山中記

像。

話し言葉と書き言葉。

大きな丸囲みの話し言葉と、
やや小さな丸囲みの書き言葉。

話し言葉が活字化されることは少なくないし、
書き言葉で話をする人だってなかにはいる。
だから、二つの円は
それぞれのいちばん端っこでちょっとだけ交わる。

話し言葉が書き言葉を、
書き言葉が話し言葉を、
どっちかがもう一方を完全に内包することはできないだろう。

話し言葉を自分は耳で聴き、
書き言葉を目で見る。

外から入る言葉と内に溜まる言葉。
もしも、音や光を感じる力を失ったとき、
自分にとって言葉とはどんな意味を持つのか。

聴こえない耳の奥で、
何が響くのだろう。
見えない目蓋の内側で、
何が映るのだろう。

自分は何に触れていたいのだろう。
何を残したいのだろう。
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# by 907011 | 2007-03-15 06:17 | Trackback | Comments(0)

人力。

ニンゲンは
誰も
代わりがきかない

どれだけ優しくても
代わることはできないし

たとえいくら苦しくても
代わってもらえることはできない

人の力になる って何だろう
世の役に立つ がどういう状態を指すのか
自分の役割 は言葉に置き換えられるだろうか


今の自分には何ができるのだろう

そんなことを考えると
今日の一日を過ごすのに
才能とか資質とか
どうもそういう外側の文句よりも
ありのままのおぼつかない自分の姿や想いの内に
できることが静かにもぐっているような気がします。
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# by 907011 | 2007-03-13 06:42 | Trackback | Comments(0)

楽。

ラク

タノシイ。

どちらも「楽」という形を持っている。

ラクとタノシイは、どう異なるんだろう。

たとえば、食欲で置き換えてみると、
「ラク」は、ジャンクフードを食べたくなる気分に似ているような、
「タノシイ」は、野菜を身体が欲することに似ているような気がしている。
まあ、結局どっちも「あーうまいなあ」って。
なんとなく過程が違うような気がしているけど、
これももう少し考えます。
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# by 907011 | 2007-02-06 07:07 | Trackback | Comments(0)