山中記

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復路。

9月12日 ときどき雨
朝のゆるりとした時間が過ぎ、皆と別れた後、
幹事・稲妻家に荷物と主を運び、しばし振り返り。

10:00 鮫川を出発
ふたたび道を間違う。

12:30 南会津町の田島に到着。
大学以来のともだちトモモ(田島出身・長岡在住)が、
偶然にもタイミング良く福島帰省中であることを数日前に知り、
近くの温泉宿情報など聞いているうちに、
「うちの空き家になってる古民家に泊まる?」という何とも魅力的な提案に即喰らいつく。俄然喰いつく。
さすがトモモ、会津の山のオナゴ。


田島に着いたよーと連絡したら、
まあまあまずまずうちにあがりなよーと言われたので、
それもそうだねえーとドカドカと実家に図々しくあがりこむ。
きよむとけんなの母でもあるトモモ母ちゃんは二児を連れての帰省中で、
親戚らしき方々(と子犬)が遊びに来てちょうどご飯を食べていた様子。


「君はご飯は食べられるのかね?」と聞かれ、
「食べるね」とぶっきらぼうに(?)答え、
勧められるままに食卓に上がっていた昼ごはんもろもろを当然のようにご馳走になり、
後片付けと赤子を見守りながら、当然のように食後のコーヒーをすする。
親戚の方々と子犬がお暇する様子を見送り、柱を背もたれに当然のようにくつろぐ。


トモモのばあちゃんとお父さんの家でもある下郷の古民家に連れて行ってもらう。
きよむが助手席で道案内および周辺の情報などを教えてくれる。
「この病院でたしか俺は産まれた、のかな?」と
大きな独り言をいい、へその緒にたずねるきよむを乗せ、
車はぐんぐん山の中に進む。
あーこんなにも山奥に、さらに奥にうわーとだんだん擬音語率が増える。
「まだまだ先なんだよ」とへその緒から顔をあげてきよむが言う。
携帯電話の電波も圏外になると、
あーこういうのは何だかいいなあいいじゃないかといよいよワクワクする。

着いて驚いたことに、
集落に入っていく最後の曲線なんかは、
俺が前回まで鮫川に行くのに”遠回り”(前の日記参照)で通っていた道だった。奇遇。
すごいところ通るなあと記憶していた下郷の道の、そのすごいところの集落に、
このたびお借りした大きな古民家は静かにあった。


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昔の農家さんの家に感動し、トモモに案内されながら
うおー、すげー、はー、と擬音語率がどんどん上がっていく。
そう、言葉や意味などというものは後付けなのである。

しっかし広い。なにもかも広いなあ。
静けさとは広さか?と考える。
静かという感覚はその空間の広さ、すなわち余白みたいなものが関係してなかろうかね。
ヒトと空間の広さや密度、もう少し考えてみよう。
そして本棚には難しそうな本たちが作家ごとの全集で並んでいる。
電話も自ずと放棄されるこの環境に、一週間くらい泊まりたくなる。
やはり囲炉裏のあるところに暮らしたいもんだ。

部屋の奥にピアノがあり、きよむがさらりと何かを弾いた。
弾ける男は素敵です。
目に入ってくるものが次々に素敵だなあといちいち見ていたら、
かつてのタンスに「ともえの下着」という棚があった。
「見てもいいよー」とトモモさんはホホホと笑い、
手書きされたその字面が面白かったので記念に写真くらい撮っておこうかと思ったが、
なんだか恥ずかしくなってやはり止しておき、
振り返るとそこに居らっしゃった仏さまたちに「はっ」とし、よーく手を合わせた。
ナンマンダブ。



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前を流れる川に架かる橋。
前川橋(?)は木の板でできていたが怖くて渡れなくて、
でも渡りたいと一念発起して挑もうとしたが、やっぱり渡れない。
よく考えると一念発起までしてない。
いや、よく考えなくても一念発起してない。


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わらじを履いて、急な階段をあがった二階は、
古民具をよくもここまでしっかりとと感嘆するほど整理された資料室的空間になっていた。
古き善きものには圧倒される。


「不便」という認識は、時間をさかのぼったり早送りして思われるものだろうか。
そのとき、その生活の瞬間は、過去を見返したり、先を想ったりしたのだろうか。
古民具や機械農薬のなかった頃の農法には、多くの知恵が潜んでいて、
それらの知恵があってはじめて営みを成り立たせている。


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先日見た、『地球交響曲』の第7番で、
そこにあるもの、その土地にあるものをつかって生きることが、本当に続くこと、
という話が印象的だった。

いろいろ重なる、秋はそういう季節なんだと思う。
春、夏の動きに満ちた時間を越えて、冬を迎えようとしている。


四季を女性にたとえるヒトがいた。

<春の庭は少女の美しさ
 夏の庭はみずみずしい女性の美しさ
 秋の庭は成熟した女性の美しさ
 冬の庭は思慮深い銀髪女性の美しさ>


実際に草の移ろいを眺めていると、
この表現がいかに的を射たものであるかがわかると思う。


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戸赤は12戸のきわめて小さな集落。

「戸赤」と書いて「といし」と読むそうだ。
「そのこころは?」と合いの手を絶妙の間合いで入れられても答えられないが、
とにかくトイシなのである。


トモモとその母、二人のお母さんに勧められた弥五島温泉につかる。
ひじょうに善い。
ひじょうに善すぎるために近郊のお客も多く、平泳げず、露天風呂で少し浮いてみた。
雨の露天風呂も善い。
しかも300円とは。
露天風呂に浮かびながら、やたらに値の張る、日帰り入浴に厳しい温泉宿を叱りたい気分になる。
ついでにラーメン一杯がやたらと高い、流行りの人気ラーメン店も叱りたくなる。
が、そこは隣の女性露天風呂の会津弁に耳を澄まして、ぐっとこらえる。
とにかく善い風呂であった。

いったん戸赤に戻るが、忘れ物に気付き、携帯電話も使えないことを悟らされ、
再び弥五島に戻り、地元のスーパー・ブイチェーンで酒を買い足す。


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町の広報を読みながら、ふと自分がここに居住する姿を想う。
下郷の祭りか何かのスローガンが「たのしもごー」だったので、ビールをおかわりする。
馬刺しを食べて、川の音に包まれながら囲炉裏の脇で就寝。


 * * *


9月13日 雨
4:00起床。
よく寝た。
静かで善い。
静かなのが善い。


電話を携帯しない未来を想うこと。
そのために、使うこと。使い切ること。

基準を切り替えていくこと。
ニンゲンに心が生まれて、文字ができて、手紙へ。

同時に、一方で、携帯電話があったからというつながり、
ケータイでしか会う手段のない知人のまた多いこと。
善くも悪くも、
電話の近さ、メールの遠さ、面白い機械だ。


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桧枝岐温泉に立ち寄る6:00。
燧(ひうち)の湯 500円で平泳ぐ。

平泳ぎながら、ふと
「可愛い俺には旅をさせよ」とつぶやく。
少し大きな声でもう一度口にする。
そうだ、可愛い俺には旅をさせよう。



剣道の村、みたいな看板を見た。

自分が小学校の時に剣道部に入ったのは貴重な経験で、
子どもが球技に惹かれなかったら剣道はオススメしておこうと思っている。

小学生時の兄はなぜ剣道を選んだんだろう。
4つ遅れて弟の俺は自分でたいして選ぶこともなく剣道部に入ったなあ。

高校生くらいの頃、たまに「どんなヒトが好き?」と聞かれれば、
決まって「一人で居るヒト」と答えていた。
俺の好きなヒトたちは、みんな一人旅上手を感じさせる。
ただ遠くに行くことともそれは違って、
目の前のことを楽しめるヒト、自分で選んでいるヒトたちなんだと思う。


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そんなことを思いながら、のぼりが気になった桧枝岐歌舞伎の舞台に立ち寄り、
天川の弁財天さんに通ずるナニガシカを感じた。
舞台への道も、石でできた大きな客席も圧倒的な空間だった。



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とにかく、桧枝岐歌舞伎を見ようと決めた。

それがこのたびの復路の最後の想い。
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by 907011 | 2010-09-25 05:03 | Trackback | Comments(0)

往路。

9月11日
深夜に目が覚める。
遠足前の子ども状態でゴソゴソと支度をしたり読み物をしたり、
ギリギリまで道中の温泉を入念に調べあげ、「カンペキ」などと薄ら笑いを浮かべていたら、
外も明るくなってきたので慌てて5時前に出発。
眠くなったらまあその辺りで寝よう。

入広瀬を抜け、八十里越え。
風が秋。


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田子倉ダムの水面を覆うモヤと朝陽。
夜明けの瞬間でもありながら、しかし目に映るのは水の色でも山の緑でもなく、ただモノクロの静かな世界。
しばらくの間、圧倒される。

彩とりどりの景色も豪華だけど、
繰り返しを繰り返して、
目に、耳に、口に、
最後に残るものはおそらく、0か1に近いモノだと思う。

ジュースよりはお茶、
で、お茶も水にはとうとうかなわないなあとときどきはっと思う。
そういえば味噌汁の具材も2種類までが善い。
と最後はお味噌とお湯のことなど考えながら車を進めた。
家も借りたことだし、今年の冬は手前味噌をつくろう。
ニンゲンは風景に見とれるのも早いが、目移りもまた早い。


水上にかかった雲が龍に見えた。
辰年乙女座のナルシシズムだろうか。
満たせ、自己愛。


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静かな時間/空間に包まれて考え事いろいろ。
感受性がヨロコブ。
その感覚自体が久しぶり。


旅路、きわめて順調。
前夜に初めて?マジメに道路(と温泉)を調べてみたら、
これまでが意外に遠回りだったことに気付いてショックだったが、
それはそれで善い道程だった。
でも、毎回遅刻王。略して遅王。

そんな遅王返上の旅も、今回は最短っぽい。
「桧枝岐温泉こっちこっち↓」の案内に心惹かれつつも振り返らずに南会津を抜けて、甲子峠を目指す。
道路沿いに延々と連なる南郷のトマト売りがすごかった。
完熟トマト好きの目には、きっと遊郭のような誘惑に満ちた眺めなのだろう。

下郷の道の駅で最初のトイレ休憩。
この道の駅は好感が持てるので行くたびにお土産などを見て一周する。
遅王は遅いけれども忙しい。
遅いがゆえに忙しい。


 * * *


南会津から白河へ抜ける甲子峠。
トンネルが4本くらい続くその中の、
トンネルとトンネルの間のわずかな隙間に入口が隠れている、甲子温泉へ。
山中の渓流沿いにある一軒宿大黒屋さん630円。
綺麗な内風呂・露天と、
いったん服を着て長い階段を降り、渓流にかかる橋を渡ってからの岩風呂と混浴露天風呂。


手前にある内風呂に脱衣所から一歩足を踏み入れた瞬間、
裸の(当たり前か)男性が、でっかいタンクに満面の笑みで温泉を汲んでいた。

まだお湯につかってないのに、お湯と俺とのすべてはこれからなのに、
その前にこちらがたじろぐほどの満面の笑みを浴びて、返礼に小さく笑み返す。
よく見たら巨大なタンクが15本以上はある。

「従業員?」「業者?」「傷ついた動物保護の人?」「温泉を浴びる性癖の人?」etc.
多面体のサイコロが頭のなかで回り続け、
小堺さんの音楽が脳内再生され、ライオンに結論を急かされる。

いずれにせよこれは素人の仕事ではないな、とさっき返した笑みをやめて口元をきりりと引き締めなおし、
露天風呂に移り、彼の生き方を少しだけ想像してみるが、すぐに飽き、
木の葉の緑が綺麗だったのでほおっておく。


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岩風呂がすごく良かった。
甲子温泉は至徳年間(1384年)州安和尚によって発見された、とパンフレットより。
岩風呂は建物も、風呂内にある脱衣籠置き場もひなびていてかなり善い。
風呂の中は深く、立っての入浴。
中央になぜか子宝の石があり、裸の(当たり前か)おっちゃんがときどき座っていた。
俺も負けじと誰もいなくなった頃合いを見計らって、旅の無事と子宝を祈り平泳ぎ。

外の露店は混浴だったが、のぞいたら完全にプールで、
セメントに塗られた鮮やかな水色が、我が家の外壁と同じ色だったので入らず。
渓流の上、橋を通り抜けていく風が気持ち良い。

温泉で平泳ぎができることはその旅の充実度をはかる私的バロメーターと言える。
逆に言えば、興に乗りご満悦の際に、ワタシは温泉で平泳ぐ。


早くも連休いただいた分の収穫を得たので、あとは会うものすべて儲けもの。


 * * *


その後、やっぱり最後は道を間違えながらも無事に集合場所の道の駅塙に到着。
過去4回、すべて遅刻していたのに今回はなんと一番乗り。
ひじょうに気分が善い。
「みんな遅ぇなあー」とベンチで腕組みして待ち構えるイメトレなどする。
早王である。


なおもまだ一時間くらい時間があるので近場の温泉パンフレットを探していたら、
見覚えのあるオレンジつなぎの坊主頭がいて、さらに連れが二人。
まったく一番乗りではなかった。
ショックを引きづりながら、集合までベンチで農業研修の話などを聞く。
早王、返上。


鮫川での集まり「ご縁会」。
最初に集まったのがちょうど一年前
素直な人たちが不思議と集まる、好きな時間。

続けて参加できる人も初めての人も、
皆それぞれにいろんなナニガシカを抱えながら、
それでもあの山奥の小さな村に集まってくるのは、
幹事いなこさん自身が素直に悩んで学んで暮らしているからなんだと見ていて思う。


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このたびは絵描きのチヒロックが音楽たちとともにやってきて、
バーベキューしながらの手づくり音楽祭。
鹿角平キャンプ場は天文台のすぐ真下にあって、
酒飲みながら、寝っ転がって星空を見ながら、音楽。
気持ち良すぎてうとうとしながら聞き、目を開けると星が近い。
この夜は結局2時まで飲んで話して笑ってた。
そういえば起きたのも2時くらい。24時間営業。

大量の自家野菜と日本酒「大那」を持って駆け付けてくれた、
那須の農家さんにぴたりと付いて話しが聴けたのもひじょうに善かった。
大きなヒトほど、ニコニコニコニコと笑っている。

みんな素直だなあと感心する。


明朝5時起床。
眠くなったらまあその場で寝よう。
雨降りのため予定されていた草刈は中止。
火をおこしてとりとめのない話しなどし、朝ごはん食べて終了。

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言葉はいつも後付けでしかないのだけど、
もっと、ときどきは外のことを見て聴いて触れて、
その上で節操無くも、じぶんの内をつくっていこうと思い直す。

星空の下でよく食べ、よく酒を飲み、よく笑い合う。
都合よく忘れること、じぶんを肯定し直すこと。
私的リセットのための、上書きのための移動や非日常。
じぶんをそれでも前に進めるための立ち止まりの時間と空間。

非日常に居て、日常を想う。
やっぱり当面の常なる生活も頭から離れず。
結局いつも気が多く、目の前だけを見てはいない。
でも、外に出てこその、自分の顔、声、姿を知る。

俺はもっと努力しなくてはいけない。
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by 907011 | 2010-09-19 04:48 | Trackback | Comments(4)

空を想う時。



空間と時間は結びついていると思う。

それは単純にいつもどこでも誰とでも的にぴったり寄り添う、仲良し相似関係とも違って、
何というのか、因果な繋がりだなあと思います。


自分の心身にも、「空間」と「時間」。
透きとおった二つの円が呑みこまれて、透きとおったままに在る。




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たとえば、自分の場合でいえば、
空間の移動(出勤や旅行など)が大きくなればなるほどに、
その分だけ時間の円が少し小さくなる。
自分が把握する風景が拡がりを持ちはしても、
漠然とした表現ながら、
時間の円が歪むような感覚になる。


新しいものばかりを見続けている時の、
なにやら惜しい、どこか寂しい気持ちというのは、自分のどこから来るんだろうか。


「懐かしいという感情は最強だと思う」と、ある落語家が話していた。

初めて出会ったモノの中に
ふと感じる、懐かしいという感情や錯覚の記憶。
「古」には懐かしさも新しさも内包されているように感じる。



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時間の円が縮まることは必ずしも悪いことだけでもなくて、
ニンゲン、時間が悠長にあり過ぎると、
それはそれで余計なことを考えたりするものだ。

自分の身体の外側の、把握し切っていない空間の移動が、
時に非日常感を与えてくれる。
「細かいことはいったん置いといて」という預け上手になれるのは、
自分の内側の、把握していたはずの時間が、日頃と違って歪むからこそ。

旅先の非日常感。
自分が少数派となり、日常の所属からつかの間でも切り離された時、
自分が把握しているつもりの風景だったものが、そうじゃなくなることで、
把握していたはずの時間もまた、変わる。


 * * *


逆に、空間を必要以上に動かさず、
つまり繰り返す日常の暮らしでは、
自分の把握する時間がその分は豊かに膨んでいく。


が、肥えると、鈍るのもまた事実。
時に、その時間の膨大さゆえに、「飽き」がきて、
悠長な空間に対してまでその飽きが伝播することもある。


と書いて、
空間は自分にとって「外」のことで、
時間は自分のとって「内」のことなのかな、と思いました。


内の失望は、外への無関心に繋がる。
彼岸と此岸。



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人それぞれに、しかもその時々に、
適当な空間/時間があって、
それをうっすら気付いてやることができるのは、
他に替われぬ自分だけなのかもしれない。

一人ひとりにとっての一長一短があるから、
どれが良い、これが正しいという絶対の正解は無くて、
でも、その上で、
どっちを優先するか、どっちを揺さぶるかの選択は自分でできるのだと、
そんなことをしみじみと雨降りの日に思うのでした。
雨の日は空間の移動も自ずと小さくなる。
気候、湿気、照度、気温と体温、それらによってもまた
二つの円の柔らかさは変わるんでしょう。


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小旅先で感じる非日常感のままに、
そんなことをやはり移動しながらだらだらと考えてました。
空間の移動は時間を歪ませて、頭に風を吹かせてくれる。


ある作家が話していた。
「日常から芸術が生まれるのではなくて、
 芸術が日常を支えているんだと思う」。



なんだかんだ言って、時空を超えて楽しめた、
このたびの旅日記「可愛い俺には旅をさせよ」(仮題)を書こう書こうと鼻息荒い朝でしたが、
自分でも考え中の、よくわからない考えの種を記すに止めて、
写真(数枚は盗作)だけ倉庫に移し終え、やめよう。

ご飯食べたら、日常復帰の朝。


空を見れば、離れている誰かを想う。
遠くの空の下に居る、
でも、その空間で日常の時間を暮らしている誰彼彼女。


日常が非日常をつくりあげるのではなくて、
非日常が日常を確かなものにしてくれている。
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by 907011 | 2010-09-14 06:17 | Trackback | Comments(0)

手、鎌を褒める。

睡眠の浅い夜が続きますね。

うちに遊びに来た人が皆、口々に言います。
「この家、一人で住んでるの?」。
たしかに、空間を持て余しているこの暮らし。
冬に寝た部屋、夏に寝ている部屋。
タウンページを置いている部屋、というのも存在してます。
でも面白いもんで、それぞれの部屋は油断するとそれぞれに散らかっていくようです。
家や車の中、職場のロッカー、机の上、財布の内側、
主に自分一人の身体が接しているところの散らかし様は、
その時々の自分の状態をよくあらわしていると思います。
若いお坊さんの日記に感化されて、ですます調の文章をこの頃一部取り入れてみてます。



そんな、空間をテキトー(悪い意味)に持て余している毎日。
たぶん身体を横にしないと眠れない(泥酔時だけ上を向く)ワタシは、
寝返りをひどく好む。
暑いこの夏ならなおさらだ。
ベットのかたわらにさらに別の布団を敷き、じつに大きな「寝返り」をうつ。
で、違う布団に着地したり、再び這いあがったりしながら、
無事に寝返りをうっては、「おとな。」と声にします。
布団の方は落ち着かないだろう。
寝返りという言葉が、時に裏切りを意味する理由がちょっとだけわかった気がする晩夏の夜中。


「甘栗、食べちゃいました」という新商品をめぐる夢で起きた4:00。
袋を開けども開けども延々と栗の皮ばかりで、
なんてクオリティの高い商品なんだ、というあまりにも意味のない夢で、
これが自分の脳みその無意識の部分の何がしかを反映していると思うと、
末恐ろしくなり、よく目が醒めました。

直接関係ないですが、小林製薬のネーミングセンスからは目が離せません。
就職活動を(少し)していた大学4年生のとき、
会社説明会に訪れたビルの入口で、
「小林製薬新商品説明会」が違う階で催されているのを見て、
そっちに行きたい、率先して行きたいと葛藤したのを思い出しました。


 * * *


4時頃はまだすっかり暗く、しばし読み物などする。
虫の鳴き声がすごい。
明るくなるにつれてその音量が小さくなるのはなぜだろう。
刺激に満ちた魅惑の世界なのだろうか。
闇が与える興奮と怖れ。虫もヒトも。

時々は耳や鼻が先に、朝焼けを感じて、少し動きだす。
鶏を外に出して、ニンジンの残り種を蒔いた。
何でも少しずつが善い。酒の時間以外は。
種も少しずつを、時期をずらして蒔けたらいいなあと思う。

畑の脇を流れる小さな用水路に、その辺の石を置いてせき止める。
たまった水をおもちゃのような小さいジョウロに汲み、水をあげる。
ジョウロは外来語かと思ったら、漢字ありました。
「如雨露」。雨露のごとし。

ブヨが相変わらずすごい。
ブヨは水が綺麗なところに生息するといわれるが、
朝晩は虫よけの網を帽子の上からかぶらないとどこの畑でも仕事にならない。


昼間の仕事では、草刈り機や耕運機、噴霧器などの農機具を使用しない日はほとんどない。
だから、こういう手での仕事をすると、
のこぎり鎌や鍬の有難味を感じる。
この鎌の、こののこぎりの、この歯のところがすごい、と一人でパチパチと褒める朝もある。

逆に、機械を使って仕事している時は、「手仕事換算」をよくする。
たとえば、草刈り機や耕運機の歯の回転を眺めながら、
これを手でやったらどうやるんだろう、こうやってこうやってとよく考えるようになった。
もちろん早さは比較にならない。
早さと力と熱を生み出すエネルギーを燃やし続けてこそ。

そして、機械にも手にもそれぞれ一長一短がある。


 * * *


今朝読んだほぼ日の中の対談に、
「裸の手の中には、頭と心が入っています。」という言葉があって、
便利さと裸について考えてました。

便利さに包まれながら、その中で立ち止まって考えてみたいこと。
もういっぺん、感じ直してみた方が良さそうだなあと思うこと。

便利さを身にまとうことは、
手離し難い武器を手に持つことでもある。
昔あって、今に消えかけている知恵を想うことは、
裸に近づくこと。近づこうと歩み寄ること。
裸に戻ることは望ましいことなのかもなあとも思った。


今朝起こしにいったら、ウコの毛が大量に散っていて驚く。
これが換羽期だろうか。
どうやら秋が近づいている。
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by 907011 | 2010-09-03 06:53 | Trackback | Comments(0)

行くところ、居るところ。

9月。


<その1:ご縁会>

第6回ご縁会~村の小さな音楽祭~

*場所
福島県鮫川村

*日時
9月11日第2土曜日~12日第2日曜日
∞集合
11日14時:道の駅塙
∞解散
12日12時:鮫川村


*日程
〈11日〉
集合したら、買い出し、収穫、キャンプ場にてバーベキューをします。
宿泊はバンガローへ。
日帰りの方は随時。
音楽も楽しめるかもしれません。
全ては来てのお楽しみ♪

〈12日〉
朝食を済ませたら、草刈り、収穫など、畑仕事をします。
12時に解散できるようにします。

*持ち物
・二日目は畑仕事なので、汚れてもいい服をお持ちください。
・スニーカーか長靴
・軍手
・タオル
・帽子
・鎌がある方は鎌
・お風呂の用意(銭湯)
・寝袋か毛布(レンタル一枚500円)
・お酒を飲む人はアルコール持参
・マイハシ、マイカップ、マイサラ
・何か畑などからたくさんとれた野菜など、差し入れで持ってきていただける方は、お願いします。(できれば事前に教えて下さい )


*参加費
宿泊の方2000円
日帰りの方1000円


集合と解散は目安で、皆さんの都合で来ていただいてかまいません。
今回は仕事の都合で送迎はできませんので、電車の方は、駅から誰かと乗合できていただくことになりますので、ご相談下さい。

※参加希望の方はご連絡ください。


 * * *


<その2:地球交響曲>

ガイアシンフォニー第7番上映会in南魚沼

会場 : コミュニティホール さわらび
     南魚沼市浦佐5175番地1
     大和公民館となり ( 八色の森公園近く / JR浦佐駅より徒歩15分 )

とき : 2010年 9月 23日 (祝) 

《 昼の部 》 14:00開演 (13:30開場)
* 昼の部 終了後 高野孝子さんのトークセッションを開催します

《 夜の部 》 18:30開演 (18:00開場)
* 夜の部 開演前 グリーンアナベルさんによるクリスタルボウル演奏があります

- 上映時間 各 2時間06分 -
詳細:http://gaia7-uonuma.jugem.jp/
第7番予告編:http://www.gaiasymphony.com/


 * * *


<その3:稲刈り>

(秋)ながおか農業ふれあいまつり(平成22年度参加者募集)

■日時=平成22年9月26日(日) 午前10時~午後3時まで
(雨天決行。ただしポニー乗馬体験は一部中止)

■会場=農の駅あぐらって長岡(ふるさと農業体験センター)
長岡市栖吉3670番地

農業・農村ふれあい体験
【1】稲刈り体験・芋掘り体験 10:00~11:30(料金大人300円・小学生以下200円)
 ☆参加者特典! さつまいも1kg程度、豚汁、新米をプレゼント!(新米は後日)
 ☆20周年記念として
   [1]JA越後ながおかより、米粉ピザ試食 
   [2]小学生以下限定 菜種油ドレッシングで間引き菜サラダを作ろう!

【2】竹細工体験「竹とんぼ・竹笛づくり」 11:30~15:00(料金1個300円)

【3】親子木工教室 11:30~15:00 (先着50組・料金700円)

【4】おぐにみんなの体験館出張教室「つる細工体験」 13:00~15:00(事前申込20人・料金800円)

※【4】をご希望の方は9月13日(月)から農政課で受付を開始します。なお、定員になり次第締め切りますのでご了承ください。

動物ふれあい体験
○ポニー乗馬体験 11:00~正午、14:00~15:00(対象=4歳~小学6年生・料金300円)

○ロールにお絵描き

大地の恵みを味わうコーナー
 市内まちの駅で販売している地域特産のアイスクリーム、手づくり漬物、おこわ、旬の農産物などを販売します。

~~廃食油回収車も展示します~~
家庭で不要になった食用油を回収します。会場にお持ちください
■主催 長岡市・ながおかグリーン・ツーリズム推進協議会
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by 907011 | 2010-09-01 06:16 | Trackback | Comments(4)