山中記

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狼煙とムロフシ。

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by 907011 | 2015-12-21 08:09 | Trackback

傲慢。

納戸から一歩。
以前の家に居た時も、夜明けなどにずっと見に来ていた眺め。

はたして、あの先の遠くに見える眺めが好きなんだか、
はたまたこの場所に立って見る行為そのものが好きなんだか、判断区別がつかないけど、
「まあそれはそれとして、美しいなあ」と息を飲んでいた(ときどきビールも)。

地べたにちょこんと座り、
ツキユメ田んぼの山や朝日や、ときどき月星を見ながら、
「この眺めに毎日感動することができなくなったら、俺ぁダメだな」なんて気取って思ったのが2,3年前のこと。

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がしかし、はたしてニンゲン感動できなくなるものだった。
眺めは目には入っても、感性の方とつながりにくくなったような数カ月、いろいろ枯渇。

萎縮する脳に支配されつつ、でも抗わねばと
段ボールから掻き出すように引っ張り出した『最後の家族』を読み込んだ秋の終わり、ある一日。

とある一カ所。
ものすごい説得力に圧倒されてしまう場面があり、
自分の打算や隠れみのをすべて目の前で見抜かれているかのようでありながら、
その台詞から目が離れず、やたら執着して何度も読む。


女性を救いたいというのは、DVの第一歩なんです。
救いたいという思いは、案外簡単に暴力につながります。

それは、相手を、対等な人間として見ていないからです。
対等な人間関係には、救いたいというような欲求はありません。
彼女は可哀そうな人だ。
だからぼくが救わなければいけない。ぼくがいないと彼女はダメになる。
ぼくがいるから彼女は生きていける。ぼくがいないと彼女は生きていけない。
そういう風に思うのは、他人を支配したいという欲求があるからなんです。

そういう欲求がですね、
ぼくがいなければ生きていけないくせに、あいつのあの態度はなんだ、
という風に変わるのは時間の問題なんですよ。
他人を救いたいという欲求と、支配したいという欲求は、実は同じです。
(村上龍『最後の家族』)



「小さな自治」を考えねば、
ゆるく、永く、続いていくような、持続可能なことをもっと考えていかねば、と
「ねばならない」にとらわれる。

集落の会計を預かり、
静かに細かく自分の掌を観察するように把握してみる。
お金の動き方を眺めてみて、村がほとんど70、80歳で構成されていることもあって、
「集落消滅危機」を考え始めることってしばし先の宿題だと思っていたけど、
まさにいま目の前に迫られているようにはじめて思えた。たまげた。参った。
自分はここに越してきても、村の実情は何も背負わずに何年も暮らしてきたのだなあと気付いた。
感動すべき眺めと感性が容易にはつながらなくなったのは、そんな背景も大きいのだと思った。

そんなこんなで、集落をどうしようか、どうしないといけないか、どうできるのか、
自分なりにずっと考えてるような様子でいたが、
反面、そこには少なからず、「救わなくてはいけない」という傲慢があるのだと思った。


そういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついている場合が多いんです。
そういう人は、相手を救うことで、救われようとします。
でも、その人自身が、心の深いところで、
自分は救われるはずがないと思っている場合がほとんどなんです。
自分は救われることがないという思いが、他人への依存に変わるんです。
(『最後の家族』)



救う振りをして、「救われたい」と依存する。
傲慢と依存を今一度自戒しながら、立ち止まる。考えあぐねる。


<地域再生を目指す若者が戒めるべきこと>
「どうせいなくなる人間」に参加権は無い
「自分探し」に村人を利用する傲慢
「経歴」にするために時限で関わる傲慢
「してあげる」という思い上がり
「巻き込む」という言葉の不遜
「いいことをしている」という勘違いの自己愛
「温情を消費するだけ」の甘え
「環境という抽象概念」の押し付け
(かみえちご山里ファン倶楽部・公開セミナー「地域づくりとは何か」)



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考えあぐねつつ、自戒しつつ、
おとといだか昨日だかに、歩いていてふと、
雪の白にひとたび覆われてしまうと、それはそれで良い眺めだなあと思った。

「それはそうと、良いものだ」、と眺める久々の感覚は、
客観ではなく、ひじょうに主観なので、
必要悪みたいな傲慢さがあってはじめて湧き起こるものかもしれない。

たまに戒めながら、
がしかし、あきらめの悪いワタシなので、
親指と人差し指とでつくる「このくらい、ちょっと」は、懲りずに、
傲慢も思い上がりも自己愛も甘えも、
主観のためには、たまの必要悪として隙間を残しておきたいと思う。


枯渇を掘り下げるという実験をし、
集落の最大勢力である老人クラブの会で昼酒に依存する。



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by 907011 | 2015-12-18 07:11 | Trackback