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山中記

抜けぬ。

感心するばかりに雨が降った。

春に越してきて耕してつくっていった畑の畝。
これを不耕起の畝にしていくぞと「既決」にしたつもりの自分こそ、
自然を管理できると勘違いしてしまっていたわけだ。

結局、雑草の根張りもしのげないほどの雨に、
畝の間の通路の水はけが上手にできてないところは必然、
水がたまって畝の肩まで洗われて作物の根が出たり、
ついでに浄化槽を埋める工事の関係で重機が入り、
無情にもそこここを掘られてなお進行中。
天災はなんとも仕方ないにせよ、人的なものはやっぱり後悔が残ってしまう。

自分の気分は天候に左右されやすいなあ。
どんよりしているときどきに、はっとそんな風に気付く繰り返し。

努力が足りないから、自信が足りず。
と、なったとき、マイペースは取り戻しづらい。
自問自答が大切で、でもその深さもまた足りないなあ、
と気付くのはやはりこういうタイミングで。


もう十年一昔の話ですが、
隣の机の方が雑談の中でふと「俺、戦争に出てみてかった」とつぶやいていた。
詳しい話は割愛させてもらって、
直接的には自分はまた共感できにくかったけども、
でも、その夜からその衝動についてふと振り返ってみて、
手を変え品を変え、自分にもたしかにその代替品がありそうだなあと思った。
もしこれがなかったら自分はどうなっているかなあと考えるとちょっと怖く思えてしまうような、
ヒトモノカネ?、何だったろう。いろいろあったはず。

自分についての感情もそうで、
小さな衝動をどこかの何かで(無意識のうちも含めて)ぽんとあふれさせておかないと、
もっと大きな何かをしでかしそうでおっかなくなったりする。

お酒を飲んで、高確率で酒に呑まれて、
それでもどんどんペースをあげてなお溺れようとする自分には大分類で二種類あって、
その一つの方は、自傷行為自慢に似ている。
もう片方は正反対のからっとした理由で、しかもそのどっちもがその都度混ざり合っているから困る。

自問自答が足りないなあと公民館の便所でふっと思いました。
8月の明日からまたネジを巻き直して努力したいなあと思う次第です。


 * * *


<観念的な思考はかならず、いったん人間を病気の状態にしてしまう。
 そこでほんものの思想家だけが、徹底的に考え抜くことをとおして、
 自分がおちいっている病気の状態から脱出しようとするのである。
 そして、悪戦苦闘の末にようやく自分を縛っていた思考のシステムから自由になれたとき、
 その人の前にはとてつもなくゆったりとした「普通」の世界が広がっているのが見えてくる。
 そういう「普通」にたどりつくことを最後の目標にしていない思想などは、
 どれも病気の産物にすぎないもので、たいしたものではない、という考え方である。>
 (中沢新一 ”遠くに光る灯台~吉本隆明に関しての解説~”)



これから新潟へ狩猟免許取得希望者講習にいってきます。
ずど~んとさせてる狩猟友達できるといいなあ、みんな年配の方ばかりだと思うけど。
夜は4カ月ぶりくらいに居酒屋マスターを報告にたずねる予定。
by 907011 | 2011-07-31 07:03 | Trackback