山中記

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岸。

”きちごろ”のジサが亡くなった。

バサがなくなったのが2011年の盆前、
まだ自分が山中に住んで手探りしてるような3カ月が過ぎた頃だった。
市内に住むせがれさん夫婦が田に通い作をして、
時折病院に同行したり、様子を見たりしながら、
ジサは屋根の高い、大きな家であれから4年半を一人で暮らした。
冬の暮らしをいくら心配されても、
「俺は柏崎なんか行かね。やまんかに骨を埋める」と頑なにあの家から離れようとしなかった、
と喪主カズオさんがお通夜で話していた。

今年は何年ぶりになるのか、山中の共同年賀にも顔を出していたので、
それはそれで良かったのかもなあと村の人たちと話した。

「自らの信念の強さで長く生きられた方だ」という話を坊さんがされていた。
1年前の敬老会で飲みながら(ジサはたばこも酒も飲まないけど)、
昔の貧しい食べ物、暮らしとシベリア抑留の話を振りかえって話したのを思い出す。
貧しかったからこそ、自分はあっちで死なずに生延びたんだ、と話していた。

今日。告別、出棺。
4年半前、28戸だった集落の戸数は19に減った。
昨日とは変わり、山中も本降りの雪となった。





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やりたいこと、やるべきこと、できることが
せめぎ合って人は悩む。

「やりたいこと」をあきらめなければ、
「やるべきこと」ができなかったり。

そうしてでも、
「できること」を強く増やしていかなければ、
自分も人も歓ばすことができなかったりするからだ。

いま向かうべき自分の課題とは、

最終的には本望に向かうものだと私は思う。
でも、そこに至るまでの過程で、
何が本望かつかめないで、私たちは迷う。

すなわち、
「やりたいこと」と「やるべきこと」と「できること」が
せめぎあうところ、

そこに、いま向かうべき自分の課題がある。

だから、3つの葛藤から逃げない、
むしろ前のめりでいよう、
と私は思う。
(『おとなの小論文』Lesson763 「わたしの課題」とは何か




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by 907011 | 2016-01-29 09:08 | Trackback | Comments(0)