「つらい」なあという時であっても、
「つらいの?」と聞かれると、「つらくはないですね」と答えることが少なくない。
嘘とも、それはまた違って、なんだろう。
”自分の居る環境が善くなればいいな”ということなんだなと、他所様の日記を見て言葉に成った。

ニンゲンが生きるということは、日々、演技の連続だ、
と大学の頃の「部誌」に、社会学専攻のバドミンターが記していた。
「演技」の言葉はネガティブイメージを持たれがちだけど、
でも、すごく面白い定義の仕方だなあと思えた。

役者。
自分の舞台。
その環境や小道具まで自分でつくられる悦び。
ある女優が、お芝居ごとに多様な人生を経験できて幸せだと話していて、
それはきっと別世界のおとぎ話兼ショービジネスだと思っていたけど、
どうやらそうでもないらしい。

この世界は、思っている以上に使い勝手がいい。
緑色に包まれたり、緑色を目にできる空間にいる限りでは、
どうやら世界は、ニンゲンなんぞが認知できる狭い範囲の何万倍も、寛大だ。


<凸があるっていうことは、その凸を存在させている巨大な凹がある。
 世界のなかに、ぼくがいる。ということは、世界はぼくのかたちの凹型をしている。
 ぼくが動くたびに、凹型の世界も動く。そんなふうに、ぼくらは生きている。
 きみと、世界の関係もそういうふうになっている。
 きみは、きみのかたちを除いた凹型の世界に暮らしている。>

巨大なゼリーのようなものなのかな、寛容さって。
と、昨夜「ろくろく」打ち合わせの後に、
造形大で覗いた透明な作品(造形心がなくて言葉にできない)を思い出しながら想った。


自分の欲や夢や熱にしたって、現実逃避の一種かもしれない。
でも、数年前に独り想っていた現実逃避よりずっとマシだ。

顔を上げて、前を向いて、たまに内を向いて、笑いながら、演じていく。
悔し涙の記憶をはらんだ裏の顔は、
自分独りの時間以外は、B面に成るから不特定のヒトには見られないように。
ただ、その顔があったから、あるからこそ、いま演じるための台本が書ける。


畑にゆく。
畑のスイッチが入る。
鍬を降ろした土が音を聴かせ、色を帯びる。
風が別の誰かの呼吸と記憶を運びながら、草を揺らす。
自分も同じ風に撫でられる。
値踏みもされながら、包まれる。
満たされた自分の記憶をまた別の場所へ運ぶ。


すべてが、それぞれ有りのままに繋がっているのなら、
土に風に山に、それを一瞬でも直感することができたなら、
その大きな掌の上を間借りして、今日の自分ができるサイコーの演舞をしてみれば善い。

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罪を想うなら、せめて笑え。
ヘラヘラと、あくまで軽く、A面を塗ればいい。



<いつから人間は”答え”を求めるようになったのか。
 人間の心にはいつも不安がつきまとう。だからこそ”答え”を求める。
 ”正解”を出したい、これが正しいんだと。
 たとえ”うそ”でも自分が”不安”ではいたくない。
 行き場所を常に確保していたいがために”答え”を出そうとしている。

 しかし、”答え”などなくてもいい、
 解らないことは解らなくてもよいと思える勇気が欲しい、
 不安であればそれでも大丈夫と思える勇気が欲しい。
 そこには何もない。”感じる”ことさえ出来ればいい。
 『だから何なの』とか『何が言いたいわけ』なんて言葉はクソくらえだ。>
                    (竹中直人『少々おむづかりのご様子』)


毎日実験。実演。お稽古。
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by 907011 | 2009-07-31 06:38 | Trackback | Comments(4)

サヨナラハナビ。

8月2日、3日と長岡の花火大会。

初っ端からなんですが、自称花火好きなら知る人ぞ知る、
「大曲花火大会」というトップブリーダーに育てられた花火サラブレットな自分は、
大学入って新潟に住んでいても、すごいぞすごいぞとすごまれても、
いこうよ連れてってよ、色気出すから車出してよと誘惑されても、
ほぼ微動だにせず。食指動かないこと山の如しで10年余り静観してきました。

で、長岡でなんとなく安いという事情でアパート選んだら、
なんとまあ個人的に美しく静かな鎮守の空間とも呼ぶべき我が家屋上に溺愛。
朝陽はきれいで静かだわ、夕陽も綺麗でビールうまいわ、そのまま寝ながら星見れるわで、
とにかく家賃の満足度の7割くらいは屋上に支払ってきたというもんだ。
花火の時以外には誰もあがってこないし。
新聞読んだり、ストレッチしたり、鳥を観察したり、水道タンクによっこらせとよじ上ってみたり、
呑み会したり、テント張ったこともあるし、呑んで上がって寝たことも数知れず。
雑然としたただの居部屋よりも愛着多し。

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で、花火。
鉄塔が一つどどーんとそびえているけど、花より団子、花火より酒。
職人たちが魂込めてつくり、打ち上げられる花の大輪が祈りの炎ならば、
当然それにくべる護摩木であるところの燃料を、
じゃんじゃん追加しようじゃないかというのが健康男児の務めでもあろうじゃないか。

という、じゃないか的発想で、慮って(おもんぱかって)みれば、
このアパートにしてこの冷え冷えビールあり。
階段を二階下れば、常にビールは優しく冷えて、微笑みの国タイのようにただ静かに微笑しており、
トイレは行きたい時に行って、花火の振動を楽しみながら独りトイレにて鎮魂の瞑想と酔いに浸る。

そんな「冷えたビールありマス」的であり、(「マス」は、”□”に”/”)
冷やし中華はじめました的な刹那にこそ盛夏に一風の涼を感じるとか感じないとか。
花火ナイト。

詳細はいずれまた後日に書きますが、
たぶんこの”屋上の主”として観る、今年が最後の花火。
いままで好きなヒトと呑んで見た花火でしたが、
今年は今年らしく”好きなヒト”たちとわいわいわっせわっせと呑みながら。
泥酔花火。
サヨナラハナビ。


 * * *


冷やし中華といえば、個人的に支持しているのが、
椎名誠さんの本で読んだ「全冷中」だ。

<1975年にジャズピアニストの山下洋輔が、冬に冷し中華を食べられないことを憤慨し、
 SF作家の筒井康隆や中州産業大学教授タモリらと共に「全日本冷し中華愛好会」(全冷中)という
 団体を立ち上げ、「冷し中華祭り」(1977年に第1回、1978年に第2回)を開催した。
 第1回の「冷し中華祭り」の場で、筒井康隆が2代目の会長となった。>


遊び心は、時に、情熱の凝りをほぐしてくれる。
たまに悩みに悩んで身動きがとりにくくなった分岐点で、
そんな選択の仕方だって出来るんだ。
ユーモアの力。

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本文と一切無関係ですが、
ある朝水をあげつつ見あげたら、朝顔の先端のつるがクモの巣とコラボレーションしていた。
しばらく、考えさせられた。
たぶん両者の利益が一致した上で合意、調印に達したのだと思われる。
調印後の記者会見では、おそらく両者首脳関係者などを交えて、
よく目にする、あの右手と左手を交錯させた握手の並列がカメラに収められ、
「2009年7月調印に達す」などと翌朝の朝刊の国際面あたりに掲載されるのだろう。

伸びたツルの先と、絡まり合うクモの糸との握手。
hands across the japan.
手は記憶を宿している。
クモの記憶と、朝顔の記憶。
こんな記憶たちの出会い方も、たまにはある。
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by 907011 | 2009-07-30 15:28 | Trackback | Comments(11)

道楽。

カヌーをしようしようと口にしてはや幾年。
しようぜ呑もうぜしようぜと言われてさらに数年。

野田知佑さんの『日本の川を旅する』は、
自分が何度も何度も繰り返し読む本の1冊で、
男だったらトモスケさんの言葉に突き動かされないといかん、
と、読むたびに鼻息荒くして深く頷く。
椎名誠さんの旅ビール的な方向に偏りがちな自分に、
より濃い旅のエッセンスを示してくれた貴重な1冊。

<男は身軽な方が良い>
と、粟島永住計画挫折撤退の夜、
恩人と供と3人でタンスなどを燃やしては呑んだ夜。
『阿修羅の如く』の中で、「10年経ったら笑い話だ」という台詞があって、
そんな粟島などのはるか前に見た映画だったけど、妙にときどきふっと還元される。
あれからもう5年になろうかとしている。

記憶のクリエイション。
自分が頑張った姿が関わった人たちの耳にいつか届くと善い。
それまで頑張るしかないと思う。
「頑張る」という言葉はあまり使いたくないのだけど、
こうしてヘラヘラ暮らしている自分には使うべきだとも思う。

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ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべる時、いつも脳裏に浮かぶ光景ヒトモノ空気匂い光音。
長岡でこの机の前にちょこんと居たり、屋上で鳥と雲を眺めていたり、
カウンターでマスターに説教されたり、常連さんや他の客と熱く話したり、
それで結局また毎日のようにご馳走になったり。

5年前のこと。
「やって良かったのかな」と少しだけ思う。
ふっと消えてしまいそうなくらいの想いかもしれないけど、
畑に一人でいて考え事をしていたり、若者などを眺めているとそんなことを思います。

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初めて触る陶芸の土。
昨日体験させてもらったのは信楽の土でした。しがらきやき。
”登り窯つくってしまえばいいじゃん”的プロジェクトをやり抜いた
うちのあぐらってボスに指導してもらう。

昨日はジャネットさんという与板在住アメリカンも一緒で、
その流暢な日本語をBGMにみんなで笑い合ってました。
俺よりも早々に箸置きを10個くらいつくりながら、
「メンドウクサイ」という和風スラングを口にし、
『おくりびと』を観た帰りの駐車場で車をぶつけて「ワタシガオクリビト」と笑い、
ジャネット、いいネタ仕込んでるなあと感心しながら、
つくられる手びねりのぐい呑み6個。
愛着。
たぶん、つくっては酒呑みにあげていきます。

昼下がりの集中雨。
湿気を風が取り替えながらいそいそと運ぶなか、
しっとりした土と静かに手で話す。
手話。


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はっ。
気付くと箸置きと長皿一つつくり終えたジャネットが机につっぷして寝ている。
「5フンタッタラオコシテクダサイ」。
すごい。
もはやセンセイの本域だ。(たしか本職も先生だった)
ジャネット斎。


<日本の鳥は静かね。アメリカの鳥はうるさくてしょうがない>
<日本人は口を動かさずに手を動かす。アメリカ人は口を先に動かす。
 日本人がやってくれるから、外国人は楽ね>
               (『ジャネット斎金言集』(未刊))


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昨日は用事が済んでからカウンターへ。
陶芸のテンションのままに、マスターとサシで呑む、いつもの流れ。
無難な昔話や野菜の話、異性の話などし、
そのうちに常連さんが現れて呑む呑む。
さてそろそろと、常連さんが出るたびに次の常連さんたちがやってきて、
昨夜はアパレルの父ちゃんとひとしきり盛り上がった後、
病院のセンセイと久々に医療と農業の共通項について瓶ビールを挟んで熱く語り、
日曜常連さんが来て常連情報交換、
夜のお店のママが誕生日といって着物を着てさっそうとあわられもらいタバコ、
マスターからの鍋の差し入れを運んで夜の殿町をお店まで同伴し、
また店に戻ったら大和のキネさんたちが居て、日本酒スタート。
マスターに「晩酌に呑めや」と預かっていた日本酒が「あっ」と言う間に空に。
空即是色。

時間も遅いがいいや、もう「縁会」だ、明日は忘れよう、呑もう、
とスイッチが入って呼ぼうと思った数名。
携帯電話電池が絶えて、スイッチが切れた。
済まない。

「今日はお前にセッキョウをしてやろうと思ってな」と
マスターと久しぶりにマジメに話した。
たぶん、居酒屋カウンターでおっちゃんたちによくセッキョウされながら、
瓶ビールをひたすら呷って反論している若造が居たら、それは俺だと思います。
そうやって過ごして4年10ヵ月。

「とりあえず断らないこと」。
って、前職ですごくお世話になった男先輩から教えてもらった。
この方と一緒に仕事できたことは今の自分にもつながっていて、
時々瓶ビールを酌み交わしては、
360度多方面何が出るかわからない発作的酒トークをするんです。
俺の精神的お手本。
その先輩の、「どうしてそんな仕事のやり方ができるんですか?」という問いへの答え。

自分もカウンターでの酒や、ヒトのご縁に関しては、
とりあえず、いただけるものならいただく、ということをしてきたのかもしれない。
トモスケさんの本もにあった居候の心得。
・出されたものは全部たいらげる。
・自分の食器は自分で洗う。

たまにぐさりとくることも少なからずあったけど、
でも、
「やって良かったな」と、今は思える。

こっから先も、たぶん、そうだと想う。


 * * *


直。
<朝、フネを漕いで対岸の家に水を貰いに行く。
 上りなさい、というから上り、
 食べなさい、とご飯を出されたので遠慮なく食べた。
 素直なのがおれの取り柄だ。>
          (『日本の川を旅する』釧路川5日目)


樹。
<山に木が無くなると川の水は枯れる。
 山はすなわち川なのである。>


<新聞などを読み、久しぶりに「家庭」の空気に触れて、すっかりくつろぐ。
 ぼくがどれほど完璧にくつろいで、デカイ面をしていたかは、
 丁度その時やって来た新聞の拡張員が横にいる主人をさしおいて、
 ぼくに向かって「旦那さん、お願いしますよ」といったのでも判る。>

あ。
4年ぶりに坊主にしよう。
罪は晴れない。

*********************
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by 907011 | 2009-07-25 07:12 | Trackback | Comments(8)

四季五感。

昨夜。
昨夜というか、もはや毎晩なのだけど、
「・・・さて、と」っちゅうもんで、帰って早々に呑みに出ようとする自分と、
まったく対照的に、
いやいやいかんいかん、いかんよキミ、
まず、刑事ドラマの犯人の部屋(イメージ)みたいに散らかったお部屋のお片づけをして、
たまった冷蔵庫のお野菜を駆使して、キッチンドランカーしながらお台所で肴をつくる瞑想上手、
と、お姑のように留めようとするお自分との一進一退。

幸い昨日は素敵な電話をいただいたので踏み留まれた。
お陰で起床が、夢の4時から、幻の3時代に突入。夢見る30代、乙女座。

しばらくまた面白く賑やかになりそうだ。

はちはち。
八月八日(土曜/晴)。
夜、「農コン」しましょう。
すっごい素敵な文を描く農的若者が長岡に見えます。


 * * *


今日は週末出展の代休。
結局、野菜直売といも判が楽しく、3日間(事前準備も含めて4日間)居座りました。
最後の後片付けがけっこうヘビーだったけど、若者の力を借りてどうにかこうにか。。。
レストランのオーナーはじめ若いスタッフ、SHSのおにーさんおねーさんたちも、
みんなとても素敵だった。素敵空間はこうして産まれるのだな。
取り入れられるものは、取り入れたい。
オクラの花を餌にして畑に呼び込もうと画策。


と、新規なことをすると、すぐに手元がおろそかになってしまう。
がんがん実験しようと放熱する自分と、
土や野菜に触ってないと何も吸収できやしないぞと自戒する自分との、
これまた一進一退一喜一憂一年一作一期一会。
そんな一言一言にいちいち板挟みとなる。

で、出展の片付け終わってヘロヘロになって、戻った作業場の18:10。
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親方からの机メモ。

トマト、トウモロコシ、スイカの畑の周りにタヌキ対策のネットを張っているんだけど、
それを飛び越えて、おそらくハクビシンが侵入し、完熟トマトを喰い荒らす。

で、夜はラジオを二つ鳴らしてます。
あぐらってさんの畑は夜にぎやか。
ナイター、聞き放題。ただし、違う局同士が交雑して話してます。
夜中の動物たちは、この音に何を感じるんだろう。
案外、娯楽として東山から降りてきては、
みんなで仲良く輪になってちょこんと座って聞いたり踊ったりしているんじゃなかろうか。
・・・そんな妄想を、炎天下で朝穫りしながらに想う。


ああすればこうするし、
ああいえば、こういってくるのだろう。
いたちごっこの知恵比べは私的にはわりに楽しい。
いわば敵対の関係になってしまっているが、
お互いに無言の会話か交換日記でもやっているかのような、
夜の仕掛けと、朝出勤した時の状況とのやり取り。
因果応報。
賢ければ、喰うが善い。

畜生と言いながら、親方はやはり謙虚に次の一手を打つ。
コンチクショーと笑いながら背中を追いかける。
有り難い経験させてもらっているなあと感じる時間。


獣もニンゲンも、
したたかで、熱心で、どん欲で、いい加減で、助平で、謙虚。
だからおもしろい。
落語に出てくる長屋の住人たちのように。

山や、霧や、雲が、そんな我らケダモノを静かに見下ろして、
土や草もまた黙って見上げている。

いのちはいのちをいけにえにしてひかりかがやく

わからないから祈る。
わからないから目に見えないものを信じることができると思っている。

笑いながら祈ることもある。
頭をぽりぽり掻きながら祈ることもある。

合掌。


 * * *


それにしても暑かった。
昨日は頭の上からつま先まで完全装備して汗だくになりながら草刈り機。
機械で「雑草」を刈ること自体にまだまだ迷い、清濁合わせ呑む感。
でも、炎天下とはいえ、なにせ一人でひたすら没頭できるのは好きだ。
どうせ刈るなら、もっと体験色を出していかねば、などと想う。

課題はたくさんある、ありすぎるほどにある。ソフト、ハード両面。
でも。
できないことじゃない。
やりたいことを考えてみる、そのすべて、できないことはない。


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台所。
あぐらって残り野菜と冬につくられるベーコンで
トマトソースをつくってパスタとビール。
最寄りのスーパーはもっぱら酒屋兼アイス屋さんと化す。
ヒトが生きるに、少しの米と野菜があればそれで十分に贅沢に思える。

捨てられる野菜あれば、カゴに入れられてペット然として買われる野菜あり。
レジスターに放り込まれる貨幣は、彼岸を行き来する渡し船。
いざ食卓で、手に持つ箸は、ニンゲンの口と食べ物とを結ぶ渡し船。
食べるという祈り方もある。
合掌。
そして、乾杯。

「ありがとう」とか、「あ、おいしい」とか、
ちびっ子のはにかんだ笑顔、
ただそれだけで、あー頑張ろうって思うんです。
単細胞だなあとも思うけど、でもそう思えるんです。
魔法の言葉。
言霊で、自分の動きの大部分はまかなわれているかもしれないなあ。


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オーサカのネーサンから素敵な見舞い。
今回はマルハンのチラシの裏に力強く掻かれた暑中お見舞いと、本二冊。
誰彼からも有り難くいただくものばかりで、
この自分は何を?いつ?、お返しできるのか。
もうしばし待たせることになりそうだ。

身体で五感で、自分は四季を感じていられるんだろうか。
知の新鮮さ、驚き、気付き、笑い合い、身体のきしみにも敏感でありたい。


夜は星を見よう。
朝は陽を見よう。
昼は雲を見よう。
聞こえもしない、自分の内側だけの音が聴こえることもある。



<この空の 青の青さに心細くなる>(「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」)

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休みの脳みそ。
結局職場にぶらりと行って、初めての陶芸してきます。
ボスが薦めてくれた手びねりの本を握りしめ、
「箸置きから、箸置きから」と繰り返し。
「できれば茶碗もお猪口も」と続ける。
秋にあぐらってさんとこにある、栖山窯(せいざんがま)で焼いてもらう予定。
1200度の火を一週間徹夜で燃やし続ける、
畑が落ち着いていたら火入れ当番にも混ざりたい。

しかし、陶芸ってどうやってするんだろう。
我流。
まずは雅号を考えないとな。
道楽しよう。
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by 907011 | 2009-07-24 05:55 | Trackback | Comments(6)

天道虫の呟き。

<人生とは
 何かを計画している時に
 起きてしまう別の出来事のこと>
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by 907011 | 2009-07-23 08:00 | Trackback | Comments(4)

想いは力なんだ。

模様。
週末の写真、ほとんど撮れなかったですがアップしました。

月曜は当然のような顔で「打ち上げしようぜ」と、
課題に追われているらしい学生たちをそそのかして、馴染みの居酒屋にて慰労会。
酔いどれの23:30。
その宴の終わりまでがこの週末のイベントだったなあと昨日、野菜の配達しながらしみじみ思った。


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経験や、いただいた時間空間を、
言葉に変えて、こうした平面に映し出すことに、
自分はとても時間がかかります。
月並みな言い方では決して無くて、異常にかかる時間が長いんです。

で、この考えているんだか、反芻して試しているんだか、
たとえば、この姿をビデオカメラで撮って早送りして見ても、何もおもしろくもない程の動かなさ。
進展ないこと、山のごとし。

言葉にすること。
伝えたいと想ったり、その手前で書き留めておきたいと思うこと。
別に、それで誰かの痛みを癒せるわけじゃないし、
なくなったら、何かが変わることもない。

以前、読んだコラムで若いお坊さんが、
お遍路さんのおにぎりを包んでいるスポーツ新聞を眺めて、
「スポーツはなんでするのかな?」、という率直な疑問を書かれていた。
生死に関わることでもなく、ニンゲン社会の生活においてもし取り除かれても、
それはそれでやっていけるかもしれない、とうろ覚えだけどそんな内容だったと記憶している。

狩猟の記憶?
生け贄や死人を出さない代替案?
(ただ、今や立派なショービジネスでもあるなあ)


一方で、
「文学などの芸術が、日常をつくっている」
と、ある作家は話していた。
非日常的な芸術が、日常をつくるという言葉はけっこう衝撃的だった。
ただの日常をなんとなく過ごしている自分とは逆で。
日常の隙間や余裕に非日常が入って来るのじゃなくて、
むしろ、やはりそのヒトなりの「美しい」があるからこそ、
普段の、ただの日常が繰り返されて、改善も工夫もそうして生まれて行くのかもしれない。



沈黙。
言葉にする前の長い時間。

呼吸。
吸って、噛み砕いて、消化させて、発酵させて、その昇華。
吐き出すための、永い黙祷。

その黙祷のうちにすーっと力が抜けることは、
もしかしたら自分なりの理想的な”居なくなり方”かもしれない。


言葉にならないその時間の重ね方こそが、自分が想う表現。
言葉はいつも後付けに過ぎないし、
想いのすべては言葉になるものではない。
完成はない。

あらためて、それぞれの日常、それぞれの分野の畑に戻り、
そこで、何を美しいと想うか。

畑を眺め渡して、
立体のなかの平面、面の中の点、
一点、何を見つめるか。

想いは力だ。
どんな想いであってもいい。
どんな想い方をしてもいい。

ただ、想いは力なんだ。

それだけが信じていられたら、それでいい。
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by 907011 | 2009-07-22 06:27 | Trackback | Comments(6)

昨日のこと。

AM8:00。
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「空飛ぶキュウリ、空飛ぶキュウリ」って声がけしながらキュウリをもぎ、
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朝からブヨに喰われながら主力の枝豆を多めにもいでは、
やぶの中で大きなキジに出くわし、お互いバタバタする。

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野菜を並べ、試食に茹でていただいた豆などを、”試食にいただい”て、自画自賛。
おつな姫、めえちゃくちゃ甘い。
素敵レストランのヒトも個人的に野菜買ってくれたり、お話できて、
オクラ、今日も穫れるといいんだけどなあ。

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こういう直売をしてわかること。
これだけ近くにいながら、客層もまったく違うし、
いただく言葉がすべて身に染みる。

農をしていていも、いや農だからこそ?、
複数人でやっている限り、シンプルとはなかなかいかないことが少なくなくて、
失望しそうなほどに畑で汗水たらして、畝の間で立ったまま寝てしまったり、
空回りしては呑んだくれたり、時々一人で泣き笑いをしたり、屋上で鎮めたり、
いろんなことを、まあだるくゆるくぬるく、でもじっくりとやってきて、
追い求めているのは自己満足に過ぎないかもしれないけど、
それにしたって、やはり自分以外の他者の反応を、フィードバックしてもらうしかなくて。

仮に将来的に自給自足で、農的に個だけで循環がはかれたとしても、
自分の場合はそれを下地にして、何を表現できるかということが主題になると想う。
いくら虚勢を張ったところで、やっぱりそんなフィードバックがないと、
自分の直感で進みたい明るい方向へも歩いていけないんだろう。
ときどきは立ち止まって、振り返って、
自分の感性はゆがんでないか、変わってやしないか、しぼんでないか、
好きなヒトたちにたまには確認しないとダメなんだと想う。
それができるだけのギリギリでできる忍耐力のようなものが欲しいけど、
果たして、「電波ノ届カナイ圏外」へ行けるのか、自分のわがままは。

わがままな自分の、利己性を越える楽しさ。
それでもらい笑いを誘うような仕掛け。
ビジネスライクな頭蓋をしてないから、
自分の想う明るい方向を指差す言葉は、いつもとてもふにゃふにゃしている。

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いも判。
併設。
若者たち数人ずつで担当。
ちびっ子は難しいけどおもしろい。

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はっ。
気付くと自分もいも判づくりに夢中になり、紙に押しまくっては、
せっかくなので野菜袋に貼ったり、それらを入れる買物袋などに貼付けたりしてた。
売名行為。
それにしても、いも判、楽し過ぎる。

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成果物。
オッケーをもらった作品は、
来年5月に長岡市中央図書館で催す「ろくろく・もじ展」に展示いたします。


※いも判にするじゃがいもは、あぐらってイトーが掘り出した、
 売り物にならない規格外いも(青くなったものやヒビ、穴のあいたいも)を使用してます。
 ワークショップで楽しんでもらうことで、
 これらじゃがいもの供養にもなると私的には思ってます。
 すべてが即エコ、というほどぢゃないけど、
 こういう野菜や土との触れ方も善いかなとも想います。

 本気でやりたい夢があるのなら、そのやりかたは無限にあるのだなあと感じてます。
 本気でやりたいヒトが、やりたいように、遠慮せずにやればいい。


では。
今日もSHS長岡店(長岡市高畑)にて野菜といも判づくり、出展してます。
スタッフ一同、お待ちしております。
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by 907011 | 2009-07-20 05:58 | Trackback | Comments(10)

甚平。

イベントモードになると、ふっと”静かな時間”が取り込みづらくなってしまう。

あたふたしながら、つい、「いいこと」を付け足そうとしたくなる。
自分が勝手に思う、いいこと。
畑も然り。

俯瞰。
見渡す力。
経験と記憶を重ねていくための実験。
それを鎮めて、落とし込むための力。
力をつくる糧。


 * * *


それにしても、試行錯誤するだけの体力や時間や空間があるだけ、
その分だけ恵まれているのだと思う。
何もできない自分を、もう1人の自分がずーっと歯がゆくも眺めている、
そんな時間を不本意ながらくすぶりながら噛み締めつつ、
でもヘラヘラしながら重ねてきたから、今はそう思える。

「何かに必死になって打ち込んで生きてきたか?」、と目を見てたずねられたら、
真っ先に目を逸らして、(えーと・・)と言い訳をしてしまうんだろう。
話の流れや雰囲気で、自分に対して聞かれることがわかった瞬間に、
先手を打って逃げ始めることもある。

自分にとっての”盾”や”ヨロイ”は、何だろう。
思いつくのは、酒かなあ。
呑んでいる時間や空間。
呑み仲間やマスターや常連さん以外にも、
カウンターなんかで言葉を交わす初対面の酒呑みとの間。
一人黙々と考え事にふけながら呑む酒も。


変わる瞬間。
切り替えのためのスイッチ。


会社組織や法人に所属しているってことも、そうなんだろうと思う。
そこに属すことで、
何かを自分なりに行動に移すための、大部分のコストは所属している組織が払ってくれるから。
それに見合うだけの利益が還せるかどうかは求められるにしても。


 * * *


貢献。
数字のように誰の目にも映る利益と、
目には見えにくい利益。

若い時には、「リエキ追求」という単なる数字の追いかけっこに反感を持ったけど、
でも、(どうやら違うらしい)とこの頃思うようになった。

後に「勘違い」と友達に知らされたような、”小さな挫折”をしてみて、
しばらくなんとなく就いた公的な事業に携わってみて、
そこで知ったこと、気付いたこと、出会ったヒトが、それでもやはりたくさんあって。

そのうちの一つが利益に対する、自分の距離というか、
浅はかだったなあ、言葉の上っ面しか撫でてなかったなあと気付かされたことだった。

数字として目に見える利益が社会への貢献度をわかりやすく示すこともある。
第三者の目で見てみて、「綺麗だなあ」と感じるモノゴトがたまにある。
そのサービスにそれだけのお金が一般のヒトから支払われているということは、
少なからずそれが支持されて役立っているということなんだろうなあと。
札入れ、と同じで。
モノゴトが永く続くには、続くだけの理由があると思えるようになった。
自然に淘汰されるもの。

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自分にとっての盾やヨロイ。
変わるためのスイッチ/切り替えのスイッチ。

それなら
何を?
何から?

何を、何から、守りたいのか。
自分が守りたいものは何か。
何を捨てて、犠牲にして、何を選んできたのか。
選ぼうとするのか。


 * * *


心がざわざわする時。
行きたい場所、会いたいヒト、選びたい言葉。
感じ取りたい音や光、匂い、熱。

鎮まらずにざわざわしてしまうことにも、
苦しんだことにも、
「挫折」と勝手に自分が感じた経験にも、
意味がある。

痛みは糧に。
悔しかったから利用する。

自分の非力さと合わせて、
まだまだあの悔しさは残っているから。


 * * *


あぐらって/ろくろく/SHS長岡店。
野菜、いも版、素敵空間。

3日間開催の、初日終了。

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土砂降りの中、雨合羽着て一人で穫れた分を並べて販売。
地産地消の素敵レストランが試食用に枝豆を茹で、キュウリとトマトを綺麗に盛りつけてくれたおかげもあって
野菜はよく売れました。
買っていただいた方、ありがとうございました。
久しぶりの友達も顔を見せてくれて、ちびっ子も良いアクセントになってくれた。

もともとはこのレストランがきっかけで、今回の出展へのつながり。
オーナーが長岡産の無農薬野菜で珍しいものを探していて、
ちょうど自然栽培の実験を始めた、あぐらってとの交流が始まったのでした。
で、実験畑担当かつ「ろくろく」で若者と創作展示活動を始めた自分が、
これに乗っからない手はない、と学生などをそそのかし、気付いたら一息のうちに始まってました。
自分にとっては、その両方がとにかく実験。
幅を広げること。
ファンをつくること。
何よりも、まず自分が楽しいこと。
そうやってそのうちに、誰かがくすりともらい笑いをこぼすこと。

組織に所属しているうちに、
やれることはやってしまいたいと思います。
それは、もちろん自分の将来のためでもあるし、
同時に、属する先へのせめてもの恩返しでもあると思います。
五体満足で生まれ育ち、いろんな方にかわいがっておもしろがってもらえて、
だから、
やれるのだから、遠慮せずに。

自分なりに、わからないなりに、
精いっぱい走って走って、たまに転ぶ。
ほらね、って周りに笑われたり、
だから言うこと聞けっていったろ、って叱られたりもする。
でも、阿呆なので、仕方なくて。

たとえば、よーく磨かれた透明ガラスみたいに、
自分の目にはそれが認識されてないような、
そんな見えない壁にがんがん頭をぶつけて初めて、
「あ、ガラスか。痛。」と気付くようなことばかりで。
でも、そういう覚え方じゃないと甘んじてしまって。
触れずに覚えてもどうやらすぐに抜けてしまう。
忘れる天才。

けっつまずいて、思いっきり転んで、恥をかいて。
でも、まいったなーとか照れ笑いしながら、頭をぼりぼりかきながら、
それでもまた立ち上がって、走り始めれるような自分でいたらそれで善いなあと想います。

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「さみしいことが 悪いことだとは思わない」 (野田知佑)
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by 907011 | 2009-07-19 04:58 | Trackback | Comments(10)

イモと風のこと。

じゃがいもを掘り起こす。
春に土に入れられる、親イモ(種イモ)。
去年とれたイモを半分に切って、
土中で腐らないために草木灰をその切り口にまぶし、
芽を上に向けて、どどどっと土に埋められる。

イモの収量は種イモのほぼ10倍くらいが目安らしい。
たとえば、今年の”あぐらって”さんなら、
100キロくらい植えたから1トンくらいの収穫。
実際には腐ったり、ネズミ・モグラにかじられたりするので減ることの何キロか。

夏。収穫期。
掘り起こした株の根につながって、たくさんの子イモと一緒に、
その役目を終えた親イモも姿をあらわす。
親イモは、その半欠けの身体から、
光合成するための木を地上に延ばして、
根と葉とが養分を循環させて子イモが出来、成長していく。

その過程のどこかで腐敗しドロドロになって、
子イモと一緒に土から挙げられる親イモは、
それでも、春に土に入れられたままの原型を留めながら、いったん引き上げられ、
子どもが収穫されるのを見届けるのと同時に、あらためて土に還る。
主観ながらそこに”母像”を重ね見る。

 * * *

畑で一人、風に吹かれる時間。
この風はどこから来たのか、どんな光景を通り抜けて、
何を見て、聴いて、触れて、運んできたんだろう。
風はすり抜けた分の想いを運んでいる。

ふっと畑で立ち尽くす自分の小さな身体が風に撫でられる。
目を、耳を、口を、腕を、手を、足を、撫でては通り抜ける風。
見、聴き、吸って、触れようと、撫でられながらの身体が応える。

はるか太古の記憶を、風が運んでいるのなら、
今の自分は何を読み取られたんだろう。
それらの記憶の何か一つとも自分はつながることはできたんだろうか。

農を通して、生業を通して、ヒトそれぞれの嗜好を通して、
ヒトは何を風に乗せるんだろう。

風に撫でられながら、同時に値踏みされるかのような感覚。
自分の誠意を試される瞬間。
言葉や思惑など、何の意味も持ちえない。

綿毛を風が運ぶように、
手紙のように、
遠く離れたヒトにも想いを運ぶことができるのなら、
その時々の風に乗せて、どんな想いを運びたいのか。


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子育てを終えると同時に果てた親イモ。
春にまぶされた草木灰を、黒々と切り口につけたままあらわれたその姿に、
じっと物言わず耐え忍ぶ、生の強さと脆さ、その両方を感じた。

儚い時間だからこそ、伝えられることがある。
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by 907011 | 2009-07-18 05:59 | Trackback | Comments(10)

告知その2。

2つ前のところに書いた、自然農の講座。
28日(火)PM@あぐらって長岡。

自分が今春から試行錯誤で実験担当している自然農。
草をほぼ抜かずに、無農薬無肥料で耕さない。

俺もかなり手探りでやっているし、仕事の一部に過ぎないから、
かなり放置しながらなんとなく草薮のなかで”作物”育ってます。

これは私見なのだけど、
自然とはいえども、ヒトの目に触れる時点で少なくともそれは「自然」でもなくて、
たとえば、道があったり、飛行機から眺められたり、
水路だって、その用途(利水)や防災に合わせて引かれていて。
自然農法とはいうものの、その「自然」という言葉がすでに、
おそらく本来の意味する悠久に変わらない自然と、ヒトと共生する空間としての自然とを、
区別するための便宜的な文言のように思います。

自然農とはいうものの、正解はなくて、
でも自分も含めて、どこかその考え方にそのヒトなりに共鳴しているから、
少なからずの従来農家に冷笑されつつ、じわじわと浸透も見せているのだと思う。

どっちが間違いということもなく、正解もない。
「自分の」を勧めてばかりで、「その他の」を否定ばかりしていたら、
それは強引な宗教と何ら変わりないから。

そんなこんなで、俺もNPOのヒトたちも皆まったく分からないから、
センセイを呼んで畑を見て指導してもらうことにして、
じゃあせっかく来てもらうんだから、無料開放して少しお話を聴く時間も設けよう、と。

だから、興味のあるヒト、農業してなくても関心あるヒト、
たぶん、そのヒトが生業としたいものにとってのヒントになるだろうと俺は思えます。
自分も農業そのものだけじゃなくて、いろんなことを幾重にも重ねて、
話を聴いて、あとでゆっくり考えてみたいと思います。
自分の畑、ましてそういう特殊な草だらけの場所を見られるのは、
やはりなんとも恥ずかしいものですが、
たぶん、このブログで自分の文章に何か想うところあるヒトは、
参加してみると、そのヒトなりに感じ取ることが多いんじゃないかなあと思います。

参加希望の方は、直接連絡先に申し込んでもらってもいいですし、
このコメント欄に非公開コメントで連絡先を記入してもらえると、
俺の方で申し込みをしておきたいと思います。
一緒にカタチを模索してみましょう。


 * * *


週末旅の写真、アップしました。
スライドショーで是非。


 * * *


今週末は、SHS長岡にて。

□□□7月の企画□□□
7.18(土)・19(日)・20(祝)
スペシャル3デイズ!!

☆ふるさと体験農業センター「あぐらって長岡」ふれあいまつり
 3日間、長岡野菜のとれたて市(販売)を開催致します。

http://www.shs-web.com/nagaoka/


☆「ろくろく」×「SHS」×「あぐらって」=ワークショップ
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      (昨日の昼休み。えいっとスタンプ用の規格外品を掘り出しました)

 週末旅のあいだに、いろいろとイベント直前の、
 紆余曲折混沌条件付きゴリ押し柔軟かつ実験的着想笑い涙青春漂流な時間を経て、
 じゃがいもスタンプを掘ろう、それでろくろくのテーマである「文字」ワークショップの
 実験を、プレ(8月以降もやらせていただくオトナのお話)としてやってみよう、
 ということで、えいっとやることになりました。
 3日間とも11:00〜16:00。参加料、申し込み一切不要。

 なにせバタバタっと決ったことなので、
 当日現場で試行錯誤しながらのプレになるかと想います。
 でも、一人でもおもしろがってくれるヒトがいたら、それで善しと私的に思ってます。
 ついでにあぐらって野菜に興味を示してもらえたらいいなあとも思います。
 すべてはまあ、売名行為ということで。


・3日間は俺もあぐらって売り子を兼ねて、
 野菜の朝穫り後にトラックで行きます。
 収量が不安ですが、朝穫り野菜はとにかくうんまいです。試食もあります。

 お品書き:枝豆、ジャガイモ3,4種、トマト、ミニトマト、ピーマン、かぐらなんばん、
      キュウリ、巾着ナス、梨ナス、オクラetc.
      (生き物ですので、品切れもあるかと思います。悪しからず)

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 他に、「栖山窯」で今春火入れされた陶芸作品たちも一部並べてみます。
 陶芸は農の延長にありそうで、自分も取り込みたいし、
 時間があいたらいつでもやっていいぞと言ってもらえたのですが、
 時間がなかなかあいてくれない。。。

 あぐらってでは、朝穫り野菜のもぎとり体験・販売もできるので、是非。
 ちびっ子がかなり新鮮なリアクションをしてくれて楽しいです。
 朝の東山は、静かで善いです。

 個人的には朝穫り野菜をかじりながら、
 牧場の牛を横目で愛でつつ、山を上がって行って、
 展望台で市街〜小千谷までのぞめる風景をぼーっと眺めて、
 コマランドで遊んで帰るというのがオススメです。
 オススメというか、今度自分がゆっくり満喫してみたいコースです。

 * * *

以上、いくつかの告知でした。
とりあえず、何もなくとも手ぶらノープランでSHSに来てみてください。
ちなみに隣には俺がよくお世話になっている、いいアンバイの長岡温泉湯本館もあります。
入浴400円。懐かしタイルがなんともレトロで良い感じです。


ここのところ、週末運転以来、
車でも畑でも妙に、ユニコーンの「ハヴァ ナイス デー」が頭を離れない。
早う坊主頭にしたいな。
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by 907011 | 2009-07-17 12:30 | Trackback | Comments(2)