山中記

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一句。

昨日。
午後帰ってから屋根に上がる。
半分だけ落とす。雲の流れでときどき雪面に映った夕焼けが美しかった。
年内2回目の雪掘りなので昨冬と同じく多く降るんだろうか。

屋根に雪が積もると家中の戸が動かなくなる。
はいごめんなさいよと無理やりに開けて体を半身にして通っても、
むしろ今度は開けた戸が閉まらなくなって困る。

これ、たぶん人生においてなくて良い経験かもしれないですが、
かなり希有な経験(戸が開かなくて部屋ごと迂回して暮らしたり)だと思います。


ただ。
晴れた日に一人で上がる屋根の上というのは何物にも替えがたい気持ち良さがあって。
おそらく個人的な感覚ではないと思う、あの気持ち良さ。
「仕事」という言葉は必ずしも貨幣と直結していなければならないのかもしれないけど、
ただ実際に、屋根の上で晴れ間に遭遇した時、
ここまで自分が生きるということと直結した根源的な仕事はないと思う。
それは前に書いた「快楽」と同じだなあとも思う。
利己的なもので自分の快楽はできていて。


 * * *


<おとなしすぎはりますね。東北の人々は。>
という言葉に、「あーやっぱりそうだよなあ」と
変な箇所で変に自己肯定してしまいました、最近は。



いまだにそれは感じるんですが、
東北の方は、
「強すぎる」「我慢しすぎる」「おとなしすぎる」
という、その3つ。
胸に強いものを秘めていて、
自分で物事を解決して、納得しなきゃ動かない。
『それはまるで、ダンスのように。』



移住してみて、それであらためて、
その土地で「あいつはこういうやつだ」と話していることの凄さというか厚みを感じます。
ものすごいことだと思います。それはその土地に張った根っこに近いものだから。
だから、集落のでもそんな話をし合っている場にいると幸せすら感じます。



何カ月前からなのか、くるりの『奇跡』ばかりやたら聞いてます。



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by 907011 | 2012-12-28 18:51 | Trackback | Comments(0)

蟄穴。

「恥ずかしい」という感情で自分の大部分はできている。
行動はもちろん、言葉一つ選ぶのも、厚いフィルターを通して一切がなされる。
言葉一つすらも。
毎冬の波。蟄穴。

そんな支配的な感情をときどきぼんやり薄めるのが、
「美しい」「なつかしい」という、なぜかさらに抽象的な感覚。

恥ずかしさを超えるそれらの感覚は、もしかしたら
「快楽」の瞬間にさえ近いなあと、ぼんやり湯船で思った。

そして、その感覚はまたすぐに醒めるのだ。
酔いと同じで。


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一月前に生まれたウコッケイのヒナ。
じつはこれ、十日町の農協直売所にあった高価なウコッケイ卵から生まれた子。
ビンボウな我が家としては悩んだ末に4つ買ったけど、
残念ながら一つしか孵らなかった。



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by 907011 | 2012-12-17 15:50 | Trackback | Comments(0)