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山中記

送る儀式は、迎えてもらう為。

ここ一カ月くらいいろんなことがあって、なんとなくぼんやりとお盆。

やまんかにもでっかい車があちこち停まって、人口が本当に何倍にも膨れ上がってます。
いろんな想いが飛び交っている光景。
ただならぬ非日常感に、朝の4時5時くらいが唯一変わらずに普遍的な時間。

訪れるヒトの想い、それらを迎えるヒトの想い。


それは、今ここらで目に見える者たちの話だけでなくて、
たまに墓や寺社に掌を合わせる自分とその向こう岸も同じで。


山中、28戸。
4日前、きちごろのばさが亡くなった。

ゆうべはその”しんさわぎ(死んさわぎ=葬儀)”と、村の盆行事が重なった。
朝から公民館はハレの化粧をしてもらい、各屋号ごとの提灯が並んだ。


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ふだん、蝉の声や鳥の声(うちの鶏の声は山に出てもやかましい)は聞えるが、
それに耳でも澄まさなければ、ものすごい静寂の山の中にいるのだとときどきはっと思う。
太陽からも音色が出る。

で、たまに車が通れば、「おー、車」とかつぶやくほどに。


この間、あっつい中で草刈りかなんかしていたら、
なんとなくふと泳げたいやき君(?)を口ずさんでいて、
すごく、それはすごく無意識だったのに、
知らないうちに、鉄板の上で焼かれているところに己を投影していたらしく、
ふと気付くと、「いやんなっちゃうよ」って歌っていた。
嫌んなってたのか、俺? おのれ。

と、山に一人で居ると、何の文脈もなく、ふとさまざまな歌が脳内再生されるものです。

あ、8月15日の8:15。


そんなときどきに、汗だくになりながら何故か「雨~降りの朝で~」と、
『ばらの花』(くるり)という歌が思い浮かぶことがたびたびあって。


”あいづち打つよ きみの弱さをさがすために”
っていう詩がとても印象的です。
そうなんだなあ、相槌っていうのは、そうなんだ。

よくこういう言葉が、潜っているところから浮かんで出てくるもんだなあとはっとする。
by 907011 | 2011-08-15 08:25 | Trackback