山中記

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夏時間。

深く、よく寝た。
身体が夏っぽくなっている。
寝ることに比べて、起きることは”何となく”という心持ちに近い。

夜明け前の4時。
裏の川の音と鳥の声と蝉しぐれ。
数分ごとにどんどん変わっていく空の彩と涼しげな空気が好きだ。

昨日、職場で夏時間が試行されて7時から朝採りをした。
この週末だけ早めに野菜の収穫を始めたい事情があっての
お試しサマータイムなのだけど、思った以上に自分の生活リズムに合っている。
ぴたりと来た。

長岡に越してきてハローワークに行ったときに気になっていたのが、
神社の境内を掃き清める仕事と新聞配達と宿直の仕事だった。
いずれも朝頑張って、昼は惰性で生きるという自分のサイクルに合致。

今日は休みをとっていたけど、
そんなこんなで半日出勤できないかとたずねられたので、
それならばと一人6時出勤予定。
枝豆もぎます。
枝豆の旬は儚い。


 * * *


何となく起きて、何となく鶏を見にいくと、
やはり鶏たちも何となくといった顔で起き出す。
しばし鶏と歓談。

時に近所迷惑なくらい突然けたたましく鳴いたりするのであわてて餌をあげたり、
読み物をしたり、畑で鶏と争うように草取りをしたり。
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季節の波はあるものの、早起き志向になって10年。
好きな時間をつくるための、「好き」は自分にとっての静かな時間だと思う。
自分が鎮まる時間。
ハレの日、ケの日とはっきり違えなくても、
変わらない日常の空間の中でも、
時間帯を少しずらすだけでも風景は変わる。

正直になる時間。

いいなあ、朝の時間。
朝の仕事に頑張る無農薬な農家さんに弟子入り希望。
一夏時間の淡い想い出。


夜に家の前にて酒を飲む予定だけど、
一仕事終わったら支度しなくては。何よりも草を刈らねば。
ブヨだらけなので外での酒は心配だが、それ以上に、
日ごろ20時をまわると地を這うようにして布団に入りこむ習性になっているので、
宴たけなわを待たずにすやすやと寝て、起きてから後悔しそうな自分も心配。
まあ、また、少しを繰り返すことにしよう。


今日も暑そうです。
すでによく晴れて、ニンゲンの朝の時間に切り替わる。
身体にとっての惰性、感性の惰性。
俺の惰性の昼時間はそうとうに長い。
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by 907011 | 2010-07-24 05:09 | Trackback | Comments(0)

朝鶏。

かなり気温の高い夜だったけど、
裏の川からやってくる風と音が気持ち良い。
予定の3時から1時間くらい後ずさりして起床。

読み物をして、鶏たちに外で野菜を食べさせる。
キャベツとトマトを鶏たちは好んで食べる。
でも鶏用の飼料を目にすると、すぐに野菜はほったらかす。
現代っ鶏。

畑の草取りを少々。
どこもかしこもえらい草になってしまった。
ブヨがいっぱいなので、帽子の上から虫よけの網をかぶる。

背の高い草にうずもれながら、自分畑の草刈りは夢中になれて良い。
6時に家の前のお寺さんの鐘の音を聞いて帰宅。
納豆を食べようと、オクラとわさび菜とシソとネギを採る。

家に入ろうとすると、わらを積んだところにウコ(ウコッケイ・雌)が卵を産んでいた。
合わせて朝ごはんにいただく。



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少しをつなぐこと。

自分なりに「続ける」ためには、少しを繰り返すことしかないなあと思う。
一度にどうだっと頑張って、
一気にはかどって片づけても、
自分の場合、それは次の日につながらない。

続けるための腹八分目。
今日の少しを明日につなぐ。

朝は一日のなかで貴重な時間だ。
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by 907011 | 2010-07-22 08:03 | Trackback | Comments(2)

蝉時雨。

近況。

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久しぶりにお休みな気分がした昨日、蓬平温泉の先にある竹之高地集落へ。
不動滝、涼。

「身体は保守的で、脳みそは革新」というような話を読んで、
まさしくそうだなあと感じた。

「やった方が良いこと」が脳みその中にはいつもぎゅうぎゅうになっていて、
その実、身体はほぼ仕事のことでくたびれて夕方にもなれば余力がなくなってしまう。


頭のぎゅうぎゅうはますますぎゅぎゅっとなり、
ふと気付くと、責任転嫁とばかりに
脳みそは身体を、
負けじと、身体はそんな脳みそをちくちくとののしりだす始末。お粗末。


脳みそと身体のそんなやりとりの間にいて、
なんとか折り合いがつかんものかなあと一息つきながら考える。

そうこうしていると、
脳みそに含まれそうでありながら、
でも、脳みそとも身体とも違う、自分の意識があることにあらためて気付く。

「こころ」なんだろうか、これが自分の、
などと感じている間に眠りに落ちる。


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日曜の仕事のあと、自分畑の枝豆、初収穫。
自分で食べるものなら、大量につくることも要らないし、
農薬にも用事がない、ついでに肥料も必要なし。
少しは虫もかじるし、トリもかじるけど、
まあいいでしょう、と思いながら、かじる。

枝豆は最高の野菜だなあと思ってやまない。
仕事のとき、炎天下の畑で、
「枝豆を愛し、枝豆に愛された男」とつぶやきながらもいでいるこの夏。


 * * *


「祝の島」という映画の上映会にいってきた。
原発建設をめぐる小さな島のドキュメンタリーなのだけど、
次々に映し出される離島の暮らしぶりに、
かつての粟島での生活を思い出して、
懐かしさと口惜しさとが混ざりながら静かに観賞。

上映後。
監督と刈羽で反原発運動をされた方が話をした中で、
電力会社は原発をつくる理由を、その時代背景に合わせて常に変えている、
という話があった。
かつては石油エネルギーの枯渇のため、
今だと二酸化炭素を出さないクリーンな原子力発電というところだろうか。

環境、エネルギーについては、
知ってないこと、もしくは知っていてもわかってはいないことが多くて、
ひじょうに漠然とした、これは嫌だな、こうだと気持ち良いな、
という感覚的な方向しか見ていないのだけど、
肥料(その流通も含めて)や機械をなるべく使わない農業のやり方や
それにくっついた暮らしの仕方はずっと考えて実験していきたいなあと思います。


そんなことよりも、
今の自分の身体と脳みそとの泥仕合っぷりが、
電力会社と反原発の方との関係にちょうど似ているなあと思えた。
どちらが絶対的で完璧な解とは言い難くて、
論破は静まりを生みにくい。
しかし、身体にせよ、脳みそにせよ、
その時々でうまいように「事情」が出てくるもんだ。


 * * *


で、結局のところ、
悩んだ末に自分がやったことというのは、
自分のこころが「やりたかったこと」をしただけなのだと後になって気付く。


原発を巡る問題とは明らかに深刻さの違う、
他の人にとってはどうでもいいような、
自分の頭と体と心との、懲りないエネルギー問題、2010夏。


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by 907011 | 2010-07-20 08:06 | Trackback | Comments(8)