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山中記

The snow is no match for me.

朝の夜明け前が自分にとってもっとも集中できるプレミアムタイム、
脳みそにとってのマジックアワーのようで、
起きて薪に放火してその場を立ち去り、
洗い物などをしてから手帳を開いて昨日を振り返る。
考えごとは一回寝て起きてから再度冷静になって向き合ってみるとよいというので、
手帳に予定以外のあれこれを書くのについては、とりあえずそれでいいのだと思う。

先月にイサオ兄から「ええ肉、ありまっせ。」というメールに誘われて
即飲みに行ったら、ええ薪ストーブの豪儀な燃やしぶりと温度計を指さして、
「なおきよ、これが正しい薪ストーブの燃焼なのだ!」と、
熱々のやかんお湯をもらいながら”島のナポレオン”を飲んでワシも考えを新たにした。
愚息はその一方で吉幾三を熱唱していた。

 *

5年手帳を開いて「2年前と1年前の昨日と今日」を眺めつつ、
現実の昨日のやったことを思い出す。
そのときどきに感じた雑感を整理したり反省したりして、
どの言葉の選び方が一番短く凝縮しながら来年の自分が見返して
追憶ができるのかなと適当に想像しながらも、
結局、誰かの机に置くメモ書きと大差ない言葉を記す。

 *

基本的にこの40数年、ほぼ変わらずに(義務教育時代はお休みの日など)、
朝起きて窓からその日の天気を眺めて、
「さて、なにをしようかな」と、自分の思い付きを待って
行動する(もしくは何も行動しない)ばかりの超無計画暮らしをしてきたので、
手帳をそうして使いながら、
嗚呼この思い付き無計画暮らしというのは一生続くのだなあと思った。

今年のこの日々のメモを来年の自分が見たら何を想うだろうか?
・・・などとは、”メモ書き”するときに、とうとう思わないから、
だから、
自分のように「手帳見て、少しweblogに記したい人間」も数多存在している。

職務職責、使命感もあいまって、
「いえーい、盛り上がってます」の仕方ない無料SNSをしている人たちもボタンを押し合う一方で、
コロナ禍でストイックに生業の情報を発信し続けている人たちも点在して居る。

書き言葉はとても正直なので、
書いているときの気分は、怖いくらいに、
おそらく本人が思ってる以上に響く。

そういう意味では、読んでいてときどき「言霊なのだ」と思うことがあって、
誰かに読まれる、届ける、読ませたい、拡散したい、
いろいろ背景はあるだろうけど、
私的には「言葉を選ぶ=伝えること」なので、
あくまで”身内的な背景”などは不要で、
それはたぶん見る側に見切られている。

言葉を選ぶということは、
自分もぜんぜんうまくできないですが、
すなわち、言葉を必要なものを組み合わせながら記す、
それもぎりぎり削りながら記す行為でもあって。
それが不自由だからこそ、
全国民総発信時代のゆるくて良い世の中になったんでしょう。

マス(大量)は力で、
ときに、書いた側にはない感動があって、拡散して伝わって、
でもどこか一方で、広まるええ話には必ずといっていいほど、リターンがあって、
同時に、非リアルゆえの軽視から始まる面倒くさい異論も行きつ戻りつする。

 *

簡単に伝わる空間は、
簡単に異論を画面と文字だけで挟み合う空間を作り得た。
それがずっとこれからの画面内でのみ進む発展であり、先進なのだろう。
「よくわかんないけど、なんかそんなバランスっておかしいすよね」って
疑問を感じる若者がいるのが、人間のおもしろい反作用だとも思う。

 *

研修で一泊して帰ってきたら、思いのほか雪がいっぱいだった。
昨日は、でも天気があまりに良かったので、
家周りのことは朝仕事で適当に片付けて(朝飯を10時過ぎにおかわりしながら食う)、
11時頃から村の重機格納小屋や元バス停やゴミ捨て場(元消防小屋)など、
屋根雪がつながってブリッジしているところを片付けた。
(先日栃ケ原で一人下敷きになって亡くなった事故があった)
昼飯を15時過ぎにおかわりしながら食ってうとうとしていたら、
岡野町のT君が1月に郵便局に上がって雪掘り隊をしたお金をいっぱい持ってきてくれた。

鶏のお世話をしたりしていると、
「おとうさん、わたしたちのことはいいから、
 そろそろ家の周りをもう少し綺麗にしてください」
とあほう鶏たちがかんじきの雪をコツコツと食べながら見上げたり逃げ回ったりする。

今日はセガレガクとわらの手ホウキづくりを習いにゆくので、
午後に少しやらねば。
明日は雨降りだ。月曜からまた雪だ。

今年もあとひと月半くらいしたら、
あの「爆発的な春の悦び」を味わうことになるでしょう。

決して敵視も悪気もないのですが、
やがてくる3月下旬あたりには、きまって、
冬を知らずわからず、「雪なんて1円にもならんのに、
何を酔狂で、時間を割かれてかわいそう」
などというはるか遠くの友達なぞに、
「だっはっは。ざまーみろ。」とか言いながら、
小春日のお天道様の下でビールを片手に、
あの爆発的悦びの時間と光景を噛みしめるのだろう。

1やってくる快楽のために、
まずは9やらねばならんことをてきとうにやる。

やらなきゃいけないことをやるだけさ、
だからうまくいくんだよ、
と、ボブディランも歌っていた。




The snow is no match for me._b0079965_06493956.jpg








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ブログテーマ:あなたの見つけた冬景色
# by 907011 | 2021-02-06 07:22 | Trackback

あんべいいな。

家が壊れない程度にすっぱりと内包される。
自分も一つずつ歳を重ねていくわけですが、
今年はなんだか、ちょうどいい雪の量に感じる瞬間が多い。

ディスタンスが強いられるいまの世の距離感もまた、
自分にはすごくしっくりくるというか、なにせちょうどいい。
子どものときから一人のときがいちばん深呼吸できる時間だったように思う。

まあ、適当に気をつけながら、
たまに「しっぽりと飲みますか」という人と飲んだり、
一人でカウンターに座ったり、薪ストーブの前にどっしり座ってビールを飲んだり。




 好きがいっぱいあるともだちと遊んでいたら、
 たのしい時間をたっぷり過ごすことになる。
 人の一生のなかで、「好き」を感じながらいる時間を、
 ぜんぶ足してみたら、その人その人の
 「個人総幸福量」になるのではないだろうか。
 そして「個人幸福量」の多い人は、
 「周囲幸福量」もきっと増やしているようにも思う。
 ぼくは、いま、どれだけの「好き」を感じているだろう。 
(昨日の『今日のダーリン』から)











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# by 907011 | 2021-02-05 06:42 | Trackback