山中記

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サラウンド。

建てない建築家・坂口恭平 初のドキュメンタリー『モバイルハウスのつくりかた』
これ、十日町の映画館でもやってくれないかな。すごく観たい。
路上の家から学ぶべきことは?

昨日代かき、いきなりトラブルに見舞われるも無事終了。
あたらめて代かきってひじょうに難しい。
高いところと低いところ、水と土。今日田んぼ入ってならしにいきます。
ツキヨメの田はオクサと違って山の水が潤沢に流れている。
稲って究極の連作農法だよなあと思う。
そう考えると山を伝って流れてそのまま田に入る水の滋養がそのあたりを考えるヒントになりそう。
便利さは少なくても、川上に居る最大の特典みたいなもんだと思う。

昨朝に、家人が採ったモチ草(ヨモギ)を忙しそうに茹でていて、
ゴザに広げて干すのを手伝う。
夜はヨモギを繰り返し繰り返し煮た汁を入浴剤にして風呂に入る。いい深緑色だ。
何十年も継ぎ足し継ぎ足ししている呑み屋(カウンターが飴色)の煮込みに投入された豆腐のような心持ちになる。
居酒屋のマスター元気かなあ。

しかし昨日午前はあいにく陽が出ず曇り。
蛇でも出そうな天気だなあと思いながら、つきゆめ農村食堂でラーメン定食を食べた後、
蛇に二つ遭う。蛇はいかんよ、蛇はいかん。
田んぼもおもしろいなあ。
また節操なくあれこれ実験したい。
不耕起の生き物いっぱい田んぼ、興味津津。


この頃は4時過ぎになると薄明るい。
雄鶏に乗られ過ぎて、玄関で一羽だけ別飼している名古屋コーチンの「なー」さんを外に出す。
(群れにいる残り2羽は「ごー」と「やー」。じつに思慮深いネーミングだ)

朝日が昇る前の青い時間が好きで、
外に出ればキツツキの「こここここここーん」というドラミングが頭の上に響く。
(「か」に近い「こ」の音。「こ」に近い「か」とも言う)

初めて山中に来た翌朝、キツツキの音だけで目が覚めて(やはり4時過ぎだった)、感動したのを覚えている。
キツツキの音を聞いていると、いまだに新鮮な感動がある。
・・・と家の外に一歩出ると思う。
うちの雄鶏どもは、今日は3時2分から朝鳴きしている。やかましい。

この辺の人は、オスのことを「じじい」と呼ぶ。
我が家に住んでいる7つのじじいどもは、毎朝3時からなき続けていて、ニンゲンのおとうさんは寝不足です。

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あと20日余りで1歳になる、半分ウコッケイの子たち。
「7つのじじい」のうちの2つ。残念。かわいいからいいけど。
もうすぐ1歳になるじじいたち。
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by 907011 | 2012-05-31 04:23 | Trackback | Comments(2)

門出時間~山中時間。

昨日は門出のばー(親戚)のところに行って、
かの地でも有名な話好きな父ちゃんの話を聞きながら、
鶏どもの菜っ葉をもらったり、お手伝いを少しして昼飯と昼ビールと昼寝の時間をもらった。

去年から高柳町内各戸に全手配りされる、「じょんのびツーリズム新聞」という
季刊新聞づくりに携わっていて、前回の編集後記に、
「なつかしいという感情はその人にとって他の言葉には置き換えようのない感情だと思います。
 皆さんのなつかしい話をこれからたくさん聞かせてください」と書いたためか、
いつも以上に父ちゃん気合が入っていて、
すでに相撲の立ち合いで片手をついたような状態になっており、
ご飯食べながらも矢継ぎ早に言葉を重ねるのでした。
たぶんもう、話せば話すほど、どんどん話したい思い出がリンクしてきて、あふれ過ぎて、
自分が話しているスピードでは全然それらに追いつけないように見えて、
ふと見たら、こたつに伸ばした足をジタバタさせながら夢中で話していた。
そんな、町議を務められた父ちゃんにこういう表現も失礼ながら、
「ちびっ子のようにいじらしいことよのお」と思いながら、かぶの味噌漬をかじってビールを呑むのでした。

久々の白飯のおかわり(朝飯食べてなかった)を繰り返しながら聞いた、
「田植えとぼたもちと結い」の話が面白かった。
小苗休み。夕方の牛の草刈り。鎌の種類の話。
今と違って重労働の連続だったので、
10時(小昼・こびる)15時(中飯・ちゅうはん、ちょーん)用にもご飯を持って山に行った話。

午後は岡野町のお父さんが田に水を上げる(ポンプアップ)というので山中に戻り、
”オクサ”の田で、水ごったくを教えてもらう。
オクサは驚くほど水の少ない、希有な棚田だと思う。
かつての水げんかの話も、
「我田引水」を地で行く生き字引のような年寄りの話もうなずける
(暗くなるころ山行って自分の田に水を落としていた、とか)。

その後、夕方まで挿し苗(植え直し)をしていると、
途中から雨が降ってきた。
お父さんが田に水を上げると、直後に雨雲がどこからか集まってきて、雨が降るという残念なジンクス。
今年も健在。
俺が去年から見る限りにおいて、
ときに天気予報もくつがえし、祈祷師も手を休めて二度見するくらいの神がかり的な確率。

それでも田に入って這いつくばっていると、一枚一枚、一カ所一カ所で、
田の土の硬い柔らかい、高い低いがそれぞれにあることがよくわかる。
代かきってえらい難しいなあというのが、この春の一番の収穫。
逃げ回るカエルの子の中に、久々にゲンゴロウを見た。


今年は念願叶って「自分の田んぼ」づくりをやってみることにしました。
「空いている田はいくらでもあるぞ」と言ってもらえる(たしかに)んですが、
自分で考えて手づくりするというのは初めてのことだし、
田植え、草取り、はざがけと手でやりたいので、とりあえず一枚だけ。

昨秋に鶏ふんまいて荒打ちして水張りっぱなしにしていた田んぼ、どうなったのか。
今日、代かきをします。

先日、オクサの田で代かき練習させてもらいながら、
ふとトラクターに乗りながら、「ぼくはかいていくー」という詩が頭に流れた。
天気が良い一日は、ユニコーンの『スカイハイ』がよく似合う。

<僕は描いていく 空に描いていく
 描きちらしていく 描きなぐっていく>

素敵なおっさんたちだ。

自分の田畑、強調月間。
でも、2日土曜にあるゆめのもりフォーラムの講演を聞きに行きたいなあとも思っています。
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by 907011 | 2012-05-30 05:33 | Trackback | Comments(0)

悪人正機。

新境地。
この冬、なにがどうしたんだか、なんのスイッチが入ったのか、
たまたまインターネット動画で見つけた『Outrage』(北野武監督)を5日間連続で6回見た。
同じ映画を3夜連続で心から楽しむという「北の国から」以来の斬新な心境におちいったところで、
家人に報告したら同じく見事にはまった。

「ヤクザって頭いいなー」と感慨にふけり、
なおもその後、酒飲みながらヤクザのドキュメンタリーを見たりしているうちに、
ひょいっと西の方角に連れ去られ、ふたたびなにかが作動して、
『ミナミの帝王』にどっぷりはまる。
マンダはん、知的で格好良い。内容も面白い。

さらに変なギアが入り、『ナニワ金融道』を風呂と布団で繰り返しむさぼり読む日々。
これは某月刊誌記者時代に読んでおけば良かったなあと真剣に思った。
手形、小切手、金利、ブローカー、倒産、夜逃げetc.
読んでいるうちに、なぜか自分も高利のゼニをつまんでいるかのような錯覚にひたります。注意。
しかしおもしろいなあ、西って。

 * * *

ブログを利用して起こした文章が膨らみすぎて、私的な雑感などをごっそり削っていたら、
とっても無機質なレポートが新たに完成し、落胆。結局いつも同じ流れ。

「そうだ、tanneさんに学ぼう」と反省し、
短くて、素敵な文章を簡潔かつ継続的に記そうと思い立つ。

・・・結果、ヤクザ映画とナニワの金貸しの話がやや簡潔に書けました。

(今さらながら)今日から自分の田畑強調月間とします。
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by 907011 | 2012-05-29 05:14 | Trackback | Comments(2)

編集中哉。

古くて、なつかしくて、新しいもの


去年、山中に来てはじめてむかえた高柳の冬。
屋根の上から眺めてみると、
雪にすっぽり包まれた家に、電気や固定電話の線、
それと自分が引っ越してから新たに引かれたパソコン用の回線が
屋根裏に伸びてつながっている。

どこもかしこも真っ白ななかで目にする、内と外。
ウチとそれらの線とがつながっていることで電気が使えて
やっと自分たちの生活もどうにかつながっている。
あれだけの雪にいざ覆われてみると、
「このウチには何が入って、代わりに何が出ているのか」がかなりシンプルに見えてくる。

そう考えると、ガスや灯油もそうだ。
かつては各家で薪(たきぎ/まき)をそれぞれの持つ山に入って調達し、
暖房や風呂、炊事の燃料にした。
囲炉裏から天井に上る煙にいぶされることで、
くず屋根(茅葺き)からは虫が逃げて耐久性が強まった。

高柳町時代につくられた資料にこんな一文がある。
「30年後半、プロパンガスが普及し、カマド、薪がいらなくなる。」(『農とくらし 新潟県高柳町』)
五十年近くが過ぎてなお、薪の需要はなくなったわけではない。
だが現代の住宅にとっての必要はゼロになったといえる。
いま、燃料はお金と交換して「買うもの」に変わった。


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百姓仕事のほとんどがまだ手でされてた頃。
田の苗代が始まる前に、残雪の山に入り、
斜面の小雑木をナタで切り束ねる”ボイ(ボヨ)”切りや、大木を切り出して薪をつくって
一年分の煮炊き、風呂を焚くための”わっつぁば”などを確保したという。

そんなかつての百姓たちの記憶を頼りに
「春山、春木(ハリキ、ハレッキともいうらしい)をやってみよう」という企画が4月上旬に向けて進められた。
 ・・・が、当日はまさかの大雪で中止に。
数週間が過ぎて残雪もなくなってしまったものの、
「ぼい切りだけでもやってみよう」と声が上がり、
5月15日に荻ノ島にてぼい切り体験をした。

当日は地元の重野萬治さん(うえのやま、82歳)も先生として同行、
現場まで移動しながらさっそくいろんな話を聞かせてくれた。

山の斜面のことを「ひら」と呼ぶそうだ。
ヒラと聞けば平らのことを指すかと思ったらそればかりではないみたいで、
山の呼び名に「○○ヶ平」が使われるのもこのヒラから来たという。
(東北北越地区だけでなく、アイヌや琉球でもまた崖や坂をヒラと呼ぶそうです。
 斜面そのものは平らだから??)


「ひら」に上がってさまざまな雑木をナタやノコギリで刈り始める。
マルバマンサク、ヤマザクラ、ヤマモミジ等々、多様な木が茂っている。
みんな子どもの頃にうちと学校を行き来して歩き、
帰ってきてからもさらに山で遊んだり、家の手伝いをした(させられた?)中で
自ずと木や草を覚えたという。
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「ノコもナタも目方で伐る」と萬治さんがいう。
自分のような素人はつい力づくで切ろうとするけど、
「力を入れないでノコギリの重さをいかして、静かに伐る」。
手本を見せながらいわく、「何でも道具は一部じゃなくて、その全部をうまく使うだよ」。

次々に伐られたボイ(ボヨ)が放り投げられ、ひらに大きくたまると、
手ごろな太さの枝を棒にしてまくりながら転がし落とす。
下へと転がってきたボイの細かな枝をナタで払い、長さをそろえる。
小枝を落としたボイを150cmくらいの丈に切り揃えたり折り曲げたりしながら、
一抱えほどの束に。
その両端を「ねじり木」をして束ねていく。
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萬治さんがマルバマンサクの枝をねじりながら縛って見せる。
マンサクやサクラなどは柔らかくて粘りがあるので、ねじり木(縛り木)に最適だという。
てこの原理で力を込めてねじると、樹皮が少しずつ割れ、中の繊維がほぐれ、
マンサクの枝がしなやかにしかしすごい締めつけの力でボイの束をきめていく。
達人のねじりっぷりに「おおー」と興奮の声が上がる。

ボイとねじり木。木でもって木を束ねる。
一年を通してロープが必需品になった今では当然
このねじり木の技、知恵も「古いもの」になり、消えつつある。

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ボイの他にも大きな木は玉切りして、わっつあばにした。
春山を残雪の頃にするのは、木が水を吸う前にすることで乾燥しやすいことや、
木の芽が出る頃には虫がすでに中を食っていることが多いからだという。

早春に各家でぼいやわっつあばづくりを始めないと、
すぐに田の仕事が始まってしまうという理由もある。
百姓の暮らしがとかく忙しいのは、こうした一年一年が循環し持続していたからだろう。

また、斜面の低木をこうして4、5年おきに伐採することで山が保たれる。
山腹の低木が大きくなりすぎると雪に引っ張られて毎年ノゲ(土砂崩れ)の原因になる。
ボイに適した丈の頃に切り取ると、それが防がれる。

「だんな様7年、びっぽは5年」。
山を多く所有するだんな様でもない限り、なかなか太い木は伐採できなかった。
だから、わっつぁばは
ハレの日(正月や大切なお客さんが来た時)に使うために確保しておいたのだという。
良いわっつあばは煙が少なくて、火持ちが良い。
急いで湯を沸かしたい時やみそ汁をつくる時などは火付きの早いぼいを燃やした。
だから、山が売り買いされる時には「わっつあば何束とれるか」で値踏みをしたそうだ。
(「びっぽ」=貧乏)


 * * *


〈人間は時間の短縮と空間の拡大に狂奔しながら、かえって真の時間と空間を失った。〉
福岡正信の『無Ⅲ 自然農法』(春秋社)という本の中にある一文だ。

別に昔がすべて良いとは思わないが、
かといって便利化された今の暮らし(あるいは農作業)が必ずしも正しいとも思えなくて、
何かよく分からない”違和感”があった。
もしいま、「買うもの」としての燃料がなくなったらどうなるだろう。
石油やガスがいま枯れたら。動かせるものって、はたして何が残るんだろう。
昨年の東北の震災に、自分は身勝手にも、
自分の”違和感”が形としてあらわれるのを重ね見た気がした。

かつての「そうするしか他になかった」暮らし、山に生きた百姓の技や知恵は、
実は最新の科学よりもずっと、見えにくい先を進んでいたように思える。

「なんぎぃがあるすけ、じょんのびぃがある」という言葉は
ともすると何世代も先の、孫の孫のそのまた孫の世代にとっての道標になり得るかもしれない。

ていねいな暮らし、生き方を重ねてきたじさばさどもが
何気なく話している”なつかしさ”の物語は、
自分を立ち止まらせて考えさせてくれる「記憶の力」を宿している。

移住したばかりの自分にとって去年は
「すげーなぁ」と言い続けて暮らした一年間だった。
さらに周りが少しだけ見えるようになった二年目は
より「すげーなぁ」と言い続けるんだろうと思う。

山中には、「山中時間」というここだけの時間の流れがあるんじゃないだろうか、と近頃思う。
それぞれの空間に、それぞれの時間の流れがあるんじゃないだろうか。

ていねいな暮らしのための時間のことを、もう少していねいに考えよう。


(『じょんのびツーリズム新聞』用の荒起こしmemo+雑感)
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by 907011 | 2012-05-28 06:37 | Trackback | Comments(2)

空論。

自分の机の上の状態が
そのヒトの、その時々の心の状態を表すんだと思う。

てなことを、すっちゃかめっちゃかな机上で言葉に表してみる朝。


<欲しかったら、ぜんぶ捨てなさい>
『調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』 (幻冬舎文庫)

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by 907011 | 2012-05-19 07:14 | Trackback | Comments(2)

雪に桜。

ウソという鳥がいる。本当に。

ウソは桜のつぼみを食べる。
今年はウソが少なかったらしく、上の”ごすけ”の桜(巨木)の花ぶりは圧巻だった。

朝日が出る直前ころの薄明りで見上げる桜が好きだなあと思う。
静かで、青い世界。

一日のなかに、
連日のなかに、
一カ月のなかに、
一生のなかに、
あの時間と空間があるから、なんとかどうにか生きることとの均衡がとれていると思う。本当に。


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先週。
一日かけて機械で家の下(村の道路)の雪を飛ばしてもらった。
そうして昨日、初めて車がうちまで入れた。

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雪がまだ二階に達していたせんだってに、雨漏りの箇所と思われる、割れた屋根瓦を確認。
晴れの善き朝に屋根に上がって雨漏りを直した。
ついでに屋根に腰を下ろしてぼんやりとまた別の桜に見とれて眺めていた。


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山中に来て一年と一週間が過ぎた今朝。
雨が降ったらどうやら雨漏り再び・・・。
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by 907011 | 2012-05-03 06:39 | Trackback | Comments(4)