山中記

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一年ぶりに出店します。

やかんを乗せられるストーブを長いこと重宝してます。
朝はコーヒーをいれ、夜はお湯割りに。
子どもの頃の記憶も相まって。

あらゆることが億劫に感じられるとき、
こういったアナログなものが、救ってくれます。

自分が好きでいたいもの、好きになりたいもの。
好きなものを、好きだなあと思う気持ちは、
嫌いなものを、嫌いだなあと思う気持ちよりも、
おそらく強いと思います。


 * * *


26日。
山中の鶏の「お父さん」をしめました。
言葉として何かを誰かに伝えるほど、すっきり消化された想いはまだないですが、
すべてが一瞬に感じました。

鶏の匂いには一貫性があります。
毛も卵もうんちも鶏の居た場所も肉も内蔵も、
ぜんぶ、鶏のままの匂いがするんです。

「心の準備」や「覚悟」なんてものは、
自分の単なる意識や言葉に過ぎない、ただの記号みたいで、
いざ、となるとそんなものは存在しない。
されるときに、される。

もう少し、「原人」みたいな心持ちで、
目の前で起こる出来事に「うほっ?」とぶつかることも大切だなと感じました。
心がけよう、原人化。


そういえば、
ほぼ日の「脳の気持ちになって考えてみてください。」がとても善かったです。

脳ってブラックボックスみたいなもんで、
脳自体は暗い部屋にただじーっと居て、
たとえば、外の眺めも気温も、
触覚を通してやってきたのを解釈している器官なわけですよね。

何かにつけて、脳や意識が優先されがちですが、
もっと身体の素直さを信じて尊重しよう。


 * * *


いま、肉を食べることは簡単なことだけど、
「簡単なこと」って、ほんとうはもっと簡単じゃないことかもしれない。

簡単じゃないことを知ることで、
このとても雑多な、混沌の中から、
さらに他の、簡単じゃないことが、
ゆっくり、それも一つずつ見えてくるような気がしています。

そのときにはじめて、
簡単じゃなかったことを、
少し身近に、少しだけ簡単に感じていけるようになるのかもしれません。

米一粒。
花一輪。
コーヒー一杯。
靴一足。
道路一本。
ニンゲン一人。


簡単じゃないことって、やはり難しくて。
でも、それでも、
「簡単じゃないぞ」と呼ぶことで、
簡単じゃないままながらも、少し手元に引き寄せて、
近い距離で、多くの時間をかけて、
あーでもないこーでもないといろんな角度から眺めることくらいはできそうです。


 * * *


鶏や虫や植物の発する言葉や姿は、とっても純朴だなあと思います。

自分の感覚の届く範囲をよくわかっていて、
限界を把握しているからこそ、
欲や損や得なんかが丁度良く、鳴き声や行動と一体化していて。

時間についても、お金についても、
そんな概念を産んでさえいない鶏たちに気付かされることが少なくないです。


 * * *


今日30日はSHS長岡さんの3階にて野菜売りをさせてもらいます。
昨日サトイモやヤーコンを初掘りしてみて、
何となく小ぶりな様子だし、一人店番なので緊張しますが、
つくったものをお見合いさせ嫁に出す貴重な一日なので、もしお時間ある人は是非。
向かいの素敵レストランのピッツァと一杯のビアーを差し入れしてくれると喜びます。

ではいってきます。
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by 907011 | 2010-10-30 05:42 | Trackback | Comments(2)

明日、鶏をしめます。

空豆、まいた。
ブヨと小さな蚊の混合編隊がすごく、
己の血を塗りたくりながら、ニンニクの周りの草刈りを少し。

無肥料だったけど見事に背丈を越えて成長してくれた、オクラとモロヘイヤを片付ける。
畝の空いたところ、春まで寝かせるところに、
レンゲ草とえん麦を少々まいてみた。

レンゲ草はマメ科なので、
空気中の窒素を固定して土壌に還元してくれる。花も楽しみ。

えん麦は深く根を伸ばし、土を耕してくれる。
肥料吸いたがりなので、レンゲ草と善いコンビになってくれるだろう。
雪の下でも深く静かに根を張って、
野菜たちでは届かない深さの層の養分を吸い上げて、
春に野菜をまく頃に、刈り草となって、その養分ごと表土になっていく。

さまざまな思惑の絶えないニンゲンの俺はただ指をくわえてそんな循環を習うばかり。
そのさまざまな「余計なこと」をしないこと。

その時々に、土を耕すことも、植物を育てることも、
そうした自然の循環が常に一枚上手なのだと思う。
こりゃあ一本とられるのだと思う。

肥料のこと、エネルギーのこと、
持続可能な「自分農」を考えるための、
一生が観察と言い換えても善いかもしれない。
すごく久々にこんなことを考えながら打ってみると、一行に一回はタイプミスを繰り返す。
簡潔にしよう。


 * * *


成願寺に越してはや一年が過ぎました。
満月の夜に成年部の寄りあいがあって、来たるバーベキューの打ち合わせなど聞きつつ、
ビール飲みながら、田舎っていいなあなんてことを今更ながらふと噛みしめたり、
あらためて一年の速さを感じました。
乾杯。
よく悩み、よく呑み、よく開墾し、よく笑いました。
まさか鶏たちと暮らしているとはなあ。


 * * *


昨日は蕎麦を刈って、はざがけをした。
ゴールを決めることの喜びというか、
ただがむしゃらにつくることよりも、
その作物、作品の行く末をイメージすることは大切だなあと、
一年ぐらいかけてほぼ毎日そんなことを考えてました。
今の自分は家庭菜園にしても、まだまだ種を採って受け継ぐことが、
食べることよりも最優先で残念なのですが、
自分の野菜を欲しがってくれる人に渡したいなという、
その「いつか・どこか」が少しだけ見えかけてます。

ゴールを決めて、つくる喜び。
終わりを想うこと。
それも一つ。


 * * *


先日のこと。
新潟を代表する(と勝手に俺は呼んでいる)農業ガール・オダ嬢に、
弥彦の農系おもしろマダムのところに連れて行ってもらったら、
(大地の芸術祭に感化されて農業見習いとなって居候した)松代で出会った建築学生や
粟島の漁師民宿(に居候した時)に来ていた熱い人が話題に出てきて、
人は人を呼ぶんだなあと思った。

変わり者の周りには変わり者が集まります。
変わり者に「変わり者」と言うことは、
「よっ、大統領」みたいな褒め文句に聞こえるものです。

隣の牧場さんの山でくるみを夢中になって拾ったり、
福島でのご縁会メンバーが長岡に遊びに来てくれたり、
昆虫写真展を見たり、世界の種展を見たり、
あぐらっての登り窯の打ち上げに乱入して陶芸の話を肴にしこたま飲んだり、
なかなか善い秋です。
陶芸の会員さんたちが、たき火をバックに、
土と水と火の話で延々と何時間でも呑んでいるのを見ながら呑むのは幸せです。

ここにきて濃厚な時間と善い酒をいただいています、日々。
これから山中に移動しないといかんので、いろいろ割愛。
好きです、高柳。


 * * *


「食という快楽」、という言葉が頭をときどき巡ってます。

明日、鶏をしめます。
門出和紙の先生に習いますが、心の準備がまったくできてない。
とりあえず我が家の鶏も連れて全員集合してから考えましょう。

肉を食べるということ。
命を食べるために必要なこと。
もしかしたらベジタリアンになるかもしれないけど、そんなことはどうでもよくて。
終わりを想うこと。
よく祈り、目を背けずに刻み込みたいと思います。
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by 907011 | 2010-10-25 15:52 | Trackback | Comments(6)