山中記

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かんじきをつくろう。

じょんのび村と隣接する「県立こども自然王国」に、
長岡の青葉台小学校・中学校の生徒が2泊3日体験学習に来ていて、
昨日23日午後は、各グループに分かれて、町内のあちこちで、
そば播きやひょうたん細工などの体験をした。

家人のもとに連絡をもらって、そのうちの一つ、
かんじきづくりに来ないかとお誘いをいただき、行ってきました。

かんじきの枠となる竹は田代集落の方の手仕事。

今、ホームセンターで安価に手に入るかんじきは、ほとんどが中国製品。
この枠の部分も丸い竹なのか何か、つるっとコーティングされた資材が使われているものが多い。
昔は杉の根っこや山竹、藤のつるを使ったものもあったそうだ。


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切れにくいナイロン(ビニール?)の縄も、
この石油製品たちが出る以前は、稲刈りしたわらを編んで荒縄にして、
切れてはまた編み、切れてはまた編みを繰り返した。
縄一本わら一把がとても貴重だった。

今回はこのヒモを、長いもの2本、短いもの2本ずつ使用。


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かんじきづくりを教えてくれた名人は、山中のお二人。
区長さん(泉屋)と松美屋さんで、
コーディネーター役のいさおさん(町の地域振興課の方でひじょうに面倒見てもらってます)も山中の人。
高柳町共同福祉施設3階は、この時間限りなく山中でした。


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まず長いヒモでかかと部分に基点をつくり、
左右のヒモをそれぞれつま先に向かって、六角形に亀の甲羅的に結んでいく。

ここら辺のしょっぱなからもうすでに、
致命傷的に手先の器用でない(=自分の手先から何の形が繰り出されるか自分でも未知数な)ワタシは、
隣の中学生たちが完全に視界から消え去り、
カメラもずっと後ろの壁ぎわに正しく置いて、
いやな汗をかき始める。


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先生がたに助けを乞いながら、
短いヒモの方で、六角形の辺の中点を経由してつないでいく。
星のようなカタチになる。
ここら辺で大半の中学生の手が止まり、水分補給にいそしんだりし始める。
俺も最後の決めの男結びがとうとうマスターできず。
手ぬぐいで汗をぬぐったり、いさおさんにもらったお茶を飲んだり、
所在なさげにカメラを再びいじったりなどして先生が回るのを待つ。

名人たちはすでにもう将棋のプロがアマチュア相手の百人指しをするみたいに、
順繰りにかんじきに王手をかけながら、顔から汗出して回っていた。


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難易度高し。
ただし、技術的というよりは、
このヒモ結びについては、口で説明して伝えることがもっとも難しいものの一つだと思う。
手元をアップで映した映像をひたすらスロー再生して流したら、
ゲーム慣れしている子どもらはもう少し自分の手でできるんだろうか、などと思った。
それでも意欲のある子は、ちゃんと名人の斜め後ろに回り込んで、
同じ向きで、同じ手の位置で真似ようとしていて偉いなあと思った。


はじめてのかんじきづくり、とても充実した体験でした。(山中在住・30代男)

実際にこの冬使うマイかんじきが完成して嬉しい。
あとは雪上でほどけては結び、ときどき男結びを試行錯誤しながら履きたおすのみ。
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by 907011 | 2011-08-24 06:40 | Trackback | Comments(4)

虫のインフォメーション。

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あっつい中、一日半かけて這いつくばって播いた小豆。
畑の真ん中ら辺だけがなぜか発芽不良していて、
それはまあ俺の仕事なので仕方なしとして、他は順調に生育してます。

来年は豆を多く播く年にしたいです。
思う存分、枝豆をむさぼり喰い、食べ散らかし、
もうマメは食い飽きたわとつまようじで歯をしーしーさせて、
そうして食い切れなかったものを大豆としてたくさん収穫できれば、
俺も喜ばしく、畑としても喜ばしいなあとたくらんでます。
保存が効く、加工の幅が多様、そして何よりそのまま種になる。
豆もまたすごい。


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雨降りのままで、
オクラ、カラシ菜、インゲンといった、
さやの中で完熟期間に入ろうとしているものがひじょうに心配。
今年もふらふらとした足取りながら、一歩進みたいんです、自家採種のこと。
この土で苦労して育ってくれた遺伝子を来春に継ぎたいです。

「良いヒナが生まれるのが良い卵」と、ものの本に書かれていてなるほどなあと腑に落ちました。
野菜も何のために頑張って育つかというと、種を残すためではないでしょうか。


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キュウリや枝豆、ゴーヤ、オクラなど、未熟果を食べる野菜は、
トマトやカボチャなど完熟果を食す機会よりも多いかもしれない。
枝豆はそのものずばり未熟な種を食べるし、
オクラやキュウリも柔らかな種ごといただくもの。


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レタスやカブやホウレンソウなどの葉物、
あるいは大根、ニンジンなどの根菜も、
種(苗)を買う~食べる(収穫)~種(苗)を買う、のサイクルだと、
野菜が咲き誇らす花とその花に集まる虫たち、その後の種子の過程を目にする機会が
もろもろなくなりますよね。


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野菜の一生を見ることは、手前の一生のうちの大切な勉強の一つだと思います。
野菜の花は観賞目的の花とも違う味わいがあって、
そんな思い入れを持って見ていると、
一つ一つに個性的な美しさがあることに気づかされます。


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昨日、畝の上の草を刈りながら、白菜とキャベツの苗を植え始めました。

小豆を播いたときもそうだったけど、
苗を植えようとピンポイントで掘ったその土のなかに”ネキリムシ”がいること数回。

小豆が発芽したら即、根切り。
白菜なぞ植えたそばから即、根切り。
ネキリムシにとってあまりに盤石の態勢すぎて、
思わず「お前は天才か」と突っ込んでおいて、その後つまんで鶏にあげたりなどしました。
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by 907011 | 2011-08-23 06:36 | Trackback | Comments(2)

綺麗事。

朝、外に出て遊んでいた鶏たちをカラス来襲。
異常を感じて出ていったらすぐに逃げたものの、
鶏のつっついていた草や土を”いいエサ”だと思って横取りに来たようだった。
雨降り続きの影響か、いままで散々外に放置したりしていたので、
こういう機会がないと、警戒心も何もかも麻痺してしまう。

先日、旭山動物園が再生していく物語を見た。
その中で、ある飼育員が象に踏まれて亡くなるという場面があって、
別の飼育員はそれを「踏み込んではいけない野生の聖域に入ったからだ」と評した。

水害もそれとまあ似たようなもんだと隣町の人が話していた。
土を切り崩してつくられた道路や植林の話を聞かせてくれた。
ヒトが自然に手を入れ、土を保持していた根が絶たれ、それが放置されて、
崩れるべきところが想定を上回る水量を受けて崩れただけの話だと。

昔、山には競うようにして杉が植林されたという。
しかし直後に外国の安い材木が輸入されるようになり、
現金にも、その後自分の杉林を世話する人たちはあまりにも減ってしまった。
俺もこの木の話、草の話がまだまったくわかっていないのだけど、
「あー綺麗な山ねえ」と車を停めて目にする光景はたしかにほとんどが杉の人工林だ。

否定をすることには意味がなくて、
そのもやもやした違和感もしくは嫌悪感(本当は、薄々は気づいている自己嫌悪感)を
たとえ言葉にしても、いくら共鳴者で集まっても、
それらを確認し合って満足することにエネルギーを消耗しても、改善は伴わない。
それよか、目の前のことをするかどうか、自分の立場でできることが一つできるかどうか。
ていねいに暮らす、というのは簡単でありながらもっとも難しい、今日明日のテーマだと思う。

「多忙は怠惰の隠れ蓑」に過ぎない。


 * * *


アナログテレビが終了して、うちにあったテレビは尻尾のついた一つの棚のような存在になった。
(上にひょうたんが乗ったりしてます)

むしろ、パソコンで天気予報を目にすることが増えたせいか、
今年の天気予報の変わりっぷりはなかなか。
ある日ふと見てみたら、前日の晴れな一週間の予報が全部雨降り週間に替わっていたりする。
野球漫画のスタメン全員入れ替えかとたまげます。
ならばと「気象庁天気図」といういかにも正しそうな図を、正しく正座して眺めたりしてみるものの、
そもそも自分の根本は変わらず、
結局は間接的な情報を手繰り寄せてそれに依存している状態なので。

予報よりもたしかなもの、勘のようなものを、
サンダル履いて玄関先に出て、山見たり雲見たり、鶏の様子を眺めたりしながら、
毎朝毎夕そうして養っていけたらいいなあ。
その勘のようなものに、よりたしかな強度を感じるようになってます。

と、雨で暇になるとろくなことを考えずに頭でっかちになってしまう。

年寄りが達者なうちに教えてもらわなくてはならないことがたくさんあって、
そのうちの微量であっても、自分たちの勘として受け継ぐことができれば嬉しい。
それは自分にとっての目の前のことだと思う。

昨日の文章にも書いた通り、それ以上に、たくさんの助けに包まれて暮らしてます。
朝夕と玄関先にたくさんの野菜が置かれてあるし、
ヒトと鶏にと、数え切れない施しをいただく、本当に毎日。

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もぎたてのきゅうりはもいだ点から水があふれ出る。
切られた茎からも同じく。
たとえば日に50本もきゅうりをもらって、
来年きゅうりつくるのやめようかなと気を抜いたりするものの、
こういう瞬間を目にするから、やめられなくなるのだと思う。



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無肥料でもオクラやキュウリやカボチャは、直面した条件で最大に結実してくれる。
その姿もじつにさまざまに。

野草をもっと取り入れたくて、これは時間をかけながらだけど、
畑にはびこるスベリヒユやツユクサも一緒に湯通ししておひたしに。
そこらじゅうに生えてあるもので食べられるものが無数にある。
検索してみると薬効もまた当たり前のように出てきます。
スベリヒユは酸味が効いてうまい。すごい。


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家人が出稼ぎに出ていて、独身生活3日目。
空腹のまま写真を撮って後で見てみたら、下に敷いてある布のしわくちゃ具合に哀愁が漂う。

先日、贅沢にも「鶏に」ともらった無農薬無化学肥料天日干しの米をヒトも食してみる。
この間掘ったじゃがいもと玄関先に置かれていた大根のまねぎ菜の味噌汁。
去年までさんざん仕事で味噌づくりをしたけど、今年からは手前味噌をつくっていきたい。
豆は今年どのくらい採れるんだろう、枝豆で全部食ってしまうんだろう。

納豆が食べたくなって畑のネギとシソをとる。
からし漬けのキュウリを出して、ついでに採ってきたナスをかわりに漬ける。辛い。
ここでビール、と思ったけど思いとどまりお茶にする。
試作ばかり重ねて味見をあまりしてなかった柿の葉茶。
豆のような良い香り。秋に柿酢も試作しようとたくらんでます。
干し野菜も試作する一方で、味見後回し。
調味料を自足できればすべてが山中で循環できる食。


いずれにしても、
お金と自分の時間をどう折り合いをつけるか。
丁寧な暮らしを、ときどきこうしてネジをまき直しながら、
一つずつ手探りし続けていけたらいいなあと思います。
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by 907011 | 2011-08-22 08:59 | Trackback | Comments(0)

作文の宿題。


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秋田の小さな田舎町で育ちました。
昔からの“ほじなし(=秋田弁で知識や教養が無いこと)”で、
自分が自転車で走り回って見ている光景が「世のなか」のすべてだと思っていました。

隣の町もその向こうの町々もきっと、
この自分の町の相似形のようなものだろうと想像してました。
おもしろいことも残念なことも、
すべてこの町での自分の記憶と大差ないものと思ってました。

自分を育ててくれた環境というものは、それほどまでに深く刻まれ、
そしてなお20年以上が過ぎた現在までも、
自分が何かを考えて行動する上での基準や道しるべになり続けています。

その町が持っている「個」はそのまま、そこで生きた人間の背景となっていきます。
その背景と、その後のそれぞれの異なる経験とがいいアンバイで混ざり調合されて、
人は自らの感性を築いていくのだと思います。


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とりたてて大きな山も川も持たない平場の町で育った自分が
高柳の人たちに感じる魅力は、
この背負った背景の違いとも言えるでしょう。

山深い風土で循環というべき暮らしを続けられた百姓の
ものの見方、考え方、身体ぐるみの知恵に強く憧れます。


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なぜ山中に根を張りたいと決めたのか、あるいはどういう暮らしがしたいのか、
尋ねられることは当然多いのですが、
あれがしたいこれがやりたいという想いは、今の自分がたとえ言葉を重ねたところで
単なる理想論を語ることに変わらないと考えています。

いまだ何者でもない自分にとって、
まずはこの冬を楽しみながら越すことを一年目の宿題とします。
周りの皆さんからの助けに日々包まれながら、
自分たちが厳しくも学びの多い山中の暮らしを楽しむ姿を見せられることこそが、
そうした方々への恩返しにもつながるものだと自分なりに信じています。


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by 907011 | 2011-08-21 16:48 | Trackback | Comments(4)

20日土曜日。

『六ヶ所村ラプソディー』の鎌仲監督が魚沼に来て、
『ミツバチの羽音と地球の回転』上映とトークをします。(勝手に宣伝)
これで前売り1000円とは素晴らしく安価。
祝島も舞台として出てきます。
身体の空く方、一緒に行って見て聞いて考えましょう。

『ミツバチの羽音と地球の回転』予告


日時 2011年 8月 20日 (土曜日)
場所 新潟県魚沼市干溝1848-1
説明 「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会+鎌仲監督トーク​in魚沼市

【会場】魚沼市小出郷文化会館小ホール/魚沼市干溝​1848-1
【プログラム】
1)13:30開場 14:00~​16:15上映 15分休 16:​30~17:00 鎌仲監督トーク
2)18:00開場 18:30~​20:45上映 15分休 21:​00~21:30 鎌仲監督トーク
【参加費】前売り1000円/当日​1400円
【主催】グリーングリーン
【WEB】http://gre​engreen888.juge​m.jp/



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春に田植えをお手伝いさせてもらった、石黒の大橋さんとのご縁で、
高柳で発刊されている季刊誌『じょんのびだより』
に文章を書かせていただくことになりました。

その原稿〆切が、あらまあ20日。
先日、「じょんのびツーリズムの会」(準備会を経て、7月7日設立)でお会いした際、
大橋さんに〆切20日だよ、頼むよ、20日だよ、頼むよ、と念を押され、
「まだ白紙ですけどね(笑)」なんてもちろん言えず、言葉を呑みこむ。
あと三日で練ります。

ちなみに、「じょんのびツーリズムの会」の方でも、
新聞を発行する方向で話が詰められてます。


宿題やらねば。夏休みが終わる。
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by 907011 | 2011-08-16 05:00 | Trackback | Comments(2)

送る儀式は、迎えてもらう為。

ここ一カ月くらいいろんなことがあって、なんとなくぼんやりとお盆。

やまんかにもでっかい車があちこち停まって、人口が本当に何倍にも膨れ上がってます。
いろんな想いが飛び交っている光景。
ただならぬ非日常感に、朝の4時5時くらいが唯一変わらずに普遍的な時間。

訪れるヒトの想い、それらを迎えるヒトの想い。


それは、今ここらで目に見える者たちの話だけでなくて、
たまに墓や寺社に掌を合わせる自分とその向こう岸も同じで。


山中、28戸。
4日前、きちごろのばさが亡くなった。

ゆうべはその”しんさわぎ(死んさわぎ=葬儀)”と、村の盆行事が重なった。
朝から公民館はハレの化粧をしてもらい、各屋号ごとの提灯が並んだ。


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ふだん、蝉の声や鳥の声(うちの鶏の声は山に出てもやかましい)は聞えるが、
それに耳でも澄まさなければ、ものすごい静寂の山の中にいるのだとときどきはっと思う。
太陽からも音色が出る。

で、たまに車が通れば、「おー、車」とかつぶやくほどに。


この間、あっつい中で草刈りかなんかしていたら、
なんとなくふと泳げたいやき君(?)を口ずさんでいて、
すごく、それはすごく無意識だったのに、
知らないうちに、鉄板の上で焼かれているところに己を投影していたらしく、
ふと気付くと、「いやんなっちゃうよ」って歌っていた。
嫌んなってたのか、俺? おのれ。

と、山に一人で居ると、何の文脈もなく、ふとさまざまな歌が脳内再生されるものです。

あ、8月15日の8:15。


そんなときどきに、汗だくになりながら何故か「雨~降りの朝で~」と、
『ばらの花』(くるり)という歌が思い浮かぶことがたびたびあって。


”あいづち打つよ きみの弱さをさがすために”
っていう詩がとても印象的です。
そうなんだなあ、相槌っていうのは、そうなんだ。

よくこういう言葉が、潜っているところから浮かんで出てくるもんだなあとはっとする。
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by 907011 | 2011-08-15 08:25 | Trackback | Comments(4)

御覧。






3時~4時ころ起きぬけに健康サンダル履いて、隣の”とわち(藤八)”の空家の前に出てみる。
最近はだいたいこんな感じです。



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4時半からの一時間くらい。
山に居る時間の中でもこの時間帯がたまらなく善い。

もの凄い時間をもらっていると思う。
もの凄い。


書けること、伝えられることは、
目の前にあるもののほんのわずかに過ぎない。

「言葉が過ぎた」なんて、著名人があれこれ言われたりもするたとえもあるけれども、
それもつまりは、言葉が足りていないというだろうなと昨日里芋の土寄せしながら思った。

俺はどうにもとても言葉が足りない。
すごいんです、山中。



ユニコーンの「HELLO」をやたらと聞きます、この頃は。
ぐっと染みます。



SORA MITE GOROUND!
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by 907011 | 2011-08-09 05:31 | Trackback | Comments(6)