サッカー・浦和レッズの柏木選手が
チームのキャンプ中に規則を破って(外食して)退団になった、
というスポーツニュースを見た。
それはそれとして、
そんな柏木選手を含めた同年代代表選手(←この言い方が正しいか謎)集団は、
「調子乗り世代」と呼称されたらしい。
どっちかというと負のニュースのなかで、
なかなか秀逸したネーミングが気になった、
「調子乗り世代」。
自粛を破戒したのは事実だったようで、
しかるべき処置を巡る監督のお怒りや当人反省の弁などが
後日追加報道されていた。
画面でしか見ない確実に距離感のあるニュースはべつにどっちでもいい。
そんなことよりも、
いいじゃないか、調子乗り世代。
一回通り過ぎようとしたワードでしたが、
やっぱり気になるので二度見、三度見と目が惹かれる。
*
「調子に乗る」という表現は
それ自体、おそらく良い文脈で使われることの方が少ないと思う。
スポーツの実況で「調子がいいですから」などという似た言い方は聞いたり見たりするものの、
「調子に乗る」については、
たとえば「調子に乗せてしまう」などと
二人称か三人称で用いられることが多いと思う。
調子はもともと音のリズム、囃子、調べから来ているのだろう。
調子に上手に合わせて踊られたりしたんだろう。
*
その軽妙さのイメージだけが先行したが故に、
「調子乗り」がまるでよろしくないと思われただろうか。
軽いじゃないかと。
軽薄過ぎじゃない?と。
でも、そこがいいんじゃないですか。軽さってのは。
調子乗り世代という活字を見てみて、なんだかそう思った。
人それぞれに、「機嫌がいい」という状態は、
”暗いとき”よりも明るくて(文字にすると当たり前の言われようですが)、
小気味よくて、たまに冗談をいってみたり、
つまりは、心身ともに軽いものではないだろうか。
文章の書き方も一時期、椎名誠さんや糸井重里さんあたりが、
「昭和軽薄体」という評され方をしていて、
自分などはその頃の軽薄文体にむしろあこがれて
積極的にコピーしては何かを書いてあらわしてみたりの実験をしたものだ。
今回のサッカー柏木騒ぎに案外と気付かされたのは、
必要最低限の自粛をしながら、
乗っかれるところがあれば、
調子には乗っとけということだ。
*
「清濁併せ飲む」という言葉を思い出しては、
ほんとうにその通りなのだよなあと
農業、農山村の暮らしを通して痛感する。
「清」だけで人は生きられないから。
「濁」から目を逸らしている表現には、重みも軽さもない。
生産と消費には表裏一体でかならず廃棄が伴っているように。
調べに乗せて踊るような、
重さをどかすような軽さで、
手洗いうがいもしながらの新たなる「調子乗り」を模索していくのがこの世界の賢さだ、
と思った。
*
西川美和監督の『すばらしき世界』という題名は皮肉じゃなかった。
それはまた追々。
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by 907011
| 2021-03-10 06:08
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by 907011
| 2021-03-09 06:54
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