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山中記

写活『ラッシュライフ』。



不景気、不景気と騒いでいるがな、
これだけ長い間不景気なんだ、
それがこの国の標準の状態なんだろう。
子供がテストで一度満点を取ったからと言って、
その後五十点程度しか取っていなければ、
その子の実力は五十点だろ。違うか?
この経済状態だってずっと続いてればそれが普通なんだ。
昔のまぐれ当たりを待ちつづけている馬鹿ばかりの国に先はない。
(伊坂幸太郎『ラッシュライフ』)


「『オリジナルな生き方なんてできるわけがない』
 私にそう言った」
「そうだったか?」
「世の中にはルートばかりが溢れている、とね。そう言ったよ。
 人生という道には、標識と地図ばかりがあるのだ、と。
 道をはずれるための道まである。
 森に入っても標識は立っている。
 自分を見詰め直すために旅に出るのであれば、
 そのための本だってある。
 浮浪者になるためのルートだって用意されている。」


「俺は昔から、逃げてばかりだよ」黒澤は笑う。
「それにもう、抵抗するのはやめた」
「抵抗?」
「人生に抵抗するのはやめた。
 世の中には大きな流れがあって、それに逆らっても
 結局のところ押し流されてしまうものなんだ。
 巨大な力で生かされていることを理解すれば怖いものなどない。
 逃げることも必要ない。
 俺たちは自分の意思と選択で生きていると思っていても、
 実際は『生かされている』んだ。そうだろう?」
「それは君が学生時代に嫌っていた、『宗教』じゃないのかい」
「違うよ。人生は道じゃないと、そう思うことにしただけだ」
「道じゃない?」
「海だよ」


私憤でけっこう、私怨でけっこうだ。
公的な理由で行われる戦争や内紛に比べれば
よほど健全ではないか、とさえ感じた。
蟻や蜂は自分たちの巣や集団の維持のためには闘うが、
自分自身の恨みのために相手を倒すことはない。
個人的な理由による復讐は、
よほど人間らしいではないか、と豊田は思った。


人間なんてなおさらだよ。
何十年も同じ生活を繰り返し、同じ仕事を続けているんだ。
原始生物でも嫌になってしまう、その延々と続く退屈を、
人はどうやって納得しているか知っているか?
『人生っていうのはそういうものだ』とな、
みんなそう自分に言い聞かせているんだよ。
それで奇妙にも納得しているんだ。変なものだ。
人生の何が分かって、
そんなことを断定できるのか俺には不可解だよ


 人生にプロフェッショナルがいるわけがない。
 まあ、時には自分が人生のプロであるかのような
 知った顔をした奴もいるがね、
 とにかく実際には全員がアマチュアで、新人だ


「いいか、嫌なことだとか、
 悩み事だとか、気になることがあるだろ。
 そういうのは考えなきゃいいんだよ。
 そういうのはよ、頭で考えるから深刻になるんだ。
 胸にある時はもっと漠然とした気分なんだよ。
 それが頭で考えるからまずいんだ」


河原崎の胸に、抑えきれない疑問が湧き上がっている。
それが頭に言葉となって現われるのが怖かった。
早く外に放出しなければ、と焦った。
父がバットを振り回したように、
自分は鉛筆で紙に絵を描きつづけなければいけない。
そうしないと、
自分の内にある疑問と向き合うこととなってしまう。
スケッチブックを再度開く。


塚本が、河原崎に何か言ったが、耳には入らない。
スケッチブックを捲り、足をデッサンする。
黙々と鉛筆を走らせた。
何も考えず、置かれた題材を次々と描きとめていく。
鋸の音がしばらくの間、続く。
ピアノが美しいメロディを鳴らしている。
隣の部屋で、ボブ・ディランが歌っている。
河原崎の動かす鉛筆の音はそれらの音と混ざり合う。
セッションでも行っている気がしていた。






群像劇というのは、
それぞれ別の人生を歩んでいた人間たちが
劇的に後半で交錯する場合もあるし、
途中で交錯しつつもまた己が人生に戻り、
それぞれの道を歩む場合もある。
本書はどちらかというと後者で、
そのスタイルを踏襲しているけれど、
ただ作者の狙いは交錯のみにあるのではなく、
単行本のときの帯の言葉を使うなら、
五つの物語が”一枚の壮大な騙し絵”として
収斂するところにある。
それまでバラバラに進んでいた人物たちの物語、
読者が頭のなかで組み立てていた物語が、
終盤になって、綺麗に解体され、
鮮やかに再構築されるのである。
(「解説」池上冬樹)


”小説でしか味わえない物語、
 文章でしか表現できない
 映像よりも映像らしい世界を創っていきたい”
という強い決意表明そのままに、小説の要素が充実している。
(同)







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# by 907011 | 2024-03-03 10:21 | Trackback

冬戻る。

思ったよりも雪が降り積もっていた。
春のような暖冬が続いた後、
また冬の通常に戻る。
空間はゆっくり往還する。
ゆったりと往還する。



冬戻る。_b0079965_15430951.jpg



ガクを連れてかんじきを履いて道を踏む。
どこに道をつけるかは自由だ。

玄関を出てぱっと前を向くと
雪と木と空はきれいなものだなあと眺める。

自由か不自由か、それが問題だ。



冬戻る。_b0079965_15430975.jpg


玄関の反対側、南側からは集落の2,3戸と除雪道、
上にブナ林が見える。
そこに居て立ち尽くす者だけが感受する
自然の音だけの空間。
空間は往還する。

昨日、確定申告の入力を11月末まで終えてみて
あと一ヶ月だけを残して今日はふたたびやる気がしない。
「今日は仕事をしない日だ。
 何もしない日だ」と決めて
メリハリというものをわざとつけてやればいいものだろうけど
なんとなく続きをやるようなやらないような
宙ぶらりんで過ごす。
横になっても眠いけど暇だ。

薪ストーブで銀杏を炒る。
コーヒー豆が切れる。

除雪が来るので
公民館に置きっぱなしだった車を
集落入口の共同駐車場にずらす。




冬戻る。_b0079965_15430900.jpg


冬戻る。_b0079965_15430910.jpg




荷台に乗せて走るとガクは全自動雪払い機となり
軽トラをきれいにしてくれた。





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# by 907011 | 2024-03-02 15:55 | Trackback