山中記

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滝行。

「すべての市民は記者である」とは、
インターネット新聞「JanJan」の言葉。

日常が是即、年寄りや山に対しての取材のような日々。
1聞けば、答えとして想ったものよりはるかに多い10くらいが響いて返ってくる。

大切なことは山が教えてくれる。
人の言葉は、山への畏れや戒めに時々結びつく。

山の中に、川の中に、答えはただ静かにそこにあって、
たとえば、大昔の匠が手がけた木彫りの仏像のように、
木の中から「形」が削られるべくして削られてその姿を浮き彫りにさせるようなものかもしれない。

「なつかしさ」という感情であらわすこともできるし、
その延長線上に「未来」を描くことだって易しいと思う。
なつかしい未来。

 * * *

この冬、あまりに雪を毎日目に焼き付けたせいなのか、
いまだに「真夏」という感覚がない。
「暑い…」とは思うし、口にもするけど、どうも頭の中が夏っぽくない。
ひょっとするとまだあの家の陰に雪壁があるんじゃなかろうか、と半分本気で錯覚したりする。
あと数カ月過ぎれば、いよいよさっそく雪が巡り巡って、頭の上から降り帰ってくる。

正月に初めて発刊した<じょんのびツーリズム新聞>を配って山中を回った時、
集落の一番上で一人暮らしをする”つねぞう”のばーさんが、
「ここは年の半分は雪だすけそ」と静かな声で、雪の山中を見下ろしながらつぶやいていた。

「孤高」。
孤高と孤立は異なる、と石川直樹さんが以前コラムに書いていた。
孤高は自分の意思でそこに立つということ。

この山の中の暮らしは、夜の明かりの灯る家の数だけ、
異なる孤高が連なってできている。
孤高の群れには、どこよりユーモアがあるし、協働がある。

 * * *

その後、新聞はなんとなく季刊ペースで、この夏に第3号が出た。
高柳700軒、全戸手配り新聞。
春から不肖私が編集長という肩書をおおせつかり、
かといって特に難儀ぃ仕事もなく、他の5人くらいの編集チームの方に大いに進めてもらってます。

「取材」というタンゴ(単語)の響きに、
大学出た頃の文系フリーター(卒業したけど就職できず佐渡でフラフラしてたりした)の俺は、
甘美な匂いを感じてあこがれたものですが、
いざ、文を業にしてみたらば、日常を生きることがだいたい取材のようなものだと気付く。
だから、だいたいすべての人は記者であり、すべては取材であって、
そこに何ら特別な、見えない線引きなどないと思った。
見えない線というのは、しょせん見えないのだから、
だいたい農家にせよ作家にせよ、自称すれば成立すると思う。
名乗った上で、何に懸命になって努力をするかできるかの話で。

ということで、取材してきました。
「ヘルメット持って9時に岡田の公民館な」と呼ばれたので、
ヘルメット持って9時に岡田の公民館へ。
勤め先に所属してないニンゲンのひじょーに良いところだと思う、この辺の流れが。
ただし、サラリーも保証されてないから、もちろん人にはオススメできないし、いろいろ大変だけど。



日本の川を旅する―カヌー単独行 (新潮文庫)

野田 知佑 / 新潮社





不安定な自由をとるか、不自由な安定をとるか、それが問題だ



そんなトモスケさんの言葉を思い出しつつ、
「柏崎市消防団」と正しく書かれたヘルメットを初めてかぶり、
終始「休め」の心持ちで、白倉の堰堤(えん堤)を目指してやぶをこぐ。

集まったのは、水先案内人兼渓流釣りのプロであるところのキヨシさんと、
岡田から3人、区長さんタカアキさんと、
すごい高そうな一眼レフを片手に水を浴びながら二連梯子を登っていくコヤマさんと、
お世話になっている岡田の新聞屋の父ちゃん。


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人工物は山より滝よりなぜか怖い。
そういえば、自分は高校の時に山岳部に入ったけど、
小さい頃から異常な高所恐怖症で、
しかもビルだけじゃなく、たとえば雲とか飛行機を見ても足がすくむことがある。
そこに居るような精神に陥るんだと思う。
飛行機いまだに乗ったことないからなおさらタチが悪いんだと思う。
なんであの鉄のかたまりが浮くのか、これはきっと墓場まで持っていくんだとも思う。

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植物観察などしながらゆるりゆるりと「白倉の御滝」を目指して進む。
沢歩き、おもしろい。そして、そこらじゅうが食べられる草だらけ。

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「熊の跡だな」と、言われる。
しばらくその後歩いていたら、「まー出たら出たで仕方ねーな」と、言われる。
この展開は昨春の渓流釣りの時と同じ・・・、やたらと手を叩きながら歩く。

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こっちはカモシカかイノシシの跡。二股の爪だから。
カモシカ、イノシシ、かわいいなあと癒される。
癒されるんだけど、熊に出られると困るのでやたらと手を叩きながら進む。


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7月23日月曜日。
頭上に残雪があった。
雪に見とれたいたら、落石が転がってきた。
小動物が少し歩いただけで、連鎖的に岩が落ちるケースがあるので、
こうしたところを歩く際はヘルメットをかぶりましょう。
ヘルメットを無料で欲しい方はお近くの消防団に入ると、お酒もたくさん飲めて良いと思います。

落石を横目に見つつ、もう痛くなるくらいに手を叩きながら、進む。

残雪の上に、落ち葉と土が積もり、その上に草が生えていた。
溶けない、積もる、発芽するというミルフィーユ。
生と死と眠の層。


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進むにつれて、ブーツから入ってくる水温がじわじわと冷たくなる。
一服したところの水があまりに綺麗で、コヤマさんが顔を突っ込んで飲んでいたので、真似する。
澄んでいた。
口からさらに頭までそのまま前傾してすっぽり浸かってみた。
ニンゲンは水に内包されている。

コヤマさんの山傘には「晴雨乃友」と書かれてあった。
意味を尋ねると、
「雨が降っても、晴れてても、この傘はずっと一緒なんだ」と少し照れくさそうに教えてくれた。

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のんびりやって一時間ほどで御滝に到着。
マイナスイオン浴び放題。


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二回、滝に打たれる。
記念写真を撮ってもらったけど、あまりにスケスケ写真となりNG。

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御滝に打たれ、いろんなものがそぎ落とされた、かもしれない。
「いやー、ありがたいなあ。ありがたいねえ」と”水曜どうでしょう”の大泉洋のようになる。

滝の水は痛いほど冷たくて、急いでシャツをしぼるべく脱ごうとしたら、シャツの背中がやぶれる。
いやー、ありがたいなあ。

その後、ありがたく手を叩きながら、ありがたく下っていく。
山もそうだけど、下りの方が足にかかる負担は大きく、ケガも下りで起きやすい。
いやーありがたい教えだなあ。

熊が出ることだけは有り難くあって欲しい。

堰堤を再び降りて下界へ。
木に結んだロープを左手に握って、この下りのハシゴが一番怖かった。

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白倉の湧水のところでお昼。
きよしさんと新聞屋さんからおにぎりをそれぞれいただく。

この白倉もかつての村だったのが、離村した地域。
温泉源もあり、岡田集落の飲み水の源泉でもある。
「だから岡田の米は良いんだ」と岡田の人は嬉しそうにいう。

岡田区長タカアキさんの話だと、
この御滝への観光道をつけようかという話も浮上しているそうだけど、
それによって果たしてこの水源およびその下に連なる田んぼなどの環境に
どういう影響が生じるか、あるいは生じないか。
場合によっては、道はつくるべきではないという選択も考えなくてはいけない、とのこと。

観光として外からの貨幣を、村の内の経済に落としこめることはとても魅力的だと思う。
想像するだけで、いや想像すればするほどに、新鮮な刺激が頭によぎって離れないとも思う。
でも、川上、まして「水源」に携わる区長としてのタカアキさんの葛藤は相当なものがあるだろう。

自律。
自分の、自分たちの欲望を律するということは、そういう葛藤の繰り返しかもしれない。
それは極北の先住民にもあるだろうし、ここまで便利化された日本の中山間地の一集落でも、
程度としてさほどの差はないと言えるかもしれない。
いずれにせよ、日々断続的に選択をし続けるのだろう。

自分を律するということはそういうことなのかもしれない。

 * * *

起こるすべてのことに自己責任を持てる人、
白倉の御滝まで今度また一緒に登りましょう。
水をさかのぼると、考えるところ感じるところ多しです。
普段の自分の日常生活を俯瞰して眺めることができる沢登り道中になるかと思います。
是非。
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by 907011 | 2012-07-28 05:30 | Trackback | Comments(0)

山の中という戦場。



田んぼや畑で時々休みながら、字を読む。
訳あって今月から読み始めている日本農業新聞と、
新聞屋が良かれと思ってついでに無料で添えてくれる新潟日報。

山中はメインストリート沿いにある家以外は、新聞は公民館に棚があってそこに届くシステム。
朝仕事を終えて、帰りに公民館に寄って2紙を小脇に挟むと、
何とも言えない「読破しなくてはいけない義務感」みたいなものが湧いてくる。
この義務感というのは決して良くは作用しないものだけど、
それでも読めば読んだなりに収穫があるので、どうにか続いてます。

つい何年か前まで日経新聞が好きでとっていました。
日経は面白い記事、発想の着火となる記事が多かったし、何より文化面が秀逸で、
「長岡駅近く・駐車場付¥36,000」という安アパートの、
しかもなぜか屋上を一人占めして朝日の昇る頃にストレッチしながら読んでました。

ただ、思いっきり文化的新聞に一変する日曜の日経を読むのに、
自分の場合は休日の3~4時間くらいを要するため、
温泉などに持参して心身とものぼせながら意地になって読んでいた。
とりあえず新潟日報の無料配布、早く終わらないかな。

新聞なければ本を読む。
山の木陰で仕事の合間に本を開くと幸せな気分に満たされます。
「一人仕事をしていきたいよなあ」と、そんな時に強く感じます。

『調理場という戦場』を何で繰り返し繰り返し読むんだろうと思ったら、
それは、自分なりにやりたい農業と、ここで語られる調理場とがすごく似ているからなのだと気付いた。

そんな、ですます調と口語とが「ないまぜ」になった感じの今朝。



調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

斉須 政雄 / 幻冬舎





今も、自分のやっていることは化学実験のようなものだと思っています。
いい言葉を聞いた。こんな風な考えがあるのか。
じゃあ、その新鮮な考えを料理にしてみたら、どうなるだろうか……?
どんな結果になるのか、ワクワクしてしまいます。
本には、今までぼくが試していない行動のヒントがたくさん詰まっています。



斉須さんの言葉は即田畑に当てはまると思う。


お店を開くとしたら、万全のスタートは誰にだってできっこない。
「もっと万全になってから」と考えていたら、いつまで経ってもお店を開けないままで終わります、きっと。


もちろん、多くを得ようと思えば迷いが出ると思います。
だけど、「これだけあれば、大丈夫」と思えたら、自分でやりたいことをやるだけになるのです。
創意工夫してやれば、けっこう、できます。



そういえば、この本、
後半になって、やっと少しだけ料理の話が出てくるような気がする。


それぞれの人は、修業時代からの味付けの失敗と成功の積み重ねの中で、
微調整をしていきます。
気が遠くなるほどの量の操作が、身体にしみついているかどうかが、
センスという言葉で表わされるような結果の差になってくるのだと思います。
そこはもう、操作のくりかえしというか、失敗のくりかえしの中で、
「これがいいのかもしれないな」と、感覚的にわかっていくものです。
理論的なものではなくて、生理的な過程でしょう。



確かに、学校で教わった基礎はどこでも通用する。
でも、どこでも通用するものって、評価はされないのです。
個性ではないものだから、オリジナルな仕事だとは見做されない。
お客さんから「あれではなく、これをぜひ食べたい」と思ってもらえるには、
人と同じ能力を持っているだけでは足りない。
ひとつの優れた特性で勝負をする人のほうが、何でもできる人よりも商品価値がある。
あれもこれもこなせるというのは、平均から脱することのないつまらなさでもあるからです。
あれもこれもはできないけれど、これはできるよ、という料理の作り方をするほうが、
お客さんは欲しがってくれるでしょう。


それぞれの人はそれぞれにひねくれているはずです。
その奇形な中から出てくる部分が個性であり、使いようによってはすばらしいものになると思う。
奇形なら奇形でもいいじゃないですか。


海外で独学した人の共通項なのだろうか、
日本語として、それ自体がすごく美しい言葉だなあと感じる。


「色をつけなければ」と先入観にがんじがらめに縛られてしまえば、荒い火を使わざるをえない。
だけど、ある程度水分を飛ばして、そのあとに自然についてくる色を待っていればいいんです。
いきりたたなくても、色は湧き出てくる。人間性と同じです。


ぼくは、おいしいものができるのなら、どのぐらいの時間であっても構わないのです。
「テリーヌは、何度で何分でしょう?」
そういう小賢しい基礎知識を振りまわす人を見ると、ちょっとムッとしてしまいます。
そんなことないよ。試してみなければわからないじゃないか。
結果がよければそれが最高のテリーヌの作り方なんだ。

最高のうまみを出してあげることが、
素材に対していちばん丁寧で、敬意を払うことになる。



火を使うから、偶然の要素が入ってくることを避けられません。安全圏はない。
「コート・ドール」のスタッフには、「安全圏の仕事を与えてもらおうと思っても、
そういう役割は、ここにはないよ」と言っています。
料理長のぼくにも、安全圏はないのですから。



修業先での恩師について。
耳に痛い話ですが、俺の場合じつにいろんな土地のいろんな恩人たちの顔が浮かびます。

ムッシュ・ペイロー。そしてベルナール。
その時々のすばらしいメートル(恩師)と並走している時には、
「案外、自分でもできるのではないだろうか?」と思ってしまうものです。
しかし、うまく並走することができているのは、
隣にいる恩師が見えない微調整をしてくれているからに他ならないのです。
その場にいると一から十まですべて満たされているけれど、
自分でゼロからはじめようとすると、何もない。
「ことほどさように違うのか」というほどに違う。
何が足りないのかがわからない。そんな状況が絶対に出てくる。


脱サラした瞬間5秒でそう思った。
いかに看板や名刺の力で仕事をしていたかに、気付かされた。
企業の下のニンゲンじゃなくなった瞬間、あまりに非力だし、
当時の自分の状況を証明する言葉も伴わない難しさを味わった。

ベルナールから学んだものの中でいちばん大切にしているのは「臆病さ」です。
彼はいつも臆病さを失わない。
何をやるとしても、最初からバーッとは出ない。
何歩か出たり入ったりしながら、強度を確かめて、
それから準備万端でブルドーザーで出ていくような人間です。
その意識の持ちようを彼から学んで、今日も駆使しているのです。



「バブル絶頂期のレストランのあり方」というモデルがあちこちにあった時期の開店だったんです。
役所関係や会社関係の人がごんごん来て、接待費を使いまくるタイプのお店が、
六本木だとかで、とても流行ってましたからねぇ。
事業家なら、きっとそういうのに興味を抱くと思うんですよ。
でも、ぼくのお店は、バブルまっただ中なのに、ほとんど今のようなかたちで……
接待費を動かす人たちには、あまり相手にされなかった。



お店を開いた後に妹さんが病で亡くなった。


楽しまなかったらおもしろくない、ということを超えて、
「生き方をかけて楽しまないと、もったいない。後悔する」という決意が芽生えてきたのです。
限りある時間のすべてをかけて、理想を現実の手ごたえに変えていきたい。



母親は料理の世界のことはまったくわからない、田舎のひとりのおばあさんでしたね。
フランスなんて彼女にとってはほとんど絵空事で、空想の世界でしか知ることができなかったことと思います。
そういう中をくぐり抜けてきたあなたの子がこういうことをしてきましたよ、
という人生の道行きを、本にして母親に渡したわけです。
母親は肝臓を病んでいましたが読んでくれました。
ぼくは小さい頃からぼんくらで、
「懇談会とかに呼ばれて帰ってくると、母はいつも落ち込んでいた」というのが、
ぼくにとっての母親像でしたから、そんな母親に、ちょっといいところを見せられたかなと思っています。
「がんばったんだね」
そう母親が言ってくれた時には、感無量でした。



名古屋からの帰りのバスの中で泣きたくなる。


小さい頃には、お寿司屋さんになりたかった。
仕事の内実なんてわからなかったのですが、ただキリリとねじりハチマキをして、
ノリのきいた白衣を着て、お客さんの前でキビキビ働くいなせな姿の職業にすごく憧れて、
「ああいうのになりたい!」と思ったものです。
母は、とんでもないと言ってました。
ぼくがどれだけ情けない子かは彼女がよく見ていたでしょうから、「あんたにはできないよ」って。

だけれども、同時に、ふだんから育つ過程でいつも言われていた言葉があって、
それは、この頃すごく自分に返ってきています。
「人にできたら、あんたもできるよ」という母の口癖は、何かを感じる言葉なんです。


経営についてもまた我流で興味深い。
我流というより、昔からの流れをじっくり観察しているなあと。
クラシックを聞くような感覚が伴うのだと思う。


生産者と経営者と消費者の意識を把握しなければなりませんが、
そうそう物事は思い通りにはならず、経営者としては非常にドンブリ勘定でやっています。
綿密に経営したことはないです。
遠い昔の日本人はそれで成り立っていたはずです。
だからそれでやっていけるか、その生き方でゴールまで行けるのか、試してみたいと思っています。



あまり打って出ない、しかもドンブリ的な経営は非効率なやり方でしょうけれども、
今の社会風潮の中では、かえってそれが大切なポイントではないかと考えています。
効率とか収益だけで何もかもが行われる中で
「こいつは馬鹿か利口かわからない」みたいなところでお店をやっていくのは、愉快でしょうがないんですね。
もし最後までこれでやれるのならばやってやれ、というのが実際の気持ちです。



料理人は職人であると同時に、商人でもあるから。
職人は生産者の立場でものを見ているけれど、商人は消費者の立場でものを考える。



自分の作っているものが最高だと思い込み、自己満足に浸ってしまうのは怖いことです。
作られたその場で消費されて、おいしいと思ってもらわなければ、
それはその場では明らかに「おいしくなかったもの」なのです。
味わう舌が悪いというわけでもなく、それは結果として、その人にとっては、おいしくなかったということになる……。
いくら料理人が「これでどうだ!」と威張ってみても、その事実を変えることはできません。



喜びと値段が一体にならないと、笑顔をもらえるかどうかは、わかりません。
経営と開発には、ある程度の基準を持って、あとはアイデアと勢いで切りぬけていかないと、
お店は自滅してしまいます。
「高いものを揃えること」は誰にでもできる方針ですが、お金持ち以外のお客さんには迷惑ですからね。



「仕事論」と副題に掲げられているけど、
仕事論を語る上で、回顧されている来し方行く末が一つひとつひじょーに深く掘り下げられている。


ぼくは田舎で味噌汁とタクアンを食べて育った子だし、
洗い場で何もやらせてもらえなかった駆け出しの頃をよく覚えています。
「薄給だけど、それに甘んじて頑張っていた自分」しか、やっぱり、最初のぼくにはなかったんです。
そのスタートラインを意識していたいんです。
プロというマスクをかぶってウソを言うことはしたくない。



「コート・ドール」に入ってすぐの子たちは、
「何でもあり」という感じが、はじめはほとんどよくわからないようです。
今まで学校で「人と同じじゃなきゃいけない」という教育をさんざん受けたあとにうちに来るんですから。



やっぱり、農業も含めて「手でものをつくる」という仕事は面白い。
面白くて、深くて、限りなくて、そして、生きることを哲学(独学)するための最良の素材になる。


スタッフには、経験や年齢や場所に関係のないところをよく覚えてもらいたいです。
「この個性さえあれば、パリでもアマゾンでも通用する」と自分で思えるようなものを宿せば、
どこに行っても、料理を作れますよ。
「あれがないとできない」というような小賢しい知識とか技術だけじゃなく、
生理的に太いところを鍛錬してくれればなぁ、と、そんな風に思っています。
いつか独立するかもしれない料理人に対して、ぼくはそうやって接していますね。


経験を重ねて痛い思いをしてきた人が大切にするものには、
ある程度の共通性が出てくるのではないかと思ったことがあります。
北極でテントを張っていても、アフリカでサバイバルをしていても、ニューヨークで芸術の世界にいても、
誰もが大切にすること……それこそが、本当の意味でのパスポートなのではないかと思います。
世界の不文律というか、自然の摂理といってもいいかもしれません。
自然体で生き抜く強さと、生きていく上での感謝。
ぼくのように野菜や肉からそれを感じはじめるようになった人もいれば、
熊やオオカミと対峙してそれを感じている人もいるかもしれません。



そして、この本を幾度となく読み返す上で、
私的にいちばん好きな言葉。


透明になるには、今の自分が持っているものから
減らすものと捨てるものを選択しなければいけません。
捨てられないものを引きずりながら、新しいものを手に入れようというムシのいい若者もいますが、
「それでうまくいくことは、ないよ」
「欲しかったら、ぜんぶ捨てなさい」
と、それだけは徹底的に叩き込んでいます。



ぼくはふつうの人間です。
意志が特別に強いわけでもない。臆病だし技術は下手です。
専門学校に入ってちゃんと学んだ知識もない。
ぜんぶ、現場で生理的に抜き取った仕事しか、身についていないんです。
だから、いつも怖いのです。


ソースをスープのように飲む生活で、ぼくの足には静脈瘤ができています。
フランス料理を生理で体得する過程で血管の弁がやられたからです。
でも悔やんでいません。
何かを得るためには、何かを失わなければならないから。



「コート・ドール」の調理場には次の言葉がかけてあるという。
「一、至誠に悖(もと)るなかりしか。
 一、言行に恥ずるなかりしか。
 一、気力に欠くるなかりしか。
 一、努力に憾(うら)みなかりしか。
 一、不精に亘るなかりしか。」

誠実か。言動に恥ずることはないか。気力は満ちているか。
努力は怠らなかったか。不精になってしまっていないか。
すばらしい言葉だと思います。
大変な状況の中で、昔の人はこれを目指し、実行していたのですよね。
何もかも揃っていても、なかなかこれをすべて満たすことはできないですよ。
ものがなければないで工夫して手ずから生み出していけるはずと思いながら、
この言葉を思い出しています。



ニヤッと笑う話。

できあがったものを見て「あぁ、なーんだ」とは、誰でも言うんです。
そしてそこで終わることでしょう。
でも、プロセスをしっかり見ている人は、プロセスの結果としてできあがったものを観察して、
ニヤッと笑いますよ。
「そうなるんだね」とニヤッと笑う体験が大切なんじゃないかと思います。




本人にとっては、うまくいくかいかないかは、「〇%か一〇〇%か」だけなのです。
九〇%の人がうまくいかなくなっても、一〇%に入りたくなる……
自分でできれば、それは必然の出来事になるのです。
その逆に、八〇%の人がうまくいっていても、自分がだめなら、それは本人にとって〇%でしょう。

「できるかもしれないじゃないか!」
青春って、そういうものですよね?

ぼくも、口当たりのいい若年寄になんかなりたくなかった。
何を言われたって、やってみないという手はない。
客観的に言っていいことなのか悪いことなのかはわからないけれど、
やってみたいと思ったことを実行すれば、まがりなりにもその人なりの凸凹が出てくる。
実行しないままだと横一列並びになる。



若い人たちは、どちらか明確なものを欲しがりますが、それはあまり意味がないと思います。
どちらかわからないような不安な現場で平常心を失った状態で作るからこそ、
何かがわかるのではないでしょうか。
「わかる」と言っても、決断の時にしかわからないものだと思うのですが……
いつでも事前に平常心を持って悠々と判断できるようなものは、あまりないですね。



いい人は、嫌い。

理路整然とした人のほうが優れているというのは、うそっぱちだと思っています。
現実に何かをしている最中には、何がどう引っくりかえるかわからないんですから。
純粋なことだけ教えればすばらしい力を宿すかというと宿さないんです。それと同じですよ。
いいことができる人は、悪いことだってできます。
ですからぼくはお店のみんなに、「いい子面した偽善者にはなるな」って言います。

いい子は弱いから。
ほくは「いい人」が嫌いです。みんなに対しては「ぼくは、悪い人です」と言ってます。いじわるもしますし。
いい人であるだけでは、あるべき姿のレストランを維持できませんよ。


調理場ではマニュアルを作れないと思っています。
組織はマニュアルを作るから弱体化していくとさえ考えていますから。
少人数でその場その場の言葉にならないマニュアルを作って
ピンチを切り抜けていくところを重視していますね。効率は悪いですが。

効率と収益を追うと、量産せざるをえないでしょう?
そうなってしまえば、結局拡散され薄められたものしか出てこない。
ぼくとしてはそう考えています。


気立てと健康。
そのふたつには、余計な作為が入ってないからいいのです。
どこを切っても裏表なく人に接する人はすばらしい。
まわりの誰もが「あ、この子は何でも嫌がらずにやるな」と、憎からず思うでしょう?
そう思ってもらったら、もう成功の切符を手にしたようなものです。
そういう人ならどこに行ってもうまくいくでしょう。



昨日ふと読んだコラムにあった言葉、
おとなになるって、「ご機嫌でいることよ」。

常に機嫌良く居ることは、時々難しい。


ぼくが見習いでまだ何もできずにいる頃、未来のことなど到底想像できませんでした。
いつも「シェフになる人には、ぼくとは別ルートがあって、
苦もなく何でもやってのける特別な人なんだろうなぁ」と感じていました。
だけど、フランスで出会った最高の人たちは、ふつうの人でした。
壁に正面からぶち当たり、タンコブを作りながら毎日をひたすら積み重ねていた。
……ぼくは、その姿に感激した。



今、コート・ドールから有能なスタッフが独立するケースは多くて、
内心「いてほしい」と思いながら、でも、だからこそ「一人立ちするべきだ」と送り出すのだという。
「あとのことは何とかなるから」、
「行きたい未知の世界に進んだほうがいいと思うよ」と。

必要な人ほど、身近なところにはいなくなっていきますね。
「愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。
 もし帰ってくればあなたのもの。帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかったのだ」
こんな言葉を聞いたことがあります。その通りだなぁと感じました。

ぼくの経験上でも、確かに、印象深い人は必ず帰ってきてくれています。
帰巣本能みたいなものかもしれません。
「斉須さん、こういう人間になりました」と会いにきてくれる。
何年かの間、必死にぶつかり合う。
そして次は、それぞれが違うところで毎日何かをやっている。
お互いの存在が仕事の励みになる。そういう関係は悪くないなぁと思います。



うまみは何処にある?


ひとりの人間が体験できることは、そんなに何人分にもなるはずがありません。
それぞれの人は、それぞれの限りある日常の中に、埋没しているはずです。
あるがままの日常の中で、ひとりの人が、心から大切に守っているものは、
そんなにぞろぞろとは出ないでしょうし、ぞろぞろと出る言葉は、「きれいごと」に留まってしまって、
その人との体験とは離れた、地に足のついていない、その人をさらけ出していないものになるような気がします。
うまみは、そういうところにはないんです。



知識や才能を、作動させて開化させるための環境づくりは、
もしかしたら、知識や才能を獲得するよりも、ずっと難しくて、ずっと重要なことなのかもしれません。
ぼくも、何十年も料理の世界にいますが、耳に心地よく響く、優雅な答えなんて、持っていませんものね。


本に書いてあったからとか、講習を受けたとか、
そのひとつだけでわかるものごとは、ごくごくわずかなものではないでしょうか。
見る。聞く。嗅ぐ。動く。身体の中にまで入り込んだ時に、初めて、言葉や手法は発露するのです。
人がものごとを吸収して、それを行動の原動力にまで変えていくというのは、
とても効率の悪い、時間のかかることだと思います。



「どうやって、こういうお店を作ったのですか?」と問われたら「こう答えたい」そうだ。

「何をやったか、よりも、『やらなかったこと』が今に至っていると思います」と。
策を弄(ろう)していたとしたら、手に入らなかったであろうものが、
今のぼくには、とても大事な財産になっています。



運とか縁とか無欲・無私とか。

結果を生む作用は、その人の日常とは、またひとまわり外側で動いているような気がしました。
本人は、そういう大きな流れを気にしたりせずに、ひとまわりちいさなサイズの中で、
十分に生活を満喫しているんです。
大きな成果は、むしろ、その人の周囲の人やものが、その人に手渡しているかのようでした。



 * * *

田んぼと畑の草刈りでぐったりして、昨夜は19時前に布団に入った。
よく寝た。

夜中に目覚めたら雨がざあざあ降っていて、
ほぼ日腹まきと作業着をまたも焚き火イスに引っかけたままだった。

今日は7時半から山中生産組合の手伝いを頼まれていたけど、
雨で延期。今日の昼からか、明日の朝からか。
お天道様しだい。



願わくば、肉体も精神も目いっぱい使いつくして、
ある日のサービスの最中に終わりたい。
何者でもなかった頃の自分と今日の自分の時空の間をひんぱんに行き来しながら、
ためらい、励まされ、決断し、生きてきました。
もうすこしやりたいし、上手になりたい。その気がある限り、道は続いている。
ゆっくりを精一杯……。今はそんな気持ちです。



やりたい仕事に夢中になれるという状態は、
ともすると、(古き良き時代の言葉としての)”信仰”のようなものかもしれない。

だから、それぞれにそれぞれの潔い戦場があるのだと思う。
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by 907011 | 2012-07-21 06:59 | Trackback | Comments(4)

月草。

昨日、新月。
”ときち家持”の跡の畑で小豆をまいた。

去年マサコさんにいただいた、山中で自家採種されて継がれてきたアズキ。
8月にまいて
12月にコタツに突き刺さりながら選った、自分アズキ襲名二代目。

家人の「ばー」が暮らした、ときち家持。
何十年かを経て、畑になっているとは、暮らしているその時は想像したんだろうか。
秋田の、まして非農家で生まれ育った俺などがその土に這いつくばってアズキまいているとは。
ご縁とは想像の域を超える、設計できないものだ。
翻って、この藤美屋は50年後にはどうなっているんだろう。

新月播種。
調べてみると、月と農業の言い伝えはけっこう面白い。


 * * *


名古屋~長岡~十日町~山中。
少し遠回りしながら戻ってきて、留守にしていた田畑をリセット。
ニンジンの芽が吹き、トマトは雨の影響かだいぶ青枯れしてしまった。
無企画にあれこれ植えて、どれが自家採種したミニトマトか、どれがいただいたトマト苗か、
どれが生き残るのか、はたして謎。
トマトを傘で覆うべきか、でもしたくないなあ。

4時過ぎ。
空を見に外に出る。日の出がだいぶ遅くなった。
焚き火と活字を眺めるイスに、「ほぼ日腹まき」を置きっぱなしでいたら、朝露でびっしり。

ビニールハウスの中で水をまく作業をしていた頃、「滑稽な話だよなあ」と思ったことを思い出す。
大きな傘をさして、その傘の下に水を引っ張って放水することはまさしく違和感だった。

でも、農水省のあの金がもし手に入れば、
どう見ても弱体化する冬の自分とかわいそうな鶏たちと少しの菜っ葉のために、
ビニールハウスと投雪機を購入したいなと夢想中。
てめえ(手前)で屋根をかけといて、雪に追いつけなくていよいよ雪を嘆くんだろうな。

「人間は自然に内包されている」。
間もなく始まる大地の芸術祭の北川フラムさんの言。
新潟でも同じような芸術祭が先にスタートしていた。
10月に旧笹川亭に石川直樹さんがやってくるので、その話は聞きに行きたい。テーマは「異人」だった。

 * * *

名古屋から戻った初日の火曜。
遊んだ身体もリセットすべく、朝から田に入って草取りをした。4時間ほどかかった。
昼に戻ると、神戸にいる”ナカガワ”さんから、イカナゴを大量にもらう。
大漁の年だったと、ありがたい手紙に書かれてあった。
あのヒトともあのヒトとも、まだまだ酒を酌み交わしたい。
たどってきた別々の過去をなぞって、どうでも自己肯定をしていけば、
その延長線上にある、(可視化できないけど)未来の動線のどっかで、たぶんまた交わることが分かるから。

離れていることと、そのヒトのことを想うことは異なる。
ただ、近くにいればなあとか、遠くにいってしまったなあとか、そういうことじゃない。


翌日水曜。
7時半から山中の取り付け道路の草刈り。
今年は13人も出られて、うち耕運機が7台も連なる様子は圧巻。
きんねん、はちべ、いちべ、たつみょう、まつみや、さぜん、へやち。
ザ・山中という光景を目の当たりにした幸せ。

春先には毎日点滴をして寝て断酒(途中から呑んでた)していた”さぜん”のじさ。
白いランニングと黒い腕カバーの間に屈強な腕が伸び、炎天下でビーバーを振り回していた。
田植えの頃からエネルギーを持て余して、とうとうやっぱりという感じでチェーンソーで木を玉切りしていた。
噂では、「点滴を打つペースを減らして欲しい」という声もあるとか。全快し過ぎて。

11時から公民館にゴザをしいて、「少しお口を湿らせて帰ってください」という労いの酒。
さぜんのじさは3月にノコギリの目立てを教えられなかったことが口惜しかったらしく、
「お(オラ)がアサリの出し方から全部教えてやるすけ」と、目立てを学ぶ会パート2でリベンジをはかっていた。
山中の樵(きこり)に学ぶ、山の道具とノコギリの目立てを学ぼう会。学びたいヒトは是非。
たぶん、終了後にまた少しお口を湿らせるんだとも思います。

「昼寝ができるのは若い証拠だ」と言われる。
「仕事ができない頃は、気をもんでよく眠れなかった」というのも昼寝の話。俺は電池切れで寝るなあ。
「年を取ったら、身体が思うようにならなくなって仕事に追いつけなくて、15分くらい寝るとすぐ起きちまってダメだ」そう。


昨夜は、荻ノ島公民館に集まって、
「生活素材としての草を知る。」ための勉強でした。

むかしより、わらをはじめ、すげ、ひろろ、たつのけなど、
農具や生活道具をつくるために、さまざまな草を活用してきました。
それぞれに特長があり、先人たちはその特長を熟知し、使い分けてきました。
そんな生活素材として重宝されてきた「草」の知識、技術を記録、保存したり、
できれば新たな活用方法を模索していけたらと思い、第一段階として座学を計画しました。


草の達人・ヨシマサさんを囲み、2時間。
チラシに載った草の他にも、
フトイ、ホタルイ、カラムシetc.と、
今も山では現役で使われる方もいる荷縄、ばっとり、てご、まんがい(まんげ、ゆきぼうし)などの民具。

memo.
・「木は腰で、稲は肩でしょうもの」。
・「田休め」(7月15日頃)にスゲなどを刈って、干した。
 ちまきを作ってイワスゲで縛る。
・下駄の緒などのワラでは対応できない強度が要るものにはカラムシ(オ)を使った。
・春先に雪にさらしてアクを抜いて柔らかく(細工しやすく)した。
・フトイはパピルスの仲間。パピルスは紙だけじゃなく、舟も作った。
・山傘をつくれる年寄りが荻ノ島ではあと二人。

・牛の鼻取り(田の代かきなど牛力の頃)の話。
 「牛も人を見る」。人によっては牛がさぼって、田の中に座って動かなくなったりした。
 「牛はあのでっかい目で人をよく見ている」。
 田の水は深めに張って、水の力で耕した。
 ミノを牛や馬の舎にうかつに置くと、食べられる。
 夕方、田から上がってきて、用水池や川で村のみんながそれぞれの牛を洗った。
 牛もくたびれるんだろう、「これで一日が終わる」と気持ち良さそうにした。


今後の活動として、タツノケ(龍のヒゲ)を採ること。冬に手仕事をやってみること。
ワラを用意して縄ないをすることが予定された。

今日は畔の草刈りへ。
前回、畔豆(ときち豆)を2,3本刈って凹んだので、今回こそはノーミスで。でもたぶん刈る。
誤る。謝る。

明日また朝早くから山中生産組合の仕事を頼まれたので、夕方早くから焚き火して酒呑んで休もう。
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by 907011 | 2012-07-20 05:01 | Trackback | Comments(0)

名古屋。

大学バド部の友人、ノザキの結婚式で名古屋に滞在。
土曜未明の2時半に山中を出て、同じく仲間の十日町カサハラと合流。クロス10に軽トラ眠る。

前日。
雨降りの後を見に田んぼにいって、携帯電話知らないうちに大いに水濡れ。
壊す。
今私は名古屋ナイトにおいて、「ドコモ管理品」と書かれた携帯電話を携帯してます。
帰ったら柏崎まで出ないと、俺のらくらくフォンまがいのニュー電話が返ってこない。

カーナビ、携帯電話、車、公共交通機関。
これらがなかったら名古屋の結婚式など、とうに参加をあきらめるだろうし、
きっと便りも、他の仲間から風のうわさで聞く程度だったはず。

年男年女などになりながら、でも今回も、式を中断しながら「乾杯」が唄えてよかった。

乾杯 今君は人生の大きな大きな舞台に立ち ~って、だいぶうるさかったけど。
ノザキ(と愛すべき仲間たちに)、幸せあれ。

本当に素晴らしい式だった。
バド部の皆さん、相変わらずアホ全開(たぶん30半ばのニンゲンが可能な範囲の最大のアホ)でよかったです。
笑い死ぬとこだった。

ヒトって笑いながら死んでいくのかな。
あのヒトも、あのヒトも、このヒトも、
きっと笑い合いながらケガや病気と立ち向かえたら、それがいいな。その結果はどうあれ。
とにかくとにかく、幸せあれ。


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みんなどんどん頼もしくなっていく。


調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

斉須 政雄 / 幻冬舎





自分の常識に社会を振り向かせる気持ちでやっているなら、
自分自身は天然のままで、作為のないまま輝くことができますよね。
日常生活なんだもの。
ぼくはいつも、お店の若い人たちにも、
「常識はしょせん人間の作ったものだから、自分の常識を作ればいいじゃない?」
と言っているんですよ。
常識に迎合している若い子というか、年寄りじみた言動をする子を見ると、腹が立ちますね。
群れからはずれるには、それまでとは違ったことを試してみるしかないに……と。


旅の書。『調理場という戦場』。


ぶち当たって、頭にタンコブを作るかもしれないけど、いいじゃないですか。
痛いのは自分ひとりなんだから。
タンコブを作るのが嫌なら何にもできない。
もしタンコブを作るのが嫌な子が「コートドール」のスタッフにいたら、
ぼくが親切でタンコブを作ってやります。
無傷でいい思いをするなんてことは、ないですから。



日本を経つ時、「もう、二十代は捨てた」と考えていました。
乞食ほどの貧しい生活ではないけれど、
薄給の中で長い下積みの期間をフランスで過ごすということは明らかでした。
「いいとか悪いとかということではない。『そういうことなんだ』」と思っていました。


これでも料理人(と経営者)の話。


ボタンひとつで何でもできるというところまで行ってしまえば、
ぼくの出したい料理はできない。
いいお客さんも来ない。
おいしいというのはラクなこととは意味が違っていますから。
みっともなさや不便さを介在させないと、成り立たない。
仕事の仕方に関わることなのです。
このでこぼこを組み込んだラインを日々の習慣という潤滑油で苦もなくやってのけるから
お客さんが来てくれる。
このことに対しては、ぼくなりにですが、ただ単に回顧しているだけではない十分な意味を感じています。



料理長は、レストランの中では、
「思いが完全に満たされて終わり」ということはないのです。
慣れきってしまっては終わりです。
だから満足できない自分でいないと、お店の持続はありえません。



ぼくが経験したことで言いますと、
その意味での「楽しさ」というものは、きっと、
苦しさを抜けていないと掴めないんだと思います。
「板一枚の下が、もう深海だ」とでもいうような意識を経た後に、
最高の楽しさがやってくるような……。
ものごとに一面があるとしたら、表と裏の両方の知識と経験を操縦できる自分になりたいと思っています。
清潔な部分を欲しがるならば、廃棄するものも、
同じくらいのパワーで処理する必要がありますからね。



みんなと同じにならなければいけないと思って仕事をしていた時には、
非常に疲れていました。
だけど、もしかしたら、みんなと同じではないところが自分のよさかもしれない。
そう思うと楽しくなってきました。
それまでのぼくの原動力は、日本で底辺をはいずりまわっていたという悔しさだった。

だけど、だんだんと「楽しくやろう」と考えられるようになったのです。
何でもできることが大切なのではない。うまければ何をやったっていいのだ。
いやもちろん、今でもヘソ曲がりの部分は持っていますよ。
口当たりのいい生き方や言動をする人には「そうやっていつまでもウソを言ってろよ」と虫唾が走ります。
口当たりのいい人と仕事をする気は、毛ほどもないのです。




誰にも頼れない中でとっさに作るものにこそ、
作り手の人間性があらわに出ます。
その人が常に何を考えているのかが、いざという時にはっきりと表れる。
火事場の馬鹿力を必要とする時には、
その人個人の考えと力をさらけ出すことになる。
毎日、馬鹿力が出ればいいと思っています。



「これは夢のような幸運だ」と思っているうちは、
その幸運を享受できるだけの力がまだ本人に備わっていない頃だと思うんですよ。
幸運が転がってきた時に
「あぁ、来た」と平常心で拾える時には、
その幸運を掴める程度の実力が宿っていると言えるのではないでしょうか。



つまり、人生に近道はないということです。
まわり道をした人ほど多くのものを得て、滋養を含んだ人間性にたどりつく。
これは、ぼくにとっての結論でもあります。
技術者としても人間としても、そう思う。
若い時は早くゴールしたいと感じていることでしょう。それもじれったいほどに。
ぼくもかつてはそうでした。
でも、早くゴールしないほうがいいんです。
ゴールについては、いい悪いがあるから。
成功を手にしたいというのが人間として当然あり、
しかし人は成功を手に入れたとたんに厄介なものを抱えることも確かです。



<いい本を読むと元気になりますよね?>


ぼくとしては実行しないと知ったことにはならないし、
実行して結果を見てはじめて「このことを知った」と言えるのだと思います。
ですから、読書をする時にも、ただ単に読んで「知った」ということはありませんし、
大量の本をむさぼり読むからすごいとも思いません。
すばらしいなぁと思ったら料理にするだけ、
シンプルな読書法ですね。



ぼくの夢は、「有名になること」ではありませんでした。
人間ですから、生々しい欲望がないとは言いませんが、
夢というものは、きっと、ずっと幼い頃から見つめていたところにあるのではないでしょうか。
ヘンな入れ知恵がつく以前に、自分は一帯、どうしたかったのか?



なんで生き方の問題が仕事の問題かと言うと、
ぼくが見てきた範囲で言いますと、若い時の才能とか技量には、あんまり差がないからなのです。
結局、才能をどれだけ振りかざしてみても、あまり意味がないと思う。
才能はそれを操縦する生き方があってのものですし、
生きる姿勢が多くのものを生むからです。



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この本に掲載されている「コートドール」の調理場の写真は、
まるで軍艦のような迫力に満ちていますね。十六年の時間を感じます。
あまりキレイに撮らないでくれたのがよかった。
光を飛ばしてただただ白く光るまな板を撮ってもらったとしても意味がないから。
調理場とはそんな場所ではない。もっと気迫に満ちた戦場です。




名古屋ナイト~未明。終戦。
残りを高速バスで読みます。

何度読んでも自戒に満ちた本です。
いい本を読むと元気になりますよね。

あとは山に帰ろう。
明日は田の草取りをしよう。
18日は山中の村の草刈。
19日、新月。小豆をまく。
21~22日は、長岡で小林茂カントク(今、松之山でドキュメンタリー撮影中)の対談。
23日は(生きていたら)、白倉の滝を登る。
次の新聞の体験取材記。


 * * *


<明日の光を体に浴びて
 振り返らずに そのまま行けばよい
 風に吹かれても 雨に打たれても
 信じた愛に背を向けるな>


みんな、それぞれの舞台でやって、集まったときはまた「乾杯!」。
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by 907011 | 2012-07-16 05:02 | Trackback | Comments(0)

農泊後記。

今年も東京の御子らを4人、農泊体験というので24時間預かった。
3年目。
もとは嫁さんがばーと一緒に農泊受け入れをしていたところに、
たまたま縁もゆかりもないままに俺が追加農泊みたいに長岡から来ていたけど、
去年から一応家主として、家に鎮座。

飯食いながら話していると、いかに自分が精神年齢一緒かがよくわかる。
「イチローは毎日カレーを食うけど、ここ(山中)だと年越せないよ。
 でも、ニイチロウ(山中”まごすけ”)は、すごく農作業ができるし、ノコギリで雪も割れるんだぞ」。
・・・きょとーんとされる。


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七夕あたりに生まれた鶏のヒナ。
ヒナは子どもにはまず鉄板。必ずうける。

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今年は、ナマハゲが庖丁で指し示すところの「わりい子」ばかりで、珍しく叱った。
自分たちでも吐露していたけど、「勉強ばかりでストレスが尋常じゃない」。
口を開けば○○○の話題ばっかり。
あまり具体的には書けないほどに陰湿だったので、叱った。

一日12時間勉強するとか、イギリスに住んでいたとか、アメリカに居たとか、
・・・そんなことはワシらには一切関係ないし、どうでもいい。

自分のことを振り返ってみると、
「何もかも捨てて、これだけ勉強したんだから」という文句は、
要するに、「ワタシは今教えてもらっている勉強にこれだけ追いつけていない」という自慢下手を競う程度の話。
金かけて塾いくのが偉いか?、俺は塾行かない子どものまま五体満足で大学まで出させてもらったので、
冷たいことを言うようだけど、残念ながらまったく共感できない。
挙げ句、行き着く話題がストレスフルであるのならば本末転倒。

本当、今回の農泊は自分にとっても良い機会となった。

・・・なんて話をおととい、子ども自然王国のヒロミさんにしたら、
「どうせ花ガッパみたいにしゃべっただけで、怒れてないんだろうな」と一笑される。

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矢沢”えーちゃん”も自著に書いてあったけど、
ほんとうに大切なことは幼稚園でほぼ習い終える。
挨拶をしようとか、悪いことをしたら謝りましょうとか。
借りたものは返しましょう、とか。

あとは年寄りと子どもの声に耳をかっぽじることができればそれでいい。
その集中力や余力があるかどうかの話。


 * * *


主観に過ぎませんが、働く大人になって役に立った公式などまったくない。

受け売りの表現ですが、
大人になると、一人ずつ違う設問のテスト用紙を投げ配られるし、
だから、自分の答案用紙というものは、他人とまったく様式が異なる。
宿題も、答えも、その思考プロセスも含めて一切、我が行く道で苦しまぎれにひり出し続けないといけない。
そこら辺の領域に他人が踏み込む余地はない、
と横手高校図書室で高校生の俺はひやりと思ったのでした。
質実剛健。


なぜ勉強して大学行って評価を得るか。
大学受験の時にたどり着いた答えは、ただただ「忍耐力の評価」くらいでした、せいぜい。
別に大人になってから役に立ちそうな勉強はないなあって。

自己否定も肯定も、自己矛盾もひっくるめての進学校青春、と今は想う。
人それぞれ、想うところはあると思うけど。
俺が図書室の出窓の一人空間で考えていたのは、そんなことだったし、
実際、大学入って家庭教師バイトをして教えていたのはそんな話に終始したような気がします。
つくづく大学受験って忍耐力の評価だと思う。

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でも。
算数をマジメにやらなくては、
おとなになってから、いざ計算ができないと、
自分の生き方の計算もできなくて、焦ってケガしたりバカなことを繰り返す。

絵を描く時間に、一生懸命絵を描かないと、
自分の生き方の画を描く時に、上手に画を描くことはできない。
俺はさぼってばかりだったので、それでつい最近の5年間くらいはケガばかりくり返してました。
出遅れたなと思う、それで焦って急いでケガばっかりしてる大人。

本をたくさん読めるようにならないと、
親兄弟も、環境も異なる、他人の気持ちは想像し得ない。

理科を教えてもらう時間に、一生懸命考えないと、
虫や草花の根本が分からない限り、一生かけても「自分」という存在が何であるかは分かり得ないし、
まして他人のことなどなおさらイメージできない。

歴史もそうだし、音楽もそう。
今なお生き続けるクラシックに耳を傾けることができない限り、
自分が思い描くだけのモダンは意味をなさない。


鶏のことは、本を読んでも分からない。
ただ、鶏をじーっと見続ける観察の時間を割かない限り、そのヒントは降りてこない。


”分からないことの方が圧倒的に多い”ということを、
生きながら分かっているか、意識できるかどうかで、自問自答の仕方は変わってくると想う。
分からないことの方が多いということを分かっているかどうかを、生きているとついぞ忘れてしまう。

百姓に学ぶ事柄って、その点をとても鋭利に突いてくると毎度気付かされて、はっとする。


昨日、<じょんのびツーリズム新聞>を配っていたら、
”どうのした”のばさがほっかむりをして炎天下に出てきて、
「おらがやらないと、草に追っつけない。仕事におっつけない」って泣き笑いのような顔して言っていた。
あれだけ60年も70年も山で暮らして来た人が、
それでも自分の家の周りの一年草にさえ追いつけないのが人生なのかもしれない。
ニンゲンは自然に内包されている。

少年少女よ、あなたがたは頭いいのだから大志を抱け。
俺はケガしてばっかりの生き方で、あっちこっちで蹴っつまずいて、あちこち頭ぶつけてばかりなので、
とてもうらやましく、まぶしくすら思えます。

その上で誰かを好きでいられれば、それで良い。


赤ん坊、笑え、
助平な動物たち、腰を振れ。
大食漢たち、メシを食え。

できるのだから、遠慮せずに。
(darling)

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by 907011 | 2012-07-13 02:59 | Trackback | Comments(4)

竹の火。

昨日未明。
一升瓶のケースに座って、月と星を眺める4時前。

定点カメラで月と星が高速再生で流れる映像を見るのが好きだ。
あのカメラが仮にここの藤美屋の屋根にあったとしたら、
昨夕からひたすら竹の切れっ端で焚き火をしてビールを呑んで、寝て、
また未明に出てきて、同じく一升瓶ケースに座っている不審なニンゲンが映っていると思います。

星がぐるーっと回って日の出までの、大きくて静かな時間の流れ。


スローとは地球の限界に配慮し、宇宙の時間に合わせることだと思う
(2008年 新津美術館で見た言葉)


9日。
山の中に点在する6カ所の畑の一つ、”上の上塚”へ。
先日、O田先生に見せたら後日、「いろいろ考えさせられた」とメールをくれた上の上塚畑。
もともとハサ場で杉とウド(とクズ)に囲まれている。
ちょっと一段高くて人目につかなくて(そもそも人が通らない位置)、
なおかつ時間によって日陰ができるので夏は普通に畑で休まりながら考え事ができる。
しかも木々の中にぽつんとあるせいか、ここの土がやたらと良い。
今年は野菜育苗用の土も全部この畑からとった。
砂の中に時折粘土が少し入った土。
水はけがよく水持ちが良い。

そんな上の上塚で昼寝後に、
ニンジンをまくための畝を一つだけ丁寧につくった。
ものすごく良い畝で我ながら久々に惚れ惚れした。(明日からの雨で少し変形するだろう)
ついでに風除けに、ソルゴーという緑肥を端っこに植えた。
風よりもケモノ除けとして効果があるかどうか、自分の身長くらいに伸びるそうです。
この畑ではポップコーンと青豆を育てている。
どちらも乾物で扱えるので、ちゃんとものさえできれば後は稼ぐ練習をするのみ。

夜に帰って、焚き火をしながら酒を呑みはじめた。

杉っ葉に着火して、竹の切れっ端をナタで細裂いて、火起こし。
オトコは火遊びが好き。
今回は一発で順調にいった。火起こしにはそのヒトの性格がよくあらわれるという。
そこん家の玄関とトイレを見ると、そこん家の雰囲気がわかるんだと言う。
ふじみや、玄関からずっと鶏。
この前、門出のキヨシさんに言われた。
「もうお前ら、鶏が住んでいる家に住ませてもらってるような状態だな」。

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火を見ながら呑む酒が好き。

さりとて、ただ酒を飲んで焚き火をしているのでもなくて。
ニンジン播種にあたって灰が欲しいので、という焚き火。

この思い付き手づくり焚き火空間。
穴掘っただけだけど、あと屋根の去年割れたセメント瓦を壁に使用。プライスレス。
ここでの焚き火は草木か竹と杉っ葉のみの草木灰づくりかまど。

たまたま鶏ふん積みなどした後で、畑の一角に余ったのがこのスペースだったけど、
じつはここはかなり最適な位置でした。
今年は主に竹の切れっ端をもらってたまに焚き火をしてるんですが、
その際に出るこの煙。

その日の風向きによって、この煙が畑の方に行けば、そのまま竹酢液をまくような状態になってくれる。
しかも夜露で希釈、展着の役割まで果たしてくれる。

一方で、風が逆に家の方にいけば、
これまた家の虫の防除のための竹酢散布のような状態になる。
またちょうど屋根のひさしの裏側に煙がのぼっていくので、竹酢液を嫌うカメムシに効果ありと思われる。

そんな偶然が生んだ、奇跡的デザイン(理由後付け)。
・・・なんて口実を一人考えて自己満足してビールを呑み続けるのでした。
やっぱり実際に住んで暮らしてみながら実験と観察はされねば、
机上のことだけで時間だけ過ぎてしまう。

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で、未明の空を見ながら一升瓶のケースに座って月と星を眺めて、
その後、ニンジンをまいた。
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by 907011 | 2012-07-11 03:36 | Trackback | Comments(4)

35歳乙女座、夏の誓い。

7月7日。七夕。
早朝に秋田の実家に連絡をしたら、寝ぼけながら父が
「そうえいば今日は、おらだ(私ども)の会社の32周年だ」と話していた。
祝・仙北運輸。

「(弊社が)よぐまあー続いだど思わねが?」と、たぶん布団に横になって話しているだろう父に言われ、
「(御社が)よぐまあー続いでるでなあ」と、ベッドの上で天井を見ながら息子も言う。
リトル秋田。

32年前、今で言うUターンをした父は小さな町で小さな会社を興し、紆余曲折あって今に至る。
途中兄もやはり東京に出て、その後家業にズルズルと引っぱり戻される。
そんな兄の様子を見ながら、一人遊びの好きな次男は高校1年の時に下宿(と山岳部)に入り、一人暮らしを謳歌。
次男、つまり俺はもう人生の半分以上、実家を出たままだ。

多感な思春期に、家庭内で、
おそらく世の中学生~高校生が経験しなくて良いような、
ネガティブな経験をたくさん積んで、ほれ、このように育ってしまった。
高校の時、大学の時、その後、
よその家の家族を見て、その「普通の家族」という空気にびっくりした。

テレビの中だけの世界だと思っていた、「普通の家族って普通に居たんだ!」というのは
イトー少年にとってけっこうな衝撃で、俺は特異な思春期を背負ったのだとすぐに悟らされた。
小学生の頃からイトー家内にはいろんなおっかない逸話がある
某『財界にいがた』で時折、
社長や政治家が追い込まれていく様子を見たりするのはわりと忍びなかった。

 * * *

人それぞれにはいろんな背景がある。
それは他人が口を挟むことじゃない場合もある。

「他人に指摘されることっていうのは、
 たいがい言われている本人はよくよく分かっていることに過ぎないんだ」、
とは、尊敬する記者氏が、机並べて原稿〆切に苦しむ夜中にタバコくわえながら冷徹に言っていた言葉。

『北の国』なんかをたまに見ると過剰に感情移入する。
俺は人との距離感がいまだに分からない。
親鸞が唱えたという「悪人正機」説がこの頃はしっくりくるような気がする。

 * * *

ただ、今、そうやって電話口や帰省した時に話を聞いていると、
事業を起こしてそれを継続させることが本当にすごいと思う。
あの父母が(今はむしろあの兄が)、もう32年もああやって働き続けてきたことは少し誇らしくもある。

何についてもそう思うのだけど、
継続させるための努力こそが、全ての努力だと言い換えられると思います。主観ですが。
続けることは、続けられるという才能によってのみ成り立つ。

今はすっかり角がとれて仏さんのようになった父。
その遺伝子は確実に(良くも悪くも)自分に受け継がれているなあと感じるここ数年です。

秋田から越す方、あるいは秋田へと越す方、
「お引越しなら仙北運輸」をお願いします。

俺もやりたいことを32年も継続できるように努力しよう。



吉本隆明が語る親鸞

吉本隆明 / 東京糸井重里事務所



ごくふつうの言葉でいえば、「悪人でも往生できるんだ、まして善なる行いを積んだ人はなおさら浄土へゆけるんだ」ということになります。
親鸞はそうは言っていません。「善人ですら往生をとげるんであって、ましてや悪人のほうがなおさら往生をとげられるのだ」という言い方をしています。




7月9日。
泣くの日。
思い出した、去年の今日って成願寺にて成年部手づくり結婚式の日だった。
真夏日のお寺で玉のような汗を新郎新婦および参加者一同で流しあったのを覚えています。
もとは集落の成年部(「青年」じゃない。総勢10人くらい)飲み会で、
若くて素敵な住職が、
「お寺で挙げればいい。俺がお経読んであげるから」とポップに言った一言がきっかけ。
そうえいば蓮光寺さんも浄土真宗(大谷派)だった。

俺も人の結婚を心底祝ってあげられるように努力しよう。
ということで、今週末は名古屋に初進出して言祝いできます。
祝う気持ちが前面に出過ぎて、おそらく泥酔する。



***********************




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by 907011 | 2012-07-10 03:16 | Trackback | Comments(2)

昨日は消防団の新人研修でした。

もしも戦時中に生まれたら、まっさきに適応障害など起こしていただろうなと久々に確信。
「地下活動」に逃げそうな血がどうも自分には流れているようだ。
ろくなもんじゃないのです。

規律とか、そもそも集団行動が苦手で、
それは子どもの頃からいっつも自覚していた。
「気をつけ!」は本当に気をつけている状態なのか?と、緊張するカラダが思う。

 *

前半座学はひたすら睡魔との闘いで、
よくあるパターンなのですが、
手元の資料を作成したパワーポイントの画面(一言一句同じ)を映して読んでの説明。
手元を見ても眠い、さりとて気分転換に顔を上げてスクリーンを見ても同一なので眠い。
むしろ、手元の資料見てしまうとすぐ数ページ先まで読み終わってしまい、
画面を見たところで元戻りして、
「何を眠たいこと言うとるんじゃ」とナニワ金融道のセリフを体感する。

かくして親の敵のように眠い時間を経た後、
立派な設備や道具や装備を見ながらあれこれ説明&ちょっと演習。
俺は自分の村で火事が起きた時に、
備えられるか手伝えるかできればそれでいいのだな、と確認した。自分が自分に。

消防本部の設備があまりに整い過ぎて、
「皆さんのところの道具はまた形が違うかもしれないから、
 帰ってよく確認してください」という説明が必ずついた。
そりゃあそうだ。

ここに新人を集めて研修させるんじゃなくて、
各集落にプロのこの人らが出ていって、
その地での火事に対する備えをイメージして教えてくれれば、
集落の人も関心ある人は聞けて良いのに、
とプロのゴアテックスのええカッパを見ながら思った。

プロの消防士の若い方が石川直樹さんにそっくりで、
それはそれで「おー、格好良いなあ」と思った。

 *

そんなぐったりした帰路。
umicafeに寄る余力もなく、でも以前からずっと気になっていた「森近」という集落で、
先週山中に来た知人ヤマさんが一人、
「陶芸家(千葉から移住らしい)の窯焚きを手伝っているよ。」というので、
消防服のまま、駆けつける。
1200度以上を保つべく、延々と薪を投入し続けるヤマさんと、
「柏崎市消防団」と書かれたワッペンが左腕に輝くワタシ。
「消すぞー」という消防ギャグをつかみとして使った後、しばし窯で話が聞けた。

「森近」って、「山中」に通ずるところがある集落名だなあとずっと気になってました。
そうかそうか、また変わり者を発見。
日本酒が好きらしいので、今度窯で火を焚きながら酒を呑む会が生まれそう。


帰宅したら新たに生まれて、4つになっていた。


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火の用心。



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by 907011 | 2012-07-09 04:24 | Trackback | Comments(0)

七夕。

2つ目。

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オマエは銘菓ひよこか。
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by 907011 | 2012-07-08 05:41 | Trackback | Comments(0)

ナムコツーリズム。

おととい。
六日町からの友人は、松之山のトベさんなる人に弟子入りして米作りを習っていたそうで、
一緒に田に入り、草取りをしながら、自分の疑問を次々に答えの言葉に替えてくれた。
(また聞きですがトベ米は一俵8万円で東京のバイヤーが買い、
 それを東京のセレブたちが18万円の値で買っていくそうだ。)


友人に田んぼ長靴を貸し、自分はじいさんの田植え足袋を持参して、
久々に履こうとしたら、二つとも左足だったので結局裸足でイン。

柔らかいところ、トロトロ層の多い部分、硬い箇所、石の多い地帯、草の多いエリア。
水口~排水する口、田んぼ土の高低差、午後になると木の日陰ができる。
諸処の条件があって、それは田んぼ一枚ごとに全て異なる。
だから、俺のような素人は、
ただ隣近所の田んぼの人にアドバイスを求めてばかりという風にもいかない。
情報を多く集めて整理しきれなくなってしまうよりも、
時には自分の勘・観・感と、経験(主に失敗の方)と運を頼ることになる。
本当に、お天道様の下でくるくる回る稼業だと思う。

昼までやって、泥んこのまま、「ふかぐら亭」の外テーブルに座り、
前日から夏のメニューとして始まった”しゃっこいぶっかけ”を喰う。
冷やし中華好きとしてはたまらぬ美味さ。
うちの卵の素揚げと、手づくりなめ茸、みょうが、シソ、ねぎ、そばの実が入っていた。

関係ないんですが、春夏秋冬冷やし中華だけを手ごろな値段で出す専門店があると良いなあと思う。
もうあるんだろうか?


昨日。
田に水を入れながら、おととい入らなかった箇所を草取り。一人で2時間半くらい。
ちょうど雨が始まって撤収。
田んぼにとってはちょうど良い雨。畑にはちと心配な雨。
うちの畑は鶏に蹴散らされることもあって、大雨に対して畝の肩がまだもろい。

晴耕雨酒。
雨降りで仕方ないので、十日町へ。
魚沼ゆうき山岸さんに勧められた(米を提供しているらしい)、クロス10の「ユキマツリ」で飯喰い、
隣のキナーレで温泉に入る。
7年ぶりくらいに行ったけど、相変わらず良い空間でした。妻有郷、めちゃくちゃ金持っているなあ。
あのお祭りの範囲に含まれなかったから、俺は今ここにこうしてひっそり暮らせているんだと思う。

かくいう自分も芸術祭で松代の魅力にみせられ、
すぐさま脱サラして一年居候して農業見習いとなったのでした。中越地震の年でした。
とにかく皆さん屈強な人ばかりで尊敬の日々でしたが、
都会からの団体の残していく金と理想とゴミについて考えるところ多しでした。
みんな山奥にお金払ってまで、酒呑んで農業や環境について語りたいんだね。
それでスーパーやコンビニで買った大量のゴミを置いて帰っていきつつ、
”第二の故郷”のような愛着(時には執着すら)を土産に持って、都会に戻っていくんだね。
そういう人もいた。
もちろん、言葉に行動が付随するしっかりした人もいましたが、
俺の目が悪いせいか、それは東京でゲンゴロウ探すくらい希有な方です。
誰もみんな言葉を発して暮らしていれば、それは自己矛盾を抱えることにもなる。
自戒。


地域が元気になることもあるし、「一変した」という人を何人も見ました。すごいと思います。
でも、何がグリーン・ツーリズムだろうかと毎日そればかり考えては直し、考えては直しをする日々。
経済の膨らみを挟んだ表と裏を自分なりに少し見たように思います。
グリーンよりも、ツーリズムの方に主導権はあるみたいで、
自分はここから離れようと決めたのを覚えています。
キナーレで松代の味噌やら納豆やらダッシュ村的な構想が着々と形になっている様を見て、
相変わらずすごいエネルギーでやっているんだろうなと想像できました。
すごいすごい。
でも、俺は全然違うスタイルが良くて、
むしろ山中のサイズくらいでできる農業体験がちょうど良いと思っている。

温泉上がって湯あがり卵肌でビール呑みながら、ふと、
「超高級旅館みたいな少数の農業(体験)ができればそれで良いなあ」と思った。
一日一組限定とか、離れがどうとか、そういう一線を隔したサービスに学ぶ点があるような気がした。

以上。これらすべては「勘」です。
でも何が一番大切で、そこに主導権を置きながら見失わず続けられるかどうかが分岐点だと思う。
規模が大きくなることも、お金を儲けることも、良いことだと思う。
ただ、信じたものに主導権を残しながらやれるかどうかは、それよりも重要かもしれない。


「人間は自然に内包されている。」(北川フラム・大地の芸術祭総合プロデューサー)




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2時過ぎに起きたら、8日予定日だった5つの卵のうちの1つが孵っていた。
家人に聞いたらまさに抱卵中の「ごー」さん(名古屋コーチン)の子だそうだ。
たぶん日付が変わる前に生まれた様子なので、7月6日生まれ。
・・・ナムコ。



来週の今頃は、十日町の友達の車に朝3時に便乗して、名古屋を目指している頃。
大学のバド部仲間の結婚式。名古屋はえりゃあド派手な式なんだろうか。
30代半ばを回ろうとしているバドミンターズ(俺は途中で退部したのに仲間に呼んでもらってる)どもは、
相変わらず無茶をするんだろうか。それとも守りに入っているんだろうか。
俺は式の翌日も東海に残って、一度見てみたい農家さんを見学に行くか、
あとはしっぽりと名古屋コーチンのおいしい食べ方を研究してきたいと思う。
本当は関西までふらふらしたいけど、それはできるうちにしておくんだったな。
大学入った時に秋田の兄に「遊ぶんなら徹底的に遊べ。中途半端に遊ぶな」と言われた。
結局半端だったな。


そうそう。バド部の仲間へ。
キャプテン馬場さんがここの高柳小の先生されてました。
周囲を探って分かったのですが、
ちなみに高柳での馬場先生とバドミントンとはまったくイメージが結びつかないらしい。












翔べ!イカロス

Jungle Smile / ビクターエンタテインメント






僕が声まで失って落ちぶれた時に
同じように君を抱けるかな・・・

いっそこの翼を切り落としてほしい
それでふたり永遠になれるなら


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by 907011 | 2012-07-07 04:11 | Trackback | Comments(2)