山中記

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呆然記。

鶏を起こしたり、鶏に起こされたりの朝。
まだ4:00の闇色に、”2代目お父さん”となった黒色雄鳥の朝鳴き。
けたたましく、たくましく。

先週18日、あぐらってに勤めて丸2年がまるっと経過した。
自分の場合は、何事に対しても身を落ち着けることができるのに3年くらいかかるけど、
とにかく一つの節目だなあと思う。
この冬が最後になるかもしれないのだぞという意識で、
吸ったり吐いたりしなくてはいけないなあとしみじみ思った。

翌日。
野菜売りをした先日の歩行者天国イベントの打ち上げに混ぜてもらう。
旧大和で立食パーティ、その後なつかしの長岡藩で呑み、さらに魚民で酔いつぶれた。
長岡藩のお母さんが覚えてくれていて嬉しかったが、
「だいぶ風貌が変わってしまったけど」と言われる。
陽気な善い酒だった。

おそろしくひどい二日酔いを抱えながら、週末は鶏を連れて山中へ。
気付くと、鶏たちと遊ぶのが、
畑と同じくらいに空き時間の大部分を占めるようになった。
今7羽と、あっため中の卵が二つ。

いろいろ教えてもらっている成願寺の畑のお隣さんに先日卵をあげたら、
昨日のお昼、なめこと里芋とネギになって返ってきた。孝行卵。
お隣さんはたくさんの無農薬な野菜を毎日こつこつとつくってられる。
夜になめこ汁にしておいしくいただいた。
産地直喰。

現実的なお金のことももっと見たり聞いたり考えたりしなくてはいけないのだけど、
”物々交換による暮らし方”を想う時間がこの頃多くなった。
想うに私的に経済的に環境的に、とってもよさそうな気がする。

一泊二日で山中の家の冬囲いを教えてもらいながら手伝う。
天気がすこぶるよろしく気持ち良かった。


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帰りに道沿いにむしろを広げて黒豆を叩いていたトクイチさんの、
「年寄りがうちをしめれば、ここは絶えちまうからな」
という言葉が染みた。


月曜は水やり当番で出勤した後、自分農な落花生を掘り起こし、
庭にある紅葉と桃、南天の枝を落とした。
去年はだいぶ雪で枝が折れてしまったので、我流でかなりの強剪定。
紅葉を鶏の住処に敷きつめ、南天を飾る。
風流さにかなり満足した後、風邪をこじらす。

以後数日静養しながら、
自然に勝るスロウはないなあと布団で思う。

ふと、
畑で野菜なんだか草なんだかをじーっと見たり、
虫や鶏を観察している自分の姿というのはかなり怪しいもんだなあと気付いた。
地面にずーっとしゃがみこんで、
ほーとか、あーとか、なるほどなあとか、そうきたかとか。
街の路上にいたらおそらくどこかに連れていかれてるかもいれない、と気付いてしまった。


風邪で、病み上がりで、頭がぼーっとしている状態はつらいけども嫌いでもない。
呆然としながら、普段立ち止まれずに過ごすこうした考え事ができるので、
それはそれで善いことだ。







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by 907011 | 2010-11-26 07:02 | Trackback | Comments(6)

あるひ。

あれとこれとそれを使わないで自分の野菜をつくりたい。
その為のあれこれそれ。

「自分農」の道はひじょーに険しくて、
いまできる範囲でやってみている実験も
やって分かることは
いかに分からないことが多いかということ。

自分の目にまだ見えないもの。
自分の耳がいまだ拾いとれずにいる音。
その為に、
時間をつくること。


「いつか、どこかで、誰かに、何かを手渡したい」。
紙に書いたら、まだまだそんな言葉で。
声にしたら、小さくか細く。

その一つ一つ、
いつかをいつかのままにしていたら、
いつかは間違いなくずっと「いつか」のままで。

ここだと決めた土に根ざしてそこから5年はかかるのだろう。
「どこか」はここか、と
当てずっぽうの目検討はつけられるようになってきたけど、
いまだ実験のじの字の程度。
「誰か」に「何か」をまだまだ証明することもできず、何者でもないこのワタシ。
社会的にその先が許されるのか、
しばし目をつぶって、泳がせてもらえるのか。
泳がせてもらって、それで果たして善いのか。

べつに法を犯すわけでもなし、命までとられるわけじゃなし、
何が抑えつけているのかと首をあげれば、結局はこの自分。

難しい。
考えてわかるものでもない。
でも、だからこそ、急がねば。
あきらめないためにはどうするか。

嗚呼、『泣かないで恋人よ』状態の連鎖よ。

<あきらめきれぬことがあるなら
 あきらめきれぬとあきらめる>(ブルーハーツ)


 * * *


そんな昨今のワタシの心境を吐露すべく、
ある日、ある夜に呑みながら電撃突発事故的に筆が走った問題作








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四の五のいっても、
だいたい酩酊しているときの自分が
たぶん素のままです。
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by 907011 | 2010-11-14 06:57 | Trackback | Comments(8)

冬、来る前に。




「誤解されたくない気持ち」というのが、
自分の言葉や行動を、
自分が思っている以上に、規制している。

言葉数が多くない自分の場合、
とくにこの偏りは強く感じます。


その瞬間の自分の言動を、
数秒後、数分後、数時間後、もしくは数日後に、
ふっと振り返ってみると、
社会的に善かれ、私的に悪かれ、
けっこういろんなものが、はしょられたり、ねじ曲げられたり、加工されていたりするものだ。


恥ずかしがりと、見栄っ張りとは表裏一体で、
お互い無しではいられないほど、
実はぴったり寄り添っているものかもしれない。

こう思われたくない。
こう勘違いしてほしくない。
こう思われたい。
こう見えたらいいなあ。


たとえば、誰もいない畑で一人。
黙々と身体を動かして汗でもぬぐうと、
冬って何してたっけなあと、これもふと思うのだけど、
そんなところにエネルギー使っていたのだね、自分の脳みそよ。


 * * *


こういうタイプの人格です、と断言できるニンゲンって、
実はいないんじゃないかなあと思うんです、この頃。
他人のことならましてなおさら。


だから、
優しい・冷たい・熱い、多種多様な成分があり、
 ただし、その配合のありかた、外への出し方が
 全然ちがう、と私は思うのだ。

というほぼ日のコラムに、すっごくひざを打った。
いや実際には打ってないけども、だ。
ひじょーに合点した。
右手の握りこぶしを、開いた左手の掌にポンっと打ちつけて。
いやポンっとはやってないんだけども、だ。


もし、一つだけ、自分なりの基準をつくって分けるとしたら、
その時々の「気分」が、
素直な気分か、
素直じゃないなあという気分か、
この2つに尽きる。
それなら断言できそうだ。


 * * *


知ったかぶりは素直さの天敵だ。

「それとこれとは同じものでできているから」と誰かに説明されたら、
なるほどとまた鵜呑みにするくらい、たぶんこれも表と裏なんだろうなあ。


自分が素直に歩むための、
誰か互いに素直に歩み寄るための、
とりあえずいまそのための、言葉はじめ。

鍵はユーモアと遊び心にあるらしい。


じき、冬が来る。






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by 907011 | 2010-11-11 06:55 | Trackback | Comments(0)