山中記

想像の旅。

<シェルパたちとも言葉が通じたわけではない。
 ただ、前にもちょっとふれたが、
 言葉以上のものが通じあえたら、それは人間最高のよろこびではないだろうか。>
(植村直己『エベレストを越えて』)

 * * *

連続二日酔いの裏で眈々と静かにたまっていた日経紙。
テレビをめったに付けることのない我が家の社会的な時間は、
そのために、まだ日曜の朝刊編集時間で止まってしまっている。
鬱蒼とした活字の森、経済版。

人一倍遅読の自分にとってはなかなかの壁だなあと情けなくなり、
植村さんのドキュメンタリーを見る。


夜から降り続いた雨。
日常と非日常。
旅先の非日常感が好きで、
でも、それは空間の移動が伴ってこその感覚なのかなあとも思う。
居候のフラフラ漂流とも違う、ぶらり旅先のかすかな心地。
名前もわからない境内でぼーっとしている時とか。
しっかりと噛み締めているような静かな時間、
でも、一瞬ですぐに消え去ってしまいそうな感傷。
悔し涙と嬉し涙とは、混ざって出ることだって、ある。

非日常をもっとも感じるのは、
その土地で自分が「少数派」であることを体感すること。
旅先の誰かの言葉でも、態度で受けるわけでもなく、
「自発的な受動」とでも言うのだろうか。

自分の半径数メートルから伝わってくる気のようなもの。
誰もそんなものは送ってないのだから、
意識する自分もまた未知の地で、壁をつくっているのだと思う。
溶け込んで受け入れているつもりなのに、心は悦んでいるのに、
楽しみながらも、心のどこかでは
”少数派の自分”や非日常性をマゾ的に意識しようとしているのかもしれない。

 * * *

頭蓋骨の中で、非日常を旅できたら善いなと思う。
身体は日常に居ながら、頭で想うことによって、
イメージの世界を、想像の旅ができたら、
どれだけ遠くに自分は行こうとするんだろう。
現実逃避。

目の前のことに非日常を感じること。
時々刻々と変わる畑にはやはりその辺の鍵が見え隠れているように思います。
ケの日。ハレの日。

想像の旅を!
エセ旅人の目を浮かべては、雨の日などは特に強くそう想う。


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        (新大阪駅徒歩0分のカプセルホテル、かなり重宝)




<この世には死をすら望む苦痛があることを教えてやる・・・

 そいつは痛みを通り越し冗談に近い。> (松本大洋『ナンバー吾』)
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# by 907011 | 2009-05-13 07:39 | Trackback | Comments(0)

酒呑み記。

5日目。
二日酔いも5連チャンともなると、もう開き直りが入るもんだな。
ウコン茶をせっせとつくっては飲み続けて畑に向かいます。

先日、うちで市民農園を借りられている
飲み屋のオーナーさんと話して盛り上がったのだけど、
今年はウコンを栽培してみようとたくらんでます。
「ウコンの力」的飲料にお世話になっている人が、
酒呑みである自分の回りにも相当数いるので、
無農薬でそのまま皮ごと粉にして安く売って小遣いでも稼ごうかと思います。
ウコンと胡麻を白黒やってみる予定。
でもなかなか手が回らない。

さっき台所で「良い包丁」使ってご飯をつくっていて、
ふと気付いたのだけど、野菜にしても調味料にしても、
どんどん買物する量が減っていっている。
みそ、唐辛子、ベーコン・ソーセージ、あさつき、等々
たいがいのものは(公私混同で)手作りのものが自足できるのは、
じつに恵まれているなあと思った。

<楽しくったって、仕事はできる>
糸井重里

 * * *

この前、畑の親方と話していたら、休耕田の話になって、
「ここら辺は遊んでる田んぼがいくらでもあるすけ、ただで借りられるろ」
と教えてくれて、実験的に来年やってみようとも思います。
稲と麦の二毛作が自然農の本に書いてあって、
講座のセンセイに聞いたみたら、
土地的に麦が遅くなるから難しいかもと言われたけど、
まあ実験ということで。
麦酒、できるかな。

土地が借りられたら、仕事ではないので個人的に参加者募って、
興味のある人が農に触れる体験の場にもしたいと思ってます。
ただし、現物支給で良い人。
マムシも出ます。

 * * *

昨夜は長岡造形大の学生♀3人組に会って、
短時間ではあったけどいろんな話ができた。
すごいおもしろい時間だったし、刺激ももらえた。
来月あたりから長岡で一緒に「何か」つくります。
ちょうど一年後に「どこか」で展示します。
具体化したら、ここでも告知します。
そのうち、ブログかサイトを(彼女たちが)つくってくれると思います。
おそらく今週中に・・・、
と、たぶん読んでくれているであろう素敵な学生チームに期待とプレッシャー。

たくさんのエネルギーをもらい、
勢い余ってその足で友達とまた飲んで話してた。
農の話と八方美人の話と超利己的な自分という話と好きな人の話、あとは忘れた。
帰り道、また歩道に寝転んで月を見上げた。
見ていると、相手も見る。
まんまるだった。
月から見た自分はどう映っているんだろう。
一粒の種みたいな、弱々しい芽のような、まあそんなもんだろう。
それがいいと思う。

寝転ぶ良さ。
『いまを生きる』でロビンウィリアムズも
学生を机の上に立たせて言っていたけど、
物事を違う角度から見ることの必要性。
酔っぱらって寝転ばなくても、かがむだけでも大分違う。
だから、子どもは楽しいもの、綺麗なものを見つける天才なのかもしれない。
オトナは果たして大人なんだろうか。

偶然/必然。
ふらふらしてきた自分が、
縁あって出会う誰かにいただく偶然を、
取り込んでは、自分の必然に換えていけたらいいなあと思う。
自分の必然が、縁あって出会う誰かの偶然になって、輪になったら素敵だ。
そういうつながりが善いと思う。

 * * *

今日は写真も特に意味なし。

なんか、全体的にため口な文章ですみません。
二日酔いの備忘録。

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# by 907011 | 2009-05-12 07:35 | Trackback | Comments(4)

変哲。

四日連続二日酔い。
不束者。
屋上でたまりにたまった新聞を読みながら、畑を想う。
好きなんだろうなあと思う、他人事のように。
毎朝畑に出る瞬間にbank bandが頭蓋再生される。
酒は燃料。

いままで観てきた風景、
縁あった人の顔と手、
聴いた音、
吸った匂いと光。
悔しくて泣いたことも、
同時に顔を見合わせて笑い合ったことも。

「忘れる天才」と、
ビールをおいしそうに飲む天才に評されて笑った夜は数日前。
なんにも覚えていないようでいて、
でも、ふとした瞬間になんの脈絡もなくあらゆることが蘇る。
ちゃんとそこに用意されて収まっていたかのようにしれっと。


 普通の旋律で ひねらない言葉で
 たぶん君が その奥のほうを読みとってくれるだろうから



酒にほろほろしながら、道端に寝転んで月を見上げる。
まんまるがあまりにまんまる過ぎて、
つまんでいた細巻きを砂利に落とす。ミステイク。
「道路はいつでも寝転がろう。」


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<博士はいつも数字のそばにいた。
 まるで愛おしいものに寄り添うように、じっとそこに佇んでいる。
 数字と愛を語っている間は、じゃまされるのを許さない。
 博士と数字の語らいは、それほど尊く慈しみに満ちていた。>
(小川洋子『博士の愛した数式』


 * * *


昨日は柏崎で自然農法の講座に参加。
若い参加者が多くて、皆とてもユニークで、農業に関心があって、
農を挟んでつながるご縁。
苗を定植したり、畑と田んぼの世話をみんなでしながら、
畑でまねいだ野菜やお米をいただきながら、いろんな話をした。
「いただきます」と掌を合わす姿がみんな似合う。
天川村を思い出す。

藍染めの藍の種が余ったのでもらってきた。
先月蒔いた紅花が芽吹いていて、染め物遊びをしたいという話をしたら、
染め物に詳しい人がいて次回またゆっくりのんびり話が聞けそう。

いつも講座の冒頭と終わりに、感想を言い合うのだけど、
短い言葉で気持ちを伝えることはとても難しい。

「手作業のすべてに理由があって、
 たとえば、こうこうこうだからこの草は抜かずに残そうとか、
 そういう道理を聴けるのがすごくおもしろい。
 職場に持ち帰って、自分が畑でする一つひとつの作業にも意味付けができるように
 自分なりに明日からまた頑張ります」
そう話すと前の方に座っていた女性がにこっとして頷いてくれた。



腕にまだ疲れが残っているらしい。
温泉につからせよう。
変哲なく休めることは嬉しい。

潔く考えるにはどうしたらいいんだろう。
どうも新聞の言葉が目に入ってこない。


 * * *


<「君の靴のサイズはいくつかね?」
 「・・・・・・24です」
 「ほぉ、実に潔い数字だ。4の階乗だ。」>
(『博士の愛した数式』)
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# by 907011 | 2009-05-11 11:46 | Trackback | Comments(0)