山中記

写したり、遷ったりすることで。

<私は古画その他工芸品からも平気で写しをする。
 自分がそれの伝承者でなく、それとの断絶を確信しているせいだ。
 断絶している者は、
 古いものの中の、もの凄い前衛性を掴み出す事ができる。
 そして、それを自分の世界に組み入れる事が出来る。>


旅の先々で
寺や神社など古い建物に惹かれることが多いです。
なんというのか、圧倒されているのに心がしーんと鎮まっている状態。
静かなのにいろんな言葉が頭の中でやり取りされる。

昔、ある坊さんが言っていた、
「古いものの中に新しいものを見る」んだと思います。
そして、
新しいものの中にも、
古い(懐かしい)感覚を何か感じ取るんだとも思います。

自分にとっての、
古いもの、新しいものって何だろう。
その感覚はどうして、どんな記憶どんな経験から
沸き起こるものなのか。

ある風景を見て自分が「綺麗」と感じる時、
その風景に自分は何か記憶を重ね見ているんだろうか。

風景や物や、あるいは人を、
「好き」(もしくは嫌い)と感じること、
投影させたり昇華させたりすることについて、
自分なりにもう少し考えてみたい。
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# by 907011 | 2009-02-10 21:46 | Trackback | Comments(0)

旅memo.

日曜の夜の馴染みの居酒屋で飲んだくれ、
ついでにご飯もたっぷりごちそうになり頬袋に詰め、
奈良漬け状態で深夜バスに乗ると、
出発するかしないかくらいで就寝。

気づくと滋賀あたりだった。

京都6時着。
おかしい。
これまでの梅田と違ってこギレイで落ち着かず。
おかしい。
梅田にあった早朝なのにいいアンバイの立ち飲み屋が見当たらず。

通勤前で静かな河原町をそぞろ歩く。
荷物の重さのけっこうな割合を占めていたのに、
のっけからカメラ故障。
目で見ろということなんだろうとあきらめる。
写真に気をとられて、見ても何も感じてない場面、瞬間は少なくない。

古い造形に心が鎮まるのはどうしてなんだろう。
いつからだったろう。
静と美はどう自分の中でつながっているんだろう。
自分は、よその人は何に美しさを感じるんだろう。
感じた美しさ、感性を日常の何に昇華させているんだろう。
樹、陽、水の色々。
たとえ表面だけでも、人が美しくあることは相当に難しい。
ただ普通に生きることが、じつは一番難しいのかもしれない。


出勤でにぎわってくるので奈良に脱出。
関西人にとっての日常。自分にとっての非日常。
空間の移動は、
精神的にも自分を離してずらして揺さぶってくれる。

外国の方が日本で暮らすための日常と、
日本人の自分が日本で暮らすための非日常。
どこにいても、わずか数メートルの半径で、
数えきれない日常と日常、日常と非日常、
非日常と非日常とが交錯しているんだろうなあ。


自分がよそ者であることや、
目の前の風景に圧倒されることが、
自分の存在をたしかに感じさせてくれる。
自分が偽物であるような感覚も。
弱さと向き合ってはじめて、抱えて、付き合える。
異国ならなおさらだし、
本のなかで空想の世界を旅する人もそうなんだろうな。
本がもっと読みたい。


吉野の山奥での節分の神事に参加。
去年民宿で世話になった人たちに麒麟山のぽたりを渡し、
(翌朝、すっごい感謝される)、転職報告。
一年前に飲みながら話していた道にいま居る有り難さ。
ご縁。


肌に刺ささるような冷気。
各々の想がつまった境内。
祈りの続く「鬼乃宿」

翌昼。
天川の「鬼は内 福は内」。

渦巻きながら上っていく護摩の煙の形がただただ綺麗だった。
圧倒されながら、
節目
をひたすらに感じた。

大きいも
小さいも
主観が勝手に比較しているだけで。
そんなに変わりないのだな。
身の丈。
器。


冬と春との立ち別れ。
春が来る。春になる。
もう一年。
また来年。




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# by 907011 | 2009-02-10 21:15 | Trackback | Comments(0)

ヒトヒトリ。

人は一人じゃない
という

けど
たしかに
ヒトとの縁でヒトは生きているとは思う

けど
それでも
人の単位は一人
と思う

ヒトの一人ひとりは
それぞれ自分自身は

目の前の環境のなかで
迷路の右折左折のように延々と続く選択肢のなかで

漠然とでも
自分が「明るい」と感じる方向を目指して
あるいは
極端に正反対のイメージや
欲や損得も

天秤の左右にかけて
絶えず選択を続けている

選択に悩んでしまうとき
やはりその天秤の揺れは鈍い

ときには欲や情に流されて
片方の皿を自分でぐいっと押すこともある


* * *


ヒト一人ひとりが
いま

<充実したい>
って叫びを

言葉で
言語化できないエネルギーで
ときには 身体や心の変調で
表現したり
蓄積したりしている

それでも
けっして絶えることなく
さらに選択は続いている
生きているあいだの
そのずっと

楽観でも
ましてや悲観でもけっしてなく
ヒトヒトリ

b0079965_2191941.jpg



ヒトの手には
そのヒトの選択の記憶が宿っていると思う
その記憶の地図をつなげられたら

hands across the Japan.
好きな人と手をつなごう。



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# by 907011 | 2009-01-14 21:16 | Comments(0)