吸って、吐くこと。
もう何年くらい前のことだったか
ある写真家の方と飲んでいた時に
その人がふと話してくれた
「写真でしか表現できないものが
たしかに自分にはあるんです」
という言葉が、今も時々ふっと頭をかすめる。
その一瞬だけ浮かべたマジメな顔つき口ぶりも。

自分が、瞬発的な”熱”に圧倒される時々に、
その表現が
その言葉が
その人が、
発しているその熱は、おそらく
放つ本人がそれまでに受けた、もしくは蓄積してきたエネルギーと
同じだけの量であったり、大きさなんじゃないんだろうかと思う。
絵、写真や音の非言語な表現も。
視覚だけのものじゃなくて、
味と香りだってそう言えるかもしれない。
たとえば、それがネガティブであっても。
苛々(いらいら)をイライラっと伝播しないように、
感じて、留めて、表される。
ざわつかないように。鎮まるように。
できるのであれば、明るい方へ。
昇華。
* * *
インプット/アウトプット。
取り入れること、放熱すること。
吸って、吐くこと。
毎日、毎時間、あったことの、
そのまたささやかなすべてを澱みなく言葉にできるのであれば
それもまたさらりと潔くてきっと良いのだろうけど、
自分の場合は、実際には言葉にできない感情や記憶がとても多い。
できずにいるという方が正しいかもしれない。
光や匂いや音、その感覚を混ぜ合わせた時に起こる自分の感情。
そのままでは言語化できない、まだ言葉にできずにいる記憶。
今までは、そんな記憶が生々しいところからいったん離れてしまっては、
結局、黙って物言わず腐って溶けてなくなってしまうんだと思っていた。
で、思い出した頃に慌てて探しに戻っては、
腐敗臭のようなものだけ残ってやっぱり何も思い出せないような。
(どうやらそうでもないらしい)
と、最近思うんです。
しかも、何の脈絡もない場面で。
やはりどこか瞬発的に。
車を運転している時に、
雪がただしんしんと降っている様を見上げている時に、
飲み屋のカウンターでおっちゃんの話を聞くともなしに聞いてる時に、
旅先の電車やバスで見知らぬ光景が窓の外を流れていく時に、
小説の人物が想いをどうにか手繰っている言葉を目にした時に、
海や空、雲、夕陽の前でぼーっとしている時に、
静かな気持ちになるような絵や写真の前に立っている時に、
ほんとうにふとした瞬間に、ふと。

味噌や酒づくりをしてみると、
発酵や熟成という言葉に出くわす。
「眠らす」「寝かす」という言葉で言い換えられたりもする。
育って、収穫したものに、ある程度手を加えて仕込んだ後、
そこから先は自分の手を離れ、形として捉えにくい酵母や菌に委ねられる。
記憶や感情を、眠らせる。
自分じゃないものと時間とに委ね、任せ、身を預ける。
日ごと夜ごと。
光や匂いや音、を吸う。
感覚を混ぜた後と、そこから先。
言葉にできる記憶よりも、
やはり言葉にできない記憶の方がまだまだ多い。
* * *
で、またふっと上記の写真家さんの顔を思い出す。
何れにせよ、
手段も様々にあるにせよ、
表現されたモノには、
それだけの想いの量があって、
たとえそれがすべては形に成りきらなくても
中にはその背景ごと伝わってくることだってあるんだなあと思う。
そう感じることができたら、と思っている。
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by 907011
| 2009-03-12 12:22
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