山中記

ブラックボックス。

長い雨降りだった。
30年産米の施肥計画を
ああだこうだ・・・いや、ああでもないしこうでもないとこねくり回したり、
「栽培管理記録」を正しく書いたり、
もみ殻肥料のつくり方を調べながら静かに興奮したり、オタクで事務な数日。
中島らもさんの『僕にはわからない』を読了して、
田口ランディさんの『できればムカつかずに生きたい』を読みはじめる。

雨でおとなしく家に居るとむしろ無性に腹ばかりが減る。
なぜか、もはや食うことしか想うことはないのかと少し落胆する。
が、なぜだろうと、落胆もしようと、腹は減るのでどうにも仕様がない。

主に読み物を通じて自分はエネルギーをもらう。
中島らもと田口ランディ。
お二人の視野と奥行きと書き進めながらのバランス感覚が面白い。
似てないようで似ている。似ているようで似ていない。

今日から停まっていた草刈りを続行して、
今一度身体を一日ずつ組み換え直したい。

「知のきしみと肉体のきしみを、交互に行うこと」をやろう。







********************




[PR]
# by 907011 | 2017-07-26 04:28 | Trackback | Comments(0)

座布団の加減。

昨日。
四回目の予察調査だった。
前回に続き、直前まで「今日は中止になるんでなかろうか?」
と妙な期待をさせる雨の予察調査となった。

県の普及所およびNOSAI、JAのプロたちと一緒に回る地元調査員として、
山中も耕作してもらっている塩沢集落のミツノブさんと、
今春から町事務所で働く、武闘派・ヤマダ君(本人はいたって穏やかな柔道マンです)、
そのヤマダ君に対して会議の際などに、
「ヤマダくーん、座布団持ってきて。」と「例のあれを持ってきて。」
と、笑点風に言いたい自分の計6人のメンバーが2班に分かれて周る。

一斑はJA柏崎の指導員と俺の二人。
いもち病、紋枯れ病を見ながら、5集落7圃場を回る。
JAキタハラさんの車で快調に移動しながら、
ちょうど農薬肥料の注文書を書きあぐねていたので、
施肥設計についてサルでも理解できるように噛み砕いて指導してもらう。

コスト面からしても、作業の効率を改善するという意味からも、
H30年産米計画を組み換え直していくことは大切なのだなと
いちいち頷きながら認識している間に山中も過ぎて、5地点目の栃ヶ原に到着。

そこに田んぼの主であり、
いろんな意味で地元で有名人なテラモトさんが居た。
栃ヶ原地区:調査2分、テラモトさんのトーク15分

怒濤の勢いで畳みかけてくるトークは長めだったものの、
周っている中でもっとも中干しと溝切りを綺麗に徹底されていたモデル田が
テラモトさんの田んぼだったとわかって、
いやいやさすが理系(前職レントゲン技師)なテラモトさんとあって、
教科書通りに実践されていて、稲も素晴らしく良かった
(本人いわく「悪い田んぼも向こうにあって、全然ダメ。」)。

そんな栃ヶ原を後にしながらなおも、キタハラさんに聞く、
ノミの脳みそでもわかる肥料のはなし講座が続き、
とりわけ有機成分についての説明が興味深かった。
現行の化成肥料にも、
パーセンテージとしては少ないながらも含まれている有機成分が、
すぐ溶ける化成肥料分とは対照的に、
のんびりゆっくり溶けるので、
稲への養分としても、土壌への効用としても、緩やかに永く作用する。

肥料を徐々に有機肥料に組み換えていきたいというのが、
ここ数年想っている中期的な方向で、
単年度よりも永く継続的に作物というわからないものを眺めていたいという願望がある。
自ずとそのやり方も独自性が必要とされるし、
現状の大部分を占める慣行栽培に比べて、
はるかに観察や予察、経験の蓄積が求められる。

 * * *

自分もよくおしかりを受けてきたことなのですが、
田舎暮らしに「幻村」をイメージして、
移住と同時に”いきなり有機”や”俺(私)の無農薬無化学肥料”をすると失敗する。
「自分なら(だけは)できる。」ともイメージしがちだけど、
それは不遜というやつだ。

私的結論としては、
もし、何かを手放したいならば、
その「何か」をちゃんと使って身体を通してわかった上で、
次の歩むべきステップに進むことが肝要だと思う。
自分が自分にそれを言い聞かせるのはいまだに上手ではないながらも、
清濁併せ飲む覚悟がなければ、想いは幻想や妄想レベルで終わってしまう。
大事なのは「それを経つづけられるかどうか」ということだ。

農薬にせよ、貨幣にせよ、車や携帯電話やパソコンなどもそう。
自分の手鼻したい 「手放したいリスト」もけっこうある。
そのものや現象自体に光も影も善も悪もなければ、使う自分にある。

 * * *

持続可能な農山村の暮らしの一部分として、
米をつくり、食べることをまたゼロから考えたいこの頃。

昨夜、シゲルさん家に島直送でいただいた赤イカを食べ、
シゲルさん家にもらった長野の地酒を飲みながら、
海の暮らしの人と物々交換ができるようになりたいと真剣に考えていた。

「経済」を無視したり敵対視するのではなく、
経済を含みながらも、
しかし、より豊かかつ時間の恒久性を持った価値を創り出せれば。

鶏や物々交換に学ぶ部分が多い。
「暮らし」は変動しながらも刻々と進んでいる。

雨は降りつづき、田は再び軟らかくなり、
イネたちは「もっとよく察してくれよ、現状を。」と訴える。
草は刈るのも追い付けないままにどんどん新芽を伸ばし続ける。

目の前の「現象」と、
ちょっと先に重ね見る画とを、
二つの目玉でもって、焦点がなかなか合わないながらも、
見続けたい。







********************

[PR]
# by 907011 | 2017-07-25 05:30 | Trackback | Comments(0)

それぞれ。


b0079965_05364460.jpg


花の金曜日の昼下がり。
災害箇所の草刈りを急きょする運びになって、
山中土木部の親方・ヒコスケさんとやろうと思いきや、
この日は山中ゲートボール部の部活動中だったので、
グランドから見下ろした山側のふもとに居たミチヒロさまを頼み、2人で刈る。

オクサ下の農道はだいぶ下までえぐられていて、道が浮いていた。

b0079965_05365277.jpg

見るとやるとは大違いで、
4地点を刈ったうちの最後、”カン畑”の箇所は思っていた以上にでかかった。
「測量をするので崩れたところがよく見えるように刈っておいてほしい」
と言われたので、足場のないところばかりだったけど、
そもそも測量の勝手がよくわからないため、手の抜きようもわからないので、
素直に徹底的に草を刈る。
それにしても猛烈に暑く、腕の汗が滝のようだった。

行政と村田組さまの迅速な対応によって、まず農道をすぐに通してもらえて助かった。
(「応急」として、秋の稲刈り後に本復旧を控える箇所もある。)
ある夜、高柳町事務所に呼ばれてそれぞれの箇所の対応方法の内訳を説明してもらい、
まったく無知であった自分ははじめて災害対応の何たるかを勉強させてもらった。

今回は行政が管轄する県道市道以外の農道の方が被害が大きかった。
(他県の災害に比べればまったく大きいうちにも入らない規模ですが)
災害復旧というので市から機械借上げ費用の75%を補助してもらえるということで、
山中区の負担は残り25%だった。

その時点で27万円の負担額がかかるというのがほぼ確定していたので、
臨時の役員会を開いて説明をして、
農業に係る交付金で支払いましょうという方向にまとまり、
どぶろくと長野の地酒などを飲んでから解散。

不肖ワタシが区長になってからというもの、この役員会の召集が激減した。
今年は春に一度集まったきり、雨の被害がなければ冬までやらなかったかもしれない。
理由はいくつかあれど、
俺が会議嫌いだからというところに依る部分が大きかったりもする。
若手であるところの自分が夜集まるのがすごく億劫に感じるので、
まして年輩の方々はなおさらである、と古文文法のように思うし、
実際集めるのはけっこう大変である。

最近、町単位の会議であまりに似た顔ぶれが集められることが多く感じられ、
「もっと選択と集中をできないものか?」とやや苦言を呈するようになってきた。

区の役員会などはひじょうに具体的に、必要に応じてやれる。

 * * *

土曜日。
日中、草刈の最中に頭痛を覚えるほど猛烈にこの日も暑かった。
夕方早めに切り上げた。
夜やや寝不足傾向にあるので悪循環だ。
もっと入念に”シエスタ”をてこ入れせねばと雨の昨日は本を読んだりなどした。
中島らもさんの『僕にはわからない』という本がじつに面白い。

そうこうしている間に、
故郷・大いなる秋田が豪雨で大変なことになっている。
(うちにテレビがないからか、むしろよその人から「秋田大丈夫?」
 と心配の連絡などをもらいましたが、とりあえず実家あたりは無事でした。)






********************



[PR]
# by 907011 | 2017-07-24 06:32 | Trackback | Comments(0)