山中記

<   2009年 08月 ( 15 )   > この月の画像一覧

ボージング。

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ボーズ殺すにゃ刃物は要らぬ
断酒三日も続きゃいい。
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by 907011 | 2009-08-31 15:03 | Trackback | Comments(4)

ピース。

昨夜。
「紬」から「魚魚や」で5時間弱。
善く話し、善く笑い、善く呑む。
ヨク。
欲があるから楽しめるのか、欲があるから苦しむのか。

春夏秋冬。
自然と季節が紡がれるように、
ヒト一人ひとりの時間もまた連綿と繋がっているんだろうか。

自分がいただいてきた刺激や知的興奮などのエネルギー源、
いただいたものすべてを余すところなく、自分はちゃんと頂けているのだろうか。
合掌して、そのポーズだけに陶酔してないだろうか。
何か大きな勘違いをしていないか、自分よ。

気付くと画面の向こうで、
忌野さんが「当分、照れ笑いが続くー」と唄っていた。
忌野さんは、歌を唄うことで、本気で平和を夢見ていたんだと思う。

 * * *

畑で昨日、想った。
再確認。
こんなに考え事に適した空間、時間はなかなか無い、と。
鳥と虫と風の音以外、無音の空間。
自分の心音さえも聴こえてきそうな時間の連続。

慣れは怖い。
というような話を同い年スタッフと、”変わり種”を植えながら話していた正午。
こんなに恵まれた環境に、それでも慣れはどこにでも潜んでいて。
それを戒めてくれて、あらためて気付かせてくれる筆頭がやはりちびっ子。
ちびっ子目線はとても大切。
だから、道端に寝転ぶのもありだし、いろんなものと話してみる。
夜は星と月を見る。風を嗅ぐ。
酒を呑み、アイスをかじる。

バカなことをして、
バカだなあって言われるくらいの夢を見る。
夢であろうとなかろうと、
そのほんの一片でも本気でやろうとしてみる。
難しいことがひじょうによくわかる。
でも、けっしてできないことではないなあというのもよくわかる。
そして、それをおもしろがってくれるヒトたちがいる。

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お盆過ぎ。
地酒イベントの会議後呑み会で市のヒトに切実に懇願されて、
休み二日間でボランティア活動をしてみた。
主に造形大やそのOBなどがやっている、市の新庁舎のフェンスアート。
要は架設の囲いに絵やメッセージを描こう、というそのための素材集め。
各班に別れて、長岡に合併した市町村の活動家たちを訪問。
「取材」なんて言葉を意識したのなんて、6、7年ぶりだろうかね。

割り振りされるままに栃尾に行った。
水が滾々と湧く、杜杜の森にて昼食。
道中、酒の話などで盛り上がる。
居候ばかりを繰り返した自分の経歴を、話題性としてはちょっと頼もしく感じる。
その時々はいっぱいいっぱいだったけど、20代のうちにやっといて良かった。

ヒトは、少なくとも自分は、けっしてスマートには生きられない。
心の底から仕方なく出る涙は、あんまり綺麗なものではない。
「泣いて腹がふくれるかー」、とサイバラさんは『ぼくんち』に描いていた。

スマートに、便利に暮らす代償。
一つを得ると、一つを失う。
代償に気付くかどうか、
そのヒトの人生の選択肢はその前後でいったんがらりと変わるのだと思う。
価値観なんていうものがあるとしたら、
そんなつまらぬ小さな自分の価値観などはがらりと崩した方が、後々楽しいらしい。

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「貧乏は、するもんだ」と、下田村の命の恩人は話してくれた。
下田に半生半死状態で潜伏していた頃、
金欠の余り、小さな地元スーパーで泣いた記憶がある。
安食材ばかり見て、それも渋ってケチって、
でも、周りをふと見ると、皆普通の顔で買物をしていて。
当然、のようなことが、自分にとって当然にはできなくて。
みじめだなー、ひもじいなー、って腹の底から思った。
堕ちて堕ちて、堕ちまくって、その底辺の暗さ、冷たさを手探りで触れた、感じた。

「そのヒトの器の大きさ、それ相応に財布があるんだと思うよ」
とよくNAMARAの江口さんが昔話していた。
これが自分の現状なら、本当の底辺にいて、真っ暗で、
でも、未来は希望だってアホみたいに唱え続けて、貧しく食べては酒に逃げていたなあ。

栃尾にも恩人がいる。
俺が培った、自分なりの”ビンボウ症”は、ご縁も逃がさない。
同性だろうと、異性だろうと、
年上だろうと、娘のように若かろうと、
洞察した上で、なるべくそのヒトを愛して、
相乗効果を奏でられるように、考える。
言葉を慎重に選んでみる。
考えて、考えて、なるべく阿呆然として表現する。
だから、サシの酒が好きで、こじんまりと話すのが好きだなあと想う。
静かに、でも、熱く。
アマノジャク。

 * * *

愛と平和という言葉の意味を自分はまだよく知らない。
わかり得ない。

「ピースサイン」は何故、指2本なんだろう。
インターネットで検索したら、さくっとわかるものかもしれない。
でも、自分の腑に落ちるだろうか、この腑に。

誰かわからない誰かの答えを”正解”と盲信して、それで済むのかもしれない。
けど、それでいいのか?

その延長にあるのは、ただ検索して、鵜呑みにして、
知ったような気分になる、ぶら下がりの連鎖だろう。

本当に自分が知りたい、考えたいと感じた好奇心に対して、
それはやはり失敬ではないんだろうか。
自分の好奇心を、愛すること。
畑でも、屋上でも、そんなことを想う。
立ち止まる空間がないと、すぐに忘れる。
本当に知りたいんだったら、答えは自分で、自分が納得しそうなものを、
思い付きでもいいから、仮説を立ててそれを実証しようと頑張る。
それは自分なりの努力だと想う。阿呆でもいいので、阿呆なりに。
できるのだから、遠慮せずに。

自分の内側に、自分なりの好奇心を感じたら、
まずよーくそれを眺めることが大切だと思う。
わからないから、祈るのだと思う。

ピースは、二つのモノ、ヒトを象徴しているんじゃなかろうか。
手にはそのヒトの記憶が宿っていると思う。
一つの手で二つの指を指し示す。
ピース。

松本大洋原作の『青い春』という映画で、
アキオ(のはず)というコがするピースが好きだ。

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<何一つ確実なモノなぞないこの世を浮遊するゲージツ行は、
 天変ばかりではなく不測の事態の連続である。
 集中力とそれを愉しむ容量が頭蓋内になければ、
 全体を眺める余裕もなくなり、
 ただ指先だけを見つめて無表情になるか、
 ヒステリックになって、
 コミュニケーションを拒絶するようになってしまうものだ。>
 (篠原”クマさん”勝之/ゲージツ家)


ピース。
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by 907011 | 2009-08-30 07:47 | Trackback | Comments(4)

心音風景。

熱射を浴びた分だけ、身体はよーく熱を蓄えるらしい。
放射される紫外線は、エネルギーとしてあまりに強過ぎて、
朝起きても蓄積された全身の熱がまだ身体を火照らせている。

なんとも疲れが抜けない。
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夏場を頑張ったトマトやキュウリが絶えた跡を片付けて、
新たな畝立ての毎日。
キャベツ、白菜、レタスで千本くらい。
玉ねぎ、大根、菜っ葉類を播種。春に採ったにんにく、あさつきの粒を入れる。

その他、各イベントの用意。
あさっては一畝オーナー(じゃがいも、枝豆、ヤーコン、長岡野菜)が集まる。
あぐらってさんの加工の方は、お陰様で相変わらず毎日、
ソーセージづくりやうどんづくりなどでびっしり埋まっている。
今日は手作りうどんの講座。
野菜、売る分穫れるといいなあ。

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ある日の一輪車の上からの眺めにも感動。
収穫。
サイコーを連発するための、その物語をつくるための、これらが主人公。
自分がしたいと感じる農的情報発信は、加工品づくりにその過程が似ているのかもしれない。

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あぐらってさんの稲刈り祭り、9月27日。善き日。ハレの日。

先ず、どこでどう休みをとるかはすでに9月前半の分を決めた。
鮫川ツアーと、長岡アジア映画祭も見たい作品が目白押し。
稲刈り後には、長岡駅前で4日間続く、地酒立ち呑み祭り

とにもかくにも、畑。
あとは石にかじりついてでも、やる。
手がパンパンだけど、ユーモアと体力をつけるための、ここが分岐点だと思う。
素直に、風や光を感じることができる。ということは、楽しめる。
身体は難儀だけど、何にも代え難い「サイコー」も感じる。
山里からの箴言を諳んじる。
五感をバランスさせない知は、人間性をもちえない。

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<「人がいやがることや、人が疲れて続けられないようなことを、延々と続けられる人」
 それが「天才」だとわたしは思うんです。それは、その人にとって苦行じゃないんです。
 それを苦行だと思う人は、苦行じゃない人には絶対勝てない。だから、才能なんだと。
 自分が苦労だと思わずに続けられることで、
 価値があることを見つけることができた人は、それだけでとても幸せだと思います。>
 (岩田聡・任天堂社長)


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昼休み。ばーっと手抜き弁当をかっ込んで、風のあるところを探す。

静けさはサイコーの休息だ。

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桜の木の下も善い昼寝スポットだ。
体験田とさつまいも畑がのぞめる。

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ごろんとなると、空と平行になる。
葉と雲と風と。

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<迷いと惑いが青春の特徴であり特権でもある。
 それだけに、恥も多く、失敗も多い。
 恥なしの青春、失敗なしの青春など、青春の名に値しない。
 自分に忠実に、しかも大胆に生きようと思うほど、恥も失敗もよりおおくなるのが通例である。>
 (立花隆『青春漂流』)
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by 907011 | 2009-08-28 07:02 | Trackback | Comments(4)

ご縁会の「勝手な趣旨説明」(幹事より)。

おはようございます。

ご案内させていただいている、9月12日〜13日の「ご縁会」について、
開催地・鮫川村の幹事いなこさんより、趣旨の説明ということで、
彼女なりの”想い”が綴られておりましたので、転載いたします。

一部は長岡遠征時の飲み屋や車中や屋上で膨らんだものであり、
自分も声の一つとなって賛同し、一回目の実施となりました。

以下。


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「ご縁会」を開くにあたって、個人的に様々な思いがありますが、
趣旨を少しでも明確にしておいた方がいいかな…と思ったので、書かせていただきます。
勝手な私の思いですので、かるく流しながら、長い長い文章にお付き合い下さいませ。

先ず1つは、私がここにいてできることをしたいという延長線上で、
鮫川村という私が好きな場所、そこに住む好きな人達を紹介したいということです。

私が感動したものを見て欲しいし、感動したものに触れて欲しい、感動した人に会って欲しい、
そんな「欲しい」の気持ちで、それが村にとっての小さな働きかけになれば嬉しいな…と思います。

共感して欲しいという訳ではなく、ただ、少しでも鮫川村に興味を持っていただけたなら、
一度見て触れて会ってみるだけの価値はある、来て見て確かめてみませんか?という感じです。


もう1つは、「つながりを作りたい」ということです。

「どんなつながりをどんな風に大切にするか。」

人生ってこういうことなんじゃないかな…と、まだまだヒヨッコの私は思ったりしています。

「人生」と言うととても大きな道のようですが、毎日の積み重ねがそのまま人生となっていくのですよね。

ここに毎日あるつながりがあって、あちこちに時々あるつながりがあって、
その中には心地よいものも楽しいものも、あまり好きになれないものもあって、
自分なりに選びながらそれぞれとどんな風に大切に関わるか…。
そして、1人になった時に何をしながら何を思うか。

そんな繰り返しのつながりが、人生の形になっていくように思います。

だから、先ずは「つながるきっかけ」を作りたい。きっかけから先は1人1人の自分に任せますが…。

1人は1人でしかありません。けれど、1人1人が集まると、無限大に広がります。

一緒に暮らしていても全く違う人生が1人1人にあって、人の数だけ物語があって、
その1人1人が、時に時間を共有して、言葉や行動を交わす。
そこに生まれるものが、人生の面白さなんじゃないかなと思います。

農業を例にして話しますが、1人では、やっぱり1人分の面白さしかなくて、
1人分の感動しかできないのですね。

種を蒔いて芽が出ても、大きくなって花が咲いても、美味しく実っても翌年土が肥えても、
自分だけなら、ただその結果に自己反省するか自己満足するかしかないんです。

それが誰かがいると、比べてみたり、共感して喜んだり悔しんだり自慢したりできるわけで、
様々な気持ちになって数倍もの感動を味わえるんです。

そして、もし「仲間」と呼べる人達がいたなら、その感動からさらに展開していける行動があって、
暮らしの範囲、触れれる世界が広がっていくのです。

人生がそれだけ感動的になっていくのだと思います。

もちろん、興味関心の向く場所、心地よい空気は限られていて、そんなにたくさんはありませんが、
自分の興味が向く方向に心地よい場所を見つけられたら、
そこから幾重にも広がっていく道があるのだと思います。

やっぱり人は、人の間にいて感動をしながら生きていた方が人らしくて、
喜びや楽しさを感じていれるのではないかと。

そんなつながりのきっかけを先ずは作ってみたい。

そして、個人的に農業を面白くしたい。

今、農業って本当に様々な形があります。

田畑を耕して米や野菜を作って売ってるだけではなくて、
「体験」や「オーナー制度」を実施しているところ、「農家民宿」や「農家レストラン」もありますが、
農業が仕事ではなく、遊び、娯楽の一部になってきつつあるように思えます。


「遊び」。

学びではなく遊びです。

遊びとして土に触れて面白さを体験していく過程で、
作物が成長したりしなかったり、花が咲いたり咲かなかったり、
実を結んだり結ばなかったり…という経験があって、
その中でする新しい経験に学びがあり、その時々の結果に大きな感動を得る。

その過程が農業で、何を作るとかどれだけ作るとか、いくら儲けるとか、
そういう話から少し離れたところに本当の面白さがあるのだと思います。

そして、面白さは美味しさと比例します。

面白さを味わいながら、そのサプライズとして美味しさが味わえて、
その時初めて「食べ物をいただく有り難さ」が分かるのだと、
私は自分の未熟な体験を通してさえ思うから、
"生きてるなら"ぜひそれを少しでも感じて欲しい。
そう思います。

そして、そんな生きている様々なつながりを通して、
見える世界、触れれる世界が広がっていけばいいな…と。

自分が山奥でひっそりと暮らしていても、世界中の人と繋がっていることを感じていたいし、
また、都会のド真ん中にいて暮らしていても、遠く山奥の暮らしを感じていて欲しい。

そして時に、そんな遠くにある時間を交差させてつながりを確かめながら、
また面白い展開を創造していきたい。

そんな思いがあります。

先ずは私のまとまりのない思いをズラズラと。


後は……自由に呑んで、自由に語れば、何かが見えてきます。
それが良いのです。

少しでも興味を持っていただけた方は、どうぞお気軽にご参加下さい。
何せ幹事は私なので、気軽に気楽にどうぞ。

稲子


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<凸があるっていうことは、その凸を存在させている巨大な凹がある。
 世界のなかに、ぼくがいる。ということは、世界はぼくのかたちの凹型をしている。
 ぼくが動くたびに、凹型の世界も動く。そんなふうに、ぼくらは生きている。
 きみと、世界の関係もそういうふうになっている。
 きみは、きみのかたちを除いた凹型の世界に暮らしている。>
 (『ダーリンコラム』)
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by 907011 | 2009-08-28 06:03 | Trackback | Comments(0)

desperado.

あと3日で休める。


一昨日風が涼しかったから油断していたら、昨日はやたらと熱かった。
何かと消耗の夏。
お盆。屋上で部屋で呑んで吐いたのも久々。弱っているなあ、いかんいかん。

この夏ほどスイカを喰った年もない。
あぐらって産のスイカ3種。
黒皮のと黄皮のと、中身が黄色いの。
ある日は左手に黄皮、右手に黒皮を持ち、
ちびっ子のように左右交互にかぶりついては味を比較検討し、首を傾げ、
とりあえず口にたまった種を外に飛ばし続けた。
その翌日はスイカ半玉をほれと手渡され、スプーン一つで(試されてるなと最後意地になって)喰った。

運慶だったか、かつての名工が、
仏像を作り出すのではなくて、樹の中に仏像のカタチはあって、
それを掘り出すのだと語ったという逸話がある。
ならばと、不肖ワタクシも己の握りしめるスプーン一つで、
ナニガシカの命を掘り出そうではないか、
と、思う間もなく、カブトムシなみにスイカ汁まみれになってました。
そんな、井上陽水少年時代的な、嗚呼ニッポンの夏。

すいか、うまし。
浅いこと、浅はかなことこそが、
幸せの敷居を下げてくれるんじゃなかろうか。

運慶。
阿吽。
あ・うんの呼吸を野菜でもその他の食べ物でも誰かとでも、少しでも一つでもできたらいいなあ。


 * * *


ろくろく長老のカタワレと口論もした。
よく話し、ぐっと反省し、よく呑み、よく笑い、建設的な方向に戻ったなあと思った、直後、
今度は別の口論の仲裁役となり、つくづく損な役回りだよなあ俺と、自ら慰める。

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                        (ウリ二つ)


「農業体験」に対する考えの違いで畑の親方と衝突して、
結局その一日を休みにして、そのまま職場から家に帰ってきたりもした。
もちろん親方だから言葉はぐっと抑えたけど、珍しく真っ直ぐな正面衝突。

自分を正当化するための、感情論に発展しそうな自分が居て、自分のイライラを感じて、
それはやっぱり美しくないなあと思った。
たぶん、正当化のために、いつの間にか、自分の根底と違うような言葉まで選びそうで、
ただ、互いに互いを論破したいがための不毛なやり取りになったと思う。
キャッチボールが次第に球速を競うだけのドッジボールに変わる境界のような。


何が面白いか、
何をサイコーとして目指すのか、
何が美しいと感じるのか。
自信や自己満足は何から得たいのか。
俺はワガママだし、
自信が現状まだ不足しているから、
自分が今居る場所を、「サイコー」連発の空間にしたい。

あともう少しのコミュニケーション不足だった。
少なからず親方の気分を害してしまった自分の落ち度は、
対話を最終的に避けてしまった自分の体力不足。

でも、敬意を持っているから衝突したんだ、
と後で冷静に振り返ってみて気付いた。
想いがあるからこその衝突。
ぶつかって、悩んで、考えて、話して、前に進む。
明るい方向へ、その為の建設的な話し合いのための、きっかけとなるための気持ちの衝突。
想いがなければ衝突しない。
サイコーを建設したい。

帰路。
東山を染める夕陽と、偶然流れたEaglesの『Desperado』が、参った。染みた。

des・per・a・do /(特に,米国開拓時代の)無法者,命知らず; 犯罪者. [新英和・和英中辞典]


<本来、友だちは、なくても生きていけるものだ。
 なんの目的も、損得もなく、
 ただ、好き、という気持ちだけで向かうものだ。

 だからこそ、傷つくことを恐れず、失敗を恐れず、
 たとえ世間が「格差」と決めつけるギャップがあろうと、
 そんなもん、おかまいなしに、
 「この人と友だちになりたい!」という人に
 いくつになっても向かっていきたいと思う。

 ギャップ=自分を外に連れ出す力だと私は思う。

 友だち、恋人、結婚相手、
 あなたはどんな人とつきあいたいですか?>
 (「おとなの小論文」)


五体満足。
極めるだけの覚悟がないならやめてしまえ、という親方の御叱り。
然り。

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                        (青春、漂流)


<なるべく頭の中を空っぽにして、
 演奏のたびに新鮮な気持ちで集中できるように、
 記録して忘れるようにしているんです。>
 (宮崎みぎわ・ピアニスト)
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by 907011 | 2009-08-27 06:53 | Trackback | Comments(4)

「ご縁会」について。

取り急ぎ。
福島の鮫川村ご縁会ツアーについて、中間報告。
村に移住して頑張っている幹事・イナコさんからのメールを転載(一部イトー加筆)します。

以下。

 * * *

今日、農家さんと相談をしてきて、また少し形になってきました、ご縁会の詳細です。

<日時>
9月12日〜13日(第2土日)

<場所>
福島県鮫川村

<宿泊場所>
鮫川村内鹿角平観光牧場(かのつのだいらかんこうぼくじょう)
電話番号:0247482258

<参加費>
3000円(宿泊、入浴、食事、お茶代)

<持ち物>
・一日目の昼食(道の駅でも買えますし、隣にはファミマがあります。)

・マイ箸、マイカップ、マイ皿を一枚ずつ。

・軽く農作業できそうな服装(長袖、長ズボン、軍手、帽子、タオル、長靴などまあ汚れていい格好)
 ※電車でお越しの方は、長靴はこちらで用意します。

・お風呂の用意(タオル持参してください)

・毛布のようなもの(レンタルは500円でもあります)

・寒いと思うので、上着など。

・アルコールやジュース(お茶と水はあります)

・懐中電灯など灯り



<日程>
12日

11:30頃
道の駅塙に集合
(電車の方は、10:00に新白河か白河に集合となります。詳しくは人数確定次第お
知らせします。)

対面会と昼食
(会費とアルコールなどの冷やしておく飲み物を集めます。)

13:00〜15:00くらい
農家さん訪問
(車を村内に置いて、乗り合わせて行きます)

15:30頃…村の温泉にてお風呂
その後、食材調達をして、車を全部持ってキャンプ場に移動。
キャンプ場案内をして、みんなで調理、後、宴。

夜になったら星を見ます。
闇はヒトを素直にしてくれます。
たき火できたらサイコー。


13日
5:00頃
早朝森林浴
(滝を見に行って散歩をします。)

7:30くらい
朝食を簡単に準備して食べる。

9:30〜13:00くらい
農家さん訪問
(車を乗り合わせて行きます。)
昼食は農家さんちにて頂きます。

13:30くらい
かんたんに解散会をして終了。

※電車の方は、白河か新白河まで送りますよ。


以上、おおまかな日程です。
一日目はこんにゃく農家さん、二日目は菌床椎茸農家さんに行きます。

 * * *

以上。

新潟班は長岡から6時くらいに出たいなあと思います。
もし可能なら途中の山で朝陽を拝めたらサイコーですが、
まあ乗り合い者同士で要相談。
なにせ、道中の山道がなんとも素晴らしいです。

幹事作成の素敵な『旅のしおり』も先日郵送してもらいましたので、
参加できる人も、できない人も連絡いただければお渡しします。

俺も今かなりあたふたしていて、夢中になったり、自戒してばかりの毎日ですが、
自分の”これから”を考え直すための稀有な時間/空間になると思います。
まあ、なんにせよ、どこであろうと、誰とであろうと、
呑めばわかるさ。
行くぞ、鮫川。
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by 907011 | 2009-08-26 07:23 | Trackback | Comments(4)

音の波 ~一日駅長日誌~。

東山の夏を彩る、かどうかは置いといて、
怒涛の牛ふん祭り三日間をとりあえず無事に終えました。
初日が一番暑かったみたいで、体力配分的に良い天候の巡り合わせでした。
二日目の夕方。いつも行く、あぐらってさんの近くの山のレトロな温泉につかったのも勝因の一つでしょう。

とはいえ、疲れ抜けぬまま、昨夜もまたカウンターにて慰労会。
起きぬけのまま、今日は休館日の水くれ当番。
施設を休館させてあげるように、
己の身もまた休肝させてあげる余裕を持ちたいものだが、
それもまたおいおい考えることにして、もうしばらく頭の隅の方に置いとくことにしよう。

一応ですが、俺は昨夜はまっすぐうちに帰って屋上で少し労をねぎらって寝ようと思っていたんです。
でも、段ボールを使って初めての燻製デビューをしたマスターから嬉しそうに電話が来たんです。
本当です。嘘ぢゃないんです。

燻製という道楽の実験。
煙がかなり強めに入っていて、2時間半であんなにうまいシナモノが出来るなら、
自分もちょっとこれは試してみたいなあと思いました。
職場にある『はじめての燻製づくり』を持参して、次回カウンターで燻製会議をしたいと思います。
”居酒屋×あぐらって”なんて、私的にサイコーのコラボレーションぢゃあないですか。
たくさん獲れる野菜をなんとかして活かしたい。
目指すは第二のいぶりがっこ(秋田名物)。
なんてことを思いながら、結局のれんが下がってもなお食い下がり、
余った瓶ビールのビールをやっつけるのを手伝う23:00。孝行な客だ。


 * * *


すっごい静かな本日のあぐらっておよび東山一帯。
皆さんは本物の無音の時間を体験したことがありますか。
運がいいと、東山ではそんな時間を体感できます。
今日は風もなく鳥も少ないようで、
虫(もう秋なのだね)の鳴き声と泣き声の合間に、無音の瞬間が繰り返しやってきます。
まるで海の波のような。

あ、少しわかった。さっき水やりの後に畑で思っていたこと。

これは、音の波なんだ、山の。
虫の鳴き声と、その合間にやってくる無音の時間との復唱。
静と動の呼吸。連鎖。


この時間の流れや音の波、それらのつながりを”贅沢”と感じずして、
何を聴覚することができようか。

そして気づいた。
パソコンの音が邪魔をして、音の波をさえぎっている。



なので、あとは写真たちが語ってくれるかと思います。

2009年夏 農の駅あぐらって休館日の一日駅長さん日誌。


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温室の横の草薮に植えられた余り苗。
鷹ノ爪は真っ赤、トマトも玉を5,6個つけて色待ち。その背後の枝豆もどんどん膨らんでいる。
奇しくも、自然畑の最たる実験スペース。
さっき水やりの後にさらに余った種や苗やハーブを植え付けてきた。
即実験。


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芽生えた蕎麦。
近くで見ると実際かなり綺麗、可愛い。
でも、たまにぼーっと自然畑に下りていくときにあやまって踏んづけてしまう。
誤って踏んづけて謝る。
で、帰りにうっかりまたふらふらと端っこの辺りを踏んづけては謝る。
誤り、謝る。
日常、まあそのだいたい、俺はあやまっている。
ダブルミーニング。


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で、蕎麦畑の下の自然畑。
余った朝顔を一本、入口に植えて棒を一本だけあげたら、
見事に行ったり来たりして、元気に花を咲かせた。
こいつの種を来年に使おうと思う。
愛着。

ヘブンリーブルー。
「天上の青」の入口を通って、トマトと鷹ノ爪の赤、その奥にはナス3種の紫。
と、続くのだがしかし草薮なのでかがまないと見えない。
ちびっ子の目線は何をするにも重要だ。


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ミニトマト。
個人的に「雫」を見ると条件反射的に写真を撮りたくなる。
パブロフの犬。


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大トマト「桃太郎」。
じつは自然畑では、今年初めての完熟。
雨と風と陽しか当たってないし、そこらの虫があやまってぶつかるくらいなので、
もいでそのままにかじられます。なんなら、枝についたままかじることも可。

で、喰ってみた。
(その後に、あ、写真と気づいてこんなカタチに・・・)
瞬間、悟りに近いような直感がありました。
こんなに旨いトマトは食べたことがない。
成り始めだから濃い味だろうし、多分に親バカでもあるのだけど、
でも、もしこれが来年ある程度の収量が獲れたとしたら、
もしかして、通常の農法と味の違いを表現することが可能かもしれない。
もしかして、フルーツトマトに勝てるかも。

・・・、なんて夢を見ながら今日こそ昼寝したいと思います。
しかし、まだ興奮している。
もう一回味見してみて確認してみてすごかったら、糖度計にかけてみたいと思います。


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この夏最大の収穫、焼き枝豆。
これは写真では伝わらない。とにかく一度やってみてください。オススメ。
しかし、親方。もっと早く教えてほしかった。なぜ晩夏。もう豆ないのに。。。

「昔は山の田にいったときに年寄りがようして食ってたんだ。
 田んぼいくと鍋ねえすけ、火起こして豆焼いてたなあ」。

バーベキューで網焼きすると良いかも。枝のままただ焼くだけです。味付け要りません。
さやが焦げるくらいに焼いて、手で開いて豆を食うべし。
ただ、焼けたさやはもげて落ちるので注意。
すっごい甘いです。
憶測なのだけど、茹でるときにお湯に溶けるであろう甘味と香りが凝縮されます。
もぎたてが水分あって最適だろうなあ。
焼きとうもろこしに似た甘い香りがビールを呼びます。


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一日駅長号。
親方のご不要になったチャリンコ。
このチャリで、山や畑や空や田を見ながらこぎ下りてくると、サイコーに心地良い。
夏にぴったりなアイテム。
ちなみに愛称は、まだ無い。


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田んぼがどんどん黄色くなっていく。
春にみんなで植えられた苗が、いまやこんなに立派な稲穂になりました。
一粒ずつがみんなして理想のカタチに向かっていく姿、
遠くで見ても近くで見ても、なんとも健気で愛おしい。
そこにNPOやあぐらってや東山の時間を重ね見るのは、自分のエゴだけど、でも重ねることは止めない。
理想のカタチ。


八・十・八と書いて「米」。
米づくりの八十八手。
そのうちの数手間しか携われずにいるのが現状だけど、追々必ず。


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ちょうど一ヵ月後くらい。
来月の今日あたりの日曜日。
あぐらってさんの稲刈り祭りをします。
誰でも歓迎。

食うところから参加しようが、田植えから参加しようが、稲刈りから参加しようが、
呑み会だろうが、テレビ番組だろうが、
農はどこからでも入口があって、そのすべてはつながってずーっと流れているから、
だから、入ったもん勝ちです。
こんなにおもしろい勉強はないなあ、と俺などは思います。
だから酒も旨い。

休館日は休肝日?、なかなかそうも行かない。
今日もせっせとビールを冷やさないと。
あー忙しい忙しい。
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by 907011 | 2009-08-24 12:40 | Trackback | Comments(12)

夏忘れ。

牛ふん祭り、初日終了。
リフト乗って堆肥を巨大なかくはん機に入れて、袋詰めして計って、袋の口を熱でシール留め。

できた袋をトラックの奥へと積み込んでいると、
秋田の実家のことをよく思い出す。黙考。

家業の運送屋を継ぐことを”生き方”と言われて、
相応の投資をしてもらいながらも、気付くと自分の欲を優先して、
そんな期待とは対立して、逃げて、挫折してもなお逃げまくって。

批判される事柄なんてのは、背中を向け合っている張本人どうしが一番わかっている。
背を反転させることがいつかできるんだろうってことも、
少なからず白髪の増えた自分なりによくわかっているつもりだ。
その時、どんな顔をしたらいいのかはずっとわからないんだけど。

とにかく今は手のひらがぱんぱんの朝。
これしかないんだと顔を上げる。勘弁。

顔からぼたぼた堕ちる汗の玉。
浄化の様な、怒りの解毒作業にも想えてくる。滑稽。
爪の間に残る堆肥のかす。配達トラックに染み付いたその匂い。
牧場のおっちゃんたちのニコニコした表情。くわえ煙草のかっこいい背中。
こうやって自分はこの手のひらに刻み込むしかない。

朝一番にすっごい至近距離で対面した牛の可愛いひげの長さと、優しい目。
あんな穏やかで、キラキラした瞳で見られるから、牧場の人は頑張れるのかもなあと思った。
畑とも違い、畜産もじつに奥深い。
二日目。
快適性と生産性は比例するはずだ。
仮説と証明。是則実験也。



風呂上がり。
一息に駈けあがって、屋上ビール。

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ビールと、あぐらって産の枝豆とトウキビ。
この三者にいったい何を足すものがあろうか。

この状況を静かに独り占めする時間と空間を”至福”と感じずして、
何を知覚することができようか。

気付いたらまた雲を見ながらうとうとしていた。


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夢うつつ。
夢か、現か。
「空想」のその空の下で、仰向けのまま伸びをすると、
さっきまでの空論が蘇ってくる。
ぼんやりとその続きなど考えたり、思い出したり。また、忘れたり。

光の先にある闇のことも、陰の先にある陽のことも。
その境界線がほとんど意味を持っていないくらいに、普遍でも、不変でも無いってことに。
どこか、救われるような。
気の遠くなるような。
気付くと、自分の周りは真っ暗で、
ビールの空き缶がかつんと当たって転がっていく音でもう一度目が覚めた。
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by 907011 | 2009-08-22 05:54 | Trackback | Comments(7)

慕情。

3時半起床。
朝の時間を尊重するようになって、もう何度目の夏だろう。

この夏。
起き抜けの甚平さんを着たまま、手帳やらなんやらをズタ袋に押し入れて屋上に上がる。
陽を見て、空見て、雲見て、山見て、
ストレッチしながら寝っ転がって今日のことなど想う。
昨日あったことと、今日これからのこと。
寝ている間のそのつながりをしばし考える。

今日から三日間、隣の市営牧場にて堆肥詰め。
夏の怒濤の牛ふん祭り。
牧場のこと、畜産のことをもっとよく知りたい。
土曜の夜に遊びのお話などいただいたけど、遊べる余力はあるのか、はたして自分。


「知った風なことばかり吹いて、じゃあ手前は何をしてるんだ?」と問われれば、
別に何ら大したことなどしていない。
何かを発明しているわけではないし、目の前で苦しむ誰かの傷を癒すスキルも持ち合わせてはいない。
でも、農に携わっていることに少し胸は張れる。
今も。
9苦しことがあって、1笑う。
そんな繰り返しかもしれないのだけど、
その「1」が微々たるものながら大きな1になっている感覚。
相応に水面下での9もまた大きくは成っているんだろうけど、その辺は気付かぬふりでもして。


今、自分が”あぐら”をかいている地盤がもしもなくなったら、
この環境を離れることになったら、
自分には何が残るだろうか、こうしてはおれんな、もう一回り努力をしないとな、と想う。
このままではやっぱりいかんな、と焦る。


 * * *


風呂上がりの夕方はビールを飲む。
これも何日連続で屋上にいるんだろう。
夕陽が沈んだら、残りの明るさで雲を見て、寝転ぶ。
思いっ切り伸びをしながら、はるか上空を流れる雲と平行になる。
視野をゆく雲、くる雲。
たまにそのまますーっと就寝。

贅沢だなあと思う。
何にもなくて、風に撫でられながら、いろんな角度から空を見ている。

小さくて静かで不便な島で感じたこと。
何もないということは、何でもあるということ。
テレビより、一人で想像の空の下に居ることに、
例え難い興奮を感じるし、
他に何の刺激的要素も加わらないことで、
空を視ているという実感がはっきりとあるのだと身体が代弁したがる。
考えることは楽しい。
想像することが楽しい。
それを日常に落とし込んで、自分なりに表現することが楽しいのだと思う。


 * * *


桑田圭祐は天才だなと誰かが言っていた。
誰が言っていたんだか、すっかり思い出せないけど、
静かな稲穂など眺めていると『慕情』が頭のなかにふと流れる。

<何故に人は旅路の果てに 思い出を捨てにいく>


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ぽつぽつと、雨。
夕方に麒麟淡麗を片手に眺めていた雲は、
俺が寝ている間に、シロからクロに姿を変えていた。
夏の私的自由研究はまだまだ続く。

稲がどんどん黄色くなっていく。
夏が秋になって、秋が冬になって、そうしてまた次の夏がくるんだろうか。
いくら長雨だと嘆かれても、グチの一つもいわんと素直に、頑ななまでに。
米の一粒がどんどん膨らみを大きくしていく。
収穫、脱穀、精米されてなお。
籾殻、ぬか、わら、その全てがまた田に還り、次の子が育つ養分に溶ける。


自分もまたたくさんの養分を吸い上げての、五体満足。
ちっちゃなことで悩んで落ち込んで卑屈になっては、
たいがいその朝型の夢か、起きしなに、
粟島のオヤヂがあらわれて、「五体満足だろうが、手前は。バカモンが」と一喝されて覚醒。
働カザル者、喰ウベカラズ。

昨日はキュウリとトマト、キャベツ、トウモロコシ畑の片付け、
マルチを剥がして、一日鎌もって草取り。
午前中マルチと格闘して鍬を振って振って振りまくっては、
しゃがんだり立ったりをひたすら繰り返していたら、熱中症っぽい感覚。
あわてて弁当を5分で喰って、冷房の下から外の日陰に動き、
配達の合間にもらったチューペットの凍らせたのをかじりながら、
一人、体験田を眺めて、風に吹かれていた。
風も出て来て、持ち直した午後。
五体満足だなあ、俺は。ずーっとバカモンでもある。

チューペットをとりあえず家と職場とに袋買いする帰路。

静けさは、最高の休息だ。
自分は、静かな空間/時間を手繰り寄せながらなんとか生きているんだろう。


牛ふんにまみれながら、氷かじりながら、今日もまた考えてみます。
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by 907011 | 2009-08-21 06:29 | Trackback | Comments(2)

Where Did It All Go Wrong?

眠い。
しかも一度書いた雑記が全部消えた。
ミステイク。

しかし、眠い。
昨晩は久々独りカウンター。
でも結局お隣さんや常連さんやマスターと呑んでいた。
お隣さんとグライダーの話。
東山の我々の畑の頭上をしょっちゅう飛んでいるグライダー。
お隣さんはその愛好者でマスターがその仲間の会長らしい。
グライダーはモーターによる動力性のものと、
アゲインストの風を待ってたったったと駈けて飛ぶもの(クロスカントリーと呼ぶらしい)とが
あるらしい。
県内だと弥彦と吉川と、ここの東山だけらしい。
10年くらい前は長岡祭りの会場の頭上を編隊組んで飛んでいたらしい。
今年、国体の時には愛好家たちが結集して派手に飛ぶらしい。
たぶん今日の昼にマスターとお隣さんが飛びに来るらしい。
一応空と地とで手を振る約束など交わして、瓶ビールもついでに交わす。酌いで酌いで。

カヌーとグライダーは似ている。
風景と日常とを俯瞰できるところが似ている。
風景という空間を、日常生活という時間を。
カヌーは水の流れを読み、グライダーは風の流れを読む。
風待ちの時間はサーフィンの波待ちにも似ているという。
善い風は善い流れ。
「待ったりあきらめて我慢したりできるのは、思いっ切り飛びたいから。
 思い切り飛べば、それ相応の眺めを独り占めできるから」
燕の磨き屋さんがつくったピカピカのマイカップを片手にして、
そのヒトは空でも眺めているかのような顔をして、笑った。


野田トモスケさんがカヌー犬ガクを育てたように、
野菜犬を育ててみたいなと企むものの、犬歯はやはりそういう風にできていないんだろうな。
『手まめ通信』によると、ニンゲンの歯の構造だと、
穀物と野菜とを食べる仕様の歯が9割、あとの1割が肉食用らしい。
つまり、ワタシらはさほど肉を喰らわなくてもいいらしい。
すごく納得。
善かった、酒と歯は無関係で。
野菜犬ブリーダー。緑犬。山の家に移れたら、
屋上の替え難い空間の代わりに、犬と暮らすような気がしてます。
空間と存在との交換。


人工モーター音が与える牛のストレスの話などもする。
あぐらってさんの隣の田んぼで持ち主がここ数週間ずっとスズメ避けの為に、
鳥の鳴き声を流し続けている。
聞いているとどうも天敵の鳥の声とは違うので、あれはたぶん同類の悲鳴だと思う。
苦しむ声。
その田に隣接するトマト畑へのストレスがそれ以降気がかりになっていて、
案の定、とはいかないまでも(長雨が主因だけど)、トマトはほぼ絶え絶え。
あれはどうかと思うな。

出荷しなければいけない。
しなければいけない、になっている。
生活の為、甘っちょろいことは言ってもられないけど、
でもどうかと思う。
野菜をつくることには、つくり手の想いが込められていて、
だから、それを食べたヒトが旨いと感じたりできるのだと思う。
だから、スーパーのまっすぐキュウリじゃないひん曲がりキュウリを
こっちが本物だって笑いながらかじってくれるヒトたちがいるんだと思う。

科学的な根拠はないけど、
でもそんな目に見えない物語にこそ、本当のニンゲンのたしかな強度が隠れているんだと思う。
神話。悲しみを紡ぐこと。
命は、別の命やエネルギーを犠牲にして産まれ育まれている。
炎天下、モウロウとしながら、でも全力で自分なりに畑に向かっている。
ふらふらしてばたーんと寝て、またむくっと起きて頭をぼりぼりかきながら、
また畑に向かっていく繰り返し。
風に撫でられる、草刈りの時間は沈思黙考の稀有な時間。
畑愛。
畑に草木に風に試される。誠意を値踏みされているように感じる。
胸を張れる部分。後ろめたい部分。
その分、善いことも悪いこともあって、吸収して野菜が成る。

鳥の声、セミの鳴き声、風の音、水の音。
ヒトが一人、生活していれば無数の音の洪水、匂いの混沌の中に生きているわけで、
それら自然に、”自”然として周りにある音を、ワタシらは別にストレッサーには感じないし、
それがもしストレスになるようであれば、やはり生活に精神に支障を来すのだと思う。



<成功の鍵が何かは知らないが、
 失敗の鍵は、万人を喜ばせようとすることだ。>
ビル・コスビー(コメディアン)

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お盆休みの実験2つ。
一つ、睡眠不足。
睡眠の時間を削ると、もしや、睡眠の質が人一倍向上するのではなかろうか、という実験。
どっちみち、炎天下で汗だくでモウロウと消耗するのだから、
せっかくだからえいっと独り実験中。
野菜も水を無くすと意地になって吸おうと根を張り伸ばす、というのを見てなるほどと。

一つは空。
空の模様を見て、その時々の天気と照らし合わせる自由研究。
昔、松代にいた頃、隣の福蔵のおとっつぁんが、
夕暮れに遠くの山と雲を見て、明日の天気を教えてくれた。
その後、粟島に居候してた時、漁師のオヤジさんが、
風と海と空を見て、天気を予測していた。
その真似っこをして、この夏毎日空を見上げてます。

雲の模様と風。
「曇りの日」というものは、辺り一面雲で真っ白という程度の認識だったけど、認識不足。
曇りの日でもよく見ていると、小さな雲が一面の白を縫うように形成している。
私的には、雲は自由を象徴している。
風に吹かれるままに。風来坊。根無し草。
遠くに離れている好きなヒトたちと、たとえ手をつなげなくとも、雲がつなげてくれるものもある。
空はつながっている。
おそらく彼岸とも。


<Learn as if you will live forever,
 Live as if you will die tomorrow.
 (永遠に生きるかのように学べ。
  明日死ぬかのように生きろ。)>


学ぶことは真似ぶこと。
生きろ。


死ななきゃいいんだ、ようは。

お盆。
祈。
合掌。
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by 907011 | 2009-08-16 07:16 | Trackback | Comments(2)