山中記

天と地。

集落で8,9年ぶりに生まれたセガレが4歳を迎えた。
併せて、自分は山中に暮らして6年間が経過し、7年目を迎えた。
子(0歳スタート)でいえば5歳のようなもので、
その辺の高柳小学生のほうがはるかに経験値が高く、
ワタシはまだランドセルを背負えるか背負えないかくらいのものだ。

そんなワタシは神頼みを重要視している。
「神さまに頼むしかないな。」とよくつぶやく。
神にすがって、自己努力の不足分を補ってもらおうという魂胆があるので、
入念に拝む。村の神事などはちょっと緊張する。
(神社で村を見回しながら飲む酒は格別にうまい。)

なにせお天道様の下での暮らし、だからだ。
「どうしようもない」ということを体感し続けて1年は終わるようなもの。
自分のしていることは天候に対する仮説と予防策みたいな程度だ。

どうしようもないから、祈る。

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重要視しているわりに、毎朝していたうちの神棚参拝が
節目節目ごとに最近ペースダウンした。
単純に忘れて、欲のままに朝飯を食っているというパターンが多いが、
「神頼みも休み休み言え。」という格言めいたものが頭をよぎり、
「神を休めよ。」という黒地に黄色のキリスト看板めいたものが脳内にかかげられる。

昨朝。
5日前にまいた大根が発芽していた。

「さささーっと、ずばーっと、(農作業が)はかどりますように。」
と擬音主体で神棚を拝んでいたら、
足もとでガクが見ていたので、
誕生日御礼と「トイレでうんちをします。」という誓いを神さまに拝ませた。
俺の”はかどりますように”頼みが薄まらないよう、
子は誓うのみにさせる。神を休めよ。

・・・果たして、子は出先のトイレでずばーっと、できたらしい。
俺の方はまあまあ集中して、まあまあはかどった。
日差しが痛いくらいに強い一日だった。

朝仕事の時間がいちばんストイックに向き合えるので、出よう。
本日もお天道様の下でくるくる回って、暮らす。



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2017、私のゴールデンウィーク!

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# by 907011 | 2017-05-06 04:52 | Trackback | Comments(0)

モーキン。

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昨朝の”オクサ”。
去年の秋に村のユンボを入れて、
排水を直してもらったままだった田に水を入れる算段。
土のう袋を3つ詰めてどうにか水口はできた。
漏れずに安心の予定。

”月ヨメ沢”の田に移動して、7時頃までかかってこっちも水管理。
一本の水を棚田でどのように振り分けるか、なかなか頭を使う仕事でもある。
あと2枚ほど田んぼを覆っていた雪もようやっと畔なりに削られて溶けた。

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トラクター、移動。
肥やしをまいたりごみを拾って、帰飯しようかと下りていたら、
畔にカラスの群れがいた。
蛇か、ケモノの死骸でもあったんだろうかと発作的野次馬根性で見に行くと、
猛禽類の子(?うちの鶏より大きい)が震えながら居た。

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カラスを追っ払って近寄るが、威嚇されて近付けず。
襲われて田に落ちたのか、羽が濡れていた。
しばらくカラスが隙を狙っていたので、
特に何もできないけどウロウロしながら見守る。
自然の理を前にして、ニンゲンができることはないなあなどと実感させられた。

足を怪我したっぽかったが、その後朝食後に行くと
どうやら襲われずに飛び立った模様。

昼まで頑張り、泥んこだったので外でござを広げて
子と昼飯を食って寝ていたら、
ふかぐら亭で蕎麦を食ったのだという長岡からの友だち夫婦が
新しい家族イッセイ君(一歳)とともに遊びにきてくれた。


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うちの新たなネコと新たな鶏としばし遊ぶ。
イッセイ君はよく歩き回り、よく笑っていた。
”モーキン”(朝飯を食いながら勝手に命名)もここに居ればと少し思ったが、
無事に自然に還り、いつか田んぼのマムシなどを駆除しに来てくれるだろう、
などと、昔話風今話を利己的に創作したりなどした。

午後、長岡時代のことをあれこれ思い出したりしながら、
4枚代かきできた。
水が多すぎて打ち残しもだいぶありそうだけど、
ひとまず先行するこしいぶき分が無事終わった。

「こしいぶき分5段が終わったよー。5段が終わったよー。」と、
ヨシトモ先生に倣い、大きな独り言を言いながら上がる帰路。
本日も夜明けから日没までよく働いたということで、
神の魚はたはた(鰰)を食い、ビールと焼酎を飲んで寝た。

 * * *

<完全に1つのものに没入してしまって、
それが世界で最高のものなんだと
思い込んで撮っちゃうと、
一本やりでおそろしい映画になってしまう気がして。>
(矢口史靖監督『揺れ動くほんものの景色のなかで。』







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2017、私のゴールデンウィーク!


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# by 907011 | 2017-05-05 04:50 | Trackback | Comments(0)

みどりの日。

未明の3時からネコはやたらと威勢が良い。
俺は木かなんかだと思われているのか、やたらとひっかかれる。
爪を研いだり、背中脇腹から上ったりジャンプして下りたりされる。
(いままさに繰り返されている。)
名前はまだない。

薪ストーブを燃やすとそっちに行って横たわって寝るので、
起床と同時にとりあえず着火。
未明から徐々に5~6時にかけて肌寒くなってくるように感じる。
まだ寒い。
そして田の雪はまだまだ溶けない。

昨朝。
「極早生」と書かれた枝豆の袋2つを手にしたまま固まり、思案。
しばし迷った末に、「あと数日だけ待ってくれ。」と
借金取りに追われるかのような表情で事情を話し、田へゆく。

「日本の寒がり百選」があれば(ないけど)間違いなく選抜されるであろうほどに、
なぜか寒さに弱い東北人のワタシなので、上着を1枚ずつ多く着込んで
5時から田を打ち始める。
朝仕事で一枚終えられた。

迷ったものの、やると調子が出る。
そのまま昼までやり続けるか、朝食をとるかまたしばし迷った末に帰飯。
ここでもまた迷っていたわりには、飯をがつがついっぱい食べる。
四季を通じて、自分の選択などまったく「迷ったわりには結局そっちかよ。」などという
「迷ったわりには」反対側の選択肢でも意外におさまっていたというパターンが多い。
抽象か、具体か、それが問題だ。

あと、自分はこれまで、
稀に飲食店で注文したのと違うものが運ばれて出てきても、
それはそれでおいしく食べる、という場面が何度かあって、
人といると「それ、食べたらダメしょ。言わないと。」と指摘されるが、
小心者なので言うよりも、穏便に食べることでなにがしかの手助けになれば、
間違えた店員も、自分も、嬉しいのではなかろうか・・・、
と思ってやってきたけど、間違えられた客の中には怒る人もいるんだろうな。
間違えて運んだ方を叱るか、違うのにおいしく食べた方を叱るか、それも問題だ。

  * * *

今日、山中出の人が連休で帰って来て、
28年産米の残り半分6袋を持っていくというので、
岡野町のヨシトモさんの保冷庫の空きに保管してもらっていたのを取りに行く。
ヨシトモ先生はいつも会うたびに自分の農作業の進捗状況を
聞いてよというでもなく、大きな独り言であるかのように言う。
「あ~疲れた。いま6反部代かきしてきた。いま6反代かきしてきたよ。あ~疲れた。」
と昨昼も大きくかつ独り言であるかのように二回繰り返していた。
農繫期になると細かな数字も大きな独り言に含まれる。
孤高か、孤立か、それが問題だ。

20代の頃に石川直樹さんの本のなかの言葉で素敵だなあと感心したのが、
「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ。」
という一節だった。

「ものごとは独り言をいうくらいのように伝えろ。永世に伝えるかのように耕せ。」
とヨシトモさんは伝えているのかもしれない。
が、もしかすると伝えていないかもしれない。

「そうやってヨシトモさんみたいに嬉しそうに報告しているうちは
 それは楽しみでもあるから、良いことかもしれないなあ。」
と田んぼで会ったイサオさんがくわえ煙草で上手に総括してくれた。

みどりの里・山中のみどりの日。
耕せ、山中。




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# by 907011 | 2017-05-04 04:28 | Trackback | Comments(0)