山中記

<   2017年 07月 ( 11 )   > この月の画像一覧

谷神。

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毎年懲りずに同じことばっかりして恐縮ですが、
草刈り中、時に頭痛を覚えるほどに暑過ぎて嫌気がさしたとき、
ワタシは”ディープ山中”にバイクを走らせる。
旧道に上がり、十日町との接点である仙田トンネルの手前で、
我が最奥のツキヨメ田んぼを上からこうして俯瞰して、しみじみする。

写真真ん中の色濃いところが、
もうすぐ出穂(×でほ○しゅっすい)するこしいぶき田んぼ。
カモシカにかじられ悶絶中のかわいげな田。

さらに、その下に白く二枚挟まっているのが、田直しをして植え付けなかった田んぼ。
山からの出水(×しゅっすい○でみず)に悩まされて、
排水に苦心し、稲刈りで骨と心が折れて、今春に重機を入れて改善。
去年は倒伏防止策としてこしいぶきをつくったけど、
あまりの米価の安さに降参して、来春から再びコシヒカリに復刻するというH30年産米計画。

田直し二枚の下に続くのが現在のコシヒカリ田の始まり。

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上の写真と同じところで肉眼で見る(?)とこのような構図。
(カメラを一番ズームして撮ったら上の写真になった)

ディープ山中の一つであり、自分のホーム・ツキヨメ沢田んぼ。
ほとんど毎日ですが、携帯電話にかけても圏外になる時などはおそらく、
ワタシはここ(ちょうど写真のど真ん中あたり)に居ります。

谷と水。
「谷間の神」が万物を生み出すと老子は言った。
母性を大切にして、谷をその母性のシンボルとして表現した。
一方で、孔子は山を愛した。

 * * *

<谷神不死是謂玄牝
 玄牝之門是謂天地
 根綿綿若存用之不
 勤里人識是言不識

老子に言う。
谷神(こくしん)は死せず。その力を玄牝(げんぴん)なる妙という。
玄牝なる母性(生成力)とは、万物の根源である。
それは尽きることなく湧き出て終わることが無い。
里びとはそのことわりを知らず知っているのだ。
(『かみえちごてぬぐいの漢字文の意味について』より)>



谷神にも(たまにため息をつかれつつも)見守られながら、
我らの米はこうしてつくられる。







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by 907011 | 2017-07-23 05:25 | Trackback | Comments(0)

グーテーはヨースイを食べる。

連日、”シエスタ”後の寝起きがひじょうに良くない。
それでも何とか起きてバイクにまたがってフラフラと坂道を降りてゆく。

そんな眼が半開きのおととい昼下がり、
山中の名所・ザリガニ池の上で「グーテー」に会った。
尻だけ見えたのでイノシシかと思った。

午後は惰性で動いてますが、
夏の早朝の山の中というのはじつに心地良くて(日中熱い分なおさらなのか)、
たいへんよく集中できて、仕事もはかどる。

昨朝。
こしいぶきの田の草刈りを進めていたら、
畦に3つくらい稲が株ごと上っていた。
瞬時に状況が飲みこめず、何かのいたずらにしか思えなかったが、
場所がら、自分と”さんしょのオチョさん”以外には、
人が通るようなところでもなく、頭が「?」と成る。

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さらに進むとなおも引っこ抜かれて畦に上げられていた。
傍らににちゃにちゃ噛んで、ぺっと捨てられた稲の幼穂(ようすい)があった。



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この夏、やたらとカモシカが田の中を歩き回っていて、
その都度、動線にある稲を踏み潰していくので
アオサギよりもたちが悪くて、ちょっと困っていた。

けどまあ稲を踏んで横断するくらいはどうにも仕方ないかと思っていたら、
カモシカは稲を食べるのでした。

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by 907011 | 2017-07-22 04:25 | Trackback | Comments(0)

ええ。

雨の日も炎天下も
クールに仕事をする職人・キミアキさん(山中出身・隣りの隣りの集落在住)により、
”ええ小屋”ができた。

できたものの、恐ろしいほど何も入っていないので、
とりあえず屋根の軒先の下で雨宿り状態になっていた道具をしまう。



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たまにこれらの道具たちとともに
雨宿り状態になりながら、見上げる軒天にはモモンガ?の穴がある。
我が家二階は引越し後もほぼ使われてないまま今日に至り、
たまにスズメが土壁のほころびから迷い入ってバタバタしたり
今春からはネコという名のネコがたまに階段猛ダッシュで駆け上がって
ネズミ探しなどをしながら散策を楽しむ程度で、もったいない。
二階から梁など天井裏を眺めるとじつに楽しいつくりになっているので、
向こう5年10年で何かをどうにかしたいと企んでいる。
その頃には子も大きくなり、何かがどうにかなっていくんだろう。

一方で、日中は明かりの入るこのええ小屋、
冬の貴重かつ酔狂な楽しみが一つくわわった。





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by 907011 | 2017-07-21 04:18 | Trackback | Comments(0)

四季五感。

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世間話でよく、人が「いやー曜日感覚がなくてねえ」と言ったりするけども、
はたして本当に曜日感覚を持たずに暮らすと、
たとえばこの連休のありがたみなども
まったく感覚されないままに過ごしてしまう。
とりわけ今年はいまが何日であるのか何曜日であるのか、
意識して何かを見るか、聞くかしないとわからないまま暮している。
良い面もありそうで、もちろん悪い面もある。

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ゴボウの花。
数年前に夢の森公園で種の交換会があって(良い集まりだった)、
自分もまだ畑の時間がいまよりもあったのであれこれ自家採種に精を出していた頃で、
(家人には「種とるから、うちの野菜には食べられるものがないのですね。」
と言われ、いまに至る。)
種種交換したりしながらもらった種の一つにこのゴボウがあった。
ゴボウは繁殖力旺盛で世話もいらないため、うちのまわり中に増えていて、
昨秋、集落の敬老会などで食されて活躍してくれた。
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ニンジンの花は花火を彷彿させる。
ゴボウもニンジンももはや山菜だと認識して暮らすようになった。


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リアルタイムで見たこともないが、
「かわぐちひろし探検隊。」とつぶやきながら、
豪雨で流された沢のホースを回収して、滝となった沢を遡り、水をとる。

炎天下にこういう沢の中の仕事をするか、
せっかく日当たりの悪い圃場が多いので、日陰の田んぼ箇所で仕事をすると良い。

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無事、田に水がかかる。
沢によってはこの水が無事に通るまで2時間くらい、
田んぼと沢を行ったり来たり、登ったり降りたりで往復し続ける。
晴れて水がとれたらまだいいが、
水がとうとう出ずにその日は打ち切りとなり、あきらめて帰路につくこともままある。

ここ一か月近く田面を乾燥させて、
去年の稲株などの有機物の堆肥化を促したり、
無効分げつを止めたり、いろいろ作用はあるものの、
いちばんは秋の稲刈りを無事に進めるための表土乾燥が
耕作者にとっては切実にその意味合いを占めている。
そして今年もまったく乾かずにズブズブの箇所が何枚もある。
年に少しずつ改善していっているものの、
今春も田んぼできない人の分を急きょやることになり、
増える枚数に自分の管理能力がまったく不足しているのを痛感する。


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管理力不足なのでto doリストのうち時期的に〆切のせまった、
村管理道路の除草剤まきをタモさんマサさんの同級生コンビに委託した。
2人で一日半かけて入念に管理していただいた。

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その裏で、マサさんのやめた田んぼを使って実験中の
不耕起田んぼの草取りができた。

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昨朝の子タヌキ。
雨降り後の昼に再び通ると一つ(おそらく足を負傷していた方)は残念ながら
道端に虫の息となっており、モーキンの類が二羽、最期の始末に来ていた。
もう一つは逃げのびたかどうか、見当たらず。
自然の理を、オトナになった自分がコドモ脳のままの自分に叩きこむ。
が、コドモ脳の自分は鵜呑みにできずにいて葛藤し、消化不良となる。


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ラッカセイも花がついていた。
花が落ちてすーっと地中に伸びて行って、土に入っていき、実を成らせる。
落花生という名は字としても音の感覚としても腑に落ちる。
野生は、自然の理を柔軟に肯定し、皆素直に映る。
透明な呼吸を感覚する。





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by 907011 | 2017-07-17 07:25 | Trackback | Comments(0)

哺乳綱ネコ目イヌ科。

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おととい。
バイクで”先納沢”の田に行く道中で子タヌキ2つに会う。
かわいいので、しばらく眺める。
親が何かでいなくなったらしく、来る気配がない。

もしや自分のうっかりはちべえな見間違いで、じつはイノシシやクマだったりして、
振り返ると、ものまね番組の「背後から本人さん登場パターン」的に
大きなイノシシやクマがどーんと居たら怖いので、
子の顔をのぞきこんでよく見る。

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昨朝。
バイクで先納沢の田に向かうと、道の反対側に居た。
変わらず2つ。親はいない。
片方が足をケガしていて移動が困難な模様。
かわゆい。


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昨日お昼。
バイクで帰り道に通ると、草むらで寝ていた。
何もするまいと思って眺めていながら、
足の悪い方に飲んでいた水をあげる。
いつか日本昔話的にどっかの何かで助けてくれるといいなあと利己的創作話を想う。



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今朝のうちの食肉目ネコ科ネコ属
思えば、これも捨てられネコだった。
名前はいまだ無いままで、医者に行った際は「伊藤ねこさん」と呼び出されるそうだ。

 * * *

わたしは昔から捨てられているもの、捨てられそうになっているものを、
拾ってきては一緒に暮らし始めて、
途中から他のものがさらに追加されていくたびに、
古株の管理がずさんになっていく、ということを繰り返して今日に至る。

振り返ってみれば、小学生で捨てられ犬や鳥を拾って以来、
同じようなことをひたすら繰り返している気がする。
一人暮らしして以降も、衣食住すべてにおいて、
捨てられるものに遭遇する→拾って共に暮らす→さらに増えてずさんになる
ということを延々と相似形でやっている気がする。

客観的に見れば、
いま住んで暮しているここもそうかもしれないし、
人間関係も振り返れば、自分が魅力を感じるヒトというのは変わってる人ばかりだ。
(少しだけ)変わっている自分が「変わっている」と感じる、
ということはマイナス×マイナスの算数がプラスになるように
ポジティブな評価になるだろうか。
現代の環境はあまり良いものではない気がするので、
もう一つマイナスのバイアスがかけられるかもしれない。
でも、我らの集落みたいな環境であれば、
自分なりにはプラス要因をかけるので、ポジのまま据え置きになり、
変わっている人は面白いという数式が私的公式として当てはまるというものだ。

 * * *

小学生のころに、捨てられ犬を連れて帰宅した際に、
もし、親がそこで怒ったり止めたりしていれば、
自分のものの選択はまったく変わっていたと思う。
その後の勉強の仕方や下宿したことや進路や職業観、
人との付き合い方もだいぶ別人化したはず。

うちの親がそこで叱らずに歩み寄ってもらったことは大きかったのだな、
と伊藤ネコを見ながら気付かされる。

「非効率」だとか、
田舎にただよい続ける「どうにもまあ仕方ない」感を、
”まあ、それだたって仕方ねべなあ”と肯定する方言の力も作用して、
自分の生き方の選択肢を見る目が形成されたのだといまさらに思う。

その後、暮してみるなかでも、
私的公式のなかで唯一例外なのは、
”「誰かや何かを否定する理屈」が投げ掛けられて、
それを論破すべく、さらなる好戦的な否定の言葉をいくら出しても、
マイナス×マイナスのポジティブには変化しない”、ということだ。

ニンゲンからあふれ出ている言葉の力とは、言い換えれば肯定力かもしれない。






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by 907011 | 2017-07-16 06:23 | Trackback | Comments(0)

隠れ家をハシゴする。


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「くれるなら 使ってしまえ (就農)給付金」
と江戸っ子的織田信長風に思うようになったのがここ2年間くらい。

就農給付金(経営開始型/今は何やら名称が変わっていた)は
就農開始から5年間給付金をもらいながら、
その後の自立経営農業者への道筋をつけようという制度。

はじめの2年くらいは先ずもって、
そこここの環境に合わせ身体を組み換えていきながら、
風土を知る、馴染ませるための準備期間だった。
同じ土地でみっちりとした研修を受けない限りは
就農開始といえども、まず風土と心身の組み換えからはじまると思う。
土地のことは四季一順では分かり得ないというのが私的結論でもある。

そこを経たあたりからようやっと回りの農家以外の、
たとえば他所の集落の農家らが話している事柄がおぼろげにでも少しずつ分かるようになる。
はじめてスキー場のリフトに乗るときのように、
会話の流れに乗り合わせつつも不安定になりながら、まず聞く。
そして、徐々にそれらを試す。

何せ5人に話を聞くと、5人ともそれぞれ持論が違うのが農家あるあるで、
まったく難しいことに、
でもそれぞれに理屈と経験則が相まっては妙な説得力を醸し出す。
加えて、ほとんどの人が持論を展開するその時、
語気強く、鼻息荒く、眼力が鋭すぎるので、
人見知りで視線恐怖症の気がある自分などは
ひたすらに目泳ぎ、語尾ほぼ聞き取れないくらいか細く弱り、
鼻息は止んで嘆息混じりの相槌を打つだけの人と成る。

だいぶ逸れたのですが話は戻って、
昨夏に乾燥設備と併行してうちの小屋改修をお願いした
山中大工・キミアキさんに今夏も
乾燥設備の”バタリ”と農業に係る「2つ目の隠れ家」を依頼し、
29年度も大きく赤字が見込まれる。



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1枚目の写真で鶏どもが回りでわらわらと遊んでますが、
鶏にはあげないでワタシが遊びます。
子・ガクが嬉々として、
「がくの家が着工されましたなあ。まきますか、モチ?」と言うが、
子にもあげない。モチもまかない。

残す最後の矢は、冬の書斎兼鶏とヒトが遊ぶ耐雪ビニール隠れ家(小)を想定している。
が、これには無計画な自分にもわりと計画性が必須となるので、
給付金も終わってから、自腹で着工できれば良いなと想う。
来年の七夕短冊にも書かねば。

雪が積もってはじめて、これらの隠れ家(”離れ”とも言う)はその存在価値を現す。

「寒いことが、人の気持ちを緩めるんだ。
 離れていることが、人と人とを近づけるんだ。」と星野道夫さんは云う。

埋もれ、隠れることで、あらわれ出てくるものがある。
見えなくなることで、見えてくるものがある。
容易に変わり映えを見せる枝葉よりも太い幹と根が静かに存在する。


<言語の本当の幹と根になるものは、
 沈黙なんだということです。

 コミュニケーションとしての言語は、
 植物にたとえますと
 樹木の枝のところに花が咲いたり実をつけたり、
 葉をつけたりして、季節ごとに変わったり、
 落っこちてしまったりするもので、
 言語の本当に重要なところではないというのが、
 僕の芸術言語論の大きな主張です。

 沈黙に近い言語、
 自分が自分に対して問いかけたりする言葉を、
 僕は「自己表出」といっています。
 そして、コミュニケーション用に、
 もっぱら花を咲かせ、葉っぱを風に吹かせる、
 そういう部分を「指示表出」と名づけました。
 (吉本隆明『芸術言語論』)>


あと、いずれかの隠れ家に囲炉裏は切りたい。







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by 907011 | 2017-07-13 03:52 | Trackback | Comments(0)

願い。



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貴重な晴れの七夕に短冊をつるせた。
朝から晴れてみて分かったのですが、
いま、季節がじつは夏だというのを雨のなんやかんやで忘れていた。
熱いぜ七夕。
すきですやまなか。

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今年もさまざまに短冊を書いて、
個々や暮らしの願い事を投稿してもらった。
田んぼに土砂流入中でも、名誉区長・マサオさまは動じない。
気力が充実しているからなのだろう。
マサオさんの「全天候対応型びくとも動じない農法」は山中でも秀逸している。


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今年は短冊を配るのと豪雨が見事に重なってしまい、
6割くらいが天候について願われていた。

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「目指せ7俵/反」、いいね。
我らの米は1反あたりの収量がど~んと膨大な”メタボな米”と異なる。
机上のお役人に(当人が役所の人だけど)は、よく分かっていただきたい。
収量が年々微増していくように、当然努力・実験も重ねていますけども、
メタボ米は食っても美味くはない。
稲がなりたい稲になり、米になる。(門出和紙ヤスオ親方風に読んでください)


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俺は集落でもいちばんの見習いなので、まず倒さないこと。
水が良い場所でやらせてもらってるおかげで、
日々あわあわしながら昨日右に動かしたものを翌日左に戻したりするような仕事ぶりで
何もできなくても、でも稲はすごい。米はうまい。
うまいけど、反収は時に平場の田んぼの半分くらいしかないほど少ない。
あれこれ改善点はまだまだすごーく多い。
ただ、お役所提出作文で求められるような
「2,3年間で100点満点を取る。それがキミのゴール」
という仕事、生き方ではないと感じている。
その角度ではない。


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こうして見ると、我らに関しては、
天候と、一人ひとりの身体の調子との折り合いをつけながら、
暮らしができればそれでわりと毎日機嫌良く生きていける。

と、そうはいってもせっかくのお願い事なので、
「個人的お願い」シリーズも眺めていていちいちおもしろい。

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山男・マサノリさんは家族で山へと書いたが、
今春から遠くの進学校に通いはじめたセガレの願いは切実だった。

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「時間が欲しい。」

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ピンポンズ。

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恒例・イサオさんのひじょうに具体的かつ、
この場を借りて「(身内に)見せることを意識した」お願い事シリーズ。
一年前よりもぐっと総額が上っている。

短冊に書いたことは意外と叶う率が高い。
去年短冊をつるされた方いわく、
「バイクが手に入った。」(Tさん)
「がくはきょうりゅうはくにいけた。」(Gさん)
「おいしい笹団子ができて喜ばれた。」(Tエさん)
「マサが元気に仕事していた。」(Tモさん)
「がくはあきたしんかんせんに乗れた。」(Gさん)
その他にも、
「山に願いをしたらアンバイがよくなった(かもしれないしそうでないかもしれない)」、
「”うっかり”しちまった後に、新たに車の免許をとり直すことができた。」、
「稲の声が聞こえるようになってきたかもしれない(幻聴かもしれない)。」、
「志望校に受かった(時間は欲しい)。」、
「きょうりゅうはくはただひたすらに怖かった。」、
「物忘れがひどかったのが良くなったような、どうだかちょっと忘れた。」、
「身体が痛くなったので医者に行ったらよくなった。」、
「電球が切れたので電気屋に行ったら直った。」
等、称賛の声(後半ほぼ関係ない)が後を絶たない。

けど、おそらく3分の1くらいは叶っているように思われる(山中区調べ)。
俺の個人願いは一つだったので、3つ書けば良かったか。

また来年の七夕まで願いを考えながら、我らは暮していこう。
想いは、力だ。


 * * *


<夢には翼しかついていない。
 足をつけて、
 歩き出させよう。
 手をつけて、
 なにかをこしらえたり、
 つなぎあったりさせよう。
 やがて、目が見開き、
 耳が音を聞きはじめ、
 口は話したり歌ったりしはじめる。

 
 夢においしいものを食べさせよう。
 いろんなものを見せたり、
 たくさんのことばや歌を聞かせよう。
 そして、森を駆けたり、
 海を泳いだりもさせてやろう。

 夢は、ぼくたちの姿に似てくるだろう。
 そして、ぼくらは、夢に似ていく。


 夢に手足を。
 そして、手足に夢を。

『夢に手足を。』)>












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by 907011 | 2017-07-12 05:14 | Trackback | Comments(0)

復刻。

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雨降り週間のあいだの我ら。
ある者はポンプを持参で、枡のつっかえ流木に挑んだり、





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七夕なので短冊を飾ってみたり、
(7月7日に飾るという遅れ七夕)
夜に短冊を眺めながら酒を飲んだり、


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村の取付道路の草刈りをしたりなどした。


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復旧weekで始動した昨日。
山中土木部が召集され、側溝の泥上げ。


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その下の道も泥上げをして、

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去年に引き続き、
「ええフタ」がふせられた。
ええふた、ええバイク、ええ軽トラ。
重機オペ職人・ショージさんの軽トラ車内は、
たぶん県下で一番きれいだと思う。
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行政の災害復旧工事で
山中に村田組が入ってきてくれて、
俺の田のところも農道のみ一先ず開通。
これで奥に続く数十枚の田の耕作者も先に行けるようになった。


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PM6:00。
山中自主防災会と書かれたヘルメットとサンダルという
妙な格好でバイクで渡り初め。

災害の認定のおかげで復刻の目途がほぼついた。
我らは見ておこう。







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by 907011 | 2017-07-11 04:53 | Trackback | Comments(0)

一週間



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山中集落は住居辺りほぼ異常なしで、
月曜朝などは余裕で朝飯を食っていて、
食後、子の保育園バスを見送ってから巡視に出たら、
農地と農道がなかなかだった。
二回目の雨でもさらに「のげ」た。

今日から復旧weekとして始めてみます。
学び、相談し、話し合い、頼んだり頼まれたりされながら、
天水にだいぶ押し流されつつありながらも、
我らの踏ん張り力がこれでもう一歩分強くなる。

 * * *

<「雪害」という言葉ができたのが大正年間でした。
それまで、雪は降るのが当たり前で、
それを受け入れながらどう暮らすかというのが普通の考え方だった。

大正というのは、日本がだいぶ欧米の真似をした時代であったわけですけど、
その頃にできた言葉なんです。

雪害っていう言葉ができたあたりから、
人間にとって不都合なものは退治しなくてはいけない、
「害」であるならば退治しなければならない、
そこら辺から、だいぶわたしたちの考え方が変わったんだと思います。
(2011年12月の『内山節講演会@高柳』)>






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by 907011 | 2017-07-10 03:09 | Trackback | Comments(0)

小ささへ移行していくこと。

山中に暮らして7年目を迎えた。

と同時に、
昨秋に家人の祖母が亡くなったのを筆頭に、
自分が移り住むことを決める前後からずっとお世話になり、
面倒を見てもらってきた年寄りたちが、加速度的に次々に亡くなっていっている。

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                     (自分が合流して移り住む前の2010秋)        


うちのすぐ下の”ごんぱち”のジサが亡くなった。
葬式は豪雨と重なった。

自分が2011年春に山中に来て、
当初しばらく畑など見ながら「さて、どうやって暮らすのかな俺は。」などと
毎日、雑誌『自由人』よりも自由かつ、
良品計画(無印)が好きでありながらも超無計画な、
きわめて身分証明の難しいニンゲン(当時まだ独身)として過ごしていたので、
職安で「無職=パーカー率高し。」と地方の雇用問題について考えさせられたり、
畑が段になってつながっているごんぱち夫婦と毎日のように顔を合わせ話していた。



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                    (長岡から絶賛引っ越し直前準備中の2011年4月・
                     写真奥が現在我らが暮らすことになった”とわち”の家)


 * * *


「オラ、テレビで東北の地震を見てわかった。
 いまに都会のニンゲンたちがぼっとん便所を借りに山中に来るったぞ。
 水もいらん電気もいらん、ぼっとん便所はすげえんだ。」
などという日々の気付きを余すところなく話してくれながら、
随所にバサとの夫婦農山村漫談をノンストップで入れるごんぱち夫婦。
毎日顔を合わすたびに、
「いやー、上の家にいい人が来てくれたってバサと話してるんだ。」
と、怪しい30代・無職男性の俺に繰り返し繰り返し言ってもらって、
それは当時の自分の貴重なエネルギー源となって今日に至る。



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                            (「友達。」より)


自分がいざ住みはじめた山中暮らし2週間くらいのある日、
ジサがかけてくれた言葉は今も励み(時には自己矛盾への「許し」)になっている。

<「ここは、誰も居ねすけ、ゆっくりやればいい。
 今日の仕事が明日になっても、
 明日の仕事があさってになってもいいから、
 あわてず、ゆっくりやりなさい」

「言葉について。」より)>


2世代くらい離れた若者にすっと自分も言えるようになってみたいというもんだ。


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                          (2011年6月の鶏たちとごんぱちの屋根)


山に願いを。
「わからない」から祈るのだ、と俺は想う。




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by 907011 | 2017-07-07 03:52 | Trackback | Comments(0)